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史実で見る『大君』たちのキャラ

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(景福宮:キョンボックンの空)

史実に残る『大君』登場人物たちの性格

1.まずは、イ・ジェ(ヤンアン大君)

3代王・太宗の長男:讓寧(ヤンニョン)大君(1394~1462)をモチーフにしています。
しかし、
ドラマにあるような自由な行動は不可能だったはずです。

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『大君』達の伯父も大君であり、世子でもありました。
ただし、太宗(李芳遠:イ・バンウォン)の期待に応えることができるような元子(ウォンジャ:王の長男)ではありませんでした。
自由奔放」で“世継ぎの資質に欠ける”ために、バンウォンは世子の座から降ろして(廃位)、流刑にしました
それでも流刑地で謹慎するような性格でもなく、
監視していた多くの官僚たちから上奏文が第4代王・世宗に届いたそうです。
ただし、弟(3男)だった「世宗は取り上げずに黙視していた」とされます。

# 以下も同様に、「」の中は、朴永圭『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社(2012.03.14)によります。

2.次いで権限移譲と文宗のこと

<朝鮮王朝>初期の以下の4人の王は亡くなる前に王座を譲っています。
・初代王・太祖(テジョ:李成桂:イ・ソンゲ)は、63歳で引退。
・第2代王・定宗(チョンジョン:李芳果:イ・バングァ)は43歳で引退。
・第3代王・太宗(テジョン:李芳遠:イ・バンウォン)は51歳で引退。
そして、
・第4代王・世宗(セジョン)は53歳(1450年)で亡くなっていますが、その8年前から、実質的な政務を長男の第5代王・文宗にゆだねています。
(この間に、ハングル文字を創製し、1446年に「訓民正音(クンミンジョンウム)」の名で公布)

第5代王・文宗(1414~1452:在位2年3か月)は、
「幼い時から学問を好み、学者と親しくし、測雨器製作に自ら参加するほど天文、易、算術に優れ、書道にも長けていた。
また、性格が従順で優しく、誰からも好かれ、行動が沈着であり、判断が慎重であるため、他人から批判を受けることはなかった」

(ドラマの大妃と文宗)

チンヤンは欲張りな子です。
 ウンソンとは違います


「…」
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# 文宗と世宗の王后:昭憲(ソホン)王后沈氏(1395~1446)

3.チンヤン大君とナギョムの夫婦

(1)チンヤン大君

文宗は38歳の若さで世を去りますので、残された元子(世子)はまだ11歳でした。
イ・ガン(チンヤン大君)のモデルとなっている首楊大君(スヤンテグン:世宗の次男)が王位を狙い、
「王権を欲張った背徳の謀反」を行います。

第7代王・世祖(セジョ)・首陽(スヤン)大君(1417~1468)に関しては、
「首陽(大君)は、もともと剛直な人物だが、独占欲の強い人でもあった。
 それに王権中心主義を標榜していたために…」
(朴永圭『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社(2012.03.14)p.129)

ドラマでは、
「あなたはどちらかを選ぶのではなく、
 二つを欲しがる欲張りです

「私は大君だ。他の男とは違う」

「ええ、他の男とは違って傲慢です
 帰ります」

「言ったように、私の命令がないとこの船は動かない」

「…」

「泳げるのか?」

「落ちて死のうとも、この船から出ます」

「そこまで私が憎いのか?」

「…」

「最後まで拒否するのか?」
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(2)ユン・ナギョム
<貞熹(チョンヒ)王后・尹(ユン)氏(1418~1483)>

ドラマの悪役のひとり、首陽大君の妻となったユン・ナギョム。
記録では次が残されています。
ドラマでもあるように姉を差し置いて王室との結婚を望み、
また、
「首陽大君がためらうと、自ら鎧を着せて兵を挙げさせるほど、決断力に富む女傑」だった。

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4.ウンソン大君(イ・フィ)

イ・フィは、安平大君(アンピョンテグン:1418~1453)をモチーフ。

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幼名は「瑢(ヨン)」です。
ドラマでは末っ子(3男)のような脚本になっていますが、大妃は8人の王子と2人の公主を産んでいますので、他にも歴史に残る王子たちがいました。
1430年(12歳)に、1歳年下の弟(4男:イミョン大君)と共に成均館(ソンギュングァン:最高学府)に入学しています。
安平大君は、幼い時から学問好きで詩、書、画に優れていたので、「三絶(三つに優れた者)」と呼ばれ、
多くの作品を残しました。
とくに、当代一の書芸家として名を馳せ、書風が流行し、現代にも多くの碑文などが残されているとのこと。
代表的なものは「夢遊桃源図」(安堅)に寄せた跋文、世宗大王記念事業団所有の「世宗大王英陵神道碑」の碑文。

以上だけでは文人としての安平大君なのですが、
ドラマのように第8話、第9話ではキム・グァンと共に、北方の女真族との最初の戦闘参加が描かれました。
(女真族については第8話の終りに説明を加えました)
当時の八道(パルド)制では、最北の“道”は咸鏡道(ハムギョンドまたは咸州:ハムジュ)。
曽祖父にあたる李成桂(初代王・太祖)が高麗の将軍時代に守備していた北東の州です。
史実では、
その後も6か所を拠点(六鎮)として、弟の王子たちとともに女真族との戦闘に参加するなど、
北方地域の安定化に寄与しています。

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・なぜ金(キム)氏なのか?
もう一つのモチーフの話です。

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史実では文宗の中殿(王妃)は、顕徳(ヒョンドク)王后・権氏(クォンシ: ~1441年)です。
しかし、
ドラマでは文宗の王后をヒョ嬪・金氏 (正一品の嬪)と字幕表記されていました。
また、父親の左議政もクォンの姓ではなく、キム・チュというキムの姓です。

ドラマでは既に軍務には就けなくなった年老いたキム・チュですが、
彼は第4代王・世宗が
「北方の地の開拓は、私がいても金宗瑞なしには成功しないだろう」と絶賛した男です。
彼は文宗にも仕え、またこれからのドラマの展開にも出ると思いますが、
幼い第6代王・端宗を守る忠臣だった人物です。

金宗瑞(キム・ジョンソ)をモデルにしたキム・チュと、ヒョ嬪の両金氏の父と娘がフィの後ろ盾となるはずです。

「民百姓を守る王になるのですよ」
(ヒョ嬪)

「んん」

「…」
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# 端宗(1441~1457)とキム・チュ

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