高麗から朝鮮王朝へ

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(柚子@埼玉県日高市の聖天院:2017.11.01)

<古代の韓半島>(10)

これまで9回に亘り、冊封国になる前の韓半島(ハンバンド)の歴史を、<古代韓半島>として振り返りました。
今回アップして来た『王は愛する』の時代背景が、大陸と半島の歴史的関係のちょうど分岐点だったと思います。
(冊封制度は、大陸が明の時代に完成したとされ、日本の室町時代にも明に朝貢したとの記録があります)

元からの安全保障を得るべく、高麗第24代王が世子をいわば“人質”として元に預け、その世子(後の第25代・忠烈王)が王になるに当たり、元から元成公主を娶りました。
高麗時代の元が政治介入したために、この慣例が強かったようで、明と<朝鮮王朝>との間では聞かれません。

https://www.youtube.com/watch?v=dwQIUANgV5Y&index=3&list=RDZSsF84BPlXM

1.アジアの私たち

そして、最初のハーフのワン・ウォンが第26代・忠宣(チュンソン)王となりました。
ウォンの後の王もそれぞれが元からの王妃を迎えましたので、「元」の血筋が濃くなる。
国民がその点をどのように評価したのかは、分かるようにも思えます。
しかし、視野を広げるとそもそも皆同じアジア人。

私たちの蒙古斑

ウィキペディアでは次のとおりです。

蒙古斑(もうこはん: Mongolian Spot、Mongolian Blue Spot)は、先天的に発生する幼児の、主に仙椎の部分の皮膚にでる薄青い灰色の母斑のこと。
発疹の様に見える。
通常3~5歳で消失する。通常、所々に現れるか、一つの大きなものが、腰椎、仙椎、臀部、脇腹、肩に現れる。

蒙古斑は主にモンゴル人や日本人などに現れ、他のアジア系民族では漢民族(上海市の調査では新生児の出現率は94.6%。内モンゴルの調査では率はモンゴル族78.79%、漢族73.54%、モンゴルと漢の混血児の場合は83.70%)、朝鮮民族、トルコ人、トルコ系諸民族、インドネシア人、フィリピン人、ブータン人、インディアン、エスキモー、イヌイットといった人々にも現れる。

とらわれている不寛容

この国際社会において“混血”などという言葉は無意味なのですが、『王は愛する』では第1話から出た言葉です。
ウォンは悩みました。
しかし、唯一の友のリンが「人にはみな同じ赤い血が流れている」と無視しました。

先のドラマ『逆賊』では、第10代王・燕山君が、王以上に民・百姓の尊敬を集めているホン・ギルドンに、
「お前は没落した王族か貴族の末裔なのか?」と、
権威もないのに民・百姓から尊敬を集め、求心力を持っているホン・ギルドンに疑問を持ちました。
いいえ、ホン・ギルドンは答えました。
「俺は賤民の息子だ!
 我々にはみな(王も貴族も賤民にも)同じ赤い血が流れている!」と。

民族や国による文化の違いが誇りに思えるのは当然ですが、それは住んでいる地域の気候の差にもよる。
つまり、大自然の中では小さな差異だと思います。

2.朝鮮王朝へ

高麗の王たちの後期の歴史では、王が元を訪問するために国を空ける際には、国の統治者として世子を代行させていたようです。
ドラマでも“代行をさせる”という元の皇帝フビライ・ハンからの指示がありました。
その高麗の歴史は第34代の王まで続くのですが、正式な王として認められていたのは第31代・恭愍(コンミン)王まで(在位は1351~1374年)。

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(左下は恭愍王と魯国公主:『信義』より
 また、徳興君はワン・ウォンの3男)

ドラマ『六龍が飛ぶ』がその後を引き継ぎました。

太祖となった李成桂

高麗時代の末期はチェ・ヨン将軍や貴族たちが実権を握っていました。
おそらくチェ・ヨン将軍は高麗時代に100年続いた“武人時代”の崔(チェ)一族の末裔だと思います。
また、チェ・ヨン将軍の後輩になる李成桂(イ・ソンゲ)将軍は、父親が北方の守備を任されていた将軍だったからでしょうか、女真族の血が流れているとの説があります。

また、李成桂が朱子学者だった鄭道伝(チョン・ドジョン)を政策補佐官としたために、それまでの仏教から儒教へと庶民文化も変わりました。
江戸時代も同じで、流行りの朱子学により身分制度が明確となっています。
加えて、男尊女卑が定着したのもこの時代だと思います。

『六龍が飛ぶ』

第4代王・世宗(セジョン)が先祖6代の歴史をまとめたのが「六龍飛天」なので、ドラマのタイトルもこれにあやかったと思います。
第3代王・太宗(テジョン)の李芳遠(イ・バンウォン)に主人公が移りました。

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ドラマでは、バンウォンが同じ第3代の世継ぎとなる明の皇太子(チュ・チェ)と出会うシーンがありました。
明を訪問した使節団の皆も明の皇太子には畏敬の念を持ったように、皇帝と王とではランクが一つ違っていたからです。
バンウォンは冊封制度を内国法にも明記させ、また仏教を排斥しました。
そのために、現在のソウルでは大きなキリスト教の聖堂を見かけるものの、いわゆるお寺は郊外・地方に移転されたままです。

(慶州の仏国寺:2015.11.24)
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仏教の伝来

仏国寺のような大きな寺院がシンボルとなっているためか、韓国人の知人数人に、“半島に最初に仏教が伝来したのは、高句麗、百済、新羅のどこか?”とクイズを出すと、ほとんどが”新羅”との回答でした。
答えは高句麗です。
大陸から半島には372年に、広開土大王が即位する前に大陸から伝わり、王は仏教の普及に熱心でした。

そして、百済に伝わったのは384年です。
さらに、新羅に伝来・公認されたのは527年と、140年以上も後のことでした。
「日本書紀」によると、日本には552年に百済から仏教が伝えられたそうです。
ただし、聖徳太子が大切にもてなし、師匠として尊敬した慧慈(えじ)は高句麗から派遣(595年)された僧でした。
そして、もう一人特筆すべき高句麗からの人が、666年に渡来した「若光」
彼は高句麗の王族の一人で、あるミッションを持って来日した後、高句麗が滅亡したために、神奈川県の大磯から新田開発を始めます。
また、埼玉県・日高市にある高麗神社の宮司は若光の子孫です(神社の案内書による)。
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(2017.11.01)

話は飛びますが、高麗時代に大陸から導入された科挙制度

科挙試験の答案と成績発表です。
(ソウル・国立故宮博物館にて)
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