歴史を駈けたカラス

<古代の韓半島(ハンバンド)>(8)
歴史を駆け抜けた八咫烏(やたがらす)


ドラマ『朱豪』では、初めて国家のシンボルマークに三本足の八咫烏(やたがらす)がデザインされました。
新羅と唐の連合軍に滅ぼされても高句麗のヤタガラスは歴史を駆け抜けます。

yatagarasu1.jpg


1.南北の二国の時代へ

668年、第28代の宝臓(ポジャン)王が新羅と唐との連合軍に屈服し、高句麗が滅びます。
そこで新羅は、滅ぼした百済と高句麗の民や軍を吸収して、半島での覇権を我が物にしました。
さらに、同盟国だった唐を半島から追い出して、676年には「統一新羅」を樹立。

ただし、半島を統一したと言っても、もとからの高句麗(大帝国)の領土であった半島の北部には勢力が及んでいませんでした。
そこで半島の北部に残った高句麗の血が騒いだ。

ゲリラ活動の中から生まれた英雄が大祚榮(テジョヨン)でした。
伝説では、流星が落ちた日に生まれた男。
“天から授かった幸福の子”の意味がある「祚」という漢字を宛てて、名を大祚榮と称しました。
伝説だからなのか、あるいは度重なる半島の戦禍により記録が亡くなったのか…?
生年月日が不明な始祖です。
ただし、彼が698年に“震(チン)”を建国し、後に「渤海(パルへ)」と改名したという史実です。

渤海

2.ドラマの『大祚榮(テジョヨン)』

ドラマでは北方の民族国家「契丹」との熾烈な争いを経て独立を獲得しました。

che s
(主演のチェ・スジョン)

https://www.youtube.com/watch?v=hN57DCDi1UU
(132話より)
tejo4.jpg

なお、
上記に“高句麗の血が騒いだ”と書いていますが、私は“単一民族”という言葉は字面だけだと思っています。
実際の我々人間は民族の交流により、混血を経て力強く発展したと思っているからです。

3.渤海の滅亡と後高句麗

北の寒冷地の渤海、半島の温暖な南の新羅との南北の国家の時代が9世紀。
しかし、渤海は契丹に押し戻されて滅亡します(926年)。
民百姓は流浪を余儀なくされました。
ただし、その前の900年には百済が再興し後百済を建国し、同じく901年には後高句麗が生まれていました。
流浪の民が後高句麗に向かって南下したのは当然の流れでしょう。

後高句麗についてはドラマ『太祖王建(ワンゴン)』が参考になりました。
ウィキペディアでは以下です。
(後高句麗)
弓裔(きゅうえい:クンイェ)は、後三国時代の群雄のひとりで、後高句麗の建国者。
姓は金、僧号は善宗。
隻眼であったことから一目大王との別称もある。
専制的な暴政、もしくは豪族たちとの対立が先鋭化し、918年の「易姓革命」で侍中であり有力な部下であった王建に追放されることとなったため、諡号はない。

国破れて山河あり(唐の詩人・杜甫)
(ネットで検索)

「国破れて山河あり」とは、戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。
有為転変の世の中と、変わらない自然とを対比し、感慨深くいう言葉。
杜甫の詩『春望』の冒頭の句「国破れて山河あり、城春にして草木深し(国は滅亡したが山や川はそのままで、町には春が訪れ草木が茂っている)」から。

高句麗は新羅と唐の連合に敗れ、渤海は契丹などの北方民族に敗れますが、高句麗の人々のスピリットはサムジョッコ(3本足のカラス:八咫烏)の旗の下で生き続けました。
八咫烏はさらに後高句麗を経て、そして高麗に舞い降りました。

にほんブログ村テレビブログ韓国ドラマへ
1週間のランキング@「にほんブログ村」

ところで、ドラマの『大祚榮(テジョヨン)』での契丹の首長はチャン・ボソクが演じました。
現在KJSでアップしている『王は愛する』の忠烈王ですね。

tejio 2

歴史を駆け抜けたカラスの三本足の意味

以下はウィキペディアからのコピペです。

八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。
熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。
また、かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表すともいわれる。

三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域で見られる。
かつて高句麗があった地域(現在の北朝鮮)で古墳に描かれている。
日本神話の「東征」において、八咫烏は瀬戸内海から近畿に進もうとした神武天皇の道案内を務めたとされる。
神武天皇は、当初、西から大阪に攻め入って敗れたため、太陽神である天照大神の子孫である自分たちは西から東へ日に向かうのではなく、東から西へ日を背にして攻め入るべきだと考えた。
そこで八咫烏の案内により、紀伊半島を大きく迂回して現在の新宮付近から攻め入ることにし、その後、吉野を経て橿原に行き大和朝廷を開いた。

(『大祚榮(テジョヨン)』では左のヤタガラスが旗になっています)
yatagarasu2.jpg

現代では、八咫烏は主に日本サッカー協会のシンボルマークおよび日本代表エンブレムの意匠として用いられている事でも知られている。
このシンボルマークは、大日本蹴球協会(日本サッカー協会の前身)創設に尽力した漢文学者・内野台嶺らの発案を基に、彫刻家・日名子実三のデザインにより、1931年(昭和6年)に採用されたものである(天武天皇が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなみ、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているともいう。

にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ
1週間のランキング@「にほんブログ村」
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

王朝用語・脚本家など
ドラマと映画・感想など

openclose