『太王四神記』~生きて帰る

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<古代の韓半島>(6)
高句麗大帝国と『太王四神記』~生きて帰る


伝説の王子『朱蒙(チュモン)』は40歳で王位をユリ王に譲り、亡くなります。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3375.html
そして、ユリ王の息子ムヒュルが高句麗の第3代・大武神王(ムヒュル)で、これは同じ作家と主演の『風の国』で描かれます。
さらに、ムヒュルの子・ホドンの秘話は『自鳴鼓(チャミョンゴ)』です。
高句麗の創世記が楽しめました。
そして時は流れ、高句麗第19代・広開土大王の物語は、『太王四神記』へと引き継がれました。

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1.広開土大王・タムドクの史実

高句麗の朱蒙大王は紀元前19年に亡くなりました。
気が遠くなりそうな2000年以上も前の紀元前のことなので、その伝説はフィクションとして割り切れます。
しかしタムドクの話となると、中国の吉林省で発見された石碑に、年号を“永楽”としていたなどの史実が判明しており、にわかに現実感が湧きます。

(碑文とその拓本)
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ただし、漢文でのわずかな記録なので、その解釈を巡っては歴史研究家の諸説があるようです。
とくに当時の国際関係には意見が別れるようで、高句麗・百済・新羅に加えて、倭国(日本)が出ているようなので、なにやら政治的な歴史観の裏を感じます。
詳しくは引用しているウィキペディアなどをご覧になって欲しいのですが、タムドクの偉業は史実として認められると思います。

さて、
第2代・瑠璃(ユリ)王は、首都を鴨緑江(アムノッカン)の中流に位置する国内城(クンネソン)に移しました。
豊かな土壌と軍事的にも優れた土地だったので、その後も国内城が高句麗の首都として繁栄しました。
そして、時は流れて、ドラマ『太王四神記』。
タムドクが16歳で高句麗王となったのが391年です。
後の第19代王・広開土(クァンゲト)大王(テワン)のことです。
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ドラマにあったように製鉄の技術を活用して、強力な鉄騎兵軍団が版図を切り開き、国内城を軸に大帝国を築きました。
その領土は韓半島(ハンバンド)の東北部と中国東北部、西は遼東半島、そして半島の中央部にまで及びました。



『太王四神記』も現在アップしている『王は愛する』のソン・ジナ作家の手によるもので、監督はキム・ジョンハクPD。
同じ監督・脚本で『信義』も描かれました。

いずれもファクションではあるものの、この『太王四神記』では神話を基にファンタジーとしての企画で、新しいタイプの史劇と呼ばれました(MBC:2007年放送)。

また、何といっても主演がペ・ヨンジュンでしたので、最終視聴率は35.7%でした。

2.ドラマに見るヒューマニズム

(1)四人の神が人として生きる

“四神記”は、ドラマの制作発表時に、“四人の神が人として生きる”でした。
太古の大陸から伝えられている東西南北の守護神は青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)です。
例えば平安京でも高松宮古墳でも、あるいはソウルの宮殿も四神が四方を守っています。

(「高松宮古墳」 ウィキペディアより「白虎」と「女子群像」)
東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。
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『太王四神記』では、高句麗という帝国の四方を守るために、転生した勇者たちをタムドクが得るという想定でした。

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左から、玄武の転生ヒョンゴ(オ・グァンノク)、
白虎の転生チュムチ(パク・ソンウン)、
青龍の転生チョロ(イ・フィリップ)
そして、タムドクが愛した朱雀の転生がスジニ(イ・ジア)でした。
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(2)生きて帰る

ヒューマニズムと言う点では、何といっても次のことだと思います。
ドラマの後のペ・ヨンジュンのインタビュー記事では、「好きなセリフは…(次のとおり↓)、とても気に入っています」と、百済に出撃する前に兵士たちを集めて語るシーンを回顧しています。

「死ぬな。命を捨てて戦う者は必要ない
 何としても生きて、最後まで私のそばにいろ。
 これは王命だ」

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ソン・ジナ作家の“命を捨てて戦う者は必要ない”は、『信義』のチェ・ヨン(後の将軍)に「勝ち目がなければ、逃亡しろ」と、形を変えて言わせています。
現代的で斬新なセリフだったのですが、これはその後のドラマにも脈々と流れていると思います。

犠牲をゼロにすることは不可能な戦争なのですが、犠牲をミニマムにするため。
鴨緑江(アムノッカン)からの回軍を決めた李成桂(朝鮮王朝の初代王)は、「我々は家族の元に帰る」でした(『六龍が飛ぶ』)。
また、
ドラマ『華政』での朝鮮王朝の第15代・光海君は、明の要請により出兵を余儀なくされた際に、統率する将軍には「観形向背」の4文字を与えました。
戦況に応じて撤退、降伏も辞さないようにという“臨機応変”の指示だと思います。
実際にも、明と振興の清とのサルフの戦いで朝鮮王朝軍は降伏しました。
それを、戦いを知らない身勝手な官僚(文官)たちが、明に対する裏切りだと言うのにはあきれました。

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(『太王四神記』第13話より)

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ドラマ『華政』より(KJS)第24話(中) 出陣の朝

1619年、明国と後金(後の“清”)との大きな戦闘はサルフの戦い
ウィキペディアによれば、光海君は「都元帥の姜弘立(カン・ホンリプ)に1万の兵力を授けて鴨緑江を越えさせた」とあります。

出陣式

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「皆、必ず生きて帰還するのだ!
 我々が開発した火器により戦うことができるのは
 私の夢でもあった。
 この力でこの国を守るのだ。
 決して異国で血を流してはならない。
 必ず生きて帰ってくるのだ!」
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「…」
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出陣

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「戦争だというのに、生きて帰れとは…?
 光海は何を考えているのか…?」
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カン・ホンリプ将軍には既に“観形向背”という王命が出ていて、“形成に応じては敵に背を向けても退却する”ということです。

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『王は愛する』のイ・スンヒュ師匠(オム・ヒョソブ)は『華政』では主人公の父親。
親子共に文官ではありながらも、サルフの戦いに参加します。

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