朱蒙王子の高句麗建国伝説

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(先週末と日曜日の“日韓交流おまつり”での高句麗時代の衣装
@日比谷公園:2017.09.24)

<古代の韓半島>(5)
高朱蒙伝説と『朱蒙(チュモン)』

ドラマ『朱蒙(チュモン)』(2006)には“伝説の王子(Prince of Legend)”というサブタイトルが付いていました。
その伝説に基づいて、チェ・ワンギュ作家が書き上げた作品は、5割台の髙視聴率に支えられて10か月81話の放送でした。
その長い放送の2年ほど後にDVDで視聴したのですが、1話、1話が飽きさせない脚本・演出でした。

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1.高朱蒙伝説

作品のベースとなったのが、「高朱蒙伝説」です。
韓国『統一日報』2012年5月16日(日本語版)掲載、金両基(キム・ヤンギ:比較文化学者)「韓国史を彩る王たちの物語(10)」の内容は次のとおりです。

(古)朝鮮が滅んだ後に、高句麗・百済・新羅そして伽耶が興る。
伽耶を入れると実際は四国時代であるが、伽耶は後に新羅に併合されるので一般に三国時代という。

建国神話からみると高句麗は兄の国であり百済は弟の国であるが、新羅と伽耶は別々の国である。
百済の始祖温祚は高句麗を興した高朱蒙の子または義理の子であり、また他のいずれの国の始祖も天孫が天降ったいわゆる天孫降臨神話を共有している。

朱蒙は高句麗を興して始祖となり、姓を「高(こ)」に定めるがその前は「解(へ)」であった。
「本性は解であるが、いま自ら天帝の子であり日光を承けて生まれたといい、故に高を以て姓とした」
(『三国遺事』高句麗条)。
父神の名を解慕漱(へモス)といい「解」は日(へ)と同音であり日は高いところにあるから高と名付けたのである。
日(へ)や解(へ)と名乗るには恐れ多いので太陽は高いところにあるので高としたと考えると理解しやすい。

国造りの過程を神統譜からみれば、北扶余→東扶余→高句麗→百済の順に国が興り、その部族は古代ツングース語族である扶余族の流れをくむ。
北扶余は現在の中国東北地方に君臨した扶余族の一部であった。

この民族の移動の順を追うと太陽が昇る方向へと向かい、それはあたかも地中海から太陽の昇る方向の東に向かって移動する人々の流れと重なり合う。
地中海から太陽の昇る方向をアジアといい、逆に地中海に沈む太陽を追いかける方向をヨーロッパというがそれぞれの語源なのだ。
そこの古の人々の太陽崇拝が見えてくる。
檀君神話からその流れを想起してみれば、建国の流れが見えてくる。

古代朝鮮での高麗の位置づけは次の図の通りです。
韓国半島の歴史
(出典)康煕奉(カン・ヒボン)『古代韓国の歴史と英雄』実業之日本社(2011.10)より作成

「高朱蒙伝説」

朱蒙が生まれたのは
東扶余の金蛙(クムワ)王の時代である。
ある日金蛙王が優渤水の水面下の岩の上に
奇怪な動物が魚をとっているという報告を
漁師から聞き、鉄製の網でその動物を捕えた。
なんと唇が三尺あまりあり、三回も切り落とすと
美しい娘の姿になった。
娘は名前を柳花(ユファ)といい
水神・河伯の長女であるという。
河伯は天帝と称する解慕漱に侵された娘を許せず、
美しい娘を取り上げて追放した。

父の河伯に追放されたという
不思議な話を聞いた金蛙王は柳花を連れて帰って
部屋に閉じ込めておいた。
やがて身ごもり5升ほどの大きな卵を生む。
不吉に思って犬や豚に与えたが食べず、牛や馬も
そして鳥獣も避けるので柳花に戻した。
暖かく包んでおくと
一人の男の子が殻を破って出てきた
(『三国史記』始祖東明聖王条)。

卵から孵ったその男の子が朱蒙であり、
神童であるが故に金蛙王の王子から命を狙われ、
東扶余から逃れて高句麗建国への旅路に出る


2.ドラマの『朱蒙(チュモン)』

(1)ドラマの時代背景

古朝鮮の部族の統一がないままに、大陸の“漢”からの侵入受けている時代がドラマの背景。
クムワ王は、一端は引き取り育てたものの、神童・チュモンの命を狙います。
王子のテソも同じく、神童から“扶余”を守るという名目でした。

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(クムワを演じたのはチョン・グァンリョル)

上記の伝説にもあるように、チュモンは東扶余から逃れて、まずは扶余の大商団の下で働きます。
その際に、商団の行首(ヘンス)の一人娘・ソソノとの初めての恋がありました。

また、部族間の抗争、“漢”との戦争の中で大怪我をします。
そして、記憶も戻らないチュモンを救ったのが同民族・他集団のイェソヤ姫でした。
イェソヤとの間では、後のユリ王子が誕生します。

このように、チュモンを巡る二人の女性がいましたが、いずれも戦禍の中で生き別れとなります。

チュモンは仲間の勇者と共に山奥に砦を作り、古朝鮮(上記、滅びた朝鮮)の流民や大陸での奴隷となっていた朝鮮民族・農民を集め、徐々に村を大きく発展させます。
チュモンの武器は父・へモスから学んだ文武の中でも、弓の名人から受け継いだ卓越した弓の腕でした。

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(へモスを演じたのはホ・ジュノ)
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(母のユファを演じたのはオ・ヨンス)

(2)紀元前37年

チュモンが最初に再会するのがソソノ
ソソノは父・商団長(行首)の右腕だった男性と結婚していましたが、夫は戦いの中で戦死。
既に二人の息子を授かっていました。

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(度重なる戦いの中、チュモンの胸の傷をいたわるソソノ)
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ソソノの父親や周囲の勧めを受けて、また大商団の経済力をバックに、高句麗を建国。
ふたりは結婚して、それぞれ高句麗王と高句麗女王を名乗ります。

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(3)ユリ王子

時は流れユリが成人して、母の話と二つに折られた短剣を基に父がチュモンであることを知り、会いに行きました。
折れた短剣を符合し、親子が再会するのですが、その場面は感涙。
また、やつれたイェソヤをソソノが暖かく迎えました。

(生き別れになった頃のイェソヤとユリ)
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ただし、問題はソソノが連れた息子二人。
兄弟がユリの存在を許せず、暗殺を企てました。

(子供たちのことで悩むソソノ)
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ソソノの力で陰謀は未然に防げますが、ソソノは子供のためにも高句麗を離れて、半島の南方へと旅に出ます。
温かい半島の南部に国を作るのも、父親とソソノの夢であったからです。
こうして、ソソノとその子が百済の祖となるわけです。
百済の建国は、ソソノがチュモンの元を去った19年後の紀元前18年です

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3.最終話より

# 私が好きなシーンをリビューします。
ソソノが南へと去る時のイェソヤとの会話です。

「風が冷たいですよ。
 お体は大丈夫ですか?」
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「高句麗を去られると聞きました。
 本当ですか?」

「ええ」

「それはいけません。
 私とユリが負担ならば、私が去ります」
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「奥様たちのためでは決してありません」

「…」

「昔…、高句麗においでになったとか…、
 なのに
 陛下と私の結婚式を見て、
 高句麗の統一のために去られたそうですね。
 私のせいで苦労なさったことを思うと、
 胸が痛みます。
 奥様がいらっしゃるので私は安心して去れます。
 陛下のお世話をお願いします」
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「…」

私は欲張りな人間です。
 夢を実現させるために去るのです

 奥様こそ心を痛めないでください」
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『朱蒙(チュモン)』


来週は秋夕(チュソク:韓国の旧盆)です。
来週末頃には仲秋の満月を楽しめます。

ところで、夏の終わり。
今年は6月末からこのところまで約3か月に亘り、一般には「沙羅の木」とされる“夏椿”の約30本くらいの木を観察しました。
朝に咲いて夕方にはしぼむとされる、“はかない花”です(せいぜい2日間です)。
朝の散歩の際に、見つけたのはわずか8つの花だけでした。
それも、花が咲いたのは約30本の中の4本の木だけでした。

(7月に撮影)
mid aug

(8月に撮影)
sep mid

(現在は花が咲かなかった実も弾けて種を撒いたようです)
sep first

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