<古代の韓半島>(4) 高句麗へとさらにスリップ

<古代の韓半島(ハンバンド)>
(4)
高麗から、さらに高句麗へとタイムスリップ

オスマントルコがエジプトを「属国」にしたこととも、大英帝国がアフリカやアジアの諸国を「植民地」にしたこととも違い、「冊封(さつほう)」制度は中国大陸の独自の外交戦略。
韓半島の“独立と主権”を認め、同盟国としての主従関係を求めるものでした。

黄菊
(@東京駅 2017.09.16)

1.『信義』の時代と『六龍が飛ぶ』の時代

高麗の末期には大陸でも変化が始まっており、高麗の衰退と同時期に「元」も「新興の」の力に押されていました。
そこで、『信義』の第31代・恭愍(コンミン)王は“元から→明へと”外交政策を変えようとしていました
また、移行期の大陸から北方の失地を奪回したのが若き崔瑩(チェ・ヨン)将軍でした。

ところが、後に親「元」派の保守勢力により恭愍王は暗殺されます。
それでも崔瑩将軍は、さらに高麗の立場を強くするために「明」に圧力をかけるべく、鴨緑江(アムノッカン)を渡って遼東半島を得ようとしたのだと思います。
これが『六龍が飛ぶ』のはじめの部分でした。
冊封国からの脱却のチャンスでもあったのでしょう。

ドラマ『信義(シンイ)』から『六龍が飛ぶ』と、チェ・ヨン将軍は年を重ねて、次のようにルックスが大きく変わっていますが、高麗王と高麗への忠誠心・信義、愛国心に関しては揺るぎないものだったと思います。

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2.理想から現実主義へ

ただし、後輩の李成桂(イ・ソンゲ)将軍は、既に「明」の勢いには逆らえないという情報を持って、現実的な道を選んだのだと思います。

5月に出港して8月に九州に上陸作戦を展開した第2次の元寇は台風で壊滅しましたが、李成桂にはその戦術データもインプットされていたのかもしれません。
また、大陸の歴史の流れを察知していた李成桂(イ・ソンゲ)が掲げた「四不可論(サプルガロン)」の“大国に逆らってはいけない”のとおりで、すでに明の勢いは止まらないところに来ていたと思います。
他方では、高麗王族+貴族の外交能力の欠如も否めません。

「四不可論(サプルガロン)」

「我々5万の兵は家族の元に帰る!
 この李成桂は鴨緑江は渡らない!」
sone lee
5月の長雨の季節は鴨緑江(アムノッカン)が激流になる時期でした。
李成桂は「四不可論(サプルガロン)」を提示して、王と崔瑩(チェ・ヨン)将軍(首相)の遼東(リャオトン)への出兵計画には、既に反論していました。

①小国が大国に逆らってはいけないこと
②農繁期に若者を徴兵してはいけないこと
③南方からの倭寇への防衛が手薄になること
④長雨の時期は弓の膠(にかわ)が溶けて使えず、しかも暑さと湿気で伝染病の恐れがあること

結果は『六龍が飛ぶ』のとおりです。
鴨緑江(アムノッカン)から回軍した4年後に、高麗が滅び<朝鮮王朝>の建国となります。

3.高麗から高句麗に遡ります

この<古代の韓半島>シリーズのタイトルのこと。
『王は愛する』の第25代・忠烈(チュンニョル)王の時代(13世紀末)からが、「冊封国」としての新しい高麗の歴史の始まりだと思いましたので、13世紀以前を<古代の韓半島>と区分けしました。
第26代・忠宣(チュンソン)王(ワン・ウォン)の14世紀から19世紀末の朝鮮王朝まで、600年ほども冊封制度の時代が続いたということにもなります。

次回からは紀元前にまで遡って、半島の歴史を“ドラマを通じて概観”しておこうと思います。
ほとんどのドラマがわずかなファクトだけをベースにしたファクションです。
まずは、『朱蒙(チュモン)』のベースとなった「高朱蒙(コジュモン)伝説」を先に紹介しておきます。

韓国の『統一日報』2012年5月16日(日本語版)に掲載された「韓国史を彩る王たちの物語(10)」からの引用です。
著者は金両基(キム・ヤンギ:比較文化学者)です。

朱蒙が生まれたのは
東扶余の金蛙(クムワ)王の時代である。
ある日金蛙王が優渤水の水面下の岩の上に
奇怪な動物が魚をとっているという報告を
漁師から聞き、鉄製の網でその動物を捕えた。
なんと唇が三尺あまりあり、三回も切り落とすと
美しい娘の姿になった。
娘は名前を柳花(ユファ)といい
水神・河伯の長女であるという。
河伯は天帝と称する解慕漱(へモス)に侵された娘を許せず、
美しい娘を取り上げて追放した。

父の河伯に追放されたという
不思議な話を聞いた金蛙王は柳花を連れて帰って
部屋に閉じ込めておいた。
やがて身ごもり5升ほどの大きな卵を生む。
不吉に思って犬や豚に与えたが食べず、牛や馬も
そして鳥獣も避けるので柳花に戻した。
暖かく包んでおくと
一人の男の子が殻を破って出てきた
(『三国史記』始祖東明聖王条)。

卵から孵ったその男の子が朱蒙(チュモン)であり、
神童であるが故に金蛙王の王子から命を狙われ、
東扶余から逃れて高句麗建国への旅路にでる。
(以上)

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高句麗に飛ぶ前に、個人的な感想で若干の推測含みです。
ワン・ウォンは幼少の頃は祖父のフビライ・ハンの孫として、“元の国”で可愛がられて育った。
しかし、世子として母親とは切り離されていたので、母との心の触れ合いが欠けていたとも考えられます。
明日アップする第19話(上)「協力して下さい、オモニ…」はぐっとくる言葉でした。

また、ドラマの最初からあったように、元と高麗の“混血児”であることをどれくらい意識したのかは不明ですが、
元にとっては、手放したくないような有能なバイリンガルの王子であったことは間違いないと思います。

以下は第26代・忠宣(チュンソン)王(ワン・ウォン)の史実です。

・1292年 趙妃が世子嬪に選ばれる(ウォン17歳)
・1295年 第25代・忠烈王の代行となる(同20歳)
・1296年 元より王妃を迎える(同21歳)
・1299年 呪詛事件(世子嬪への嫉妬が原因)
同年に第25代忠烈王が復位(この時ウォンは24歳)
・1299~1308年 元に行き瀋陽(国)王を務める。

・1308年 忠烈王が亡くなり、ワン・ウォン帰国し即位(同33歳) 
・1313年 高麗王を譲り、元の瀋陽(国)王に戻る。
・1325年 元で死去。

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