<古代の韓国半島>(4) マルコ・ポーロの伝承物語

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(2017.09.03)

<古代の韓国半島(ハンバンド)>(4) マルコ・ポーロの伝承物語

はじめに、ウィキペディアから“衰退する元と鎌倉幕府”のこと。

浙江大学教授・王勇によれば、弘安の役で大敗を喫した元は、その海軍力のほとんどを失い、海防の弛緩を招いた。
他方、日本では幕府の弱体化と御家人の窮乏が急速に進む中で浪人武士が多く現れ、それらの中から九州や瀬戸内海沿岸を根拠地に漁民や商人も加えて武装商船商団が生まれ、敗戦で海防力が弱体化していた元や朝鮮半島の沿岸部へ武力を背景に進出していったとする。
また、
高麗においても、二度に及ぶ日本侵攻(文永・弘安の役)及び第三次日本侵攻計画による造船で国内の木材が殆ど尽き、海軍力が弱体化したため、その後相次ぐ倭寇の襲来に苦戦を強いられる重要な原因となった。

1.文永の役と弘安の役の結末

以下の図表のように悲しい人の命でした。
buneino eki


文永の役では元と高麗の連合軍の兵士たち(27,000~39,700名)のうち、
不帰還が13,500名余と、半数が帰国できていませんでした。

それでもフビライ・ハンの野望は続き、7年後には規模が5倍となって侵攻にチャレンジしています。

弘安の役での出兵は14万人~約15万7000人です。
そして、
母国には帰らぬ人々が8万4000人から14万人以上とのこと。

kouan no eki



家族のことを思うと胸が痛みます。
悲惨な戦争、悲惨な結果を招いたフビライの欲望だった思わざるを得ません。
「外交の最大の失敗は戦争」といわれますが、2度の侵攻は外交ではなくて、“冊封国になれ”との一方的な強迫の結果だったと考えられます。


ウィキペディアによれば、それにも懲りずに第3次の計画があったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87

元寇1

2.マルコ・ポーロの伝承物語

1271年にマルコは、父ニコロと叔父マッフェオに同伴する形で旅行へ出発した。
1295年に始まったピサとジェノヴァ共和国との戦いのうち、1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティケロと同じ牢獄にいた縁で知り合い、この書を口述したという(ウィキペディア)。
つまり、
有名な『東方見聞録』ですが、マルコ・ポーロは日本には訪れておらず、中国で聞いた噂話です

ワン・ウォンが誕生した1275年には、マルコ・ポーロの一行が大陸の大都(ペキン)を訪問しています。
その際の日本に関する認識をウィキペディアから引用すると、
「ジパングは、カタイ(中国北部)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている…」 

しかし、ファクトとフィクションの伝承物語(folklore)(ファクション)は読んでいて面白くもあり、また唖然とする物語です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
『東方見聞録』(ウィキペディアから抜粋)

「…さて、クビライ・カアンはこの島の豊かさを聞かされてこれを征服しようと思い、二人の将軍に多数の船と騎兵と歩兵をつけて派遣した。(略)上陸するとすぐに平野と村落を占領したが、城や町は奪うことができなかった。さて、そこで不幸が彼らを襲う。凄まじい北風が吹いてこの島を荒らし回ったのである。島にはほとんど港というものがなく、風は極めて強かったので、大カアンの船団はひとたまりもなかった」

「…さて、大カアンの軍隊は、(略)もはや持ちこたえられなくなって、命を助けるかわりに一生ジパングの島から出ないという条件で降伏した。これは1268年に起こったことである(# 文永の役は1274年、弘安の役は1281年です)」

元寇3
(『東方見聞録』の挿絵)

なお、ドラマ『王は愛する』はウォンが12歳の時から本編が始まっていますので、文永・弘安の役は既に終わっています。
第25代・忠烈王の在位の時代には、この他に1287年には、元寇での出兵によって負担が大きかった元の「東方三王家」のナヤンおよびカダアンが反乱を起こしました。
この元の内乱により高麗は巻き添えに遭遇したものの、これもウォンが12歳の時ですから、ドラマでは取り上げられないと思います。

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このドラマの背景は高麗の転換期だったようです。

①大陸からの“科挙制度の導入”により、文官の力が増していたこと。
同時に、
フビライ・ハンの元の勢力が“100年の武人時代”を終焉させたこと。
②第24代王(元宗)の時に冊封国になって、元との主従関係ができたこと。

この二つの内外の大きな波が転換の要因だったと思います。

経済学では国を「政府と企業と国民(家計)」との3つの主体に分けて考えるように、
国=政府ではなくて、「国」は国民が住む場所。
高麗の王朝=政府は、大国からの圧力で冊封制度を余儀なくされたとはいえ、安全保障を得ています。
国民を守るためだとの言い訳も通ると思います。
しかし、国民=民百姓たちは朝貢のための物資を生産しないといけません。
物だけではなく人も差し出さないといけなかった…。
これがドラマの悲劇の背景となっています。

マルコ・ポーロがヨーロッパに伝えたのは、大陸側の人々の心情だけだったと察せられます。

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