高句麗の王族・若光 (1)

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(高来神社:2017.11.02)

高句麗の王族・若光 (1)

1.そのミッション


「日本書紀」によると、日本には552年に百済から仏教が伝来。
また、聖徳太子が大切にもてなし、師匠として尊敬した慧慈(えじ)は高句麗から派遣(595年)された僧でした。
もう一人特筆すべき高句麗からの人が、666年に渡来した「若光」で、彼は高句麗の王族の一人。
当時の高句麗は新羅と唐の連合軍との厳しい戦闘状態にありました。
日本からの援軍を求めるということが彼のミッションでした。

しかし、日本の朝廷(飛鳥時代:天智天皇)は動かなかった。
それは、
663年の「白村江(はくすきのえ)」の戦いの際に、27000の兵と400軍船で百済に援軍を送ったものの、新羅と唐の連合軍に日本の水軍が敗れたという、苦い経験があったからです。

韓国半島の歴史
(出典)康煕奉(カン・ヒボン)『古代韓国の歴史と英雄』実業之日本社(2011.10)より作成

そうしているうちに、高句麗は668年に滅亡
(KJS:『善徳女王』と新羅の興亡)
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3398.html

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(高来神社への入り口)

若光にしてみれば帰ることができる祖国を失い、日本に住みつくしか道がなかった。
飛鳥時代の大和朝廷は、王族であった彼に官位を与えて、当時の高句麗からの戦争難民対策を命じました。
(従5位下を賜ったのは703年です)
彼は、1000人を超える高句麗からの難民となった同胞たちの中でリーダーシップを発揮し、今の神奈川県での新田開発を行います。
高句麗からの移住者は増えて、同時に若光は渡来した高句麗人たちに慕われ、その後は神として崇められた…。
髙来(たかく)神社、当時の高麗(こま)寺の縁起です。

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2.高来神社(高麗寺)
(次は神奈川県大磯町の広報によります)

高来神社の背後にそびえる山が高麗山です。
“高麗”の名の由来を探っていくと、『新編相模風土記』に「高麗の名は、古く当地辺りに高麗人が往したところにちなむ」とあり、『箱根山縁起』には「神功天皇が三韓を討った後、三韓の神を日本に還して祀ったが、その中に高麗大臣和光を当州に還し奉り、その山を高麗山と名づけた」とあります。
*三韓・・・(# 後の)百済、新羅、高句麗のこと。高句麗の高麗大神を大磯に祀った。

日本に難を逃れたてきた人も多く、その中の高句麗国の官人に 若光(じゃっこう)という人物がいました。来日中に母国が滅びたため、若光は帰国せず日本で官人となりました。
時を経て、若光一族も含めた関東の各地にいた高麗人は武蔵野国に集められ高麗郡が設置され、若光はその郡令に任命されました。
高来神社「御船祭」の木遣歌「権現丸」で「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となる
とうたわれることから中世以降高麗寺では、なにかしらの関係を伝承していたと考えられます。
また、高句麗からの渡来人伝承から「高麗山」の名前がついたといわれています。

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(境内の案内には)
716年、「大磯を初め各地に渡来した高句麗人が若光を郡長として武蔵国高麗郡に移され開発を命じられました」と書かれています。
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若光ゆかりの地にはもう一つ、埼玉県日高市があります。
23日にアップする若光の時代は奈良時代です(710年~)。

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JR大磯駅までは東京駅から約1時間です。
神社は小さいので、神社訪問と合せて高麗山(こまやま)へのハイキングを目的とするのが良いと思います。
地元のタクシーでは高来(たかく)神社でも高麗(こま)寺でも同じ。
「この辺りはコマと呼んでいますから…」とのこと。

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