逆賊 第29話(下) 1506年9月・中宗反正

kyoto 02
(京都の夜:2017.04.30)

逆賊 第29話(下) 1506年9月・中宗反正~朴元宗の乱

各地で起きている不穏な動きを報告に行くと…。

「!」
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「このようにするのだ」

「はい、チョナ…」

「そうだ。 こうだ!」

「…」

「さあ、踊れ!」
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「…」
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ソン・ドファン

「これまでやって来たことが台無しだ!
 チョ~ナ~!」
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ソン・ドファンとパク・ウォンジョン

「イ・ジャンゴンのことは聞きましたか?」

「…」

「ユ・ビン(#)とピョンソン君…、
 チョナを倒すなら残るはどちらかだ」

「どういうことですか?」

「私の気持ちを伝えるために呼んだことが解らないのか?
 もしも失敗したら、そなたの家族は、
 そのどちらからかに殺されるということだ。
 しかし、成功すれば民心を得て、
 そなたが英雄になるということだ」

「…」

「反正(パンジョン:クーデター)の成功は、
 ホン・ギルドンに懸っている。
 誰が新政権で民心を得るかどうかに懸っているからだ」

「…」

「ホン・ギルドンが反正軍を支える逆賊となってくれるかどうか、
 頼むことだ」
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# 柳濱(ユ・ビン)と李顆(イ・グァ)も檄文を送っていたそうです。

ギルドンとパク・ウォンジョン

「そなたの言葉がどれほど私を驚かせたか解るか?」

「…」

「世祖は甥から王座を奪ったが、それは禅譲とされた。
 しかし、この100年の間には反正はなかった。
 そなたはどうするつもりか?」
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「つまらない質問だが、なぜまた私に会うのか?」

「もしも…、私たちが立ち上がるとすれば支援が得られようか?」

「…。 あなたには反乱の名分が必要だ。
 しかし忘れてはいけません。
 もしも民が一緒に立つならば…、民百姓次第だ。
 民が支援するかどうかは良く見ておく」

「見て置く…、なのか…?」
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高官たちを束ねようとするウォンジョン

「成功すれば我々が最高の功労者となる」
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最近は鷹狩も祝宴もしなくなった燕山君

「昌徳宮(チャンドックン)で祝宴を開くと伝えてくれ」

「はい、チョナ」
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「いや、天気が悪いな…」

「…」

「なぜか気分が乗らないな…」

「…」
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矢文が届きます

…国王は国に対して罪を犯した。
よって、我々は反正をなす。
賛同する者たちは従って欲しい。

「反乱だ!」
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「弱虫どもめ!逃げるな!
 チョナを守れ!」

「尚膳! 
 反乱軍はすぐに宮殿にやって来ます!
 我々は殺されます!」
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「…」
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「…」
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ノクスとジャウォン

「尚膳…、刀を手にしてどこに行くのですか?」

「宮廷にネズミが忍び込んだようですから、
 退治します」

「それなのに、なぜ宮中は静かなのですか?」

「みんなにネズミ退治を命じたからいなくなりました。
 すぐに戻ると思います」
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「そうなのか…、
 みんながネズミ退治に出かけたのか…」

「…」

「では我々は最後の大きな祝宴を開こう。
 私も着飾るから、チョナのことはお願いします」

「…」

「さあ、急ぎましょう。
 今日は“明”から届いた髪飾りを付けるわ」
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「チョナ、起きて下さい。今日は大祝宴です。
 淑容(スギョン)が準備しています」

「…」

「行かねばなりません」

「大祝宴なのか…?そうだな…」

「…」
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「しかし、他の者はどこに行ったのか?
 なぜ尚膳がここで待っていたのか?」

「今日は私が当番だからです」

「…」

「チョナ、覚えていますか?
 以前は私が毎朝、チョナの顔を拭いて差し上げていました」

「…」

「当時から、こうしてチョナにお仕えするのが、
 この国のためだと思っていましたから…」

「あ~」
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「皆はどこに行ったのか?」
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「…」

「ウォルハメと私がいるではないですか…」
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「今日は私が歌って差し上げましょう。
 私は才能も美貌もありませんが、
 淑容のお蔭で朝鮮で一番の素晴らしい時を過ごして来ました。
 淑容、ありがとうございました」

♪ 生きる 生きる…、私は生きていく…

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決行の時間

…反転させるためには、
“民心を味方に”付ける必要がある。

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「…」
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徐々に集まりはじめ…、

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「王をすげ替えるぞ!」
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「…」
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「行くぞ! 官軍を排除する!」
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そこにチョンハクが門を開いて出て来ます

「…」
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「チョナは昌徳宮にいます!」
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「…」

「…」
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昌徳宮(チャンドックン)

♪…

「…」
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「チョナに伝えてくれ。 玉璽を頂くと…」
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「この騒ぎは何なのか?」

「…」
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「チョナ。チョナはこの国の王です。
 何が起きようとも気丈でいて下さい」

「?」
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「チョ~ナ~!
 奴らは…、奴らは玉璽が欲しいと言っています!」

「?!」
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「…」
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# つづきは明後日です。

1506年9月、燕山君が京畿道まで石壁遊覧見物に遠出する予定があり、それを反正の決行予定日にしたそうです。
しかし、遠出が取り止めになり計画は一時保留。
ところが今度は、流刑地にいた柳濱(ユ・ビン)や李顆(イ・グァ)から“決起した”との檄文が届き、朴元宗は先陣を急いだとされます。
ドラマはよくできていて、十分に兵力を集める時間がないところを、民百姓+ギルドンがバックアップしています。

ただ、朴元宗が事前に晋城大君(後の中宗:当時18歳)だけでなく、その母の大妃(テビ)尹氏からも反正の承諾を得ていましたから、スムースに事が運んだとの記録です。

(ウォルハメの琵琶の音と共に反正軍が入って来ます:ビハインド)
https://www.youtube.com/watch?v=nF220WjBlow

以下はちょっと長いのですが、これまでのブログから溢れていた“こぼれ話”です。

「死六臣」とは

KJS「灰色のクーデター」の際に、少し世祖(第7代王)に触れました。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3180.html

康煕奉(カン・ヒボン)『朝鮮王朝の歴史と人物』実業之日本社(2011.07)p.158から以下引用します。

忠臣としてあまりに有名なのが成三問(ソン・サンムン:1418~1456)だ。
(略)自らの命を省みずに、信念に基づいて忠義を尽くした。
(略)彼の名前の由来が面白い。
母が陣痛で苦しんでいるとき、天から不思議な声がした。
「生まれるか?」の声が3回繰り返されたという。
その後、男の子が誕生したので“天から3回問われて生まれた子”という意味の三問と名づけられた。

頭脳明晰で21歳の時に科挙に合格、第4代王の世宗を支え、ハングルの創製にも関わった
(略)世宗の後は長男が継いで5代王の文宗(ムンジョン)となったが、在位2年3か月で死んでしまい、6代王には文宗の息子がなった。
まだ11歳の端宗(タンジョン)で、首陽(スヤン:後の第7代王・世祖)から見れば甥に当たった。

(略:世祖のクーデターのこと)
あまりにも強引な手口に反抗した政府高官も多かった。
その中心的な人物が成三問だった。

「大義を乱してはいけない。王道政治のためにも王位を戻すべきだ」
強い信念を持った成三問は、同志とともに端宗の復権をはかった。
(しかし、捕まって拷問)
しかし、(世祖は)優秀な人材を失えば国の政治に支障をきたすとことがわかっていた。
そこで、世宗の時代から信頼を受けていた成三問と、他の5人に対して、その処罰を軽減しようとした。
ただし、世祖の王位を認めることが条件だった。

(略)しかし、世祖を認めず、最後まで端宗を王と崇めた。
(略)成三問は敢然と言い放った。
ナウリ、忠臣は二君には仕えないものです
(略)人々は、死んだ6人の忠誠心を讃え、彼らのことを「死六臣」と呼んだ。
(以上pp.158~160より)
“ナウリ”とは“旦那様”なので、当然世祖は怒りました。

さらに、生涯に亘って官職に就かなかった他の6人の儒学者がいて、彼らは「生六臣」と呼ばれたそうです。

なお、朴永圭『朝鮮王朝実録(改訂版)』キネマ旬報社(2015.10)p.130 には、
「死六臣」の中にパクの姓を持つ、朴彭年(パク・ペンニョン)の名前がありました。
『逆進』でのギルヒョンが山小屋で見たのは第31代パク氏の遺書でした。

# このドラマの作家は、チョンハクの父でパク夫人の夫の名をチョ・サンムンとするなど(上記サンムン)、実在した人物の名を少しずつ借用していていました。
また、実在の人物の名をあえて変えて(士林派の官僚など)、登場させていました。

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