男と女の“脱賤”への道

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(4月4日の夜桜:@東京・四ツ谷)

ソウルは10日ほど遅く開くようです。
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(汝矣島:ヨイドの桜まつり:2015.04.13撮影)

男と女の“脱賤”への道~支配者階級へと身分を超えて

これまではなんとなく、“両班(ヤンバン)”と言えばノーブルな貴族階級で、官職を得た官僚たちと土地を持つ地方の豪族たちのことだと思っていただけなので、もう少し詳しく調べてみました。

(はじめに)めざせ両班

数々の史劇(ドラマ)に出てくる議場(堂)には、30名ほどの文官や武官たちが列席しています(正式な職名は28)。
彼らは堂上官と呼ばれ、王との直接対話で政策論議を繰り広げます。
また、彼らが立っていたり、座っていたりもします。
品階は正三品以上で、大監(テガム)と令監(ヨンガム)と呼ばれる人たち。

それ以下の官僚は堂下官と呼ばれ、議場には上がることも座ることもできません。
正殿前の石畳には18の品階の石柱が立っていますが、そこで行われる国儀などの大きな式典の際に堂下官たちも集合します。
“いわゆる両班”という言葉は広義で、名誉だけでなく広大な土地(功労田)を持つ狭義の貴賓ある(ノーブルな)両班は多くはなかったと思います。

1.いわゆる両班

ソウルの中心にある光化門(クァンガムン)広場は観光、憩い、イベント、集会などで賑わうところ。

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最初の法宮となった景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンガムン)から入って、さらに二つの門の先に正殿(法殿)・勤政殿があり、玉座が設けられています。
婚儀などなど国を挙げての式典では、玉座から見て左(東側)には文班(ムンバン:문반)、右(西側)には武班(ムバン:무반)が列席しました。
二つの班を合わせて、“いわゆる”両班(ヤンバン:양반)と称しました。

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(写真は玉座から見て右側:2014.09.01@景福宮)
ここには18品階(正一品から従九品まで)が刻んであります。
石柱に沿って各ランクの武官が並びます。

官職を得るには3種類の国家試験(“科挙”)を受けるわけですが、
①文官の試験(文科)を受けることができたのは、両班の嫡子だけ。
②したがって、両班の庶子は武官の武科を受けるか、または、
③もうひとつの、雑科試験(医者、通訳、技術者など)を受けるしか道はなかった。
つまり宮殿の左側(東側)に文官として列席したのは、元よりの両班のファミリーの子弟だけでした。
今日考えたいのは③の専門職のこと。

江戸時代の身分制度は士・農・工・商
<朝鮮王朝>では両班・中人・常民・賎民と、それぞれ同じく4つに分けるのが一般的です。
しかし、法制度上からは支配者階級と他の被支配者層の2階層だけだったので、その観点から考えたいと思います。

2.支配者階級と被支配者層

江戸時代は農・工・商に従事する人々が“士”に支配される被支配者層でした。

<朝鮮王朝>の国法である「經國大典(キョングクテジョン:경국대전 #)」では、良賤制(ヤンチョンジェ:양천제)により良人(ヤンイン:양인)と賎人(チョニン:천인)に2分されています。
そして、<朝鮮王朝>でも江戸時代と同じく、農・工・商に従事する常民(サンミン:상민)および、その下の奴婢の賎民(チョンミン:천민)が被支配者層で、いわゆる両班(ヤンバン:양반)に支配されていました。
さらに、支配者階級と被支配者階層の中間に位置されたのが中人(チュンイン:중인)。
この中人クラスが理解し難いです。

この中人ランクと、常民・賎民の被支配者層から支配者階級に出世するにはどうするか
まずはやはり、“科挙(クァゴ:과거)試験”を受けること。
文官試験は不可能なので、
武官試験または医官(ウィグァン:의관)や訳官(ヤクグァン:역관)になるための雑科試験だけ。

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(両班屋敷の面影が残るソウル・北村:2016.11@プッチョン)

2.中人からの出世の道

支配者階級と被支配者層の中間層だった中人(チュンイン:중인)は普通は世襲制で、町医者や通訳、あるいは特殊な技術を持った専門職と分類される人々のこと。
一般の平民と専門家を区別するためにできた慣例上の身分だったようです。
ここから脱出した男女をドラマの例で3つ思い出します。

(1)ドラマ『亀巌ホジュン』でのホ・ジュンは(父親は武官で両班の)庶子でした。
庶子は科挙試験の中でも文官の試験は受けられませんでした。
そこで、医者(世襲制の町医者)に弟子入りして“中人”と認められます。
そして、科挙試験の“雑科”試験を受けて、医官(従九品)の官職を得ました。
18品階の最下位です。
配属は内医院(ネイウォン:宮廷の医院 #)ですが、希望して平民のための恵民署(ヘミンソ)に通いました。

しかし、いわゆる“両班”と呼ばれるためには時間がかかりました。
正三品の地位を褒章により得て、文官と同様に令監(ヨンガム)と呼ばれます。
そして、正二品以上になって大監と呼ばれます。
ドラマでは大監となってから、“脱賤”という言葉が出ました。
国法上の被支配者層の賎人
(チョニン:천인)から脱し、良人(ヤンイン:양인)となったわけです。
これにて、支配者階級の名実伴う“両班”となりました。
また、これにより息子のホ・ギュンが科挙試験の文科を受験できました。

# 宮中にあるのが内医院(ネウィウォン)で、その外に平民のために設置されたのが恵民署(ヘミンソ)。
両者とも官営です。

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(ドラマ『亀巌ホジュン』のビハインド;
写真の中央が現在のMBCドラマ局のキム・グノ・ディレクターです)

(2)ドラマ『逆賊』での官吏の出世
開京(ケギョン)の県令(従五品)に仕えた官吏だったミ・グモク(後にイム・ジャチ)は中人でした。
後に、アモゲのバックアップで県令となってイクァリに赴任。
そして「戌午士禍」の際の功績が燕山君から認められて、正五品となり、宮廷に自由に出入りできました。
また、
第17話では一つ昇格して、漢城府(首都の都庁)「庶尹」の従四品となります。
(ポストとしては3番目のランク)
この組織のトップは知事クラスの正二品で“判尹”、次に副知事クラスの従二品の“左・右尹”が置かれました。

上記の(1)(2)から、男性の場合は文官では正五品専門職では正三品あたりから、名実共に“両班”と呼ばれる支配者階級に新規参入ということになると思います。
両班の嫡子以外のファミリーにとっては夢物語のようだったと思います。

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(3)もう一つ、
ドラマ『チャン・オクチョン』では、オクチョンは農民(常人)の娘でしたが、叔父の訳官(これも世襲制の職業)に引き取られました。
中人の訳官のコネにより宮中入り。
第19代王・粛宗の寵愛を受けて、側室から正室に至ります。
側室の品階は正一品から従四品までの八段階ですが、子供を産むことでランクアップしますから、トントンと出世、正一品の“嬪(ビン)”を得て禧嬪・張氏の称号を得ました。
男性で言えばもう大監クラスです。
ここで、叔父の訳官も当然ながら中人から“両班”となりました。

この『チャン・オクチョン』の例は男性と女性の出世の道なのですが、オクチョンにお仕えした尚宮(サングン)の身分は頭打ちとなっており、正五品までです
その身分は“中人”です。

3.常民・賤民からの出世の道

常民・賤民の子は常民・賤民(いわゆる奴婢)なので、農・工・商業で忙しくて、勉強する時間が持てなかったようです。
それでも、男性は武官となるべく科挙の武官試験を受けられますし、その他、医官などの専門職になるべく雑科の試験もありました。

(1)ドラマ『逆賊』のギルドンは、賤民の子だったのですが、アモゲと共に商工業に従事して成功。
賤民から常民となり、髪型やファッションも変わりました。
その際にソブリから、今度は科挙の武科試験(武官として官職得る道)を受けるようにと勧められました。
ソブリの方は鉱山技師となったものの(従九品の品階を貰いましたが)、いわゆる中人です。

そして(2)チャン・ノクス(張緑水)。
彼女の母親は官妓といわれる妓生で、“女性の幸せは両班のご主人の寵愛を受けること”としました。
それで彼女も、賤民と結婚するものの、家族を捨ててまで官妓となって歌や踊り、雅楽の教養を身に付けました。
しかしそこに留まらず、ドラマでは“王の寵愛を受ける”という高い上昇志向でした。

そして、“脱賤”に成功。
燕山君は正室の他に、淑儀(スギ:従二品)と淑容(スヨン:従三品)の2人の側室を持ちました。
王朝実録の記録では張緑水は淑容・張氏(従三品)です。

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4.宮廷女官の道

ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で有名なのがスラッカン(水刺間)ですが、スラッカンでの彼女の活躍はフィクションです。

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(扁額と王のテーブル:2016.07.14@国立故宮博物館)

史実でのチャングム(大張今)は低い身分から、宮廷医女を目指しました。
儒教思想では女性が肌を見せることが嫌がられていましたので、王族の女性には女医が必要として、広く階層を超えて能力を求められていました。
御医にまで出世したのは、第11代王・中宗から認められたからです。

(医女たち:『亀巌ホジュン』より)
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宮中に住み込む女官の数は、
<朝鮮王朝>中期には1000人ほどだったとのこと。
王朝末期の第26代王・高宗の時代でも、500人はいたとのこと。

男性と同様に18の品階がありましたが、尚宮の正五品で頭打ちなので、側室となった女性は超ラッキーだったでしょう。
さぞ、
化粧品と装飾品にお金がかかったものだろうと言われています。

女官たちが働く部署は大別して次の8部署
・至密(チミル)…王族ための秘書室
・針房(チムバン)…衣類や寝具製作
・繍房(スバン)…刺繍や装飾品製作
・水刺間(スラッカン)…調理場担当
・生菓房(セングァバン)…水とお菓子担当
・焼酎房(ソジュバン)…お酒作り
・洗踏房(セタッパン)…洗濯と衣類の準備
・洗水間(セスガン)…洗い水の管理
それぞれの部署には官職としての品階を持たない雑用係(ムスリ)もいたようです。

(おわりに)ドラマ『逆賊』での感想

“めざせ両班”と…自分で書いておきながらも、夢のような物語だということを忘れてはいけないと思います。
日本の江戸時代も<朝鮮王朝>も、身分制度の中において最下層の人々のことを支配者階級はまるで“物”や“奴隷”としか見ていなかったと思います。
最下層の人たちはその制度の中で、サイレントマジョリティーに甘んじるしか生きる道はなくて、その中での幸せを求めていたと思います。
不自由な中でのわずかな自由を求めていたのだと感じます。

このドラマの「守貴単」は支配者階級の中でも、朱子学を都合の良いように解釈して、身分制度・男尊女卑・排他主義の教条的・原理主義的な集団を作っているので、怖い。
被支配者階層の人々を洗脳して、自分たちの正当性を訴えるから怖い存在だと思います。
普通の人たちからは近づけない“うがった唯我独尊”の集団だと思います。

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(写真は韓国観光公社@四ツ谷)
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長々と書いてきました。

文官上位の<朝鮮王朝>にあって、
両班の嫡子しか科挙試験を受けられなかったので、
宮中に列席する文官のほとんどは、
両班から生まれた嫡子だったということ。

しかも、
ドラマにあるように、いつも議場で王と議論するのは、
正三品以上の「堂上官」達だけです。
30人ほどで、
それ以下は議場には入れません。

こんな中で民主革命など起こるはずもないと思っています。

なお、実在した『チャングム』や『ホジュン』がいかに優秀な人材だったのか…。
ちなみに、歴史ドラマの歴代平均視聴率では『ホジュン~宮廷医官への道』(2000)が1位(47.1%)で、小差で『宮廷女官チャングムの誓い』(2003)が2位(46.3%)でした。

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