王の顔を引っ掻いた王妃

(昨日の枝垂れ梅)
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世継ぎの子供を産むのも王様の“公務”のようです。
518年の<朝鮮王朝>の歴史の中で、後期になると子供の数が減るのですが、前期の第3代王・太宗(テジョン)には元敬王后との間に4男4女など、後宮の女性との間の21人を合わせて、29人の子供をもうけています(『六龍が飛ぶ』で紹介しました)。
そして、子供の数のランキングでは第2位が、『逆賊』での燕山君の父親だった第9代王・成宗(ソンジョン)で、28人です

正室への愛が薄れた時に側室に…。
『六龍が飛ぶ』では正室の嫉妬のシーンもいくつかありましたが、
『逆賊』では焦点が燕山君なので、成宗の正室の“嫉妬”のシーンはないようです。
ただし、成宗の2番目の正室:斉献王后・尹氏は1男だけで、その子が燕山君

上記の数字からも解るように、夜を一緒に過ごすことも少なくなると、嫉妬に燃えました。
「朝鮮王朝実録」での斉献王后・尹氏が引き起こした大問題が“王の顔を引っ掻いた”事件。
王の尊顔は“龍顔”と言われていた時代のことです。
また、女性の嫉妬は離縁を認められる朱子学の時代です。
廃妃となりました。

(第2話より)
廃妃を味方する両班たち(# ③)

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(以下、再度<KJS 王朝絵巻 シーズン8>よりの転記です)

1.王の顔を引っ掻いた王妃

<王朝絵巻 シーズン8>
燕山君日記①


言うまでもありませんが、<朝鮮王朝>時代の27人の王の中でも、韓国で一番尊敬されるのは第4代の世宗(セジョン)。
その一面を見せたのは税法のことです。
この『逆賊』でも“貢法(コンボプ)”がでます。

国への貢物としての租税は、農地の等級によって予定の収穫高が違ってくるものの、簡単に言えば、10%から5%に下げたのが世宗の経済政策でした。
農民の負担を軽くする一方、課税対象の土地を拡大したために、むしろ国家財政が安定化します。
これを全国規模に拡大・完成させたのが第9代王・成宗(ソンジョン)でした。

ただし、土地の所有者たちが自分たちの私腹を肥やすためには、新たに開墾させた田畑を隠し持ったでしょう。
また、課税対象から逃れるために、その地方を管理する両班や役人たちには、賄賂を贈ったでしょう。
結局は農民や奴婢たちが重労働を強いられます。

こうして国の基礎が崩れ始めたのが第10代王・燕山君が即位した後の王朝でした。

<王朝絵巻 シーズン8>
燕山君日記②
(燕山君の父・成宗の頃)


第9代王・成宗(ソンジョン)の時代は、その強い政治力により内政が安定していました。
ただし、次の世代には火種を残しました。
豪気に溢れる成宗には生涯を通じて正室3人、側室9人を娶って28人の子供を得ています。
この火種こそが第10代王・燕山君です。

成宗の最初の正室は恭恵王后・韓氏(子供なし)、二番目の正室が斉献王后・尹氏(1男)で、その子が燕山君です。
この正室の尹氏は、一時期は王の寵愛を独り占めしていたものの、非常に嫉妬深い人
王が次第に後宮たちと夜を過ごすことが多くなると、王の周囲の女性を毒殺するつもりで、常に砒素を隠し持つようになりました。
しかし、これが発覚してしまい、嬪(ビン:正一品)に降格されそうになるという窮地に陥ります。
何とかこの件は成宗の配慮でかろうじて事なきを得ますが、嫉妬はそこで留まりません。

そして、次に起こした事件が命取りになります。
嫉妬から万民の父である成宗の顔を引っかいて、“爪痕”を残すという事件です。
まさに王の面子が潰れ、国母とはいえ再度降格または廃妃(ぺビ)論が浮上しました。
重臣たちの論議は続き、一部の官僚には反対もあったものの、それを押し切って成宗は廃妃を決め、私家に追放しました。
しかし、その3年後の1482年のこと。
宮中に残っていた息子の燕山君を“世子”に冊封しようという論議が浮上。
以前より同情を抱いていた官僚たちが動き出します(# ③)

2.何も知らなかった燕山君

開城(ケソン)の居酒屋でアモゲは次のような噂話を聞きました。

居酒屋での噂

「聞いたか?
 廃位された王后の次男が宮中で死んだそうだ」

「王妃には世子の他にも子供がいたのか?」
(# ②)

「ああ、しかも廃位された10日後にその子は死んだんだ。
 だから廃妃(ぺビ)はそれを知った3年後に、
 “復讐を決めた”ということだ。
 だから廃妃に従おうとする人たちが集まり始めたんだ」
(# ③)


「…」
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<王朝絵巻 シーズン8>
燕山君日記③
(燕山君の父・成宗の頃)


KJS、第2話(中)では、“町の不穏な噂”話から、おそらく1482年だと推定しました。
この1482年というのは、
燕山君が6歳(数えで7歳)で世子に封される頃です。
その3年前は、3歳(数えで4歳)でしたので、母親が廃妃(ぺビ)になった時のことは知りません。
(その時、成宗の2番目の正室で母親だった尹氏は37歳です)
その後の3番目の正室だった同じ姓の尹氏がちょうど20歳の時です。
彼女は5年後、燕山君が12歳の時(1488年)に、義理の弟になる晋城大君(チンソンテグン)を生んでいます。
第11代王・中宗(チュンジョン)です。

ドラマにある(# ②)、「廃妃にはもう一人息子がいたのか?」
および、燕山君が言った「弟は宮中で死んだのか?」は実録にはないことだと思います。
史実では2番目の正室の尹氏には燕山君しか子供はいません(記録上)。
ただし、燕山君は追放された母のことは知らず
成宗の3番目の正室に封じられた貞顕王后・尹氏(1男、1女)を実母と思っていました。

追放されていた二番目の尹氏は嫉妬・復讐の念で(カムバックへの)動きを見せました。
こうした不穏な動きを知るとなると、怒ったのが義母に当たる仁粹(インス)大妃(テビ:昭恵王后)。
爪痕事件の頃からの怨念もあり、尹氏が蟄居謹慎を行ってはいないことを王に告げ口。
怒った成宗はついに“賜薬の王命”を発します(# ④)
1482年、燕山君は満6歳でした。
(まだ、貞顕王后に男子が生まれる前のことです)

実母の廃妃(ぺビ)、賜薬のことを知らずに育っていった燕山君。
他方では、貞顕尹氏の息子・晋城大君(チンソンテグン)は仁粹大妃(テビ)から愛されていました。
燕山君は貞顕王后にもあまりなつかなかったと言われ、さらには仁粹大妃が辛く当たっていたとされます。
こうした成長の過程での心のわだかまりもあったと想像されます。
その結果、偏屈で気まぐれな性格、学問を嫌い、頑固で独断的な性向を持つようになりました。

宮中

「アボジと呼んではいけないのか?」

「ええ、王子(ワンジャ)ですから、
 父上のことはアバ媽媽と呼んでください」

「なぜアボジと一緒に暮らすことができないのか?」
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「今は私たちがお世話することになっております」

「では、弟は宮中で死んだのか?」(# ②)

「!」
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先日(第1話の終わり)はこんなことを書きました。
# ①
ドラマのプレリュードにクイズを出題されたようです。
ホン・ギルドンは、目隠しされて丸太に縛り付けられた女性の胸を射抜きました。
さて、この女性は誰か?

張緑水(チャン・ノクス)以外の女性であってほしくない…との希望。
ギルドンは“カリョン”と呼んでいました。
クイズの答えは物語の後半でしょうか?

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放送の第5話の最初に、
イ・ハニが妓生のコンファ(後のチャンノクス:張緑水)として登場しました。
そのお付きとして出てきたのがカリョンでした。
なぜこうなるのか?
物語の経緯は分かりませんが、名前だけは一致しました。

ところで、第7話の予告(いつも短い30秒ほど)の風景に茶畑がでました。
これは『青い海の伝説』とまったく同じ撮影場所のようです。

(第7話予告:ギルドンとガリョン+チャン・ノクスとの触れ合い)
blue sea

(『青い海の伝説』第4話より)
D s 1

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