日韓の文化交流のために (その4)

オペラ「ラストクイーン」(梨本宮家の方子(のりこ)妃のこと)が11月1日と2日に再公演となりました。
主演・脚本は在日韓国人2世のソプラノ歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)
舞台では雉(クィ)が刺繍が施された大礼服(テレボク)をみることができるそうです。

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国立故宮博物館(ソウル)は、昨年の冬から今年の春にかけて内部の一部改装と展示物の入れ替えがなされました。
下の写真の雉衣(クィイ)は、今年の7月に撮影したもので、一番新しい展示品です。
通常、王妃だけが着る最高位の大礼服(テレボク)なので、方子妃が身にまとったとすれば、日本人女性としては最初で最後だったと思います。

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(後ろからの撮影)
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<王朝絵巻 シーズン7>
世紀末を生きた人たち④


<朝鮮王朝>最後の王族となるのは第26代王・高宗(コジョン)の子供たち。
明成王皇后との間に生まれた次男の李拓(イ・チョク)が後に(1907年)、第27代王・純宗(スンジョン)となります。
(長男は側室の子・完和君:12歳で早世)

そして、日韓の王室同士の姻戚関係を結ぶのが高宗の4男の李垠(イ・ウン:1897年生まれ)。
高宗が愛した側室・貴妃巌氏の子で、英親王と呼ばれています。
彼は10歳の時に日本に渡り留学生活を送ることになりますが、これはいわば人質であったと思われます。
そして、23歳の時に梨本宮家の方子(のりこ)妃と結婚しました(1920年)。

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梨本宮家の方子妃は1901年生まれで、李垠より4歳年下なので、1920年に19歳で結婚したことになりますが、婚姻を知るのは15歳の時です。
しかも、新聞報道で初めて自分の結婚を知ることになりました。
この時の彼女のショックは計り知れないものがあったと思います。

日本での40数年の結婚生活の後、1963年に李垠と共に韓国での生活となります。
この間には第2次世界大戦と1950年の韓国戦争があり、半島の庶民生活は辛く、王室もプサンへの逃避など、苦渋の時代だったので、身の安全を思えば彼女は比較的幸運でもあったと思います。
さて、
1963年というのは、既に韓国半島は日本の植民地支配から解放されて、ずいぶん時を経ています。
この李垠の帰国が遅くなった理由には、既に民主主義の国に変わっていた大韓民国政府が旧王家には冷たくなっており(大韓民国の初代大統領であった李承晩の時代)、帰国の許可が遅くなったとされます。
朴正煕大統領の計らいで夫妻はようやく帰国を果たしました。
夫妻の生活費は韓国政府から支出され、昌徳宮(チャンドッグン)内に住まうことになりました。

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(これは昨年撮影 @ 国立故宮博物館)

方子妃の韓国での活躍のこと

純宗が皇帝に就いた際に李垠(英親王)が世継ぎの皇太子に冊封されます。
時はすでに“大韓帝国”に変号されていたので、方子妃は皇太子妃なのですが、<朝鮮王朝時代>は世子の妃を“ピングン”と呼んでいました。
私としてはラストピングンのほうが可愛い響きに聞こえます。
なお、李方子なのでハングルでは(이 방자:イ・バンジャ)となります。

彼女の韓国での活躍のことは次のウィキペディアを読むだけで感動です。

韓国に帰化した方子は李垠の遺志を引き継ぎ、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育(主に知的障害児・肢体不自由児)に取り組んだ。
趣味でもあった七宝焼の特技を生かし、ソウル七宝研究所を設立し自作の七宝焼の他にも書や絵画を販売したり、李氏朝鮮の宮中衣装を持って世界中を飛び回り王朝衣装ショーを開催する等して資金を集め、知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を設立する。
なお、"明暉"は李垠の、"慈恵"は方子自身のそれぞれの雅号である。
方子の尽力は韓国国内でも好意的に受け止められており、やがて功績が認められ、1981年(昭和56年)には韓国政府から「牡丹勲章」が授与された。
また、終戦後の混乱期に様々の事情を抱えた日本人妻たちの集まり、在韓日本人婦人会「芙蓉会」の初代名誉会長を勤めた。
また前述の福祉活動や病気治療のため度々来日し、昭和天皇・香淳皇后を始めとする皇族とも会う機会はあった。
1989年(平成元年)4月30日逝去、享年87。
葬儀は旧令に従い、韓国皇太子妃の準国葬として執り行われ、日本からは三笠宮崇仁親王夫妻が参列した。
後に韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈された。

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彼女の日記は同じく国立故宮博物館に展示されています。

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(2015.12 @ 国立故宮博物館)

# 方子妃の夫の李垠については、ウィキペディアには次の説明。

李垠(이은:イ・ウン)は、大韓帝国最後の皇太子で、大韓帝国時代の称号は英親王。母は純献貴妃厳氏で純宗の異母弟。
妃は梨本宮守正王第一女子方子。
李王朝が大韓帝国と改称した年に生まれ、純宗の即位のときに大韓帝国皇太子(懿愍皇太子)となった。
幼少期に当時日韓併合による韓国および朝鮮半島一帯の統治を検討していた日本政府の招きで訪日し、学習院・陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校で教育を受けた。

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(2015.12 @ 国立故宮博物館)

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昨年(2015年)に日韓国交正常化50周年を迎えましたが、その起算点は?
ウィキペディアを引用します。

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約は、1965年(昭和40年)6月22日に日本と大韓民国との間で結ばれた条約。
通称日韓基本条約
日本の韓国に対する経済協力、韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化などが取り決められた。
なお竹島(韓国名独島)問題は紛争処理事項として棚上げされた。

# 私の個人的な考えですが、
その島の海域数海里は、“所有権・漁業権など”を両国が放棄して、周囲を自然環境保護区にするのが良いと思っています。

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