映画「思悼(サド)」 その(5)

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(INDEX)
<思悼 その1>
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<思悼 その2>
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-2885.html
<思悼 その3>
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-2886.html
<思悼 その4>
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-2887.html

「思悼(サド)」 その(5) 清めの川

「王位は世孫に継がせようと思う。
 お前たちのうちで、
 誰が世子の廃位を申し出ることができるか?」

「できません」

「ではなぜ余が慶煕宮に移ったと思うのか?
 なぜあの男があんなにまで狂ってしまったのか?
 師匠であるお前たちの責任だ。
 世子の廃位を申し出よ。
 これは王命だ」

英祖が去った後
(語り合うのは恵慶宮の実父や兄、叔父たち)

「ついに来たな。
 チュサンが我々を大臣にしたのはこのためだ」

「チョナは喜怒哀楽が激しく、
 どれが本心なのか分かりかねます」

「どうかお怒りを収め、世子にお慈悲をくださり、
 国事に和議がおこりますように…」
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「(世子)チョハ、どうか…、
 慶煕宮にお行きになりチョナとは和解して下さいませ」

「そうしないと臣下の皆が死んでしまいます」
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「私に臣下がいたと思うか?」

「親子でも権力を分け合うことはできません。
 あと何年か耐えることができれば王座に就けます」

「…」

「ご挨拶に伺い、
 また勉強をする振りをするのがそんなにも難しいのでしょうか?」

「そんなふうに生きるのは嫌だ。
 そんなふうに生きることはできない。
 私は私のやり方でやる」
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英嬪(ヨンビン)の還暦

# 貞聖(チョンソン)王后ではありません。
荘献は側室の英嬪(ヨンビン)の息子です。
ただし、当時の慣例により、正室の貞聖の子供として王道教育を受けたようです。
それで、ここではあえて実母を祝ったのだと思います。

「お座り下さい。 オモニム」

「…」

「還暦を過ぎて6年も過ぎたのに、
 この日にお祝い申し上げる親不孝者をお許し下さい」

「…」
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「ご安泰をお祈り申し上げます」

「…」
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「世孫は4回拝礼をしなさい」

「…」
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「チョハ、それは礼法にありません。
 大礼服をお召しになったことだけでもただ事ではないのに、
 敬拝を4回もしたとチョナに知られたら…」

「この家の家長は誰なのか?」

「…」

「今日だけは母上が王妃様だ」
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祝宴のために離宮に向かう荘献

「下がっておれ!
 中殿媽媽のお通りだ! 下がっていろ!」
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世子の廃位のための上告書を書けなかった官僚たち

「世子の廃位の上奏を拒否して首を吊ったイ・チョンボに続き、
 ミン・ベクサンやイ・フまで自決しました」

「浅はかな者たちだ。
 革命とか名分だと言いつつも、結局は荷が重くて逃亡した。
 チュサンもお悩みだろう」

「我々が解決して差し上げれば良いではないですか」

「挨拶にも来ない世子に何の情が残るでしょうか?」

「チュサンに意志があるならば…」
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# 思悼世子の歴史的な資料が破棄されたものの、この映画は残された周辺資料から思悼世子のことを浮き彫りにさせたと思います。
ただしこのシーンだけでなく、史実がサラリと描かれるので、見逃してしまいがちです。
わずか2時間の映画なので細かな解説と描写が少ないのが残念です。
英祖は荘献を世子の座から廃位させて、格下げにする程度の処遇を考えていただけでしたが、
老論派に操られていた羅景彦から10項目の罪状が提出されました。
もちろん貞純(チョンスン)王后と老論派の強力ラインの陰謀です。

「世子が尼と妓生と淫乱にふけり、内官を殺し、
 東宮の庭に穴を掘って武器を隠した。
 王を殺そうと徒党を組み…。
 これ以上は読む気がしない。
 訴状は燃やせ!」
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「いけません。 大切な証拠です」

「チョナ、このような身分の者がチョハを訴えると言うことは、
 決して一人できることではありません

「ナ・ギョンオンを裏で操っている者を見つけ出さないといけません」

「お前はなぜ宮中で起きていることを知っているのか?」

「世子に殺された内官は私の弟でございます」
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「チョハ、入ってはなりません」

「チョナ!そいつと対質させてください。
 謀反なんてとんでもありません!」

「…」

「お前はなぜこんな嘘を述べ立てるのか?!
 いったい謀反の黒幕は誰なのか?!

「あなたに殺された私の弟が黒幕です!」

「!」

「あなたは謀反してもあまりある人です!」

「チョナ!私が申し上げた話は、
 弟の無念を晴らすための作り話ですが、
 あの者の極悪非道な行為は本当です」

「チョナ!
 この者が世子を謀反に仕立てたことは決して許されないことです」

「この恩知らずの者たちめ!
 訴えがなければ世子の横暴を知ることはできなかった。
 それは褒められても、
 謀反などとこの王を驚かせた罪は看過できない。
 ナ・ギョンオンを打ち首にしろ」

「!」
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「チョナ、打ち首の前にどうか私と対質をさせて下さい!
 裏幕を暴いて下さいませ!
 私は謀反扱いにまでされたのです」
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「お前はその存在だけでも謀反だ。
 ピングンや翁主にまで刀を突きつけるとは、
 お前は屠殺者なのか?」

「全ては私の癇癪のせいです」

「癇癪…、癇癪だと?!
 いっそのこと気でも狂え!発狂しろ!
 もう顔も見たくない!
 クムチョン橋に行って、処分を待て!」
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クムチョン橋

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「あ~!」
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# どこの宮殿にもこのように水を引いて石橋が架けられています。
宮殿に入る前に“清めの川を渡る”意味があるそうです。

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この羅景彦からの10項目の訴状が米櫃事件に名分を与えました。
1762年閏5月のことです。
荘献の言い分も聞かず、何の調査もなく、英祖は荘献に自害を求めて米櫃に入れました。
お互いに責任があったとは思います。
しかし、父親への扱いの惨さにイ・サンは一生この重荷を背負うことになります。

もちろんサンは即位後に老論派の粛清をします。
ただし、裏にいた貞純王后には手を付けませんでした。
それが<朝鮮王朝>最大の国際問題を引き起こします。
1800年にサンは亡くなりますが、それを機会に貞純王后が前面に出てきて、フランス人宣教師の処刑などのキリスト教弾圧を行いました。
暗黒の時代に入ることになります。

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