これからのバンウォンとその功績 2

# ノムラモミジってご存知でしょうか?
 落葉せずに秋から春まで赤い葉で、夏にグリーンの新しい葉が出ます。
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(2016.04.20)

<王朝絵巻 シーズン6>
これからのバンウォンとその功績 2


昨夕からのつづき

4.仏教改革

儒教国家を作るというチョン・ドジョンの政策を引き継ぎました。
バンウォンは仏教界の組織と土地や、その抱える仏僧、奴婢の数まで制限を行います。
1406年、これまでの11宗派の仏教界を7宗に統廃合し、全土の寺の数を342寺にします。
その際、首都・漢陽と前都の開京には各宗派から1寺だけしか認めませんでした。

この仏教制限は次の世宗の時代にさらに強化されます。

この写真は『善徳女王』ゆかりの地、慶州・仏国寺です。
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(昨年の秋・撮影)
# 私の場合、今でもソウルの街ではお寺や仏僧を見かけることはないです。

5.閔無咎(ミン・ムグ)の獄(1407年7月)

バンウォンが後宮を多く抱え始めると、大物のダギョン(元敬王后)もさすがに嫉妬を見せ始め、夫婦の仲が冷えます。
これは、外戚の閔一族にとっては危険な問題。
つまり、これまで得てきた政治(発言権)や経済(既得権・富)での勢力を削がれることになりかねないからです。
不安となるでしょう。
問題の種は、バンウォンが即位後6年目の1406年8月に、長男の譲寧(ヤンニョン)を世子に指名した時に蒔かれました。

閔氏一族の家長の閔霽(ミン・ジェ:1339~1408年)の息子、閔無咎(ミン・ムグ)と閔無疾(ミン・ムジル)は、その不安を抱いて世子のヤンニョンに接近し、バンウォンとダギョンの不仲を吐露してしまいます。
閔兄弟の不安だけでなく不平不満がバンウォンの耳に入ると、即刻、2兄弟は投獄されて流刑となりました。
それにもかかわらず、この流刑地でも2兄弟は大臣たちとも連絡を取り、舌禍が絶えませんでした。

そして、結局は1410年には2兄弟が自害を余儀なくされました。
その上、今度は閔無恤(ミン・ムヒュル)と閔無晦(ミン・ムフェ)が兄たちの無念を訴えるということをやったために、バンウォンはこの二人にも賜毒による自害を命じました。

1410年というのは、一族の家長のミン・ジェが亡くなって2年後ということです。
ドラマの最終話もこの年だったと思われます。

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6.亀甲船の建造・開発

『朝鮮王朝実録』には、1416年に臨津江(イムジンガン:現在の南北の国境)で、亀甲船と倭船との海戦訓練の記録があるそうです。
そして、翌年から本格的なこの装甲船の建造に着手したようです。

ドラマでは最終話にあったように、プニが「倭寇が怖いと村人たちも言っています」と言うと、バンウォンは即座に側近の将軍に倭寇の基地がある島の名を聞き、「焼き討ちしろ」と命じました(1410年頃)。

なお、これは現在の景福宮の正門・光化門まえの広場にそびえ立つ「壬辰倭乱(イムジンウェラン:1592年)」の海戦の英雄・李舜臣(イ・スンシン)の銅像とその足元に飾られている亀甲船です。

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7.医女(ウィニョ)の抜擢

若い女性を選抜して教育を受けさせ、主に「婦人科」の治療を行わせる制度を作ったのもこの頃です。

8.号牌(ポべ:身分証)

16歳以上の男子には、名前と生年+干支を書いた札を配布し、IDとして戸籍や税金の捕捉に努めました。
この制度は通行証としての配布だけでなく、人口の把握や治安上の維持に必要だったため、王朝を通して活用されました。
上記の名前や年齢などだけでなく、科挙に合格した者にはその合格年次なども書かれました。

9.成し得なかった通貨改革

当時は通貨がなく、文品貨幣として主に絹布とコメが基軸となった物々交換がなされていました。
そこでバンウォンは、物流・経済の発展のために、明国の制度に習って通貨を流通の基軸にしようと試みました。
最初は証書のような紙幣通貨を発行したのですが、庶民が信用することなく、なかなか流通せず、改革は逆戻り。
次いで鉄銭を導入しました。
しかし、これも信用を得ることができず、また元の絹布やコメの制度に後戻り。
結局、通貨改革は失敗に終わりました。

通貨の改革は次の代の世宗によって“通貨の定着化”として成功します。
ただし、バンウォンの失敗の経験がここに活用されたことは言うまでもありません。
銅銭の「朝鮮通宝」が最初の貨幣です。

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以上、李芳遠(イ・バンウォン)の功績と影に焦点を当てたところです。
この他にも中央軍を軸として私兵を排した軍制改革や、成均館を中心に置いた学会の制度改革、学術には実学を取り入れたこと。
その他にも、科挙試験に幅を持たせて充実し、その受験者には身分を越えて平等な機会を与えたことなど、それまでの“腐った高麗”の悪政を徹底的に排除しました。

『六龍が飛ぶ』の最終話の最後のバンウォンの言葉は、
「プニさんのためですか?」というムヒュルに、
「俺にそんな温かい心があると思うか?」でした。

鉄血名君らしい見栄を張ったセリフだと思いますが、これまで列挙した点をちょっと離れて全体を鳥瞰すると、鉄血の部分だけでなく、名君としての評価が浮かんで見えます。
バンウォンは、ムヒュルやプニの視点からの改革を進めたと言っても過言ではないと思います。

追記 その 2 昌慶宮と慶熙宮のこと

(1)昌慶宮

「アボジ コンガンハセヨ(お父さん 元気でいて下さい)」…、そんな言葉が聞こえてきそうです。
『六龍が飛ぶ』の最終話にもあったように、バンウォンは三男のイ・ド(後の第4代王・世宗)の才能と性格をとても大切に育てました。
他方イ・ドも自分を世子として認めてくれた父親のイ・バンウォンのために、感謝の気持ちをこめて昌慶宮(チャンギョングン)を離宮として建設しました。
最初の昌慶宮の名前はイ・ドの気持ちを表すように“寿康宮”でした。

現在見られる大きな昌慶宮は1484年に第9代王・成宗が拡張して完成させたもので、王妃たちを住まわせることが目的となりした。

(ソウル大学病院を東に見る弘化門)
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(弘化門とその先の正殿は珍しく東向きです)
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また、中にある景春殿は第22代王・正祖(チョンジョ:イ・サン)が生まれた場所。
ここで、王妃・恵慶宮(へギョングン)とサンが遊んだのでしょう。

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もう一度ソウルの5代宮殿の位置を見ておきます。
昌慶宮は5大宮殿の中ではもっとも東で、昌徳宮(チャンドックン)に繋がっていました。

5 palaces

(2)慶熙宮

次いで、5大宮殿の最も西に位置する慶熙宮
ここは元はイ・ソンゲ(初代王の李成桂)の私邸跡でした。

第15代王・光海君は徳寿宮で即位し、そして彼の計画により離宮として慶熙宮(キョンヒグン)を建設しました。
(正殿への崇政門)
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現在もまだ再建の途中で、どちらかと言えば開放された公園で、チケット売り場などはありません。
(広々とした公園)
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(2015年4月撮影)

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この『六龍が飛ぶ』は、キム・ヨンヒョン&パク・サンヨン脚本家が立ち上げた会社(KP&SHOW)での共同創作方式(“クリエイティングシステム”)です。

以下はKstyle Newsからです

ドラマ「清潭洞(チョンダムドン)アリス」には、「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」(以下「根の深い木」)の成功要因が含まれている。
「24-TWENTY FOUR-」「LOST」などアメリカのドラマでは一般的である脚本家たちの共同創作方式、“クリエイティングシステム”だ。

SBS週末ドラマ「清潭洞アリス」(脚本:キム・ジウン、キム・ジンヒ、演出:チョ・スウォン、シン・スンウ)は、クリエイターKP&SHOWが披露した3番目の作品だ。
KP&SHOWは「根の深い木」の共同執筆者のキム・ヨンヒョン(「宮廷女官チャングムの誓い」)とパク・サンヨン(「JSA」)脚本家が意気投合して立ち上げた脚本家専門会社で、2008年「必殺!最強チル」と2011年「ロイヤルファミリー」を作った。

「清潭洞アリス」のキム・ジウン、キム・ジンヒ脚本家はKP&SHOWを立ち上げてから最初に発掘した新鋭だ。
二人はキム・ヨンヒョン&パク・サンヨン脚本家のドラマ「善徳女王」と「根の深い木」を経て5年間共同執筆システムを経験し学んだ。

「清潭洞アリス」の制作陣は、「このドラマが『根の深い木』のように手堅いストーリー構造を持つ理由は、キム・ヨンヒョン、パク・サンヨン脚本家のクリエイティングシステムのおかげだ。この作品が成功する場合、韓国ドラマの現実に体系的な共同創作システムの拡張をもたらせることができ、ドラマの水準を一層高めることができる」と紹介した。

「清潭洞アリス」は恋愛と結婚、出産を諦めた“3放世代”の女性の“清潭洞に嫁ぐプロジェクト”を描いており、ムン・グニョンとパク・シフが出演している。

park sannyon
元記事配信日時 : 2012年12月06日10時33分
記者 : イ・ヒョンジン

<王朝絵巻 シーズン6>はこれにて終了
(今後、シーズン7の記事が書けるような史劇を探します)


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