イ・バンウォンと王子の乱

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(2016.04.11)

チョン・ドジョンとバンウォンと王子の乱

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1.バンウォンと「第2次王子の乱」

「第1次王子の乱」にて李芳果(イ・バングァ)が第2代王・定宗になるのですが、彼には側室との間に男子がたくさん生まれるものの、正室との間では子供を授かることがなかったために、世継ぎが不在。

1400年 4男の芳幹(バンガン)が王座を狙って反乱を起こします。

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(左からハ・リュン、イ・バングァそしてバンガン)

これを即座に征圧するのは芳果の一番の側近であったバンウォン。
「第1次王子の乱」と同様に、バンウォンの私兵たちは当時最強の精鋭だったと考えられます。
フィクションとはいえ、その頂点に立っていたのがムヒュルと教官・師匠のホン・デボンというわけです。
バンウォンの勢力と実力を知るバングァは即王位を禅譲して、即位2年後に引退します。

なお、加筆すべきは「第2次王子の乱」の場所のこと。
「第1次王子の乱」で即位した次男のバングァは首都を再び開京に移しています。
したがって、「第2次王子の乱」は開京の市街戦から始まったと考察されます。

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チョン・ドジョンに戻って、再度ウィキペディアを引用します。

政敵の李芳遠やその臣下たちにも鄭道伝の業績自体は認められており、鄭道伝の政策の多くは太宗・李芳遠によって実現した。
そして三人の息子のなか二人は父と一緒に殺されたが、嫡男の鄭津は下賤の水軍に落とされたものの一命を取りとめ、後で人々の嘆願により官位と身分を回復し父の著作を集めて『三峰集』にまとめている。
これは鄭道伝の罪状が国家に対する反逆ではなく、「王族を陥れようとし、嫡男と庶子の区別を乱した」という曖昧な物であり、一族皆殺しには至っていないおかげである。
また朝鮮の法律や当時の常識からすると、反逆者にしては極めて異例の穏便な処置であり、李芳遠が鄭道伝を認めていた証拠の一つともいえる。

2.チョン・ドジョンと密本

字幕ではチョン・ドジョン(鄭道伝)が初代の「密本」のリーダーと出ます。
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再びウィキペディアを引用・加筆します。

鄭道伝は流刑時代に民百姓の荒れ果てた暮らしを見てきた経験から民を哀れみ、農業と農地政策による人民の生活の安定化を目指した。
その第一歩として権門世族の経済的基盤であり腐敗の温床であり百姓に酷い負担を強いていた私田を廃止し、何人かの貴族に独占された土地を再分配しようとした。
鄭道伝が目指していた土地の完全国有化は実現されなかったものの、農民の幾重もの重税の負担を解決した。

民本と易姓革命

鄭道伝は『朝鮮経国典』で「民は至って弱きものなり。されど力を以ってこれを怯えさせることはできぬ。(民は)至って愚かなり。されど智を以ってこれを欺くことはできぬ。即ちその心を得て心服させるべし。その心を得られなければ民はすぐ去ってゆく」
(下民至弱也。不可以力劫之也。至愚也。不可以智欺之也。得其心則服之。不得其心則去之)と。

民こそが国の根本であり政治を行う王や士族は民のために存在するものとした。
またこれはそのまま王としての役目を果たさず人民を苦しめる暴君を討ち人徳のある君主を立てるべきだという易姓革命にも通じ、朝鮮王朝創建の理論的な土壌を作った。
しかしこれは「忠臣は二君に仕えず」と言う儒教の教えに背くものであり、鄭道伝は師の李穡や師弟の李崇仁、親友の鄭夢周など多くの保守派の士大夫(#)から敵対される結果となった。
また彼は著作の中で百姓や隠者の口を借りる形式を取り、人民の保護という自分の任務を全うせず私腹を肥やす役人や理屈ばかりを口にし聖賢の教えを実践しない腐敗した儒者を激しく批判している。

仏教への批判と崇儒抑仏政策

高麗の仏教勢力は大きな力を持ち貴族ともつながって腐敗の温床と化していた。
鄭道伝は従来の仏教を批判し仏教勢力の抑制を図った。
鄭道伝は『仏氏雑弁』で輪廻転生などの仏教の教理を迷信と断定、論破し、蕭衍など仏教に耽って滅んだ中国の王朝や皇帝の故事を引用し政治家は宗教に没頭してはならないし、迷信を打破すべきだと主張している。
この崇儒抑仏政策は仏教徒であった李成桂ではなく奇しくも鄭道伝を殺した太宗・李芳遠の手によって実現され、朝鮮で僧は下賤の身とされ漢陽に入ることを禁じられ多くの寺院が無くなった。

士大夫(#)は支配者階級のことなのですが、チョン・ドジョン達は“成均館”の出身の官僚で、“科挙試験に合格した者たち”という狭義の士大夫グループたちでした。
このグループが「密本」という組織を結成
チョン・ドジョンの死後も思想が引き継がれます。
なお、伝説の組織“密本”の意味は“未だ密かに育っているのものの、大きな木の木の根っこ(根本)をなす”という意味から来ています。
この話は、漢字文化に固執したエリート支配者層と庶民との抗争のドラマ、
『根の深い木』で描かれました。

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3人が演じた芳遠(バンウォン)です

この写真はドラマ『根の深い木』での第3代王・太宗(イ・バンウォン)と、若き日の第4代王・世宗(イ・ド)です。
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(ペク・ユンシク)

これは映画『純粋の時代』でのイ・バンウォン
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(チャン・ヒョク)

同じく30歳ころのイ・バンウォン
Lee Banwon
(ユ・アイン)

# セウォル号の海難事故から2年。
 海に散った若き魂に心より追悼申し上げます。


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