王妃たちの王朝 ①

<王朝絵巻 シーズン6>

王妃たちの王朝①


14歳で、第21代王・英祖の2番目の正室となった貞純王后。
背後の実家や老論派と共に、17歳になった時に世子(思悼世子)を死に追いやりました。
1762年のことです。
1776年にイ・サンが24歳で即位した時、彼女は31歳。
サンにとっては、わずか7歳年上の大妃(祖母)でした。

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(ヒョンビンとハン・ジミン)

<王朝絵巻 シーズン5>にて、サンが毒殺されたのではないかという歴史家の推論を紹介しましたように、第22代王・正祖(イ・サン)は1800年6月(旧暦)の暑い日に亡くなりました。

6月28日の危篤の知らせで、それまではひっそりと生活していた貞純大妃が歴史の前面に出てきます。
礼法(しきたり)ではありえない、サンと大妃の2人だけの病床(昌徳宮)で、サンは息を引き取りました。
サンは享年48歳、その祖母の貞純大妃は55歳で、王族では最長老です。
そして、サンの後を継ぐのは10歳の世子です。

こうなると院政(垂簾聴政)・摂政を敷くのが恒例。
つまり、ガチガチの老論派の実家+貞純大妃が王朝政治の実権を手に入れ、サンの改革をことごとく潰してしまいます。
そして、正祖・サンの没後は、祖母の院政と王の外戚が実権を握る私利私欲の王朝末期を迎えることになります。

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貞純大妃の最大の悪政はキリスト教徒の弾圧です。
貞純大妃の対抗勢力にはキリスト教徒も多く、主義は“平等思想”。
儒教(朱子学の流れ)では、生まれながらに身分の格差を強いるので、王朝=儒教の国にとっては不都合だというのが“大妃の大義”でした。
明らかに反対勢力の粛清を狙った弾圧でしたが、通報制度により悲劇の庶民の教徒の数が数万にも及んだそうです。
それだけではなく、対外関係で最も問題だったのは、フランス人の宣教師を殺害したこと。

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(ハン・ジミン)

もう時代は19世紀に入っています。
ヨーロッパでは既に産業革命が興り、西欧列強が中国大陸を狙っていた時です。
西欧列強がつけ入る隙・口実はいくつもあったと思われます。
まずは近代化に取り残された“清”が失速。
<王朝>は、大陸と半島の冊封体制に固執して、共倒れの衰退へと転落したと言っても過言ではないと思います。
この衰退の110年を経て、1910年の日韓併合へと歴史が流れました。

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映画『王の涙~イ・サンの決断(原題:逆鱗)』ではハン・ジミンが貞純大妃を演じました。
彼女にとっては最初の悪女の役だったかなと思います。
ただし、ヒョンビンが演じるサンとの演技の上での相性(ケミストリー)を感じました。

直近のヒョンビンとハン・ジミンのドラマ『ハイド、ジキル、私』では二人のケミをもっと感じました。
この二人を応援しています。

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