第3代皇帝と第3代王


nanaさんから4月のカレンダーが届いています。
2016カレンダー4月F
(made by nana)

よく似た二人の3代目

1.朱棣(チュチェ:後の永楽帝)

李成桂が建国した1392年には、大陸は既に明(1368年より)の時代に入っていました。
ドラマでバンウォンが出会うのが明の太子の朱棣(チュチェ:後の永楽帝)です。

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朱棣は、朱元璋(後の太祖・洪武帝)の四男として1360年に誕生、幼い頃は早朝から学者を招き、一度読んだ本の内容は忘れなかったとされます。
彼が成人した21歳に北方の要衝の防衛拠点を任されます。
追いやられた元が北元としてモンゴル高原に割拠していた時代で、朱棣はその戦場での能力と勇敢さで名を馳せ、太祖・洪武帝は「北顧の憂いなし」と述べたと伝わっています。

1392年に皇太子であった長男の朱標が死去すると、洪武帝は朱棣に皇位を継がせようとしたものの、群臣に反対され取り止め、朱棣を皇帝にできないことを嘆き悲しんだと記録にあり、朱棣が有能な人物であったことを示唆しています(『明史』)。

1398年、洪武帝の崩御にともない長男・朱標の子で朱棣には甥にあたる建文帝が即位。建文帝の側近たちは皇帝権力を確立するため、各地に封じられた皇族である諸王の取りつぶしを画策したが、建文帝は「燕王(朱棣のこと)は血肉を分けた至親である、謀反の心配などはない」と答えたとのこと。

どこの国も官僚たちの政治・権限闘争は激しく、さまざまな謀略の中、朱棣の指揮下にある兵力を削減されます。
この頃から朱棣は仮病の振りや狂人の振りをしていたとのこと。
しかし、この仮病を密告するものがいたために、朱棣の逮捕令が出ます。
ただし、朱棣の側もこの計略を知っていたとされ、反発した朱棣は朝廷関係者と内通者を逆に捕縛し殺害すると共に、兵を集め、南京の建文帝に対し反乱を起こしました。

朱棣は自らの軍を靖難軍(君側の奸を討ち、国難を靖んずるの意味)と呼び、ここからこの反乱を靖難の変と称される。
逸話として、朱棣は孔子の生誕地曲阜と孟子の生誕地鄒県では「木一本たりとも盗むことを禁じる」の命令があったとのこと。

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1402年、靖難の変に勝利した朱棣は第3代皇帝・太宗・永楽帝に即位。
1403年、北平に首都・北京を定め、1421年に遷都。
また、1406年から既に改築を進めてきた法宮・紫禁城を完成させて移り住みました。

対外関係では領土の拡大主義を取る一方では、半島や日本とは朝貢貿易を許可しています。
さらに李氏朝鮮、琉球王国、室町幕府(足利義満)との冊封体制を築き、朝貢貿易を許可しています。
鎌倉幕府はこの貿易から多大の利益をあげるなど、当時の冊封制度は政治・外交面での友好関係だけでなく経済活動の活性化にもつながっていたと思われます。
この時から日本と半島との使節団の交流も始まっていたので、三角貿易もなされたようです。

2.よく似た二人の3代目

朱棣(チュ・チェ)

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太祖・洪武帝の4男 1360年生まれ
太祖の長男(死去)の息子が第2代皇帝に即位(1398)
1402年 靖難の変で即位・第3代皇帝・太宗
北京に紫禁城を建設

紫禁城2

李芳遠(イ・バンウォン)

太祖・李成桂の5男 1367年生まれ
太祖の8男が世子となる(1392~3年)
1398年、第一次王子の乱で次男・遠果が第2代王に即位
1400年、第2次王子の乱で即位・第3代王・太宗
漢陽に昌徳宮を建設

2昌徳

ドラマでは、この二人はお互いに『孟子』が好きで、外交交渉にあたり、次の話を引用しました。

梁惠王章句下(『孟子』第2巻 3章)
惟仁者爲能以大事小
惟知者爲能以小事大

「仁の人(王)だけが大国であっても小国を尊重して交流できる」
「智の人(王)だけが小国であっても大国と上手に交流できる」

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なんという偶然か?!
歴史の偶然に驚いたところです。
二人の皇太子と王子の境遇が似ていて、また儒学(孟子)生としての会話だった…。
そのことを思うと、二人のトップ会談で“明と朝鮮”だけでなく、極東アジアの平和が保てたのではないかと思えるくらいです。

次ぎの写真は「六龍飛天」第43話(予告の時)からのキャプで、30歳頃のバンウォンでしょう。
父のイ・ソンゲが脅威に感じた明国ではあったものの、バンウォンは明との関係を築き、グローリアスな帰国を果たしましたね。

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紫禁城

オッパ 皆さま アンニョンハセヨ

紫禁城1420年 そういえば、清代ではなく、明代に建てられたものだったのですね。
今回のお話、とても興味深く読ませていただきました。
紫禁城の広大さ、装飾技術は現代では真似できないものもあると思います。
そして何より材料。
皇帝の歩く道は全て大理石の彫刻。(回廊も全て大理石ですから)酸性雨による劣化が心配ではあります。

世界遺産でもありますし、ぜひ一度は訪れていただきたい場所です。
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