実録イ・サン 6

ソウル地下鉄の「景福宮」駅を出ると、次のように「国立故宮博物館」の入り口が見えます。
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(昨年の12月撮影)

<王朝絵巻 シーズン5>

実録イ・サン 6
-死の謎②-


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(ドラマ『イサン』最終話より)

1800年6月26日
左議政(チャイジョン:副総理)の沈煥之(シム・ファンジ)がお見舞いに来た時に、サンは、
「ほとんど食べられない」と。

歴代の王・27人の3分の1ほどには“毒殺説”があるとのこと。
毒の侵入経路には、まず食事が考えられますがサンは偏食だった
しかし、湯薬や鍼での治療もありますから、病気療養に乗じた暗殺もあり得ると思います。

6月27日
内医院の都提調の李時秀(イ・シス)は、意識が朦朧としているサンに、
「お食事は召し上がっていらっしゃいますか?」

「食欲がない」とサン。

李時秀は即効性が強い湯薬に変えることを提案し、加減八物湯(カガムパルムンタン)を用意。
サンは侍医の康命吉(カン・ミョンギル)に、
「この薬が体内で滞ったらどうする?」

「そのようなことはございません」

「今日は薬を2回飲まないといけないから、人参は半分で良い」

李時秀は、
「長く眠りにつきますと、昏睡した状態になりますし、
 このような蒸し暑い陽気ではなおさらです。
 お食事を召し上げれば良いのですが…」

「食欲がないから仕方がない」

旧暦の6月27日となると太陽暦では7月の夏の真っ盛りで、食事をとらないと衰弱が激しくなります。
こんな状態でもサンは、
「たとえこのような状況でも、
 決めなくてはならないことがあるなら、
 すぐに報告に参れ」
と、仕事を休もうとはしていません。

ソンヨン 宣
(『イサン』最終話より)

6月28日
左議政(副総理)の沈煥之(シム・ファンジ)が、
「昨夜のご容態はいかがでしたか?」

「夜遅くに少し眠ったようだ」

李時秀は、
「脈を頻繁にとったほうが良いです。
 地方からも優秀な医師を待機させています」

「今の世に、
 病気のことを熟知している医者が…、
 いったいどこにいるのだろうか…?」

午後になってサンは危篤状態に陥ります。
恵慶宮(サンの母)と世子(第23代王・純祖)が見舞います。
その後は、左議政の沈煥之たちが病床につめます。
しかし、李時秀が匙でサンに薬を飲ませようとしても口から洩れるばかり。

そこで現れるのが状況の報告を受けていた貞純大妃(チョンスン テビ)
「私が(湯薬を)直接差し上げるから、
 皆の者は下がっていなさい

左議政(副総理)の沈煥之も、内医院の都提調の李時秀も引き下がります。
しかし、問題となるのは大妃とサンの二人だけとなることです。
どんなドラマにもあるように、王が危険な容態になる際に、誰かと二人だけになることはありません。
いったい誰が客観的な遺言を書き留めることが可能なのでしょうか?

やがて病床からは貞純大妃の慟哭の声
サンにとっては祖母なのですが、老論派を嫌うサンは老論派の彼女には“謹慎”を命じていました。
そんな彼女が突然病床に現れて、二人だけになって、終いには慟哭?
大妃が何をやったのかは不明です。が…?

沈煥之や李時秀は、
「大妃とてわがままは許されません。
 国家の礼法です!
として大妃を病床から離れさせ、サンの病床に入ります。

侍医団の声は大きかったとのことです。
大妃に対して大声を出すことは無礼なのですが、さすがに医師団は危険を感じたからです。

以上、多少の編集を加えてはいますが、「 」内の言葉は史実「朝鮮王朝実録」に基づく康煕奉(カン・ヒボン)氏の『謎めいた朝鮮王朝』からの引用です。

康煕奉氏が挙げる“毒殺説”のもう一つのポイントは、サンの死後すぐに毒殺の噂が宮中に広がり、沈煥之の親戚の侍医の沈金寅(金偏に寅と書いてイン:シム・イン)が、何ら査問にもかけられず処刑されたことです。

ドラマ『亀巌ホジュン』にもあったように、王のトップの侍医は「御医」と呼ばれるのですが、御医であっても査問にかけられて、王の死に責任がなかったのかどうかと尋問がなされます。
そして、ホ・ジュンはまるでスケープゴートのように“流刑”になりました。
「東医宝鑑(トンイボガム)」の編集のために、第15代王・光海君がジュンを呼び戻すものの、官僚たちは難癖を付けて責任を誰かに押し付けるのが常でした。

ホジュン
(『亀巌ホジュン』最終話より)

サンの時の副総理(左議政)の沈煥之(シム・ファンジ)は70歳で、老論派の長老でした。
サンが、貞純大妃ともども嫌った老論派の派閥でしたが、沈煥之は老論派を守らないといけない立場にありました。
この大妃と彼が共謀したとすれば…?
という仮説ではあるものの、信憑性が高いと思いました。

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2009年2月のこと。
サンが左議政(副総理)・沈煥之(シム・ファンジ)に宛てた、“私信299通”が成均館大学により公表されました。
“読んだら破棄するように”と指示した私信です。
しかし、なぜ破棄しなかったのか?
また、別の観点からは、200年後に公表されたということが、歴史を再度直視・考察しようとする機運なのではないかと感じました。

①王座の重さ、②官僚の派閥闘争、③身分の壁を越えた愛。
この3要素は歴史の事実でもあり、ドラマのポイントでもあるようです。
このところの韓国の歴史ドラマは、王権にとって代わろうとする官僚たちの権力・勢力争いを赤裸々に描き、現在の民主主義の観点、庶民の立場からの評価を重んじるような風潮があると思います。

なお、<王朝絵巻 シーズン1>で取り上げたように、サンが亡くなった後は、悪女の貞純大妃の垂簾聴政となり、キリスト教徒の弾圧など暗黒の時代に入ります。

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(御陵で父親を偲ぶサン: 『イサン』最終話より)

この写真は水原(スウォン)・華城(ファソン)に立っているイ・サンの銅像です。

san bronz

# お詫びです
先週は次の肖像画を(サンとして)紹介していましたが、間違いです。
次の原画の写真は第21代王・英祖(サンの祖父)です。

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(2015年12月:国立故宮博物館の特別展にて)

同じく、英祖が王子の頃(ヨニングン)の原画です。

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(2015年12月:国立故宮博物館の特別展にて)

なお、現存する原画は以下の7点だけ。
他の王の肖像画は“韓国戦争(1950年の朝鮮戦争)”の際に、釜山に疎開していたものの、火事で焼失しています。

・太祖(テジョ)・李成桂
・延礽君(ヨニングン)
・第21代英祖(ヨンジョ)
・追尊・翼宗(イクジョン)・第23代純祖(スンジョ)の世子
・第25代哲宗(チョルジョン)
・第26代 高宗(コジョン・大韓帝国初代皇帝)
・大韓帝国第2代 純宗(スンジョン:王朝のラストエンペラー)

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