実録 イ・サン 3

<王朝絵巻 シーズン5>
実録 イ・サン 3

- サンの改革と実学のすすめ-


第4代王・世宗が“本の虫”だったことは既に書きましたが、同じく李祘(イ・サン:第22代王・正祖)も若い頃から四書五経に通じるなど、学問でも頭角を現していました。
サンの父親・荘献も同様だったそうですが、これは祖父の英祖の厳しい教育の賜物だったと言われます。
後代になってから、世宗と正祖の2人は“好学の王”として並べられています。

科挙試験をパスするには四書五経は必須でしょうが、官僚はもちろんのことで、サンには成均館の教授(儒学者)も舌を巻くくらいだったそうで、映画『王の涙:韓国原題「逆鱗」』でも官僚を集めた勉強会のシーンがありました。

また、サンの学問好きを象徴するのが、「奎章閣(キュジャンガク)」です。
奎章閣は「王立図書館」に相当し、多い時には100人以上の若き儒学生や儒学者が党派にかかわらず集まり、才を競うと共に、書籍の編纂を行ったそうです。
何と言っても、これにより当時の身分制度にかかわらず、庶子にも科挙試験と官僚への道を開いたことは特筆できると思います。

ドラマ『イサン』では若手の丁若鏽(チョン・ヤギョン)という天才学者(実学者)に、漢江を1000人規模で亘るための浮橋を考案させます。

(漢江をわたるシーン)
漢江を渡れ

行幸
(国立故宮博物館: 昨年4月撮影)

また、水原・華城を建設する際には、チョン・ヤギョンが開発した起重機により、6キロにも及ぶ外壁がわずか2年半で完成させています(当時は10年の仕事だったらしいです)。

(ウィキペディアより)
起重機

次の写真は華城の築城にかかる資料で、丁若鏽(チョン・ヤギョン)たちが作成したもの。

華城3

1華城
(国立故宮博物館: 昨年4月撮影)

# 水原(スウォン)市の 華城(ファソン)については次の「みんなでコリア」のブログサイトにアップしています。
https://minnakorea.jp/blog/20160207-256.html

サンは即位後に強硬派の老論派を一掃したものの、他方では党派に限らず優秀な官僚を手元に置き、さらには地方行政にも監視の目を光らせるために、王朝の歴史の中でも、一番多くの暗行御史(アメンオサ:特別捜査官)を派遣しています。

さらに軍の改革

サンには直属の巡監軍(スンガムグン)が配下についているものの、他の軍が老論派のシビリアンコントロール下にあったために、この改革は洪国栄(ホン・グギョン)が実行しました。
サンの側近からスタートして、洪国栄は地位と権力を得るようになります。
しかし、人の欲は果てしないもので、今度は、

「お前の目的は殿下の子を産むことだ」と、妹を側室にして姻戚関係を結ぼうとしました。
元嬪(ウォンビン)・洪氏です。
しかし、彼女は短命で1年ほどで亡くなってしまいます。

「自分が妹を王の側室にしたばかりに…」と悔やむ一方で、まさか正室の孝懿(ヒョンイ)王后が妹を毒殺でもしたに違いないと思い込むようになり、孝懿王后を毒殺することを計画。
ただし、この逆恨みの計画が発覚。

サンは彼を流刑に処しました。
「自分自身を振り返ると、恥ずかしくて苦しくて、いっそ死んでしまいたい」と、側近中の側近を処罰せざるをなったことで、こんな覚書を出しました。

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奎章閣(キュジャンガク)

ウィキペディアによると、
kyujangaku.jpg

1776年、正祖の時代に昌徳宮の敷地内に設立された。
中国や朝鮮の典籍が収蔵され、正祖と互いに支持し合う実学派の文官らが集められて教育され、彼らが文献研究や政策立案を行う場であった。
1781年には別館である外奎章閣が江華島に設けられた。
今日ではソウル大学校によって管理され、冠岳区新林洞に在している。
(写真と文:ウィキペディア)

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