実録 イ・サン 2


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(2016.02.13)

<王朝絵巻 シーズン5>
実録 イ・サン 2

父の悲劇


第14代王・宣祖(ソンジョ)の側室の息子が光海君(第15代王)で、正室の娘には貞明(チョンミョン)公主がいました。
この二人の腹違いの兄と妹のストーリーはドラマ『華政(ファジョン)』のとおりです。

fajon3.jpg
(ドラマ『華政』のチョンミョン公主)

貞明公主は洪株元(ホン・ジュウォン)に嫁ぎ、子だくさんの洪ファミリーを作ったのですが、その5代後に恵慶宮(ヘギョングン)・洪氏。
恵慶宮と夫の荘献世子(第21代王・英祖の息子)の長男は2歳で夭折し、次男が第22代王・正祖(チョンジョ:イ・サン)となりました。

(映画『王の涙』より恵慶宮)
1恵慶宮
2恵慶宮

前回紹介したイ・サンの即位に際しては、老論派はもとより、その老論(保守・強硬派)を支持するファミリーの、英祖の正室・貞純(チョンスン)金氏・大妃も反論。

(映画『王の涙』より貞純大妃)
2チョンスン
チョンスン

しかし、恵慶宮は息子のサンの即位を強く押しました。

米櫃事件

(これはソウルに残る5大宮殿の位置です。
 地下鉄では東西に4駅くらいの距離感です。)
ソウルの5宮殿

李祘(イ・サン)は1752年9月22日に昌慶宮(チャンギョングン)の景春殿(キョンチュンジョン)で生まれました。

景春殿

そして、サンが10歳の時(1762年)に、父親の荘献(チャンホン:27歳)を失っています。
昌慶宮の西側にある法宮(王が住むところ)・昌徳宮(チャンドックン)で起きた、有名な“米櫃事件”なのですが、これは老論派が裏工作をしたとの説が強く残っています。

第21代王・英祖が長男(世子)を“米櫃”に閉じ込めて餓死させた場所のこと。
ドラマ『イ・サン』や映画『王の涙(韓国原題:「逆鱗」)でも昌徳宮の裏庭で閉じ込められて亡くなっていたと思われます。

(昌徳宮の裏庭)
https://youtu.be/9MqY2TguGPY

妻の恵慶宮の随想録(「閑中録」)では、荘献は二十歳を過ぎてから奇行が目立ち始めたとのことで、、情緒不安定から側室、女官を殺すに至りました。
これには、精神を病むような“毒薬”投与があったとの説があります。
荘献と英祖の確執の原因となるわけですが、他方では英祖も大変な癇癪持ちだったようです。
もう一人の黒幕は貞純(チョンスン)大妃だとも言われます。
彼女の実家はガチガチの老論派で、老論を嫌った荘献との関係が悪かったからで、17歳になった頃には多くのあらぬ噂を英祖に吹き込んだとのこと。
なお、彼女は14歳の時に(英祖は65歳)、2番目の正室として、慶州・安東金氏から迎えられました。

14歳の花嫁でしたが、サンにとっては祖母の大妃にあたり、また、母親の恵慶宮よりは10歳若い祖母です。
(映画『王の涙』のキャスティングにも反映されていました)

“米櫃”に入れられた父親

イサン1

1762年5月、様々な荘献の奇行などや謀反の噂なども英祖に届き、さらには荘献の生母の映嬪(ヨンビン)李氏までが、
「王室を安泰するためには荘献を処分するしかありません」との進言で英祖が決断。
5月13日には昌徳宮(チャンドックン)で、英祖が刀をかざして息子に自決を求めました。

「どうか父上を許してください」はこの時のサンの言葉。
この言葉は「朝鮮王朝実録」にも記されている史実です。

イサン2

しかし、自決しない荘献を英祖が米櫃に閉じ込めることとなった。
ただし、その時の状況は真相が解らないというのが史実です。
実は、『朝鮮王朝実録』の元になる、王の秘書室の当時の「承政院日記」がサンによって破棄されているからです。
想像するに、あまりにも生々しい記録であったのか、悲惨な父の死の模様の記録だったと思います。

恵慶宮も黙認…、誰の救いもないままに荘献は餓死します。
1762年5月21日、米櫃に閉じ込められてから8日後の発見です。

4イサン
(映画『王の涙』より)

サンは“罪人の子”になっては世継ぎができないので、9歳で夭折した荘献の兄の孝章の養子として本籍が変えられます。
また、英祖は息子の荘献のことで悔やみ悼んで“思悼世子”と、おくり名を与えました。

そして、サンは慶煕宮(キョンヒグン)で即位すると、力強く、

私は思悼(サド)世子の息子だ
と宣言をしています。
いかに父親の悲劇を哀れに思っていたかが分かります。
以降、サンが老論派を嫌うのは当然のことだと思います。

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27歳の若き父親と10歳のサンの哀しい話でした。
サンは即位すると父の墓をソウルの南の京畿道・水原市に移します。
そして、そこには華城(ファソン)を築城します。
全てが父親の死とその背景を悼んだことからの発案だったと思われます。

(華城のことは先日、次の「みんなでコリア」のブログサイトにアップしています)

https://minnakorea.jp/blog/20160207-256.html

これは華城の宮殿・行宮(ヘングン)にも展示してある当時のサイズの米櫃です。

米櫃
(昨年4月撮影)

「実録 イ・サン」で引用・参考にしているのは次です。
康煕奉(カン・ヒボン)『謎めいた朝鮮王朝』双葉社(2015.04)
映画『王の涙(韓国原題「逆鱗」)』
ドラマ『イサン』

なお、『謎めいた朝鮮王朝』は、『朝鮮王朝実録』に基づくもので、「実録」は歴代の王の日誌。
歴史研究家や脚本家にとっては貴重な記録です。

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