歴史を変えたバンウォンの一言 2

# 先週放送の第32話では明確に1390年9月(字幕)と出ました。
土地改革を巡り鄭道伝(チョン・ドジョン)は素晴らしい人だったのだと再認識した次第です。
バンウォンとドジョンはさらに接近しようとするのか…?
(史実からそれはないと思います)
バンウォンがプニとムヒュルという(仮想ですが)、二人の“龍”を引き連れて、イ・ソンゲの屋敷から独立する姿も心地よいシーンでした。
正妻のダギョンとは“李氏の国を作る(閔氏のバックアップで)”と約束しています。
また、昨日と今夜の放送でプニとバンジの母親の“無名”がさらに明らかになりそうです。
建国まであと2年…。

<王朝絵巻 シーズン5>

歴史を変えたバンウォンの一言 2
ソウルに残る故宮②


1400年に即位した第3代王・太宗(李芳遠:イ・バンウォン)が、1405年には宮中の一番東側に「昌徳宮(チャンドックン)」を完成させました。

大きな景福宮があるにもかかわらず、なぜ第2の王宮を建設し、景福宮と昌徳宮の2つの法宮体制にしたのか?

(昌徳宮の敦化門あたりを動画にしています)
https://youtu.be/ACuJ2Dyz1vA

昌徳宮のパンフレットを読んでいると、第3代王・太宗は、「(景福宮の)地形が良くない」と言っただけ。
しかし、ドラマや映画にもあるように、彼は2度に亘る“王子の乱”を経て即位しています。
骨肉の争いで流血騒動となったのが景福宮だったから、そこで起居することを嫌ったと書いてありました。

これが2つの法宮体制の謎解きだったのですが、昌徳宮とその東側の「昌慶宮(チャンギョングン)」を訪れて気づいたことがあります。

一つは映画やドラマで描かれる、第21代王・英祖が長男(世子)を“米櫃”に閉じ込めて餓死させた場所のこと。
ドラマ『イ・サン』や映画『王の涙(原題:「逆鱗」)などを見ると、その米櫃が昌徳宮の中でも、とくに目立つ場所で開かれます。
しかし、実際には次の動画にあるような、昌徳宮の裏庭で閉じ込められて亡くなっていたのではないかと思います。

(昌徳宮の裏庭)
https://youtu.be/9MqY2TguGPY

もう一つは、離宮の昌慶宮のパンフレットで気づいたこと。

昌慶宮は第4代王・世宗が第3代王・太宗のために建てた離宮で、パンフレットには「(高麗時代の)南京離宮跡」に建設したと書いてあります。
実は、私は李成桂(イ・ソンゲ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)がよくもこんなに良い場所(漢陽)を探してきて遷都したものだと思っていました。
しかし、彼らが活躍していた高麗時代からの離宮だったのですね。

現在では昌徳宮と昌慶宮とは離れていて、アクセスも別々の地下鉄の駅なのですが、ドラマでは裏手を通って、二つの宮殿が繋がっていたことが分かります。

(昌徳宮から昌慶宮へ)
昌徳宮2

(昌慶宮の入り口・弘化門)
昌慶宮1

(明政門に向かいます)
昌慶宮3

(正殿・明政殿)
昌慶宮2

アクセス
昌徳宮(チャンドックン)地下鉄3号線・安国(アングク)駅
昌慶宮(チャンギョングン)地下鉄4号線・恵化(ヘグァ)駅
ちょっと駅から離れていますが、ソウル大学病院をスルーして行けば近道です。

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5宮殿は漢江(ハンガン)の北に位置しますが、現在の政治経済の中心は江南(カンナム)に移っています。

(カンナムの大通り)
kannamu_20160111053153130.jpg

中でも清潭洞(チョンダムドン)はブティックや裏手の住宅などの超高級街でしょう。

(清潭洞の裏手の邸宅)
chondamu.jpg

韓国家庭料理とはいえ、元は宮廷料理からの普及。
日本ではチジミと言いますが、一般に“ジョン”の方が韓国では通りが良いと思います。
写真の右がジョンです。

(知人の家で戴いた宮廷料理:ケータリング)
kyuutei.jpg

(これは清潭洞のステーキの店で味わった美味しいニンニクの玉です)
kannamu3.jpg


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