歴史を変えたバンウォンの一言 1


# 韓国での放送は第30話を過ぎても、なかなか<朝鮮王朝>の建国には至らないので、『六龍が飛ぶ』は李成桂(イ・ソンゲ)よりも鄭道伝(チョン・ドジョン)の新しい国作りの思想で終始しているように思えるところです。
そこに割って入るように、早く李芳遠(イ・バンウォン)の国の基礎作りの苦労を見たいものだと思い始めています。

<王朝ドラマ>の身分を越えた恋愛(ストーリー)、王権の重さと王の治世(史実+ストーリー)、そして官僚と両班たちの派閥争い(史実)の3要素。
これらを絡めただけでもいくつかの脚本が描けるのだろうなと思うのですが、私は歴史の動きと、王になるバンウォンが知りたいのです。
(1月17日・記)

<王朝絵巻 シーズン5>
故宮の歴史を変えたバンウォンの一言 1


ソウルに残る故宮①

1392年に<朝鮮王朝>を建国した李成桂(イ・ソンゲ:太祖)が、新都の“漢陽(ハニャン:現ソウル)”のセンターに法宮(王が住む宮廷)として建設を始めたのが景福宮。
また、観光の名所としても「景福宮(キョンボックン)」が群を抜いていると思います。

(ソウルに残る5宮殿の位置です)
5 palaces

地図でのとおりで、宮殿が位置する東西は、地下鉄の駅の数だけでも4つほどの距離感です。

しかし、バンウォン(李芳遠)の一言、「(景福宮の)地形が良くない」この言葉で、460年にも及ぶ長い年月、景福宮(キョンボックン)は実質的な法宮(王が住む宮廷)として機能していません。

一般にはソウルの5大宮殿とか、4宮殿と“宗廟”などと言われます。
しかしこの1年間半ほど、機会を見つけてソウルの宮殿を巡り、それぞれのパンフレットを読んで、また、歴史ドラマのシーンを思い返していると、これは現代の目から見た表現だと思うようになりました。
ドラマ『六龍が飛ぶ』(現在韓国で放送中)と、昨年放送の『華政』も含めて、史実からは、まずは何と言っても「景福宮」が第1の法宮だったことは理解できますが…。

(景福宮の正門「光化門」の前の広場より、第4代王・世宗の像)
景福宮1

高麗時代の首都であった開京(ケギョン)から実際に遷都するのは建国2年後の1394年で、“朝鮮”という名前も1393年に決まったものです。
完成した国政のセンターとなる王宮は、約12万6300坪の広大なもので、その中には200棟以上の建物があったとのことです。
この首都・漢陽は、北には山々があり、南には漢江(ハンガン)が流れるという、“背山臨水”の風水に基づく立地でした。

光化門から入り、興礼門、そして勤政門を抜けると正殿・勤政殿。

(興礼門と空)
興礼門

(写真は勤政殿から南向きに撮ったもので、官僚たちが並ぶ品階を示す石碑です)
景福宮2

(勤政殿の玉座)
玉座

(国宝として残るオンドルの煙突です)
kyonboku1.jpg

<朝鮮王朝>の多くの史劇・ドラマの舞台が「昌徳宮(チャンドックン)」となるのは先のバンウォンの一言によります。
李成桂の5番目の息子の李芳遠(イ・バンウォン)が第3代王・太宗になるとすぐに、第2の正殿になる昌徳宮を建設して、法宮がダブルの体制の状況となるからです。

(祭事の時の宴席に使われたり、大陸からの使節を迎えた慶会楼)
慶会楼

(景福宮の一番北まで歩くと、その先に大統領府・青瓦台が見えます)
青瓦台

アクセス
ソウル地下鉄3号線の駅「景福宮」を出ると、左右に景福宮と故宮博物館

(国立故宮博物館の入り口)
国立故宮博物館1

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バスの中から撮った昨年12月の南大門です。
namudemun.jpg
(2015.12.16)

南大門市場(ナムデムン シジャン)の屋台の“おでん(ハングルでも同じ発音)”は500W(約50円)。

おでん

こちらはプサンの屋台で、オデンも焼酎もすべて1000W(約100円)でした。
屋台でのマナー(?)は、ぶらりと行って、入って、勝手におでんを取って、おでんのスープと一緒に食べながら、時に焼酎をお願いするだけ。
帰る時に、オデンの串の数と焼酎のボトルの数だけ支払うということです。

yatai_20160111042557fbf.jpg
(昨年11月)


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