龍の子・世宗 「六龍飛天」



# この写真は『善徳女王』の新羅の都・慶州にある、「仏国寺」の紅葉です。
すでに落葉でした。
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(2015.11.24 撮影)

こちらは神奈川県
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(2015.1128 朝撮影)

<王朝絵巻 シーズン5>

太祖(テジョ)・李成桂(イ・ソンゲ)から、第4代王・世宗(セジョン)まで②


歴史的な評価が高い王と言えば、何と言ってもハングル文字を創製した第4代王・世宗。

「六龍飛天」第14話では、バンウォンが政略結婚のために、ダギョン(麗州・閔氏の娘)に求婚しました。
この、後の元敬王后との3男が忠寧(チュンニョン)で、世継ぎ(世宗)となります。

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(世宗:『根の深い木』最終話より)

1.第4代王のこと

第3代王・太宗(イ・バンウォン)の息子の世継ぎのことです。

第2代王・定宗のように正室に子供ができない場合は王も王妃にとっても悲しいこと。
<朝鮮王朝>に限らず、王政では、正室との間で早くから子供を作ることは「公務」だと思います。
他方、『チャン・オクチョン』にもありましたように、正室との間で子供を授からない時は、むしろ「プライベートライフ」の側室の地位が表面に出る。
したがって、オクチョンとトンイ(ムスリ)の間での争いが激化した。
そう思っています。

では、ドラマのフィクションではあるのですが、バンウォンの側室になるプニの立場はどうなるのでしょうか?
正室とは三角関係になるというフィクションで楽しませてくれそうです。

「六龍飛天」の主人公のバンウォンが第3代王・太宗となってからの正室は閔(ミン)氏(元敬:ウォンギョン王后)で、4男4女を授かっています。

(後の王妃:ミン・ダギョンとバンウォン)
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世継ぎを決めるにあたり、バンウォンは過去の兄弟同士の骨肉争いの経験から、早期に引退し、王位を譲渡することを考えていました。
長男は譲寧(ヤンニョン)、次男は孝寧(ヒョンニョン)でしたが、王の資質・学問などでは3男の忠寧(チュンニョン)が秀でていました。
バンウォンが5男であったことに似た状況です。

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(世宗とソイ:王と女官でハングルの解読書を作ります:『根の深い木』最終話より)
# 世宗は「ハングル文字」の創製だけでなく多方面でも、韓国で最も人気の王です。

2.「兄弟愛」

バンウォンだけでなく、長男の譲寧(ヤンニョン)も、3男の忠寧(チュンニョン)には王の資質があると分かっていたようです。
そこで、ヤンニョンは世子の座を譲ることを考え、酒に溺れて遊び歩くなど、あえて王位に興味がないことを表現し、最後には放浪の旅に出ます。
次男の孝寧(ヒョンニョン)は勉学に励むのですが、兄との相談の結果、仏門に入ることにします。
こうして、3男の忠寧(チュンニョン)が第4代王・世宗(セジョン)となるわけです。
2人の兄の優しさにより世宗が誕生したと言って過言ではないと思います。

3.伝えられる世宗の人格

光化門の世宗の大像は有名ですが、多くの小学校にもほとんど世宗の銅像があるそうです。

10代の頃の逸話

病気の時も本を手離さなかったらしく、父のバンウォンこと太宗が側近に「本を隠すように」と厳命して取り上げたそうです。
しかし、本のムシだったので、今度は屏風の裏に残っていた本を100回も読んだとのこと。

二人の兄が一目置いたのも当然のようで、政治・経済・文化・社会で優れた功績をあげたことは有名。
さらには身分にとらわれない人材採用、そして庶民を愛して王権も独り占めにはしない分権主義だったそうです。
また、
太宗が1418年に世宗に王座を禅譲すると、すぐに昌慶宮(チャンギョングン)を建設。
昌慶宮は昌徳宮(チャンドックン)の東にあり、父の太宗のための離宮です。
太宗が亡くなる1422年までは父に政治を任せて、自分は父から帝王学を学んでいたとのこと。
そして何よりもの功績は“ハングル文字”を創製したことでしょう。

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(ハングル文字を守るソイとトルボク:『根の深い木』最終話より)

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以上、<朝鮮王朝>の初代から第4代王まで、先週からアバウトに書きましたが、詳細はそれぞれ後日にドラマ『六龍が飛ぶ』の流れに沿ってご紹介したいと思っています。
なお、歴史の概要は、康 煕奉(カンヒボン)氏の次の6冊を参考にして、適宜ピックアップしたものです。

『古代韓国の歴史と英雄』
『朝鮮王朝の歴史と人物』
『ここまで知りたい・朝鮮王朝』
『朝鮮王朝・王妃たちの運命』
『悪女たちの朝鮮王朝』
『謎めいた朝鮮王朝』
(2011年~2015年)

私見ですが、李成桂が武骨ながらも優しい高麗武士であったとすれば、バンウォンこと第3代王・太宗には、庶民生活への配慮などで優れた「統治能力」が備わっていたと思います。
フィクションだとは思いますが、「六龍飛天」では成均館で先輩の儒学生から「統治」とは…、と議論する場面がありました。

ところで、第1次、第2次と「王子の乱」のことを父親の李成桂はどう思っていたのでしょうか?
李成桂の心にも空想を馳せたいと思っています。

(世宗に別れの挨拶を告げるソイ)
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