六龍が飛ぶ 第7話(上) 独立国


高雄の空①
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(photo by nao @kaohsiung, Taiwan)

飛龍 第7話(上) 咸州(ハムジュ:#)に向かう“龍”たち

「今は女の事を考えている時ではない、ムヒュル。 成功と名声だ! ハルモニの事を考えろ!」と自分を諌めるのですが、プニのことが気にかかる…。

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「イ・ソンゲ将軍は倭国と戦った名将だから、武士のあなたも名声が得られるかもしれない」との、プニの誘いを聞いてとにかくハムジュに向かうムヒュルでした。

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タンセ

…誰がいったいあの子を救い出したのだろうか…?
 どんな武士なのだろうか…?

他方、カプンはホン・インバンが批国寺に現れたことが気になっています。

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暗号を解いてバンウォンも帰国の途に…?
「いや、その前に開京だ」
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バンウォンはまず、あの“洞窟(鄭道傳の隠れ家)”で資料のチェックを再考しました。
チョン・ドジョンという師匠(自らが決めた)の意図・思想を調べるためです。

そして資料から思いついたことはチョン・ドジョンがハムジュを機転として革命を起そうとしていたことです。
“チンチェゲ(陳砦計:革命を起すための基点の意味)…”
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ただし、チョ・ヨンギュは知らない者たちがハムジュに向かっていることを内緒にしているバンウォンに反対します。

「私の家系は代々李成桂将軍に仕えています。
 将軍には出所が分からない者たちが、
 北のハムジュに向かっている事を知らせない限り同意できません。
 裏切りと同じです」

長兄のバンウやイ・ソンゲ将軍に知らせようと言うヨンギュでしたが、バンウォンは革命を起そうとする人(チョン・ドジョン)のことを知り、
「いいや、裏切りではない!
 陳砦(革命のこと)なのだ」

「いったい誰の事を言っているのですか?!」

その時はヨンギュばかりでなく、バンウォンもチョン・ドジョンこそが革命家だとは知らなかったので、
「誰だか分からないが、ハムジュに向かう!
 腐った高麗を終らせて、
 新しい国を創ろうとしている人を訪ねる!」というバンウォン。

ヨンギュにバンウォンは言いました。
「アボジは変革を認めるような性格の人ではない。
 知らせると革命そのものが潰れる!」

ヨンギュはバンウォンに従うしかありません。

(咸州・ハムジュ)
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他方では異郷の者たちがやってきているとの、起きている情勢が何者かの手で書簡にされてイ・ソンゲの元に届きます。
しかし、イ・ソンゲは次男のバングァに、
「こんなことが都堂に知れたら、我々が疑われるだけだ」と漢陽への報告を差し止めます。

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そして、ハムジュに来る者たちへの監視を強化します。

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ムヒュルとプニもハムジュに入れるのかどうか心配

しかし、プニは開墾した土地での収穫だけでなく、土地も奪われてハムジュに来た事を切々と訴えます。
プニは役所の穀物倉庫にも放火して、ハムジュに来たと正直に訴えます。

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それを聞いていたイ・ソンゲは「13番目の天幕(テント)に迎えろ」と命じます。

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さらに、プニからの話を聞いて、
「私は国境地帯でこれまで国を守ってきたが、
 これは何だったのか?!」
と税率が9割にもなるような圧政を行っていた中央政府への怒りを爆発させます。

「これまで命を落とした私の仲間、兵士そして民。
 いったいその血の犠牲とは何だったのか?!」

「…、兄貴…」

「イ・インギョム、キル・テミ、ホン・インバン!
 奴らの私腹は日に日に大きくなるばかりで、
 一向にこの国は変らないではないか!」」
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まずはハムジュに入ることができたプニ

故郷に残した村人のことを思い、
…おじさん、もう少し待っていてください。

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バングァがソンゲに渡していた手紙の件

ヨンギュはその手紙の件でバンウォンに報告。
ソンゲは「間者によって書かれたものかもしれない」と言って、都堂には報告しないことにしたと。
その書簡はハムジュに正体不明の組織が潜入しているというもの。

ただし、この時点ではヨンギュも中身を知らず、
「イ・ソンゲ将軍、
 それにイ・ジランとバングァしか見ていません」

「どこにあるのか?」

「誰が書いたのか調べるようにと、
 イ・シンジョクが命令を受けたので、
 彼が持っているはずです」

バンウォンは中身に興味を抱きます。
イ・シンジョクとは、3年前にやって来た男だとのこと。

バンウォンは、筆跡を調査しているイ・シンジョクの顔を見て驚きます。
成均館の若手リーダーだったホ・ガンでした。

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# もう6年前になりますが、儒学生が首をつった事件の真相を、ホ・ガンが貼紙で漢陽の町中に知らしめました。
キル・テミの息子やイ3兄弟は“孟子の思想を勉強している”ということで、儒学生の額に刺青を入れて、自殺に追い込んだ件です。
ただし、この件はキル・テミとホン・インバンに逆手に取られて、ホ・ガンの父親が責任を取らせられ、また手紙を抜き取られたバンウォンが密通したということにされました。

バンウォンは直接ホ・ガンに会って話を聞きます。
イ・シンジョクは過去を忘れ、イ・ソンゲの元で武士の道を歩んでいました。

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文字を書ける者は100人ほどの砦にしかいないはず、また、イ・シンジョクが左手で筆を持っていたことで、バンウォンはイ・シンジョク本人が手紙を書いたのではないかと疑います。
ホ・ガンと一緒であった成均館の時には右手に筆を持っていたからです。

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# 現在は北朝鮮の咸興(ハムン)市のこと。

ウィキペディアによれば以下。

咸鏡道(함경도)は、李氏朝鮮の行政区分・朝鮮八道の一つ。
1467年から1470年までと1498年から1896年まで使われていた名称。
1896年に咸鏡北道と咸鏡南道に分割された。
西を平安道と接し、南を江原道と接し、北は中国と国境を接していた。

咸鏡道という名称は主要都市の咸興(#)と鏡城(咸鏡北道鏡城郡)から取ったものである。

朝鮮半島の東北部に位置し、朝鮮三国時代の一国である高句麗が領有しており、後に渤海が領有した。
渤海が滅びると北部は女真族の地となり、朝鮮半島の王朝が占有していたのは南部のみとなった。
高麗末期から李氏朝鮮初期にかけては東北面と呼ばれていた
太宗13年(1413年)に永吉道(永興・吉州より、永興は太祖李成桂の故郷)と改名され、道に組み込まれる。
さらに太宗16年(1416年)咸吉道(咸興と吉州より)に改名された。

一般に李氏の本貫は全州(チョンジュ)といわれるものの、発祥の地・先祖(ルーツ)は咸州(ハムジュ)または咸興(ハムン)。
上記のように一時は女真族の地であったために、李成桂には女真族の血が流れているとの説が有力視されています。


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