『華政』 当時の歴史を訪ねて


高野山
takao 4
(photo by APB)

<王朝絵巻 シーズン3>

歴史を訪ねて ①清国との関係

(1) サルフの戦い(1619年)の後
(1619年~1627年)


この当時のことをウィキペディアで見ると次のとおりです。
(# で脚注をいれます)

李氏朝鮮は1619年のサルフの戦いで1万人の援軍を明に送ったが、朝鮮の将軍であった姜弘立(# カン・ホンリプ)は後金のヌルハチに降伏した。
姜弘立は、「朝鮮は後金に対して戦う意志はなく、明の要請によって援軍を送ったのだ」と弁明し、ヌルハチもヌルハチの子であったダイシャン(中国語版)も朝鮮への侵攻には興味を持っていなかったので、後金はヌルハチの死まで朝鮮へ侵攻することはなかった

ところが、朝鮮で1623年に西人派のクーデターが起こり、それまで明と後金の両者に対し中立的な外交政策をとっていた光海君が廃位されて、仁祖が即位した(仁祖反正:# インジョバンジョン)。
西人派は後金との交易を停止するなど反後金親明的な政策を取り、後金をひどくいらだたせるようになる。
また明の遊撃部隊の指揮官であった毛文龍(# モ・ムリョン:武将)が、朝鮮半島において後金に対しゲリラ的な戦闘を行うようになった。

最初の後金による侵攻のきっかけは、1624年の仁祖に対する李适(# イ・グァル)の反乱による。
李适は前年のクーデターの首謀者の一人であったが、その論功行賞に不満を持ち、平安道で反乱を起こした。
この反乱はすぐ沈器遠に鎮圧されたが、後金に逃げ込んだ反逆者の一部にハン・ミョンユン(한명윤)の息子、ハン・ユン(한윤)とハン・テク(한택)がおり、ホンタイジ(# 第2代皇帝)に朝鮮を攻めるよう進言し、これが大義名分となった。
(# 1627年の最初の侵攻です)

(2)後金との関係
仁祖反正(1623年)の後
(1627年の第1次侵攻)


1627年、ホンタイジはアミン(阿敏)、ジルガラン(済爾哈朗)、アジゲ(阿済格)、ヨト(岳託)、ショト(碩託)らの率いる3万の軍勢を、姜弘立(# カン・ホンリプ)ら朝鮮人将校の同行の下に朝鮮へ派遣した。
朝鮮軍は後金軍に対して何の備えもしておらず、文禄・慶長の役による被害からも立ち直っていなかった。
後金軍は朝鮮領内に侵攻し、その途上で毛文龍(モ・ムリョン:武将)の軍も破ったが、毛文龍を捕らえることは出来なかった。
後金軍が漢城に到達すると、仁祖は江華島に逃亡した

こうした状況で、後金は朝鮮に和平交渉を申し入れた。
自国の防衛が手薄になることをホンタイジが気にかけていたのが要因と考えられている。
朝鮮側では、反後金派による抗戦論もあったが、結局この和議はすぐに受け入れられた。

以下の声明は、江華島で合意された内容である。
後金を兄、朝鮮を弟とする兄弟国としての盟約であること。
朝鮮は明の年号「天啓」を使わないこと。
朝鮮は朝鮮の王子の代わりに、王族の李玖(イグ)を人質として差し出すこと。
後金と朝鮮は、今後互いの領土を侵害しないこと

この交渉中、ホンタイジがアミンに和議の署名をするよう命じる前に、アミンの軍は平壌で数日間略奪を行っている。
この和議は後金にとって有利な内容であり、侵攻開始から4ヶ月で後金軍は瀋陽に撤退した。

(3) 清国との関係
江華島での和議の後
(1627年~1636年)


(# 1627年の)戦後の交渉は双方の国で進められた。
後金は明との長期の戦闘によって経済的に疲弊しており、朝鮮に対して国境付近の義州と会寧に市場を開くことを要求した。
朝鮮はワルカ部(瓦爾喀部)の野人女直を後金に返還した。

このように、後金は朝鮮に対して一方的に自国が有利になるような要求を押しつけたので、両者の関係は良いものにはならなかった。
丁卯胡乱(# 1627年)は、朝鮮にとって9年後の丙子胡乱(# 1636年)ほど壊滅的なものではなかったが、「文禄・慶長の役で支援をしてくれた明を無下にするような和議を後金と結んだことは裏切り行為である」という非難の声が、当時の儒学者や儒教派の政治家から挙がった。

こうした感情は、1636年にホンタイジ(#)が皇帝に即位したことを認めるように要求してきた際に噴出する。
この時、反後金派で占められていた朝鮮の政権はこの要求を断り、それによって同年の丙子胡乱を引き起こすことになる。

# ヌルハチは生前に後継者を定めなかったため、死後に紛糾したが、第8子のホンタイジ(皇太極)が後を継ぐことになった。

# 「夷狄(いてき:野蛮の地)」とは、いわゆる中国の天下を「中国」とし、他の地域は夷狄。

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歴史を訪ねて ②高野山(こうやさん)

上記のように、文禄・慶長の役で支援をしてくれた「明を無下にするような和議を後金と結んだことは裏切り行為である」という非難の声が、当時の儒学者や儒教派の政治家から挙がったとあります。
儒教界や儒学者が政治・外交にも口を出していたのですね。

ところで、次はAPBさんからの高野山の報告です。

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(以下、文および写真: by APB)

1599(慶長4)年。
慶長の役から帰国した島津義弘・忠恒(家久)父子が、
敵味方の双方の戦没者の菩提を葬うために建立した供養碑。

「高麗陣敵味方戦死者供養碑」
ウィキペディアでは、慶長の役は1597年(慶長2年)講和交渉決裂によって始まり、
1598年(慶長3年)の秀吉の死を受けて、日本軍の撤退をもって終結した。

とあるので、帰国してすぐに供養碑を作ったんでしょうね。
それも琉球石です。
この供養碑と、隣の英文の碑は石材が全く異なります。

次のサイトもご参照ください。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-248.html#comment-top

仏教にはいろいろな宗派がありますが、それらを全部包み込むおおらかさが高野山にはあります。
「民族宗教の違いににかかわらず、すべてを受け入れる寛容さが高野山が1200年継承してきた精神…」と開創1200年特設 サイトにあります。

高野山の年表
http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/history.html

韓国籍の事業家のとても立派な銅像まである、お墓もあります。

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# 琉球石とあるのは、サンゴ礁からできた石灰質の岩(写真:左)のようです。


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青洲の里

APBさん みなさん こんにちは

今度のコメントは華佗、
そして華岡青洲(世界で初めて全身麻酔手術)ですね。
引き続き華岡青洲のレポートも期待しちゃおうと思います。

やはり紀伊の国は仏教や東洋医学など奥が深いですね。

来年になるかと思いますが、平城京(710年遷都)、
平安京(794年遷都)を訪ねる旅を考えてみたくなりました。
半島だけでなく、奈良、京都も再考してみたいです。

ユーモン

高野山と青洲の里

みなさん、こんばんは。

ユーモンさん、
素敵な記事に仕上げていただいてありがとうございます。

これまでに、何度となく歩いた奥の院参道。
ずっと中の橋から歩いていましたが、
今回初めて一の橋から歩いてみました。
そして見つけた上記の供養碑。
ふとした思い付きから始まった偶然の発見。
驚きました。

naoさん、
このタイミング、すごいよね。


懐かしいドラマ「信義」。
チェ・ヨンがウンスを神医と勘違いし、
現代から高麗へ連れ帰ったのが始まりでした。
神医とは華佗。
華岡青洲(世界で初めて全身麻酔で乳癌手術)は
華佗の存在を知り日本の華佗になろうと決心したそう。
高野山のふもと、紀の川の中流域に
青洲の自宅兼病院・医学校「春林軒」や資料などを展示する
「青洲の里」があります。

二つの韓国ドラマとのつながりを紀州で発見できるなんて
なんだかとっても嬉しいです。

APB

歴史の旅

旅先ではガイドブックにはないような(時には自分だけの)新発見に鳥肌が立つことがあります。
今回はAPBさんの報告を転載させて頂きながら、島津公の心に触れた気がして感動しました。
私もまた旅行に出たくなりました(貯金しなくちゃ)。

日常生活にも発見はあるのですが、歴史を知って歴史を訪問するという興味と、未知なるものの新発見への期待が膨らみます。

APBさん、naoさん、いつもありがとうございます。

高野山

オッパ APBさん 皆様 アンニョンハセヨ

高野山、まだ訪れたことがありません。
沢山の武将のお墓があることは知っていましたが、まさか、高麗人の為の供養碑まであったとは!

現世で悪人であっても、亡くなると(あの世に行った人は)みんな良い人になる?
それって、仏教的思考なのでしょうか?

なんとなく、日本人ってそう思っている人がすくなくないのでしょうかね?
亡くなった人の悪口はあまり聞かないですよね。

その点、他の国では、悪人は墓を暴いても、恨みを晴らす
のような考え方もあるように思います。

また、話が反れました。

戦と宗教、現代においても頭を抱える問題です。

それでも、島津公のように、敵味方も土に換えれば皆同じ「人」であった。
その敵であった人にも愛する人がいたのでしょうからね。
そんなことを感じました。

APBさん
偶然とはいえ、オッパのブログを読んでいるこの時に、このような素敵な供養碑を見つけてくださって!
ありがとうございます。

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ユーモン

Author:ユーモン
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