大陸と半島と島

アルムダン ウリナラ チョソン(美しい 我らが国 朝鮮)

第15代王・光海君が残したこの言葉が胸に染みます。
このところは済州島の旅(光海の流刑の地、ハルラ山、民族自然史博物館および三姓穴の4ポイント)から、写真・動画をアップしています。

三姓穴とは、済州島に最初に王国を創ったとされる伝説の3聖人の生誕の場所です。
samseon gyyeol

<王朝絵巻 シーズン3>

大陸と半島と島①

このドラマでの「江戸の町」はセットだったのでしょうが、日本の江戸村での撮影なのか、あるいは韓国にあるセットなのでしょうか?

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その江戸時代をウィキペディアで見ると、以下です。

江戸時代の期間は主流の学説では、慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから慶応4年/明治元年4月11日(1868年5月3日)に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指します。

始期については、豊臣秀吉が薨じた1598年(慶長3年)や関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した1600年10月21日(慶長5年9月15日)や豊臣氏滅亡の1615年(元和元年)を始まりとする見方もあります。

終期については、ペリー来航の1853年(嘉永6年)や桜田門外の変があった1860年(万延元年)や徳川慶喜が大政奉還を明治天皇に上奏した1867年11月9日(慶応3年10月14日)とする見方や、王政復古の大号令によって明治政府樹立を宣言した1868年1月3日(慶応3年12月9日)や廃藩置県が断行された1871年(明治4年)とする見方も存在します。

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さてこの時の大陸と半島と島の時代を見ると、
日本では室町時代。
大陸では“明(1368年から)”の時代。
そして、半島は“朝鮮王朝(1392年から)”です。

私たちが一緒にKJSでフォローした『信義(シンイ)』の半島が高麗のころは、平安時代から鎌倉時代。
そして大陸では、南には「南宋」と北部には「金」、そして大陸を統一する「元」が覇権を争っていました。

大陸と半島と島②

第15代王・光海君たちは日本の江戸幕府との間で良好な外交関係を結びます。
ただし、北方の国境地帯では、「明国」の敵対勢力として「後金(1616年から)」が興り、その20年後には初代皇帝のヌルハチの力で明が滅びます。
1636年からの大陸は「清国」に名称変更されます。

ドラマ『華政』のころから一貫して、“大陸は野蛮人に制圧された”との思想が王朝末期まで続きますが、さてさて、大陸の人々の発想は大きいです。
いつものようにウィキペディアでの“中華思想”。

清の中華思想

「夷」である満洲人が作り上げ、中華圏を支配した清では漢人の王朝とはやや異なっていた。
儒教も仏教もイスラムも単独で絶対視せず、支配地域それぞれの世界観に基づく王権像と秩序論を踏まえ、共通する価値を拾い上げながら、しかも個別の世界観とは一定程度の距離を置いて統治していた。
雍正帝は「大義覚迷録」で古代の聖王である舜や、周の文王の出自が「夷」であったことを例に挙げて出自では無く徳の有無が重要とし、中華支配を正当化した。
政策としても辮髪などの胡俗の強制や反清勢力の鎮圧と並行して科挙の存続やかつて反清運動の中心となった者たちを明史の編纂をさせるなど、中華の文化の尊重して漢人知識人に対し名誉と利権に与る道を開く懐柔政策を行い清朝への夷狄視を減らしていた。
ただし漢人の科挙官僚が政治を担えたのは旧明領だけである。
また北方から来たロシアとは対等なネルチンスク条約を締結しているが、乾隆帝の時代に中華として南方経由で来たイギリスとの対等外交を拒絶した。
逆に日清戦争で敗れた後、中華思想は後退する。
魯迅は中華思想に染まって現実を見ようとしない人々を痛烈に批判し、「狂人日記」「阿Q正伝」などを記して中華思想からの覚醒を呼びかけた。

大陸と半島と島③

中華民国

章炳麟、孫文、梁啓超らは中華民族のナショナリズムを原動力として清朝を倒し、1912年に中華民国を建国し、「中華」を正式な国名に使用した。
この国号の提議は孫文によるものであり、中国同盟会の誓詞「恢復中華」があげられている。
しかし日本の駐清大使伊集院彦吉は、立憲君主制国家の成立を目指していたため共和政体に不満を持っており、日本国内において「中華民国」の国号を用いず、欧米の「China」の用法にしたがって「支那共和国」と呼称するように具申した。
この意見は閣議決定によって承認され、日本側は外交文書に「支那共和国」の国号を用い、中華民国政府側はこれに反発するという動きが続いていた。
日本の知識人には「中華」がかつての中華思想に基づくものであると見て、強い反発を持つ者も少なくなかった。
1930年に中華民国側の要請が盛り上がった際にも、那賀王霞は伊集院の意図が「中華民国と呼べば世界の中心の国として認めることとなり、日本をその付属国としてしまう」ものであったからだと分析している。
このため日本国内において中華民国という国号を呼ぶ動きには反対も多く見られた。
しかし幣原喜重郎外相は中国国民の感情などにも配慮し、外交文書上での正式国号は中華民国と呼ぶ方針を決定した。
この決定は幣原の軟弱外交の証拠であるとして、批判の対象となった。

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鼻煙壷(びえんこ) 清時代

鼻煙壺とは、中国の嗅ぎたばこ入れ、もしくは香水瓶のことです。
清朝の康熙帝は、紫禁城の中に工房を作らせ、その後1世紀にわたって素敵なメノウやガラスなどの小瓶が作られたらしいです。
9月16日の“クリスティーズ(NY)”のオークションに出展された鼻煙壷です。
さてお値段はいくらだったのでしょうか?

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左が8,125ドル、右が5,625ドルでした。
先月の予想推定価格の数倍の落札価格です。

ところで今夜は中秋の名月(満月)、明日は地球に最も月が近づくスーパームーンだとのこと。
太陽と地球と、お月様が一直線に並ぶ今夜と明日の夜。
夜空が晴れてくれることだけは祈るしかありません。

昨日は月餅・村雨をアップしましたが、今夜は“むらしぐれ”です。
泉州の老舗の“むか新”から届きました。

お酒でもワインでもない、これこそ煎茶や抹茶が欲しくなる、何とも上品な味でした。
そんな贅沢なワビとサビを感じる味です。
茶をたしなんだ光海にも、信長、秀吉にも分けてあげたいです。

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(左が小豆、右が白小豆です: presented by APB)

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