『華政』 三田渡(サンチョンド)の屈辱


『華政』をリアルタイムで視聴しておられる方々、また、KJSにご訪問の方々のために、第16代王・仁祖(インジョ:綾陽君・ヌンヤングン)のこれまでとこれからの歴史を書いておきます。

まずは、イノライフ(エンタメ)ニュースから
いつも楽しみにしているKstyleとInnolifeのニュースですが、ただし、私はこの記事はあまり好きではありません。

朝鮮の王、仁祖(インジョ/キム・ジェウォン)が、清の皇帝の前にひれ伏した

血の涙を呑んだ彼の三拜九叩頭の礼で、視聴者の心が痛んだ
1日に放送されたMBCの月火ドラマ『華政』第42話では、丙子胡乱で朝鮮が勝機をつかむために昭顕世子(ペク・ソンヒョン)と鳳林大君(イ・ミンホ)が、仁祖(キム・ジェウォン)の許可を得て貞明(イ・ヨニ)、ジュウォン(ソ・ガンジュン)、イヌ(ハン・ジュワン)らと力を合わせ、清と最後の決戦を起こす迫真感あふれる展開が続いた。

しかし最後の決戦でさえ敗北、朝鮮は結局清に降伏して涙の海となった。
ついに仁祖は、清の皇帝の前でひざまづき、三拜九叩頭の礼をした。
朝鮮王、仁祖は額を地面に叩きつけて血を流し、その恥辱で眼差しは怒りに満ちていた。

2日、視聴率調査会社のニールセンコリアの集計結果、ドラマ『華政』は視聴率8.9%で同時間帯2位にとどまった。

nunyan1.jpg

なぜ以上の記事が好きではないかという理由は2点です。

(1)本来のキム・イヨン作家の目線は国民・庶民の目線であって、あまりにもヌンヤングン(仁祖)には、国の統治能力と外交能力が欠如していたことを描いています。
ドラマのストーリー(王室と宮廷)だけをフォローしている人には、当時の庶民の心は見えないかと思います。
なので、“視聴者の心が痛んだ”とありますが、視聴者(庶民)の目線からは、私は当然の成り行きだと思いました。
戦争は外交を担う政府の最大の失敗だからです。
国民を守りきれなかった王室・官僚・武官の罪は小さくはないと思います。

(2)“恥辱で眼差しは怒り”とあります。
しかし、王と為政者は、まずは犠牲になった庶民に謝るべきだったと思います。
たとえ国民が認めて選んだ政府であっても、首相や王(リーダーたち)としては怒りの向かう先は間違っていると思います。
反省と共に、清国との国際関係について王室は、真心から国民の為の対話をしないと、今後の朝鮮王朝の発展には繋がらないと思ったからです。

1.仁祖のこれまでと今後

今KJSでお伝えしている明国&朝鮮王朝の連合軍と、北方の後金との大きな戦いが「サルフの戦い」です。
1619年のことでした。
それから4年後、光海君を島流しにした仁祖反正(インジョバンジョン:クーデター)は1623年でした。
しかし、その後も不安定な内政・外交が続きます。

1624年 李适(イ・グァル)の乱
イ・グァルは前年のクーデターでの主要な部将でしたが、褒賞に不満だったために内乱を起こしました。
ドラマ第38話では捕盗長官として登場。
仁祖は漢陽の都を捨てて回避したために国民の反感を招きます。

1627年 「丁卯胡乱(チョンミョホラン)」
後金軍3万兵が侵攻。
江華島に回避した仁祖は和睦に持ち込みますが、“明への派兵を行わない”と、後金と明との戦争を邪魔しないよう盟約を結ばされます。
ドラマでは割愛されており、第39話から1635年頃に飛びます。

1636年 「丙子胡乱(ピョンジャホラン)」
後金は“清と国名を改め”、12万の大軍で侵攻。
原因は、
仁祖が1627年の盟約を守っていないとして、“明との関係を断ち切り”、“冊封国として朝貢、派兵すること”が清の使者から伝えられ、これを仁祖が怒り、外交使者を殺害したこと。
ドラマ第40話では使者として来た清のヨンゴルテ将軍を侮辱し、追い返したからです。

2.ホンタイジが率いる清国の大軍

1636年の「丙子胡乱」では王室を江華島に回避させて、仁祖はみずから篭城作戦を決断。

篭城した南漢山城(ナムハンサンソン)はソウルから東南方向へ24km、京畿道の広州(クァンジュ)市にある山城。
海抜約500mのいくつかの山の陵線をつなぎ、城の長さは全長11.7km(本城9km、外城2.7km)、城の面積は約60万平方m(山手線の内側の約60%)。
namu2.jpg

namuhansanson.jpg
(韓国観光公社の公式サイトより)

戦い敗れて全面降伏した朝鮮王朝。
第2代皇帝・ホンタイジが仁祖に命じたのは、“三拜九叩頭の礼”でした。
その場所は漢江の川沿いの地名・三田渡から「三田渡(サンチョンド)の屈辱」と称され、朝鮮王朝の歴代王の中でも最も屈辱を余儀なくされました。
年は変わって1637年の1月のことでした

nunyan 2

4.世子と大君の今後

ドラマ第42話のおわりは8年後の1645年に飛びます。
ソヒョン世子(長男)とポンリム大君(次男)が清国での人質を解放されて帰国します。
(仁祖が亡くなるのは4年後の1649年)

王位を継承するのは世子ではなくて、次男のポンリムで1649年です

・その経緯が知りたいです。
・また、その裏にいたキム・ジャジョムと貴人・チョ氏(ヨジョン)の裏工作が知りたいです。
(このジャジョムとチョ氏は1651年にポンリムにより処罰されます)

まだ調べが終わっていないので、触りだけです

終わりに触れた貴人・趙(チョ)氏(ヨジョン)は、仁祖との間に長女、長男を授かりますが、問題は後継者への野望です。
彼女の最初の標的は、8年を経て帰国したソヒョン世子となります。
それだけでなく、彼の妻のピングン姜(カン)氏にも向かいます。
そして、その後の(史実に残る)「毒アワビ」事件までの経緯を調べているところです。

にほんブログ村テレビブログ韓国ドラマへ
1週間のランキング@「にほんブログ村」

昨夜、一緒に視聴している韓国人の友人たちに以上のドラマのことと次のテレビ番組を話題にしました。

(私の説明の概要)
「先日の16時半頃、あまり視聴率は高くない時間帯だと思いますが、テレビで日中学生協議会の2週間の合宿の模様が放送されていました。
夏休みの8月の時期に日・中で交互に開催する協議会(学生団体が主催)のようで、今年は日本のヒロシマでの合宿でした。
現在、中・韓・日の感情が良くないと言われる中ですので、学生たちもあまり差し障りがない話題が多かったのですが、合宿の後半になって日本の学生が“ヒロシマへの原爆投下をどう思いますか?”との質問がありました。
質問もシビアでしょうが、しばしの時間を置いての中国の学生の返答は、“日本にも責任があります。そもそもが侵略戦争(#)”だったからです」

仲間の韓国人が言いました。
「ケンカを売って負けたんだから、謝るのは当然だわ」
「戦争は政府の間違いだと思う。政府は間違いを正すべきだ」
「国民が謝る必要はないけど、少なくとも国民は責任を認めるべきだ

# 敗戦後に日本が受諾した「ポツダム宣言」には、その前の“カイロ宣言(三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為”など)が引用されています(ウィキペデイなどより)。
中国も韓国も若い人たちはこのように教育を受けています。

“ケンカしてもすぐに仲直りする”…これは子供の夢なのでしょうか?

もみじ
(2015.09.05 15:00撮影;モミジの木)

1636年という年号が頭に残っていたせいか、昨日、東京駅・シャングリラホテルの裏を歩いていると次の標識があり、同年に築かれた江戸城の外堀の石垣に出会いました。
1636年

にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ
1週間のランキング@にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ユーモン

Author:ユーモン
ドラマは たくさんのことを 教えてくれます

最新記事
最新コメント
王朝用語・脚本家など
ドラマと映画・感想など

openclose