壬辰の乱と磁器の話 その1

壬辰倭乱(イムジンウェラン)と磁器の話 <王朝絵巻 シーズン3>

<王朝絵巻 シーズン3>
磁器の話(歴史)①


豊臣秀吉の時代から江戸幕府に変わり、(原則は鎖国ですが)朝鮮王朝などとは、対馬(鍋島藩)を通じた貿易を行うという国交を始めたことを前回までに紹介しました。

今回は磁器の話として、最初は歴史から。
まずはウィキペディアで拾ってみます。

日本では、豊臣秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役によって、朝鮮半島から連れて来た陶工・李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前有田で磁石(じせき、磁器の原料)を発見したことから製作が始まったと言われている。
窯跡の発掘調査の結果からは、1610年代に有田西部の諸窯で磁器(初期伊万里)の製造が始まったというのが通説となっている。

もともと景徳鎮(中国の大産地)でも青磁を作っていたが、用いていた近傍の高嶺(カオリン)という山の白土は、超高温で焼かなければ固まらない難物だった。
そこで出来た青白磁はすでに磁質(ガラス)化していたが、「影青(インチン)」といって青みが薄く、氷のような硬く冷たい色をしていた。
明の人々は、これは地の白土がガラスのように透き通るので純白にならないためだと考え、他の陶石を混ぜるなどして改良したらしい。
こうしてできた白地が圧倒的に美しかったために、いつしか唯一無二の絵付けの生地として中国を席巻していった。

ちょっとコメントを加えます。
①半島から多くの陶工が連れてこられたために、王朝では一時陶磁器製造が低迷したようです。
②また、現在有田では原石が枯渇し始めており、原石は主に天草(熊本)から運ばれています。

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(天草)

磁器の話(歴史)②

引き続きウィキペディアで拾います。

西洋の磁器も、初めはこの景徳鎮や伊万里焼を粉砕・溶解するなど長年にわたる詳細な科学調査を繰り返してようやく確立された。

積み出し港の名から伊万里焼と呼ばれた肥前磁器は、江戸時代後期まで隆盛を極め、また中国風の赤絵などのデザインだけでなく、日本独自の酒井田柿右衛門による濁手、金襴手、錦染付などが生まれ、明末清初の混乱で磁器生産が滞った中国に代わってヨーロッパにも輸出され、高い評価を得た。
また鍋島藩では藩窯として生産を行ない、美しく緻密な作品が作られた。
江戸時代後半には磁器焼成は九谷、砥部など各地に広まり、明治頃には瀬戸で大量に生産されるようになり、庶民にも磁器は広まっていった。

コメントを加えます。
鍋島藩と加賀・前田藩とは縁戚関係にあり、有田焼と九谷焼にはよく似たデザインが伝播されました。

なお、純白の“白磁”は明のころとのことですが、歴史の考証は難しいようです。
次の写真は明の時代よりももっと古いとの知人の話でした。

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(知人所有の白磁の茶器・杯)

磁器の話(原料)③

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# 要は長石を粉砕してパウダー状にしたものが原料で、これに水分を加えて粘土状にするようです。




焼結して多結晶となる粘土質物、除粘剤となり可塑性を向上させ、かつフラックス(融剤)として融点を下げる石英(SiO2)、ガラス相を形成し強度を向上させ、石英と同種の効果も示す長石の3種類が主原料である。
粘土質物はSiO2(45 - 70%)、Al2O3(10 - 38%)とFe2O3(1 - 25%)、長石は正長石(K2O・Al2O3・6SiO2)とソーダ長石(Na2O・Al2O3・6SiO2)から構成される。
粘土質物にはカオリンが使用され、この他、軟質磁器には石灰、ボーンチャイナには骨灰(リン酸カルシウム)が添加される。
硬質磁器はカオリンが70%以上であり、軟質磁器は長石と石灰が約60%を占め、ボーンチャイナは骨灰が時に半分以上となるなど、磁器の種類によって組成は大きく異なる。

原料処理では、まず透水性向上のために長石・石英を細かく粉砕する。
続いて不純物を水篩などで除去した後に原料を全て混合し、荒練りと菊練りと呼ばれる作業で練り上げる。
これにより土中の水分を均一にして乾燥による歪みを防止するとともに、空気を抜くことで成形性を向上させる効果がある。
練った土はしばらく放置し、水を細部まで浸透させると同時に、繁殖したバクテリアの排泄物により可塑性を向上させる。

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<王朝絵巻 シーズン3>

ドラマ『華政』でも、光海君を慕う北方の義勇兵たちが再度集結しました。
逃げ出した王と違って、しんがりを守備した世子・光海君の人気が高かったことを表現したシーンでした。
もう一つの逸話は海軍を率いて戦況を好転させた将軍に刺激された、愛国の義勇兵たちの話です。

“紅衣将軍”郭再祐①


壬辰倭乱(日本では文禄・慶長の役)の戦局を転じたのは、李舜臣(イ・スンシン)将軍が率いる海軍であった話は<王朝絵巻 シーズン1>で紹介しています。
その李舜臣の活躍を聞いて各地で義勇兵たちが立ち上がります。
彼らは土地を知っている有利さを生かし、ゲリラ戦に持ち込んで豊臣秀吉軍をかく乱しました。
ドラマでも、壬辰倭乱の際に共に戦い、光海君を尊敬していた義勇兵が登場しました。

義勇兵たちの軍団のリーダーの中でも特に有名なのが郭再祐(クァク・ジェウ)。
彼はもとより武官ではなく、33歳で科挙の文官試験に合格したものの、答案内容の一部が王の怒りに触れ、合格を取り消されたという過去を持ちます。
官僚の道を諦めた郭再祐は、地方に帰ってのどかに生活していたのですが、壬辰倭乱での朝鮮王朝軍の苦戦に歯がゆい思いだったに違いありません。
義勇兵を募り立ち上がります。

(来週につづく)

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