華政 第25話(中) 生きて帰還する

アンコールワットの中③
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(photo by nao at Angkor Wat)

華政 第25話(中) 生きて帰還することが王命

チャギョンが来て、
「ファイや。ここは俺に任せろ。
 校理ナウリが話をしたいようだ」
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ジュウォンとチョンミョン

「え? どういうことですか?」

「これは王命です」と、

ジュウォンにも王命が出ていました。
光海が将軍には“生きて帰る為には撤退すること”と共に、
ジュウォンには、
“戦闘に時間を要する場合は、火器都監の技師たちを先に撤退させる”という王命でした。
朝鮮王国の将来のためには海光は国防の要となる火器都監を失うわけにはいかないという戦略と共に、王国のプリンセスには生きて帰ってからもやるべきことがあるという考えです。
これをジュウォンはチョンミョンに伝え、
「火器都監の技師たちを守るのが媽媽の義務です。
 これが王命です。
 媽媽には生きて帰国して果たす仕事もあります」

「私の“仕事”?」

「ええ。これからどうなるかは分かりませんが、
 勝ってそして、
 兵士と技師たちを守ることが私の先決の仕事です。
 私には、
 これからの王女としての媽媽の仕事のことは分かりませんが、
 それがチョナと王国のためです」

「ナウリ…」

「媽媽。生きて帰還すると約束して下さい。
 これがチョナの兵士を守るという最終目的でもあり、
 私には公主を守るという王命を果たすことができます」
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他方ではクーデター計画が進みます

カン・ジュソンが決心して、
「あのような王を作るのも、一度は良いだろう」
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配下には、

同船共済(共に川を渡るの意)の4文字をヌンヤンに届けさせます。

「このヌンヤングンがあの宮殿の主になるのだ…」
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その時の光海はとある墓参り

それは漢陰(ハヌン)イ・ドクヒョンの墓でした。
「ハヌン…、そなたが言ったとおりのことになったな…」

…どうか引き返せない道に入らないで下さい。

「いいや、どんなことをしても、最後には勝つ。
 どんな不正義であってもだ」

…では、私はチョナの味方はできません。

「そうだ。
 そなたを失ってからは、私は常に準備を怠らなかったが…」
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キム尚宮が送り込んだ女官のヨジョンは書庫で探し物をしています。

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カン・ジュソンは西人派の重臣たちを呼んで、“謀反”の計画を伝えます。

「謀反ではないですか?」

「いいや“革命”だ。
 すでに今の王は明国からも国民からも支持は得られていない」と。
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ヌンヤングンは大妃を訪ね計画を伝えます。

「永昌(ヨンチャン)君の恨みを晴らすのが望みではないですか?
 公主は逃げ延びたとしても、
 それまでの恨みは許せないでしょう」

「確かに許すことはできないが…」

「どうか私を信じてください。
 あなたの息子になります。同じ血を引く息子です」
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光海

「ハヌンや…。私は簡単には潰れはしない。
 たとえ不正義であっても、たとえ悪いやつらと手を組んでも、
 私が王である限り、
 この朝鮮はこれまでとは違った国にする。
 たとえ果たせなくとも、いつかは理解してくれるだろう」
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キム尚宮は女官に、今回の作戦に関しての光海から総司令官宛の命令書を探し出させたようです。
「いったいチョナは何を…?」
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光海は世子とイ・イチョムを呼んで、
「この国にも戦火が起きる。その準備をするのだ」

身の安全を守るように準備を指示します。

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火器都監では無事を祈る、食堂係りのオクジュとウンソル

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そして翌朝の前線

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「磁器」の話をを突然始めたように思われると思いますが、先があります。
「グローバリゼーション」の現代にあって、技術交流も盛んですよね。
実はドラマ当時の東洋の磁器は世界最先端を進んでいたからなのです。

<王朝絵巻 シーズン3>
磁器の話(歴史)②

引き続きウィキペディアで拾います。

西洋の磁器も、初めはこの景徳鎮や伊万里焼を粉砕・溶解するなど長年にわたる詳細な科学調査を繰り返してようやく確立された。

積み出し港の名から伊万里焼と呼ばれた肥前磁器は、江戸時代後期まで隆盛を極め、また中国風の赤絵などのデザインだけでなく、日本独自の酒井田柿右衛門による濁手、金襴手、錦染付などが生まれ、明末清初の混乱で磁器生産が滞った中国に代わってヨーロッパにも輸出され、高い評価を得た。
また鍋島藩では藩窯として生産を行ない、美しく緻密な作品が作られた。
江戸時代後半には磁器焼成は九谷、砥部など各地に広まり、明治頃には瀬戸で大量に生産されるようになり、庶民にも磁器は広まっていった。

コメントを加えます。
鍋島藩と加賀・前田藩とは縁戚関係にあり、有田焼と九谷焼にはよく似たデザインが伝播されました。

なお、昨日のウィキペディアの引用からは、純白の“白磁”は明のころとのことですが、歴史の考証は難しいようです。
次の写真は明の時代よりももっと古いとの知人の話でした。

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(知人所有の白磁の茶器・杯)

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