華政 第23話(上) 扇動される民衆
アンコールワットの朝

(photo by nao at Angkor Wat②)
華政 第23話(上) 扇動される民衆

ヌンヤン(綾陽)君の前に出てきた光海君
「ヌンヤン君! 久しぶりだ」
「そうです、チョナ。
罪もない弟が亡くなってからです」
「何だと? “罪もない”と言うのか?
私をここに引き出してみたとして、
何の得があるのか?」

漢陽の町は“明が戦争を仕掛けてくる”との噂で持ちきりです。

庶民たちの動揺にチョンミョンもジュウォンも心配。

ヌンヤン君を呼んで、
「この正殿に来るのは初めてなのか?」
「ええ。子供の頃から私宅で育ちました。
それにしても昌徳宮は素晴らしいですね」
「ではここを見物するのも良い。
そのために今日は来たのか?」
「どういう意味ですか?」
正殿に呼ばれたヌンヤン君は、愛国心があるのは自分だけではない。
国民を守るために、陛下の間違いを正す為に来ていると主張しています。
「そなたが“この国の国民”という言葉を使うのか?」
「…」
「いや。そなたは
“自分の民”だと思っているのではないか?」
「チョナ…」
「ヌンチャン君(ヌンヤンの弟)の死罪には、
不正義はなかったことも知っているはずだ。
それなのに公然とその死を利用している」
「私を軽んずるのですか?」
「ヌンヤン君。
私が何も知らないとでも思っているのか?
今も、過去も、
なぜ私がそなたを軽んじてきたのか?」
「…」
「そなたには何もないからだ。
もとよりそなたは、
王の器ではないことを誰もが知っている」
「何を言い出すのですか?」

カン・ジュソンは、
「犬が門の前で吠えた後は私の番だ。
ヌンヤン君にはたいしたお金もないはずだ。
金の力を見せ付けてやれ」
と配下に指示します。

ヌンヤン君とその父親の過去
ヌンヤン君は「新しい王を立てる時が来た」と父親に言うのですが、周囲は相手にしませんでした。
自分自身が王座に就こうとしていた当時、他の官僚たちが、弟のヌンチャン君を支持していたシーンが出ます。
「そなたはこの時勢が分かっていないようだ。
イェへの8000の兵が
後金に合流しようとしているのだ。
こんな時勢の中で、
そなたはことさら民の心を騒がせている。
何をしているのか分かっているのか?!」

恨みに思うヌンヤン君
「何もない。
私は無用だと思うのですか?!
私が…」

城下では戦争に備えて買占めに急ぐ庶民たち。
チョンミョンが割って入って、“王はまだ緊急事態とは思ってはいない”ということを強調しますが、“どうせ官僚たちは先に逃げ出すだけだ”と庶民は“先王・宣祖”を引き合いに出します。
「チョナ…」

光海、ホン・ヨンそれにジュウォン
光海は情勢を完全に把握したようで、
「今の明国には後金を倒す勢いにない。
そんな戦争に朝鮮から出兵させるのは無意味だ。
その前に敦光(ホンファ)門(正門)を開いて、
国民たちに実情を知らせたい」

ほくそ笑んでいるのはカン・ジュソン

蘭の葉の手入れをしています。
そこにイ・イチョム
「大監。
もしかしてヌンヤングンの背後に…?」

知らぬ振りのジュソンですが、ばら撒いたお金で多くの両班と庶民がヌンヤンの家に集結。
“明国への出兵は見せ掛けだ”と、光海君は明を裏切り、実は裏で“蛮人”の後金に加担したとの名文を掲げて、ヌンヤンは行動を開始します。

# いよいよ1623年…。
綾陽(ヌンヤン)君によるクーデター計画が始まります。
ドラマですので、陰の首謀者はカン・ジュソン。
ヌンヤンを利用して半島を手に入れるのが彼の野望。
背後には“明国”がついています。
ただし、この“明国”は風前の灯です。
“後金”から→“清国”へと大陸は政権+歴史が変わっている途上です。
光海君とホン・ジュウォン以外には知る人は少ない…。
イヌが町の中の異変を見ながら、“反対運動”の大きさに驚きます。

光海にも、明への出兵を求める庶民たちの反政府運動が伝えられます。
こうして光海は“派兵”をやむなくされます。
# 何とも訳しがたい言葉がたくさん出てきますが、
今では反政府のソウル市庁舎前の“ロウソク集会”。
当時の言葉では、いわゆる“聖火リレー”。
このような反政府運動で、“出兵”こそが国を救うと…。
聖火は国境地帯の義州(ウィジュ)に向かいます。

ランキング@「にほんブログ村」
<王朝絵巻 シーズン3>
「冊封制度とは?」②
ドラマ『華政』の頃の日本の江戸時代(1603年から)の人口はせいぜい2千万人台(江戸末期は3千万人台)。
韓国半島では多くて5百万人程度(王朝末期は2千万人弱)です。
他方の大陸では、「清国」になると人口が数千万人から2億人にまで達しようとする頃です(清の末期は4億人程度)。
まだ小国の朝鮮王朝や江戸幕府ですから、大陸の人口=軍事力に対抗するには、欧州の“産業革命(18世紀末)”による近代化を導入するしか道はなかったようです。
何も知らない韓国半島が引き続き「明」からも、その後の「清」からも冊封制度を受入れて、いわば属国扱いにされることも止むを得なかったと思います。
そんな時ですが、光海君の“大きな夢”は冊封制度から脱出し、真の独立を獲得する為にはまずは軍事力を強化する。
そうした政策は当時は実に先進主義で正しかったと思います。
大陸ではヌルハチにより「後金」(1616年~)が建国されます。

1週間のランキング@にほんブログ村
スポンサーサイト