廃妃(ぺビ) <王朝絵巻 シーズン2>

廃妃(ぺビ) <王朝絵巻 シーズン2>

廃妃 1.

宮廷では、恭嬪(コンビン)媽媽(ママ)(宣祖の側室)、仁穆(インモク)王后(ファンフ)媽媽(宣祖の2番目の正室)、そして、インモクの長女を公主(コンジュ)媽媽のように、第3者からはファーストネームではなくて、尊称+媽媽で呼ばれています。
また、王室では子供たちは父親の王を“アバママ”、王妃を“オマママ”と呼んでいます。

さらに、王は正室のことを“中殿(チュンジョン)”と呼び捨てですが、第3者は中殿媽媽と呼びます。
この中殿は、たとえば景福宮(キョンボックン)では、王の執務室の北に王の寝殿、その奥に王妃の寝殿、もっと北側が“後宮”で側室や女官たちの寝所です。
王妃の寝殿は王の寝殿と後宮の真ん中(中殿)に位置したからだと思います。

『華政』では、インモクが宣祖の2番目の正室となった時(1602年)は18歳。すでに光海君に嫁いでいた柳氏は26歳でした。
つまり義母で継母のインモクの方が、夫人・柳氏よりも8歳年下だったわけです。

この二人の女性は仲が良くなかったと伝えられるのは、こんな年齢の逆転もあったのではないかと想像しています。
ただし、光海君が即位した後は柳氏が中殿となるので、義母の仁穆(インモク)は大妃(テビ)となり、ドラマのように弟のユ・ヒボンがどんどん昇格し、また、柳氏一族が私腹を肥やしたようです。

光海君への挨拶の列は短い
(『華政』 第1話より)

気にする妻の柳(ユ)氏と、夫人の手を静かに握る光海君
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廃妃 2.

光海君の流刑の際、正室だった柳氏と世子夫婦のことはドラマにはなりません。
光海君は最初、現在の仁川(インチョン)の近くの江華島(カンファド)に流刑となります。
同時に廃妃・柳氏も世子夫婦と一緒に江華島に流されるのですが、その際に、柳氏は光海に船上で「恥をさらすくらいなら」と、一緒に死のうと迫ったそうです。
しかし、光海はドラマにあるように「まだ自分は終わったわけではない」なので、生きることを選びます。
ただし、世子夫婦が逃亡をはかり、これが発覚。
結局自決して息絶えたことを知り、柳氏も自殺しました(病気の説もあり)。
その後だと思いますが、光海君は最終的に済州島へと流され、66歳まで生きます。

なお、廃妃になった王后は7人
・第6代王・端宗(タンジョン)の定順(チョンスン)王后
・第9代王・成宗(ソンジョン)の尹(ユン)氏
・第10代王・燕山(ヨンサングン)の慎(シン)氏
・第11代王・中宗(チュンジョン)の端敬(タンギョン)王后
・第15代王・光海君(クァンへグン)の柳(ユ)氏
そして、『チャン・オクチョン』では仁顕(イニョン)王后が廃位・復位となり、そのために張禧嬪(チャンヒビン)は正室から側室に格下げになりました。

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当時の女性たちの幸せとは?
こんな質問を知人の韓国人に聞くと、
「夫との恋愛時代が終わり、静かな愛の生活、あるいは離婚したとしても子供を育てることは目標でもあり、生きがいでもあるから、当時も同じではないか?」とのこと。
どうもこれは日本の女性でも同じだと思います。

そう思えば、たとえばキム・ゲシ(キム尚宮)のように、若い頃から光海君に女官として仕えていると、光海を“王座に就けて、また王座を守ってやる”ことが生きがいでもあったのかもしれません。
さらには私腹も肥やし権限も大きくなった…か、自分の欲望とマッチしていたのかもしれません。

イ・イチョムとキム・ゲシに引き続くように、仁祖(ヌンヤングン)の側近としてキム・ジャジョムとヨジョン(先々は側室:貴人:従一品)が暗躍するのが『華政』の第31話以降です。

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