これまでの『華政』~王朝絵巻シーズン2

<王朝絵巻 シーズン2>

518年もの朝鮮王朝の歴史は、正史「朝鮮王朝実録」に記されているのですが、内容はほとんどが王様の生活。
何年何月の何日に王様が何をしたかが書かれているのですが、第15代王・光海君の記録の中では2週間が空白となっています。
ここの2週間のことを映画にしたのが映画『王になった男(韓国原題:「光海」)』です。
これが何年何月の何日なのかは歴史研究家にお任せすることにしたいのですが、映画では税制の改革を行い(内政)、また外交では明国に派兵する以前なので、1608年から1618年の10年間の中のワンシーンであることは容易に推測できます。

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光海君(クァンへグン)の統治は1608年から1623年の15年間で、私はその功績のほうがその犯した罪よりもはるかに大きいと、ひとくくりにしていました。
それは康 煕奉(カンヒボン)氏の『朝鮮王朝の歴史と人物』『ここまで知りたい・朝鮮王朝』やウィキペディアなどで、
“歴史研究が進むなかで、現在では光海君のことが見直されている”との記述があるからです。

何をもって歴史を見直すのか?
それは見る方々の評価で違うとは思いますが、先に視聴したドラマ『チャン・オクチョン』での第19代王・粛宗(スクチョン)と同様に、国民のための改革に尽力すること、また、国民の生命を何よりも優先することだと思います。
そのためには儒教一点張りの保守的な当時の官僚・派閥との内紛は避けられません。
みんなが保守的な制度の呪縛によって自縛していた時代だからどうしようもないのですが、これを変えるのが絶対王権を持った王たちの責務だと、私は思います。
この光海君(第15代王)と粛宗(第19代王)、それに第22代王(イ・サン)はとても好きです。

さて、放送中のドラマ『華政』の韓半島は既に1620年に入っています。
他方ではお隣の中国大陸では、1616年に以前の北方民族の女真族が「後金」国となり、1636年には「清」国へと大陸を制覇していきます。
このような大陸の情勢の中での光海君の政治手腕が問われるのが放送半ばとなる第20話以降のことです。

放送は今週で30話に及びます。
これからもチョンミョン(貞明公主)とジュウォンのラブロマンスを楽しみながら、クーデターで王座を奪うヌンヤングンと、その第16代王・仁祖(インジョ)としての“歴史的な屈辱”がどのように描かれるのか?
それを密かに期待しています。

海光君のこれまでの政治を描いた『華政』を楽しむためにも、光海君の最初の統治5年ほどの間に起きたことを次のようにまとめておきます。

<王朝絵巻 シーズン2>

仁穆大妃と光海君①


海光(クァンへ)君の父・第14代王・宣祖には正室・懿仁(ウィイン王后)朴氏からは子がなく、その王后は45歳で世を去ります。
その2年後(1602年)に継妃を迎えています。

こうして2番目の正室となったのが仁穆王妃。
彼女は18歳、宣祖は50歳でした。
仁穆・金氏(インモク・キム氏:後の大妃)は、長女と長男を出産します。
1603年と1606年のことです。
この二人が、ドラマ『華政』の貞明公主と永昌大君です。

宣祖は14人の息子と11人の娘をもうけていますが、上記2人を除くと全てが側室からの子でした。
『華政』の光海君は第1側室の恭嬪(コンビン)の子。
長男が臨海(イムへ)で次男が光海です。

この側室のコンビンは、ドラマ『亀巌ホジュン』ではホ・ジュンをとても信頼し、長男の臨海(イムへ)と次男の光海(クァンへ)を、
「御医としてではなく、相談相手として」
面倒をみて欲しいと頼んでいました。
王位を継いだ光海君が「東医宝鑑(トンイボガム)」完成のために、野に下っていたホ・ジュンを呼び寄せて厚く待遇したのも分かります。

仁穆大妃と光海君②

宣祖が次期第15代王に光海君を選んだのは、兄の臨海の素行が悪く酒びたりだったから。
『華政』第1話にもあるように酒好きで、宴席では特にふらついていました。
その背景には“壬辰寇乱(1592年)”で加藤清正軍の捕虜となり、その屈辱感にはその後も耐えられなかったのでしょう。

ただし、当時の冊封制度(属国扱い)の下、明国の皇帝は、光海を世子(セジャ:後継)とは認めませんでした。
長男の臨海が“高位の後継者”だったからです。
したがって、キム尚宮とイ・イチョムの最初の標的は臨海君でした。
臨海君(イムへグン)は35歳(1609年)、海光君の即位の1年後に亡くなります。

永昌大君(ヨンチャンテグン)。
ヨンチャンは正室の仁穆(インモク)王妃の長男(元子:ウォンジャ:正室の長子)なのですが、まだ2歳でした。
王妃も周囲もヨンチャンが王座を継ぐのはとても荷が重いと思うのは自然です。
宣祖がとても可愛がったとのことですが、ドラマにもあるように、光海には、
「ただし、ヨンチャンを守って欲しい」と、
インモク自ら光海を王位に付け、ヨンチャンを頼みました。

しかし、光海の兄の臨海君がイチョムの手にかかったように、光海の気持ちをあたかも汲んだかのように、配下のイ・イチョムとキム尚宮が急進する…。

2015 07 15
(先週、台風の影響が出る前はこんな真夏日もありました)

仁穆大妃(インモク テビ)と光海君③

仁穆(インモク)大妃は、おそらく光海の後に息子のヨンチャンを王にと。
“まだ2歳なので、その後の王になれば良い”と考えていたのではないでしょうか?

しかし、インモク王妃(当時)の決断で、愕然としたのが反光海の西人派の面々。
他方、キム尚宮やイ・イチョムは大満足。
この二人は王妃から元子が生まれた時から成長を恐れていたのではないかと思います。
“早く光海君を王座に就けないといけない”。
ヨンチャンが成長したら、自分たちの出世がますます遠くなるからと。
よって、宣祖には早く亡くなって欲しい…。
それで、ドラマの最初にあったように、毒消しを飲みながら、毒見(気味)でごまかしながら、宣祖に少しずつ毒を盛っていた。

これが上手くいって、ヨンチャン2歳時に宣祖が他界。1608年に光海が即位。

仁穆大妃と光海君④

1613年、光海君在位5年目。
イ・イチョムとキム尚宮には、いよいよチャンスが到来しました。

イ・イチョムとキム尚宮は、真っ赤な嘘のでっち上げをやりました。
強盗殺人事件が起きたことで容疑をかけられ、逮捕されたのが7人の庶子(「七庶の獄」事件)。
中にいたパク・ウンソ(朴応犀)は、自分の命と引き換えに、イ・イチョムの言いなりに、偽の供述をします。

議場で供述書を読み上げるイ・イチョム。
そのシーンがドラマにありましたが、
“食料や武器を集めるための犯行”で、
その裏にはヨンチャンを王に就ける為の、大妃の実父のキム・ジュナムの陰謀だと。

ドラマではジュウォンとイヌが宮殿の門に、キム・ジュナムの斬首・晒首の刑の跡を見に行きます。

同時にヨンチャンが仁川の傍の江華島に島流しの刑。
大妃は慶運宮(現徳寿宮)に幽閉されます。

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(徳寿宮の正門。
 当時は光海が名づけたので慶運宮と呼ばれました)

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(現在は憩いの場です)

仁穆大妃と光海君⑤

1614年のこと。
前年に流刑となった永昌大君(ヨンチャンテグン)は焼死します。
わずか8歳でした。

ドラマではチョンミョンが“弟が燃える”と、悪夢をみるシーンがありました。
こんな可哀想なヨンチャンテグンでした。
イ・イチョムとキム尚宮の執拗な攻撃は想像を絶するアニマルワールドです。
残酷です。

ましてや、我が息子を失った仁穆(インモク)大妃。
手を下したのは光海の配下だとはいえ、決して光海君のことは許せません。
“公主も永昌も守ります”
との約束を彼は破ったことになりました。
許すどころか、恨みと復讐心に燃えるインモク大妃。
他方ではインモクは危険を察し長女のチャンミョン公主を宮中から逃がしました。

ドラマなので史実なのか分かりませんが、チャンミョンは慶尚道・東海の漁師に匿われ、その間に漂流して日本・長崎で鉱山技師に成長します。
そんな冒険が始まるのが第6話からでした。

1623年のクーデターまであと10年のことです

仁穆大妃と光海君⑥

仁穆(インモク)大妃(テビ)・金氏は永昌大君を奪われ、光海君への復讐心が消えることはなかった。
しかし、そこに朗報が来ます。
1623年、宣祖の孫、光海の甥の綾陽(ヌンヤン)君の“仁祖(インジョ)反正(パンジョン)”が起きます。
クーデター計画が成功し、ヌンヤンは第16代王・仁祖として即位します。
彼が28歳の時です。
仁祖は仁穆大妃を大王大妃(テワンテビ:王の祖母)として、また永昌大君の名誉を回復させました。
ただし、大王大妃としてのインモクは執念深く、光海君の廃位・流刑だけではなく、死罪を要求します。
さすがの仁祖も考えあぐねますが、王であった光海を殺害するとなれば世間体が悪い。
悪評は避けるべきです。
かくして、永昌大君の冥福を祈りつつ、仁穆大王大妃は48歳で世を去りました。

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ここは昨日散歩していた横浜の山手のイタリア山庭園です。

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今度は機会を見て、横浜の“港が見える丘公園”の近くのフランス山やアメリカ山も紹介したいと思います。

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