王朝絵巻 パート5 日清戦争まで(下)


王朝絵巻 パートⅤ ④「楽浪郡化」政策

<王朝絵巻>を調べていた際いつも思っていたのは
「どうして日中韓は仲良くなれないのだろうか?」
赤坂の韓国料理店の人たちも同じように、
これは政治・政府の問題であって、
「庶民たちは“仲良くなりたい”の気持ちは変わらない」
そう言っています。

さて、ペリーの“黒船”の時と同様な政策にて、
米国は韓国との開国交渉をするのですが、失敗。
そのために、肩代わりで列強に根回しして、
世界に先駆けて日本が朝鮮王朝を開国させるのですが、
宗主国としてこだわる清国には二面性がありました。

一つは、
清国だけでなく同じ儒教の朝鮮王朝は、
フランス人宣教師たちと多くの信徒を処刑していますので、
欧米の非難を浴びたくないから、
朝鮮王朝とは別の国扱いして欲しいこと(責任回避)。
しかし一方では、
冊封制度により朝鮮王朝を属国にしておきたいこと。
これは、「楽浪郡化」といいます。

覚えていますか?
2009年のSBSドラマ『自鳴鼓(チャミョンゴ)』は
ホドン王子(第3代ムヒュルの子)の高句麗が、
中国の直轄地・楽浪郡を滅ぼすストーリーでした。
つまり、
李鴻章は韓半島を楽浪郡のように直轄して、
いわば「(韓半島に)外様大名」を置いておきたいとの意図でした。

しかしながら、宣教師処刑の犯罪経験から、
フランスからの介入・侵攻を恐れ、しかも、
明治政府がイギリス、ロシア、米国のバックアップを得ていたので、
朝鮮王朝の開国を認めたのでした。
開国の後は貿易を進めるための通商条約へと進展します。

もちろん、親清派の閔氏一族は従いました。

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日本に続きアメリカ、
その後に欧州の国が修好通商条約を結びます。
もとより江戸時代は、
明とは琉球、オランダとは長崎の出島、
朝鮮とは対馬藩だけが貿易を任されており、
対馬藩との貿易専用に
釜山には草梁倭館(朝鮮の出島)がありました。
当時の貿易品目は、次のようなものです。
朝鮮からは牛皮、フカヒレ、スケトウダラなどの食品、
朝鮮人参や熊胆などの漢方薬が輸出され、
日本からは銅、絹織物、紅花(染色剤)などが輸出されていました。

現在でも開発途上国との間では、
日本からは付加価値の高い工業製品、
プラントなどの資本財が多く輸出され、
日本は原材料やエネルギー資源を輸入するという
「垂直貿易」。
他方で先進国間では相互に
自動車やエレクトロニクス製品のような
付加価値の高い製品の取引のいわゆる
「水平貿易」のパターンです。
近年は例えば「サムスン」の
エレクトロニクスが日本に輸入されるようになっています。

少し時代を遡ると、
この朝鮮半島の開国を巡る明治政府内の出来事が
西郷隆盛の「西南戦争」となりました。
明治維新の志士たちが作った明治政府なのですが、
穏健派と強硬派に分かれ、
いわゆる力でこじ開けようとするのが西郷の「征韓論」でした。
しかし、これは木戸孝允が抑えます。
もとより木戸は政府内の関心を海外に向けて、
政府内あるいは国民の意識をまとめようとする、
古今東西の政治戦略でした。 でも穏健派。

されど、当の朝鮮王朝には何の改革の動きもでません。
海外からの新しい文化、技術を導入する政策は、
清国が好まなかったからです。
あくまでも冊封制度で朝鮮王朝の開化を好まず、
清国の属国であって欲しいからです。
皇帝から外交を任されていたのは李鴻章です。

(『明成皇后』)
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王朝絵巻 パートⅤ ⑤「下関条約」

18世紀末、フランスでは既に市民革命(フランス革命)が起きたのですが、
それから100年も経った後の
日清戦争(1894年)と下関講和条約(1895年)です。
その間に日本では明治維新がありました。

にもかかわらず、清国と朝鮮はまだまだ王政です。
開国はしたものの、内部改革が進まない朝鮮と清国。
また、「冊封制度」の二つの国に、アメリカも日本もあきれ果てます。
日米は、半島に対して徐々に諦めムードだったようです。

本来ならば市民たちの啓蒙化が進み、
抑圧された非支配層が両班に立ち向かうはずなのですが、
これが果たせなかったのは、
教育制度や情報制度が遅れたままで、
さらには清国と朝鮮王朝によって、
市民は極端にコントロールされていたものと考えられます。
貴族や両班たちの私利私欲のためだと思います。

ただし、明治政府は動きます。
また、ロシアの領土野心に対抗できるのは“日本だ”
と考えたのが大英帝国とアメリカです。
このイギリスとアメリカの理解をバックに、
日本は、高宗に“冊封制度”の廃止を認めさせます。
ただし、こうなると清国との戦争は避けられません。

こうして起きたのが1894年の「日清戦争」
戦勝国の日本が清国に求めた「下関条約」では、
第1条が
朝鮮と清国との「冊封制度」を廃止することでした


5回に分けて書いたパートⅤでしたが、
少なくとも
19世紀後半の日韓関係は良好で、
開化に向けて前向きだったと思います。
しかし、
清国の圧力で朝鮮王朝の改革は進みませんでした。

ドラマ『明成皇后』より
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パート2 「女性たちの韓半島(한반도)」では、
最初に明成皇后と、彼女の暗殺の模様に触れました。
KBSのドラマ『明成皇后(ミョンソンファンフ)』では、
背後に明治政府がいたことになっています。
ただし、当時の日本軍は完全に統率が取れており、
王朝の軍の教育と近代化に務めます。
事件への軍の関与はありません。
むしろ、
朝鮮王朝の総理大臣を含む開化派が共謀しています。
明治政府から見た明成皇后は「親清派かつ親ロシア派」。
目の上のたんこぶの存在だったようです。

高宗は王妃の国葬を行うに際して、
ロシア公館に逃げ込んで、そこから政策を出します。
しかし、この政策は朝鮮半島の改革ではなく、
むしろ、旧制度を保守しようとするものでした。
これは、
日露戦争の原因にもなります。
ドラマは高宗と明成皇后を美化しすぎていると思います。
内政で日本が半島に求めていたのは、
王朝と政治の分離、科挙制度の廃止、
身分・家族制度の改革、税制の改革なのです。

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(ドラマ『明成皇后』の高祖)

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