王朝絵巻 パート2 「女性たちの韓半島」(3)

王朝絵巻 パート2 「女性たちの韓半島(한반도)」(3)

その5 貞純(チョンスン)王后 ①


今度は極めつけの“ワル”の貞純王后です。

まずは時代背景。
儒教の教義を巡る論戦は表面上のことで、
王朝の病巣だと言われ続けているように、
王朝内での官僚や両班たちは私利私欲に基づき、
勢力・派閥争いの渦を巻き起こしていた。
そんな王宮では老論派が主流となった結果、
金家のバックアップで貞純(チョンスン)王后(金氏)登場。
彼女は14歳に正室に入ります。
ただし、時の第21代王・英祖は既に65歳です。

当時の王朝の習慣で、英祖は10歳で婚姻。
10歳の時から彼が63歳になるまで、
2歳年上の貞聖(チョンソン)王后と連れ添いました。
(婚姻は第19代王・粛宗の命でした: 『同伊』)
ただし、彼女には子供ができず、
英祖は側室に何人もの子供がいました。

これも当時の慣例で、
英祖が63歳の時に貞聖王后がに亡くなると、
王が単身で長くいることはよくないとされ、
65歳と14歳の結婚式がなされたのです。

18世紀の1759年のことです。
彼女の罪状は、
3年後の①1762年の事件にかかわったこと。
また、1776年にイサンが、
第22代王・正祖(チョンジョ)として即位し、
(その24年後の)
②1800年に正祖が亡くなってから以降のこと。
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今度はドラマ『イサン』の頃です。









その5 貞純(チョンスン)王后 ②

1759年に14歳で英祖の正室となった貞純王后。
彼女の罪状は、
①1762年の事件にかかわったこと。
②1800年に正祖が亡くなってから以降のこと。

まずは1762年の世子・荘献君(チャンホングン)殺害。
英祖との間には子供はまだできませんが、
英祖と第一側室の映嬪・李氏の間には荘献君がいました。
貞純王后は荘献君より年下の継母に当たります。

問題は彼女の父が老論派だったこと、
また、老論派が荘献君を好まなかったこと。
そして大きな問題は、
英祖と息子の仲が悪かったことです。
これが原因で英祖は荘献君(世子)を餓死させます。
(米櫃に入れたとのこと)
この背後には、
貞純王后が多くの嘘の噂を多々、
英祖の耳に吹き込んだと言われています。
庶民派とされた第21代王・英祖の汚点でした。
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大罪は
②1800年に
正祖が亡くなってから以降の、
キリスト教の弾圧です。







その5 貞純(チョンスン)王后 ③

1800年に正祖(イ・サン)が亡くなった後は
正祖の息子が第23代王・純祖(スンジョ)となるものの、
彼はまだ10歳でした。
貞純王后は55歳にして玉璽も我が物にします。
王の印章を預かることとなると、
彼女の手によって、
垂簾聴政(すいれんちょうせい)」です。
簾の裏で、政治ごとの取り決めを行い、
事実上の女帝となります。

問題はこの後です。
貞純(チョンスン)王后が歴史の暗黒時代を作ります。
天主教(キリスト教)徒の弾圧です。
その事由は、
国教であった儒教の秩序を天主教の平等主義が乱すこと。
さらには、
貞純王后に反対する勢力に天主教徒が多くいたことです。

近所の5軒が食糧事情を把握するための制度を利用して、
密告や告発をさせることで、
数万人の人々が処刑されました。
まさに恐怖政治だったのです。

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名君正祖(イサン)たちの功績を列挙しておきます。

第19代王・粛宗
・農地の整備
・新たな貨幣の鋳造
・国防
商業を通じて国富の拡大に貢献したこと。

第21代王・英祖
・多くの派閥からの登用
・大きな減税
政治の安定化と庶民生活向上

第22代王・正祖
・学術・文化の研究
・朝鮮文化の興隆
加えれば、
水原に華城(ファソン:世界遺産)を作ったのは、
亡き、父親への孝行。

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