王朝絵巻 パート2 「張禧嬪(チャンヒビン)考」

王朝絵巻 パート2 「女性たちの韓半島(한반도)」(2)

「三人の悪女+」
その4 張禧嬪(チャンヒビン)考 ①


これから「張禧嬪考」を3回に分けて書いてみます。
その歴史的な観点は、
・チェ・ワンギュ作家のような公平な歴史眼
・康 煕奉『悪女たちの朝鮮王朝』2014年6月
 (双葉社)
 p.132「果たして『仁顕(イニョン)王后伝』は
 公平に記述されていたのかどうか。
 勝者の側の評伝が、褒めたたえたい人物の…」
 との記述
・映画「宮女」(パク・ジニ主演)では、
 子供ができなかった仁顕(正室)が、
 自分に子供ができたと主張する嘘を
 医女(パク・ジニ)が暴いたこと
・張禧嬪は、
 これまで紹介した張緑水(チャンノクス)や
 鄭蘭貞(チョンナンジョン)とは違って、
 賎民→妓生→側室と昇格したのではなく、
 生まれは中人(専門職)の娘であったからこそ、
 一時は正室にまで昇格したこと。

ドラマ『同伊(トンイ)』にあるように、
張禧嬪は一時正室にまで上り詰めます。
当時では身元が不明の場合には
たとえ側室のトップに位置するところの
嬪(正一品)にまで上り詰めることはできても、
正室になることは至難であったと思われます。
なぜかというと、
仁顕が復位し、同時に張禧嬪が自害を命じられ、
トンイが淑嬪・崔にまで昇格するものの、
その後すぐに慶州・金氏が正室に迎えられたように、
名家から正室が迎えられていたからです。

ということで、
17~18世紀の宮廷内の派閥から説明します。
当時は、宮廷内の官僚たちの派閥が“東人派”と
“西人派”の二つに分かれ、さらに
西人派は“老論派”と“少論派”に分かれて、
儒教の教義・解釈を巡って激しい対立がありました。

その4 張禧嬪(チャンヒビン)考 ②

ドラマ『同伊(トンイ)』にあるように、トンイはまず
張禧嬪に登用されます。しかし、その考え方を巡って、
正室の仁顕王妃の正義感に生きる道を求めました。
当時はもう王朝前期のようには側室が多くなく、
2~3人まで。

正室の仁顕王妃との間には子供ができず、
他方では禧嬪を溺愛した第19代王・粛宗(スクチョン)。
ただし女性遍歴と優柔不断の王でした。
優柔不断はドラマの通り。
禧嬪との間に、
後の第20代王・景宗(キョンジョン)が誕生。
また、同じ時期にトンイとの間にも子ができます。
そして、トンイとの第2子目が、ドラマでも聡明な
ヨニングン(後の第21代王・英祖)でした。

さて、
世に言う3大悪女の一人が禧嬪・張氏なのですが、
彼女(チャン・オクチョン)が何をしたのか?
ドラマでは王からの愛がトンイのために失われますが、
最初から最後まで粛宗はオクチョンを大切にします。
同じようにヒビンも…。
問題は藁人形で呪術をかけたこととなっています。
しかし、その相手は正室。
ただし、仁顕王妃には世子もなく病弱です。

王の愛を一身に受けるためには、
正室でないといけなかったのか?
こうした感情論になると分かりません。
問題は彼女自身が呪術をほんとう使ったのか?

他方、仁顕王妃と淑嬪・崔(トンイ)にとっては、
張禧嬪の存在が疎ましかったとも考えられます。

その4 張禧嬪(チャンヒビン)考 ③

ドラマ(MBC)『同伊(トンイ)』の主人公の
淑嬪・崔(トンイ)を演じたのはハン・ヒョジュ。
禧嬪・張(チャンヒビン)はイ・ソヨン。
配役に選ばれたのはどちらも美人だし、
その後の『チャン・ヒビン』ではキム・テヒが演じています。
いくつかの考察を読んでいると
ヒビンは王の寵愛を一身に受けていた美女
(「朝鮮王朝実録」でも容姿を褒めているそうです)。
また、両班ではなくとも父が通訳の中人出身。
身分がしっかりしていない限り、
正室にはなれなかったと思います。
呪詛の件も真相が不明です。

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(SBS『チャン・オクチョン』最終話より)

一方、
トンイはドラマにもあるように、また実際にも、
その出生が不明で、ドラマでは途中まで姓名を隠していました。
二人は、
喧嘩両成敗のように“自害”と宮廷からの“追放”されます。
他方で粛宗は、
次の動画にあるように慶州・金氏を正室に迎えます。
周囲の官僚たちに揺れ動いたのはトンイやヒビンだけでなく、
粛宗もその渦の中の一人だったと思います。

(『ホジュン』での俳優も多く出演していました。
 『トンイ』第55話より)

この項で最初に書いたように、
『同伊(トンイ)』のころの儒教思想の論戦は
南人と西人派の二つの勢力争いとなっており、
南人派(ナミンバ)のバックアップにより、
張禧嬪(チャンヒビン)は正室にまでなりました。
一方の衰退した西人派(セインバ)は、
仁顕(イニョン)の廃位を余儀なくされるのですが、
その後勢力を取り戻して、仁顕王后の復位に成功。

その後の西人派ですが、
さらに老論派と少論派に分裂し、
老論派は淑嬪・崔(トンイ)の息子の
ヨニングン(後の第21代王・英祖)を後押し、
張禧嬪(当時42歳)の死罪を求めるという
急進的な行動に出ました。
また、張禧嬪の息子が世子と決まっていたのですが、
その第20代王・景宗(少論派が後ろ盾)は、
わずか4年の在位で亡くなります。
こうなると、
官僚や両班たちの社会では老論派が主流。

後世になってから、もしも公正な味方で再考するなら、
チャン・ヒビンを悪女とする評価は成立しないと思います。
私は、淑嬪・崔と張禧嬪の人生のことは、
「政争の具」であったと考えるべきだと思っています。
王朝の病巣であった官僚・両班たちの
その後も続く王朝内での勢力争いはまだまだ続きます。

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