王朝絵巻 パート2 「女性たちの韓半島」(1)


王朝絵巻 パート2 「女性たちの韓半島(한반도)」(1)

「三人の悪女+」
その1 張緑水(チャンノクス)


張緑水(チャンノクス)は王族お抱えの奴婢と結婚していました。
強調文が、出世を目指し、夫から逃げ出して妓生へ。
持ち前の美声で有名なキーセンでしたので、
第10代王・燕山君に見初められて側室となります。
朝鮮王朝の初めの頃は10人ほどもの側室がいたので、
そのうちの一人に抜擢されます。

悪女としての罪状は、国家財産の(公私混同)横領。
政治を省みない燕山君と共に酒池肉林の宴席を繰り広げ、
国家財産を我が物顔にして国庫を危うくしました。
その燕山君は、庶民が悪口をハングルで書いたとして、
一時ハングルの使用を禁止するなどの暴君でした。

宴会の場所が「慶会楼」(景福宮の中)と、
私生活で使ったのが最高学府であった「成均館」
まさに成均館(ソンギョングァン)スキャンダルでした。

kaorino enn6
(慶会楼: 9月に撮影)

庶民の反感も強く、
1506年のクーデターで燕山君が島流しになる一方、
同罪ではあったものの身分が低かった彼女は斬首されます。
遺体は晒され、庶民の唾や石ころの標的にされたそうです。
<康 ①>

明日紹介する鄭蘭貞(チョンナンジョン)と同様に、
貧しい奴婢の身から両班並みの階級に出世する点では
二人とも同様に美貌、美声で男に取り入るだけでなく、
体を張って、出世を目指したい欲望があったと思われます。
500年を超える朝鮮王朝前期の16世紀でのことでした。

chan nokus

「三人の悪女+」
その2 鄭蘭貞(チョンナンジョン)」


鄭蘭貞(チョンナンジョン)は正室の実弟の妻。
第11代王・中宗の3番目の正室の
文定王后の実弟の尹(ユン)元衡(ウォニョン)の妻でした。
正室の実弟の妻になるまでに、奴婢から妓生、
そして尹元衡の妾になるまでのストーリーは『女人天下』

彼女は夫の姉の文定王后に気に入られようとして、
罪を犯しました。
文定王后の座を脅かすしていると警戒されたのが
敬嬪(キョンビン)・朴氏。
彼女を追放するために、
1527年に「灼鼠の変」を起こたとの説になっています。

さらには尹元衡の正妻をも(彼と共謀して)毒殺して、
その後釜になります。
その後は従一品という高い品階を得るのですが、
1565年に文定王后がなくなると、後ろ盾を失い夫婦ともに没落。
政敵に睨まれつつ、
夫婦はそれぞれ自害への道へと転落しました。

昨日の張緑水(チャンノクス)と今日の鄭蘭貞(チョンナンジョン)は
それぞれ奴婢の身分から這い上がりました。
それは、朝鮮王朝の女性たちの出世物語でもあったのですが、
男たちを虜にするだけの美貌だけでなく、
智謀の女性たちだったのでしょう。

なお、ドラマ『女人天下』では、
両班(ヤンバン)の娘として生まれるものの、
妾の子ということで賤民として世間から蔑まされて、
「身分」の壁に挑戦するということで、
『ホジュン』と同じシチュエーションです。

この点では、
チャングム(大長今)は別格だったと思います。
『ホジュン』ならば内医女や御医女と呼ばれるほどの
医術での才能で歴史に名を残したのだと考えられます。
また、トンイ(同伊:仮称)も別。
その出生は(奴婢)定かではありませんが、
王からの寵愛を受けて第21代王・英祖を生み、
庶民の味方として夫婦ともに尊敬されていました。
が…?

chon nanjyon

「三人の悪女+」
その3 「文定王后」①


文定(ムンジョン)王后は第11代王・中宗の3番目の正室。
そして、
彼女を支援したのが昨日の鄭蘭貞(チョンナンジョン)。
チョンナンジョンの罪状は殺人および呪術犯罪。
1527年に「灼鼠の変」の首謀者だとの説になっています。
焼いたネズミを東宮や景福宮につるした事件で、その
ターゲットは中宗の世子(後の第12代王・仁宗)。
そして、呪術を使ったのは中宗の側室の朴氏だとして、
濡れ衣をかけ、宮殿から追い出した事件です。

さて、文定(ムンジョン)王后。
文定王后の実弟は尹(ユン)元衡(ウォニョン)で、
その妻の鄭蘭貞(チョンナンジョン)が取り入ります。
どうも何かと二人が共謀したようです。

文定王后にとっては、
息子(後の第13代王・明宗)を王位に就ける為には、
既に世子に決まっていた頃から第12代王・仁宗が目障り。
仁宗の殺害を企てます。
まずは毒を入れた餅。
次にその後の下痢にもかかわらず、鶏の粥。
衰弱した仁宗は即位後、わずか8ヶ月で亡くなりました。

当時息子(後の第13代王・明宗)はまだ11歳。
(この話は明日につづきます)
なお、
『大張今(チャングムの誓い)』で
チャングムが出産を助けたのが後の仁宗でした。

「三人の悪女+」
その3 「文定王后」②


文定王后の罪状は何だったか?
正史(『朝鮮王朝実録』)に加えて、
民間に伝承される歴史書の野史では、
仁宗への毒餅+内臓の疾患を悪化させたこと。
つまり、国王の毒殺に関与したことと、
それに、16世紀半ばの半島の農業のこと。
当時の凶作続きへの対応をしなかったこと。
<康 ②>

わずか11歳の第13代王・明宗(ミョンジョン)の背後で、
政権を我が物顔にすると共に、
国民の苦しい実情には耳を貸さなかったとのことです。
1545年の息子(明宗)の即位から20年もの間、
1565年に亡くなるまで、実権を握ったのです。
明宗はその2年後に33歳で世を去り、
1567年に即位するのが第14代王・宣祖。

ドラマ『伝説の心医~ホジュン』を御医にしたのが、
この宣祖で、彼は第11代王・中宗の側室の孫です。
これまではすべての王が嫡子でした。
そして
第14代王・宣祖と第一側室・恭嬪(コンビン)の子が、
第15代王・光海君(クァンへグン)です。
クァンへグンの活躍はドラマの第100話以降になります。

にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ

宣祖の第一側室の恭嬪(コンビン)は
後の第15代王・光海君の母です。
ランキング@にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ユーモン

Author:ユーモン
ドラマは たくさんのことを 教えてくれます

最新記事
最新コメント
王朝用語・脚本家など
ドラマと映画・感想など

openclose