王朝絵巻 パート1 ソウルの宮殿(1)

王朝絵巻 パート1 ソウルの宮殿(1)

「漢陽の都」

ドラマに出てくる現在のソウルの漢陽(ハニャン)。
この都は1393年に高麗の武将であった李成桂(イ ソンゲ)が、
クーデターにより当時の開京(ケギョン)を陥落させて、
新しく遷都した首都です。

ドラマ『信義(シンウィ)』は、
1351年から始まるコンミン王の時代でした。
タイムスリップしたユ・ウンスが
若き李成桂の盲腸手術をするシーンがありましたが、
彼はウダルチの活躍話に大変興味をみせていました。

いくつかの調べをしたのですが、
韓国半島を初めて統一した朱蒙(チュモン)大王から、
脈々と流れてきた王家の血筋はここで途切れたと、私は
そう思います。
李成桂の父親は一時北方に流されていたとのことで、
これからの推定なのでしょうが、
李成桂には女真族の血が流れているとする説があります。
また、『ホジュン』でも、
ドラマの始まりは義州(ウィジュ)という、
最北の国境近くでしたので、
何度か女真族の侵入シーンがありました。

さて、この漢陽ですが、それまでの仏教思想を廃止し、
李成桂が儒教思想を国教とするとともに、
人心一新のために、儒学者(鄭道伝:チョンドジョン)の
進言を受けて風水に基づいて選んだ土地です。
北に山、そして漢江(ハンガン)を臨む、
「背山臨水」です。

風水学の基本思想は、
ドラマでも三寂寺でアン・グァンイクにより、
ホ・ジュンが受けた「陰陽五行思想」です。
陰陽五行論、または、陰陽五行説ともいい、
古代中国に端を発する「陰陽思想」と
「五行思想」が結びつき発展した思想です。

陰陽では「四神」とは、
東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで、
青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、
朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のことを指し、
それぞれ特徴のある土地に棲むといわれています。
その特徴を説明すると下記のようになります

東:青龍 … 豊かな川の流れがある
西:白虎 … 大きな道があり交通の便がよい
南:朱雀 … 広大な平野や海があり視界が開けている
北:玄武 … 山や丘陵がある

(参考サイト)
http://www.kyotofusui.jp/05_inyogogyo.html

「5大 故宮」

ソウルの中央にある朝鮮王朝の5大故宮は次です。

①景福宮(キョンボックン)
②昌徳宮(チャンドックン)
③昌慶宮(チャンギョングン)
④徳寿宮(トクスグン)
⑤慶熙宮(キョンヒグン)


このうち①②④と宗廟(チョンミョ)
この9月に訪ねました。
いずれも日本語のガイドによる説明と、
パンフレットを得ましたので、今後、
写真や動画と共に徐々に紹介します。

今日はざっくりと5大故宮の位置と解説です。
王朝時代は、
南北に大きな楕円形の長い城壁に囲まれていて、
地図にあるように東の東大門から西の西大門まで、
電車の駅の数だけでも4駅くらいあります。

seol kyu

景福宮(①キョンボックン)
景福宮はソウルの五大宮殿の中でも最大で、朝鮮王朝(1392-1910)の正宮として500年の歴史があります。
15万坪(周囲を囲む石垣の長さは2.4km)に達する広い敷地に長方形に作られ、南側には正門である光化門、東側には建春門、西側には迎秋門、北側には神武門があります。
勤政殿をはじめ、交泰殿、慈慶殿、慶会楼、香遠亭などの殿閣があります。
景福宮の正殿である勤政殿(“天下のことは勤勉であれば治まる”という意味)は公式的な儀式を行い、漢陽在住の100文武官たちの朝礼が月に4回行われていたところです。
もちろん南向き。
勤政殿はドラマでも出てきます。

昌徳宮(②チャンドックン)
鐘路区臥龍洞にある昌徳宮は、王家の居所と庭園である後苑(フウォン:シークレットガーデン)に大きく分けられます。
王たちの憩いの場として使用された後苑は300年を超える巨木と池、東屋など造園施設が自然と調和を成した所です。
ガイドと共に1時間半も歩く広い庭園で、北側に広がっています。

徳寿宮(④トクスグン)
ソウルの中心地(市庁舎の西側)に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところ。
徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後名前を「徳寿宮」と直したという経緯があります。
『亀巖ホジュン』にはこの光海君(クァンヘグン)が若き皇太子として登場します。

<宗廟(チョンミョ)>は朝鮮の歴代君主の位牌を奉って祭祀を行う所。
1394年、太祖(1335-1408)・李成桂が朝鮮王朝(1392-1910)の建国とともに、新たな都、漢陽に景福宮と同時に建てた建築物で、その伝統的な荘厳な儀式である祭礼や祭礼楽など、長い伝統と慣習がそのまま保存される宗廟は世界文化遺産に登録されています。

なお、今後の来年の旅の予定の宮殿は次の2つです。

ソウル市鍾路区の昌慶宮(③チャンギョングン)は、昌徳宮とともに朝鮮王朝(1392-1910)別宮のうちの一つ。
1418年に世宗(1397-1450)が王位に就いた後、退いた太宗(1367-1422)が穏やかに余生を送れるようにと建てた寿康宮がその始まりです。

慶熙宮(⑤キョンヒグン)は、最も西側に位置しています。
朝鮮時代後期には、「東殿」と呼ばれた昌徳宮と昌慶宮に対し、慶熙宮は「西殿」と呼ばれ、王室の離宮として利用されていました。

これから徐々に、
初めに景福宮(①キョンボックン)から絵巻を続けます。

なお、景福宮(キョンボックン)の北側、
地図では消されている場所が大統領府(青瓦台)です。
景福宮の一番北まで行くと次の光景が見られます。

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(9月撮影)

「景福宮(キョンボックン)」

ソウルの真ん中に構える景福宮。
地下鉄の構内にも、
歴史を思わせる朝鮮王朝当時の像や写真が掲げられています。

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地下鉄を出ると博物館があり、その右手に大きな宮殿。
歴代の王たちが執務を行った政治の中心です。

光の興る

この動画は南に光化門(クァンファムン)を見る
広大な敷地への入り口です。
光化門は2010年に復元されました。

また、この門の前に広がる広場では、
『アイリス』の大銃撃戦が撮影されました。

またまた大きな「興礼門」をくぐると、
広大な広場の先に公的な行事が行われた「勤政殿」があります。
この勤政殿の前の大きな広場では毎月4回の朝の朝礼があり、
およそ100人の文官と武官が、
座布団を敷いて集まったのです。

ishi basira

座布団の皮にもヒョウ、トラ、ヒツジ、イヌなど、
そのランクで違いがありました。

meeting.jpg

動画にあるように、このあまり広くはない部屋の
玉座から王の指令が出ました。

玉座の背景の屏風には山の上に「陰陽」を示す、
月と太陽が描かれています。

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(写真: 9月撮影)

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歴史上の罪を、歴史上の恨みを、
誰が責任を取れると言うのでしょうか?
我々現代人にとっては、歴史の重さを理解できても、
それは過ぎ去ったこと。
それを誰かに償いを求めることができるのでしょうか?

韓国ドラマにある深い“恨み”は“許し”でしか解決しない。
そんな大きな人間に人々の“成長”を見ることができます。

王朝絵巻をまとめておきたいと思います。

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