国際派だった二人の王

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(光海君が見た海:2015.09)

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(「東医宝鑑:トンイボガム」@済州島・民族自然史博物館;2015.09)

国際派だった二人の王

大陸では、モンゴルから“元”が13世紀(1260年)に起きました。
そして、そのおよそ100年後には南宋からの流れを引く“元祖”漢民族が1368年には“明”を建国。
しかし、また250年後の明の弱体化が進む頃、北方民族のアイシン(後金:女真族の国)が1616年に起きました。
明が後金に屈し、大陸の国号は“清”となったのが、1636年。
この400年の歴史の流れの中で、大陸が“元から明へ”、“明から清へ”と動く頃。
大陸での政治の変化の節目に、半島には二人の王がいました。

まずは、高麗の第31代・恭愍(コンミン)王(生1330年 ~没1374年:在位期間1351年 ~ 1374年)。
恭愍王はいち早く“明”との関係を重視し、自らも“元”時代のファッションを変える姿がドラマ『信義』で描かれました。
彼の妃は“元”の魯国公主(ノグクコンジュ)でしたが、妃も“元”を捨てます。
恭愍王が妃をとても愛したことはドラマだけでなく、史実として残っています。

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(恭愍王と魯国公主:『信義』より)

次いで、<朝鮮王朝>の第15代王・光海君(クァンヘグン)(生1575年~没1641年:在位期間1608年~1623年)です。
彼は親明から親清へと、微妙な外交の舵取りをしました。
これはドラマ『華政』のとおり。

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(光海君:『華政』より)

しかし、恭愍王は暗殺され、光海君はクーデターで廃位されました。
2人とも保守的な側近(官僚)たちとは違って、大陸の新しい国との外交関係を築こうとしたからです。
周囲はいかにも国際関係に疎いドメスティックな官僚たちだった…。

今日はこの二人の王にまつわる二つの“こぼれ話”+αです。

1.光海君と御医ホ・ジュンのこと
(ホ・ジュン:生1539年 ~ 没1615年)

先に、<王朝絵巻>にて、これまで何度も取り上げた光海君(クァンヘグン)と御医ホ・ジュンのこと。
ドラマ『亀巌ホジュン』から“こぼれ話”をひとつ。

第15代王・光海君の母の恭嬪(コンビン:第14代王の側室)は、胸の病気のために二人の息子を残して仏門に入りました。
心臓病のために仏教寺院に帰依していくのですが、彼女はホ・ジュンに、
「御医としてではなく、子供たちとは友達として話し相手になって下さい」と言い残します。

子供は慣例により正室が“王の子”として引き取られます。
そうですね…、王からの寵愛を失くした時、側室の影も薄れる…。
それだけでなく、子供たちも父親の愛から遠ざかる…。

(『亀巌ホジュン』のビハインド)
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上の写真は恭嬪の長男と次男(光海君)。
恭嬪(コンビン)は御医のホ・ジュンに大人の会話として、
「(正室への)嫉妬をしないと決めた時に、肩の荷が降りました…」と。

そして、後に王となった光海君は、“先王が死んだというだけで流刑にされていた”ホ・ジュンを呼び戻して、滞っていた漢方の医学書の編纂を完成させます。
こして大陸の医学をベースとして、半島版の薬学・薬草の知識の集大成ができました。
これが現在では世界遺産となっている「東医宝鑑(トンイボガム)」です。

2.恭愍王と崔榮(チェ・ヨン)将軍のこと
(チェ・ヨン:生1316年 ~没 1388年)

ドラマ『信義』と『六龍が飛ぶ』のチェ・ヨン将軍。
ドラマ『信義』では、高麗時代の末期の王の特殊部隊として歴史の裏で倭寇と戦った赤月隊がありました。
その後継部隊として、30代で于達赤(ウダルチ)の隊長を務めたのがチェ・ヨン。
チェ・ヨンは廃位された先王(まだ10代の忠定君)に仕えていたために、忠義について一時悩みました。
逆に、恭愍(コンミン)王も同じくヨンの“忠義”について一時は疑問を抱きました。

時代は変わり、後のドラマ『六龍が飛ぶ』では武官のトップ、あるいは首相クラスの重鎮となっています。
李成桂に対して、王と共に鴨緑江(アムノッカン)を渡れと命を出したのがチェ・ヨン将軍でした。
そして、アムノッカンの威化島からリターンした李成桂に死罪にされます。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3180.html
しかし、李成桂が追尊して現在でも軍人+忠誠心の鑑となっています。
ちなみに、近年でもソマリア沖での韓国漁船の救助などで活躍している巡視船の名前に「チェヨン」があります。

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(この写真と以下もウィキペディアより)
少年のころから活力に満ち溢れ、威厳があった。
16歳の時に「黄金を石ころのように思う人間となれ」と崔瑩の家系に伝わる家訓を遺言として父は死んだ。
崔瑩は生涯この教えを守り、清く私欲のない人生を送った。
剛直にして忠臣、なおかつ清廉という最上級の評価をなされている。

(『信義』ではウダルチのトクマンを演じたユン・ギュンサンでした)
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3.流刑の地

高麗の恭愍(コンミン)王と朝鮮王朝の光海君は、外交政策を巡る反対派により、それぞれ暗殺と流刑となりました。

済州島
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古くは沖縄にあった琉球王国と同じように、
済州島には耽羅(タムナ:탐라)王国がありました。
後に編入されるとしても、
それぞれの出身の人々の誇りでもあると感じます。
(写真は魔除けのトルハルバン)

史劇で良く出て来る流刑地は
江華島(カンファド)が定番。
そこは王族や官僚などの政治犯がまずは流刑になった島。
ただし、ここは漢江(ハンガン)の河口の島で、戦略上の要衝でもあり、また漢陽から遠くはない。
しかも、設備が整っていました。
ドラマ『逆賊』でのチュウォン君はいとも簡単にカムバックしました。
変わって、燕山君は中宗反正により江華島に島流しとなりました。
満30歳の時です。

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しかし、究極の流刑地(島)となれば、済州島(チェジュド)。
個人的にはこの島の温暖な気候が好きなのですが、<朝鮮王朝>当時は江華島とは違って、もう帰れない過酷な地だったようです。
済州島の北海岸には“恋北亭”という名の東屋があります。
ここに多くの政治犯たちが集い、遠く“北の漢陽”を思い、語り合ったそうです。
光海君もこの東屋から北の海を見つめたのだと思います。

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(韓国で一番高い山は済州島のハルラ山:1950mの山全体が世界遺産です)
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(2年前の9月の登山でした)

済州島でのお勧めはウニとワカメのスープ。
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(北の海岸に並ぶ鮮魚のレストラン:2015.09)

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# さて、気になるのは第28話のこと。
そして明日と明後日に放送される第29話と最終話。

まずはギルドンの矢を胸に受けたカリョンの容態

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「不思議なことに、もう死んでいてもおかしくないのに…?」

「…」

「急所にもっと近かったら…。しかし、もう体力が限界だ…」

「…」
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そして、しばしばアップになる朴元宗(パク・ウォンジョン)です。
彼がクーデターを起こし、燕山君を廃位に追い込みます。

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