灰色のクーデター

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(2017.04.29@Nagasaki)

フランス革命はおよそ230年前の18世紀末のこと。.
贅沢を欲しいままにしていたマリー・アントワネットの斬首刑…。
今年2017年は、江戸幕府が終焉した“大政奉還”の年からちょうど150年です。
また、大韓民国では元・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の生誕100周年です。

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(はじめに)灰色のクーデター

クーデターと言えば、リーダーが軍(武官・武人)を率いて現政権に圧力かけるもので、<朝鮮王朝>では“反正(パンジョン)”と称されます。
反正=正しい道に戻す(戻った)という意味です。

<朝鮮王朝>で称されるの二つの反正は、
第11代王・中宗の“中宗反正(チュンジョンパンジョン)”での第10代王・燕山君の廃位と、
第16代王・仁祖の“仁祖反正(インジョパンジョン)での第15代王・光海君の廃位。
この2度だけだと思っていました。

しかし、ドラマ『逆賊』を見て初めて知って調べたのですが、第7代王・世祖(セジョ)が第6代王・端宗(盧山君)を廃位したのも、実質はクーデターだったようです。
ただし、世祖反正とは呼ばれていません
なぜかと思うと、次の二つの例にあるように即座に王の座を奪ってはいません。
まずは、高麗を滅亡させて<朝鮮>を建国した李成桂(イ・ソンゲ)のことと、次いで首陽(スヤン)大君のこと。

1.クーデターか禅譲か

雪解けで増水した鴨緑江(アムノッカン)を、5万もの兵に渡河させることは危険・不可能。
そう判断した李成桂(イ・ソンゲ)は、王命による大陸出兵であったものの、中州の威化島からUターン(「威化島回軍(ウィファドフェグン)」)して高麗の首都・開京を開城させました(1388年)。

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# ムヒュル(役ユン・ギュンサン)たちは、将軍に「我々5万人の兵士には、祖国で待つ10万の両親がいます」と。
李成桂は「10万の、祖国で待つ家族の元に引き返す!」と号令を掛けるシーンでした。
(『六龍が飛ぶ』第20話)

将軍としての李成桂の判断は兵士とその家族を思った実利的な結果だとされ、クーデターとは定義できないという説が強い。
李成桂は回軍で実権を掌握したものの、それまでの高麗(王政)を維持し、「朝鮮」と新号を決めるのは4年後の1392年だからだとされます。
また、
その4年間のことを描いた『六龍が飛ぶ』は、5男の李芳遠(イ・バンウォン)が主人公。
兄(次男)の李芳果(イ・バングァ)と共にバンウォンが実際の建国の立役者だったからです。
それぞれ、第2代王・定宗→第3代王・太宗に即位することになるのですが、この政権交代は仲良しだった兄弟間のいわゆる“禅譲”です。
(なお、李成桂はそれ以前の子供たちの政争を見つつ、仏教に帰依しました)

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# 写真右中央は政策補佐官の鄭道伝(チョン・ドジョン)

李芳遠(バンウォン)は2度の王子の乱(#)を起こして、李成桂の政策補佐官だった(朱子学の学徒)鄭夢周(チョン・モンジュ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺害しました。
ドラマでは、鄭道伝が“成均館(ソンギュングァン)”に逃げ込んだところを引き出しました。
この成均館での講義は朱子学が中心でした。
鄭道伝が創った“密本(ミルボン)”の思想・政府組織が次のとおりで、そこには絶対王権は存在しません
フラットな関係です。

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(三司)
司憲府(サヒョンブ:法律・検察・官僚の監察:従二品)
司諫院(サガンウォン:王への進言・顧問:正三品)
弘文館(ヒョンムングァン:歴史の記録・宮中の文書:正三品)
いずれも大監(テガム)、令監(ヨンガム)がトップです。

『六龍が飛ぶ』の李芳遠も、彼の息子の第4代王・世宗(セジョン:ドラマ『根の深い木』)にも受け入れられない思想でした。
『逆賊』の燕山君も、“密本”とその朱子学の流れを自負する“士林派”を嫌う点が、この“絶対王権の不在”です。
# バンウォンの“王子の乱”は武力によるものですが、思想的には孔子・孟子の本来の儒学に基づいているとの解釈です。

2.灰色のクーデター~第7代王・世祖(セジョ)のこと

第4代王・世宗(セジョン)はそのハングル創製により、歴代王のファン投票をやればナンバーワンを競うと思います。
ただし、もとよりの彼の悩みは、元子(ウォンジャ:正室からの最初の息子)・世子(セジャ)、後の第5代王・文宗(ムンジョン)が病弱だったことだと思います。
文宗の在位期間はわずか2年3か月で、38歳で亡くなりました。
その時、世子の魯山君(ノサングン)はわずか11歳です。

他方、世宗の次男の首陽(スヤン)大君(後の世祖)は文武両道で野心家だった。
文宗の息子の魯山君が第6代王・端宗(タンジョン)となると、王族の長老で代表なのでその後ろ盾が必要だと思ったはずで、政界に登場。
ただし、先王が“息子を宜しく”と遺言したのは、金宗端(キム・ジョンソ)らの大臣たち。
朱子学に沿って絶対王権を認めず、宰相政治を求める官僚たちは、世宗の3男の安平(アンピョン)大君と手を組んで首陽大君の勢力を抑えようとしました。
安平大君も文武両道の人でした。

勢力が2分した中で、1452年9月に端宗が「明」から冊封されました。
これに対する返礼の使者として、明に赴いたのが首陽大君です。
あえて、自分が行くと主張したとのことで、これには内政には関心がなく、外交を進めるとの姿勢を見せたと見られています。

首陽大君は、翌年の1453年4月に帰国し、その後の6か月間に本格的な準備を整えたようで、1453年10月10日に「癸酉靖難(ケユジョンナン)」という乱を起こします。
これは魯山君に対するものではなく、上記の金宗端たち領議政・左議政・右議政(首相と副首相2名:外交・内政のトップ官僚)がターゲット。
宰相政治で内政を牛耳っていた首相・大臣たちを処刑し、自らが領議政(首相)に就任します。
第7代王・世祖(セジョ)として即位するのは2年後です。

1455年に「危険を感じた端宗(魯山君)は王位を退いて上王となり…(下記の出典;119p)」とあります。

そして、その後に魯山君の復位のための元の重臣たちの動きが発覚し、1457年に賜薬、16歳でした。
重臣たちのことは、「死六臣」および「生六臣」といわれる忠臣のことで、これは後日紹介します

(この世祖についてのドラマは視聴していないので、
 朴永圭(パク・ヨンギュ)『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社、2012年3月
 よりの引用です)

3.ギルヒョンの回答は禅譲

(私は)首陽大君については黒に近い灰色のクーデターだと思いますが、ギルヒョンはそこを上手く科挙試験の答案に反映させました。

第11話では、“科挙試験”の際にギルヒョンが、“王のハートをつかむ”回答を書きました。
彼には燕山君の曽祖父・世祖に関する“隠された史実”を知っていたと思われます。
あえて、中国の堯(ぎょう)と舜(しゅん)のことを思わせるように、世祖が起こした乱を“禅譲”として書きました。

第2次までパスした受験生には王からの出題なので、3次試験には王も参加しました。
燕山君からの出題は“人材”
(# 人の才能と意味でしょうか?)

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…王は人々を慈悲の心を持って治める。
王と忠臣はお互いへの忠誠心と誠の心でもって接する。
過去、魯山(ノサン)君が譲位したのは、
世祖の才能を認めたからであり、
世祖は譲位を断ることはできなかった。
それは魯山君への忠誠心からだ。
何と言う徳であろうか…。

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ウィキペディアでは次のとおりです。

中国の伝説の皇帝・天子、堯(ぎょう)と舜(しゅん)

堯には丹朱と言う息子がいたが、臣下から推薦者を挙げさせた。
放斉は丹朱を挙げ、驩兜は共工を挙げたが、堯は二人とも退けた。
みなが虞舜(舜)を挙げ、性質がよくない父と母、弟に囲まれながら、彼らが悪に陥らないよう導いていると言った。
堯は興味を示し、二人の娘を嫁した。
それから民と官吏を3年間治めさせたところ、功績が著しかったため、舜に譲位することにした。
舜は固辞したが、強いて天子の政を行なわせた。
舜の願いにより、驩兜、共工、鯀、三苗を四方に流した。
20年後に完全に政治を引退し、8年たって死んだ。
天下の百姓は父母を失ったように悲しみ、3年間音楽を奏でなかった。
3年の喪があけてから、舜は丹朱を天子に擁立しようとしたが、諸侯も民も舜のもとに来て政治を求めたので、やむなく舜が即位した。

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クーデターには正当性を宣言しないといけないので、その前後に官僚・文官が作る名目・名分が必要。
しかし、
「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉があるように、起きた時は白黒つけがたいグレーなもの。
現代の視点を<朝鮮王朝>に持ち込んでも無意味かもしれませんが、
まずは、法治国家・民主主義国家の観点からは、流血は×。
そして、
クーデターの後の政権の評価の方が大切だと思います。
つまり、それが民百姓・国民の生活向上に繋がったのか?

これまで第15代王・光海君のことは<王朝絵巻>で何度も書いたように、彼は大陸での「明」→「清」の移行期を把握して、戦争を避けようとしました(追尊して欲しいです)。
これに反して“反正”と称した仁祖反正により、半島は「清」からの侵略を招きました。
こちらは限りなく黒に近いクーデターだったと思います。
この模様はドラマ『華政』のとおりで、仁祖が歴史的な屈辱を受けるだけでなく、民百姓の犠牲とその後の清への服従という結果でした。

さて、先週放送の『逆賊』第27話でのこと。
およそ7か月に及ぶ粛清、「甲子士禍(カプチャサファ):1504年」の後は、絶対王として全権を掌握した燕山君。
しかし、2年足らずの後には「朴元宗(パク・ウォンジョン)の乱」または「中宗反正」と呼ばれるクーデターで廃位されるに至ります。

パク・ウォンジョン(朴元宗)は、第27話の最初に無言で登場しました。
今後の彼の行動がどのように描かれるのか、ギルドンとのコラボがあるか?
これも楽しみの一つです。

…盗賊…、ホン一族…

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# 正二品の官僚で、彼の姉は第9代王・成宗の兄の月山大君(ウォルサンテグン)の妻です。
もともと武官の出身で、軍部とのコネクションが強かったとされます。

(第1話でのプレリュード)
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# ギルドンたちには外部から何らかの支援が期待されるところです。

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