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実話とフィクションと…①<王朝絵巻>

<王朝絵巻 シーズン2>
実話とフィクションと…

暗行御史(アメンオサ) (1)


テレビドラマの「水戸黄門」は全国を行脚しながら、地方の悪代官を懲らしめ、庶民の味方として面白く描かれています。

同時代の朝鮮王朝での全国行脚といえば、「暗行御史(アメンオサ)」のこと。
国王から絶大の信頼を得て、いわば陛下のライセンスを持った映画007シリーズのような隠密でした。
彼らから半島全道の情報が国王にもたらされました。

彼らは、事目(サモク:公務のマニュアル)、鍮尺(ユチョク:死体検分用の真鍮の尺)、馬牌(マベ:身分証明書)の3つの道具を持ち捜査権を活用していました。
この馬牌こそが水戸黄門の“印籠”にあたります。

ドラマ『チャン・オクチョン』では、

「チョナ、こんなお時間にお仕事なのですか?」

「ああ、暗行御史が帰って来ている。
 彼らの働く時間は夜だ」と、

オクチョンのベッドルームから執務室に向かうスクチョンでした。

暗行御史(アメンオサ) (2)

スクチョンの時代に朴文秀(パク・ムンス)という元官吏で後に暗行御史となった人がいました。
彼の語り継がれる逸話は慶尚道(キョンサンド)で仕事をしていた時のこと。

ある日、海岸に海流に乗って多くの瓦礫が流れ着いていることを見た彼は、北方での水害を推理し、すぐさま在庫の穀物を北の地方に送ろうと、反対者を退けて実力行使。
船に穀物を載せて自ら輸送しました。
案の定、半島の北東部の咸鏡道(ハムギョンド)で洪水があり、穀物が底をついていたところでした。
政府に穀物を要請しても1か月は時間を要するところを、まるで奇跡のように穀物を届けたのが朴文秀(パク・ムンス)の大手柄として庶民から喝采を受け、後代まで碑文が残されています。

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暗行御史(アメンオサ) (3)

暗行御史が登場する「春香伝(チュニャンジョン)」

韓国では特に有名な伝承話(#)に「春香伝」があります。
舞台、ドラマ、映画など、今でもこれからも、しばしば脚色が加えられて受け継がれていくラブストーリーです。

ウィキペディアに話の概要が掲載されていました。

全羅道・南原府使の息子・李夢龍(イ・モンニョン)と、妓生(キーセン)である月梅(ウォルメ)の娘・成春香(ソン・チュニャン)は、広寒楼で出会い、愛を育む
しかし、父の任期が終わり、夢龍は都に帰ることになる
夢龍と春香は再会を誓い合う。

新たに赴任した卞(ピョン)府使は、春香の美貌を聞きつけて我が物としようとするが、春香は夢龍への貞節を守ることを主張して従わない
激怒した卞府使は春香を拷問し投獄する。
いっぽう夢龍は科挙に合格して官吏となり、暗行御史として南原に潜入した
夢龍は卞府使の悪事を暴いて彼を罰し、春香を救出する。二人は末永く幸せに暮らした。

もう少し話に色を付けておきます。
①月梅は元妓生で、娘の春香を可愛がりました。高官の息子・夢龍は、16歳の美人・春香に一目ぼれ。
夢龍は春香に使いを出して呼び出しますが、「私は妓生ではありません。どんな高官のご子息であっても応じられません」と断ります。それでますます夢龍は春香を好きになり、頭を下げます。
②夢龍の正直さに春香は折れて、二人はつき合いはじめます。
③夢龍は春香を連れて行こうとしますが、家族の猛反対で諦めます。身分がお互いに違うことで2人は悲しみます。
④新たな府使はピョン・ハクトといい、女たらし。しかし、春香は「自分には一生を約束した人がいる」と貞操を守ります。
⑤ハクトの誕生祝いの祝宴に夢龍は潜入して、「暗行御史参上!」と、ハクトを解任します。合わせて、無実の罪でとらわれていた人々も解放します。

# ユネスコの無形文化遺産にも登録されている、パンソリなどで口承されてきました。
なお、パンソリ(판소리)とは、朝鮮の伝統的民俗芸能(人気の音楽)で、口承文芸のひとつ。

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先日は百日紅(サルスベリ)の木でしたが、今日は百日紅の華です。
saru f

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王朝絵巻 オクチョンのころ


「女性たちの韓半島(한반도)」にて、
陰の悪女3人を紹介しました。
彼女たちこそ、
韓国半島の歴史を約50年もの間、
世界から孤立化させた真犯人です。

ところで、すでに「オクチョン42歳のころ」で、
私なりの結論を書いたのですが、追加を含めて
以下をまとめておきます。

1.チャン・オクチョンに関する評価

ウィキペディアで見ると以下。

康熙40年(1701年)に仁顕王后が病没すると、西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した。
その結果、1701年10月10日、張氏は粛宗から賜薬により処刑された。
享年42。

禧嬪張氏の人物像は、粛宗時代のことを記した朝鮮実録がもとになっているが、編集を完了したのは、英祖の時代であり、その母、淑嬪崔氏は、禧嬪張氏と対立していたため、禧嬪張氏に不利な内容になってしまった可能性もあり、本当に根の腐った人だったかは不明である。

しかし、熾烈を極めた宮廷の権力争いの中、中人という決して高くない身分から王妃になった彼女の生涯は「劇的」「悲劇的」などと関心をもたれ、現在の韓国では、しばしば文学や映画、テレビドラマの題材に取り上げられる。

淑嬪崔氏=トンイ=ムスリなのですが、
彼女にとってはオクチョンの存在が邪魔だった。

西人派から送り込まれたこと、
同じ派閥のイニョンとも手を組んだこと、
これは間違いないと思います。
ただ、
1701年の4月に昌慶宮を追い出されており、
その主因は分かりませんが、
淑嬪崔と禧嬪張は両成敗を受けたと思います

ドラマ『トンイ』ではトンイは昌慶宮には戻りませんが、
実際にはこの4年後に淑嬪崔氏は息子と共に、
宮殿で暮らすことが認められました。

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(この写真は4月13日の水原・華城です)

2.スクチョンの気持ち

絶対君主として内政、外交、経済を活性化した王です。
内政では、
西人派、南人派そしてその後の老論派と少論派と、
荒れ狂う官僚たちを統治するために苦慮したはず。

優しさと強さの両面を内外に示さざるを得なかった。
そう考えられます。
つまり、政治のためには家族も犠牲にした。
それくらいの怖い存在でもあった。

ドラマでは東平君が「王は怖い人」と言います。
オクチョンは当初「哀れな人」と称します。
スクチョンは「むしろ平凡な身分だったら良かった」
と“王権強化”が時代の要求でもあったので、
家族を犠牲にしてまで仕事を選んだのだと思います。
また、
オクチョンはムスリに「この国は怖い国です」と言います。
つまり、王をも恐れない派閥の官僚たちの存在のこと。

これが第20代の景宗と第21代の英祖という、
二人の息子たちの悩みでもあったと思います。

3.オクチョン42歳の頃

今日で『チャン・オクチョン』はOFFにしたいと思います。
KJSの王朝絵巻などで歴史を駆けたみなさん、
いかがでしたか?

汚い言葉やネガティブな表現は避けたいのですが、
“子作りマシーン”や“嫉妬の正室と側室”などなど、
“生々しい人間の欲望”が渦巻く王と王妃に加えて、
それだけでなく周囲の官僚たちの“欲望の利害”。

こんなことがなければ朝鮮王朝はもっと栄えたのでは?
そんなことを考えますが、人は同じことの繰り返し。

ドラマ仲間との会話ではほとんどが、
男優・女優の演技のことです。
今回の『チャン・オクチョン』でも、
あの時のオクチョンの気持ちはどうだったのだろうか?
そんな質問には誰も答えません。
エンタメなので、そこまで深く考える必要もない。

しかし、
KJSらしさはそこらへんに求めたいと思っています。
あの日あの時あの人は何を思っていたのか?
それを考えるのは実に楽しいです。

1694年、『トンイ』が後の英祖を産んで、
その後の粛宗とそのヨニングンとの野山での遊び。
1701年のオクチョンの賜薬までの間は、
オクチョンは後の景宗の子育てをしていました。
“女”ではなくて“母”としての、
女性だけの楽しみだったと思っています。

(第20話の後半、
 チェ・ムスリに出あった後のことです)

しかし、その夜のスクチョンは
オクチョンの寝顔を見るために、
ムスリと出会った後に、
就善堂を訪れるところでした。

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4月13日・月曜日はソウルからの日帰りで、
水原(京畿道の道庁所在地)の“華城”で、
第22代王・正祖(イ・サン)を思っていました。

帰った後はちょうど『華城』の第1回放送日だったので、
ホテルで早速MBCを見ていました。
最初の所感は、貞明(チョンミョン)公主の子役の
ホ・ジョンウンちゃんの可愛くて、演技の上手さ。

ちょっとしたことで、視聴→ブログの弾みになりました。
実は、
貞明公主とイ・サンには深いつながりがあるのです
これは<王朝絵巻シーズン2>でも触れています。

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愛に生きたオクチョン

Shasta daisy(シャスターデージー)
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(photo by nana)

愛に生きたオクチョン

愛に生きたオクチョン(1)

康 煕奉『朝鮮王朝・王妃たちの運命』
(2011.12.15 実業之日本社)pp.130~134では、
①「小説『謝氏南征記(サシナムジョンギ)』
が市中に出回ると、
 庶民は改めて仁顕王后・閔(ミン)氏に同情し…」
②「(正史)朝鮮王朝実録の編纂作業は
張禧嬪に不利な形となったのだ」
とあります。

詳細をまとめると、
1688年、粛宗(スクチョン)は27歳、
オクチョン29歳。この年にユンが誕生。
2人が溺愛した長男(世子)ですが、
側室の子なので元子(ウォンジャ)ではない。
しかし、オクチョンが正室になることで、
正室の長男=元子となれます。
「なにがなんでも正室になること」は
オクチョンだけでなく、スクチョンも希望する。
これはドラマで上手く表現されています


また、
「粛宗は在位が46年間に及んだ…
『(朝鮮王朝)実録』をまとめる作業に
大変な時間がかかった…、
次の王となった景宗が在位4年で世を去ったので、
その作業は英祖の時代に…」
とあります。
つまり、「朝鮮王朝実録」の編纂には、
オクチョンの息子の景宗も目を通していたものの、
その後を引き継いだのは、
ムスリ=『トンイ』の子の英祖の時代なので、
オクチョンのことは良く書けなかった


小説『謝氏南征記』と合わせて、
正史であってもオクチョン=悪女説が流布された。

本当のオクチョンは、
スクチョンへの“愛に生きた”だけで、
政治にはあまり関心がなかった。
ただし、西人派と南人派の“政争の具”にされた。
そう考えます。

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愛に生きたオクチョン(2)

「オクチョン42歳の頃」で書いたように、
1701年というのは、
西人派の中が“老論派”と“小論派”に再分裂し、
急先鋒の老論派がオクチョンを死に追いやった
この陰にはムスリ=トンイがいた“かもしれない”。
そう推測しています。
そして、老論派の長老のキム・マンギは、
自分の孫娘(新安東・金氏;15歳)を
正室の座に就けた(史実)。

しかしなぜ粛宗がオクチョンを見放したか?
この疑問が今でも残っていますが、
史実では1701年当時は既にムスリには、
7歳になる息子(後の第21代王・英祖)がいた。

ドラマ『トンイ』では、
この息子へと気持ちが移っていた。

さらにはムスリの息子を強力に支援したのが、
キム・マンギを首班とする“老論派”だった。
これも史実であり『トンイ』でも同じ。

ただし、『チャン・オクチョン』では、
淑嬪・崔氏は単なる政略上の側室であり、
派閥のバランスを取るためだけだった。

さらに、
もう一点の疑問を付け加えるとすれば、
淑嬪・崔氏は1701年4月に昌徳宮から
追放されており、
同年8月に仁顕王妃が心臓病で亡くなり、
同年10月にオクチョンが賜薬です。
あの問題の、“藁人形での呪詛”を
宮中から出ていた淑嬪・崔氏が
事件を仕掛けることが可能であったか?

私は謀略を仕組んだのはキム・マンギと
急先鋒の老論派だったと思っています。

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最後に『チャン・オクチョン』のまとめ

スクチョン(粛宗)は13歳で即位。
側室を持たなかった先王の正室からの嫡子でした。
ただ一人の世継ぎだったから、
文武両道の教育を受けたことは確かだと思います。
そして、とても賢い若者だったから、
王室での“結婚観”は単に政略
(これは東平君との会話で描かれました)
ただし、
ドラマにあるように彼は最初の正室(仁敬)が好きで、
3人の娘(これは史実)をもうけたのだと思います。

しかし、その後の正室には目もくれず、
オクチョンだけを愛した
崔氏との間に後の英祖をもうけますが、
それは(西人派分裂後の)
老論派との“バランスをとる戦略”だった。

これが脚本の奥義だと思っています。

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応援のアクセス、ありがとうございました。
心より御礼申し上げます。


『亀巌ホジュン』のころから王朝の歴史に興味が出て、
まだ勉強中ですが、実に不可解なことが多いです。

…なぜ? なぜ?

といつも思いつつですが、
今後も「なぜ?(ウェ?)」が続くと思います。
野次馬に過ぎなくとも、「なぜ?」を大切に、
探求することがとても楽しいです。

また、「日本ブログ村」へのアクセスの数で、
皆様の評価で、自らの反省を繰り返している次第です。

7月1日から『華政』(キム・イヨン脚本)です。
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王朝絵巻 粛宗のころ

<王朝絵巻>
1.王朝518年


康 煕奉『朝鮮王朝』(2013.06収穫社)によれば、
1392年の初代王から4代までの約50年間で
王政の基盤が整備された。
この王政を支えたのが官僚制度で、
中央から地方まで内政が組織化されて、
地方の豪族の反乱の芽は摘まれたこと。
もう一つには国教にした儒教。
儒教は秩序ある生活規範を重んじ、
また儒教は男尊女卑を認めるので、
厳格な身分制度を維持することにも都合が良かった。

しかし、官僚への依存が強くなったために、
官僚が派閥争いに明け暮れて、
これが王朝の病巣になったこと。
さらには、儒教の格式主義が実学の発展を遅らせ、
王朝の経済の停滞の要因となった。

以上、
史劇のファンのみなさまも納得だと思います。
であらばこそ、第19代王・粛宗、
第21代王・英祖および第22代王・正祖の
改革路線が評価できると思います。

2.身分の壁

およそ1割の王室・両班を支配者層にして、
壁の向こうの被支配者層が中人、常民、賎民。
とくに賎民の子は賎民なので、職業すら選べず、
奴隷(奴婢)で一生を終える人だって多かった。

こんなピラミッド型の身分制度に加えて、
本来の王道を正す儒教思想が形を変えて、
両班や庶民にまで、
“男尊女卑”を容認するといった横糸のために、
「七去之悪」などを強いていました。
何度も引用している康煕奉(カンヒボン)氏の本には、
この男尊女卑の思想は
“朱子学”によるとの記述があります

縦も横も強固な岩のような身分制度。
宮殿の外では、
男子は武官、女子は宮廷の尚宮・女官へと、
チャンスを見いだしたのかもしれません。
張禧嬪だけでなく淑嬪・崔氏だって、
それ相当の天分がないと側室にはなれず、
またシンデレラだったと思います。

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(税が払えず流民となった人々も…)

3.粛宗のころ(1)

「謝氏(サシ)南征記(ナムジョンギ)」

世継ぎを産んだという実績は非常に大きなこと。
しかし、これにてオクチョンが正室になり、
仁顕(イニョン)王妃が廃妃・追放された。
この顛末を風刺した小説が「南征記」で、
このドラマでは、
キム・マンギの弟が書いたことになっています。

西人派のネガティブキャンペーンであったものの、
オクチョンだけでなくスクチョンに対しても、
民心が批判に転じました。

スクチョンが“優柔不断”との説。
これも後世にまで残ります。

民心を重んじ、また、
民心の力を恐れてもいたスクチョンなので、
ことのショックは大きく、ドラマでも悩んでいます。

イニョンを哀れに思う気持ちは宮中にも広がり、
他方ではオクチョンの悪女説が流布されます。
南人派にそれくらいの文才があれば、
歴史の評価は違っていたと考えられる、
巧妙な民衆心理の扇動だったと思います。

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(祝日の庶民の楽しみ)

4.粛宗のころ(2)

ウィキペディアで粛宗を検索すると、
彼の功績について以下の記述があります。

粛宗は換局によって朋党内の対立を触発、臣下間の政争を激化させると同時に王権を強化して国王に対する忠誠心を誘導した。
そしてこのような換局政治を通じて強化された王権を土台に、民生安定と経済発展に相当な業績を残した。

粛宗はまず、光海君以後実施して来た大同法を慶尚道と黄海道まで拡大させ、初めて全国的に実施するようになった。
そしてこの時から活発になり始めた商業活動を支援するために常平通宝を作り、広く使用するように奨励した。
しかし粛宗の王権強化政策は、政治勢力を徹底的に利用しなければならない側面があるため、絶対的王権は粛宗の治世で終わりとなり、粛宗のように力強い王権を持った王は二度と出なくなった。

常平通貨のことはドラマにも出ました。
大同法」は映画『王になった男』でもありました。
光海君(第15代王)の発案によるもので、
両班や地方の豪族にも、所有土地の広さに応じて、
税金を課すというものです(これにて小作農民は無税)。
つまり、両班の懐に手を突っ込んだというわけです。

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(庶民とはまた違った華やかな宮中の祝日風景)

5.粛宗のころ(3)

仲良し東平君のこと

東平君はいつもオクチョンの味方でした。
彼は第16代王・仁祖(インジョ)の孫で、
スクチョンよりも1歳年上の幼馴染でした。
スクチョンと東平君がオクチョンと出会うのが、
それぞれ19歳、20歳と21歳でした。

東平君はチャンファミリーにとっても味方。
オクチョンの母親のユン氏、オクチョンの兄のヒジェ、
それにチャン・ヒョンにも近かったと思われます。

何が原因だったのかは分かりませんが、
彼は1701年に亡くなります。

この年の4月には淑嬪・崔氏が昌慶宮を出ており、
8月には仁顕王妃(イニョン閔氏)が心臓病で亡くなり、
10月には張禧嬪が賜薬で亡くなりました


連座でしょうかね?
チャン・ヒョン(叔父)、ヒジェ(兄)も、
この東平君も同年に亡くなっています。
東平君は41歳でした。

私は西人派(老論)による大粛清だと思っています。

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オクチョン42歳のころに

康 煕奉『悪女たちの朝鮮王朝』(2014.06双葉社)では、
淑嬪・崔氏が張禧嬪を陥れる動機が確実に存在した
 …、
 張禧嬪は小さな悪をたくさん積み重ねたかもしれないが、
 実際に人を殺したり露骨な陰謀を仕掛けたり…、
 といったことはしていない」(p.183)とあります。

『チャン・オクチョン』は明日でおしまい。
まだまだ、
ぐいぐいとストーリーが押し寄せてくるのですが、
最終話は素晴らしいまとめ方だと思います。

終盤から第24話へと、
この間には約13年が駆け足で描かれています。
明日の最終を前に、これまでの史実
書き残しておきたいと思います。

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(ドラマには
 この絵に似たデザインの屏風が出てきます。
 これはイ・サンの“華城への行宮”の様子です。
 国立故宮博物館:2015.04.15撮影)

1.1694年

第21話(下) 民心操作で紹介したように、
仁顕王后(廃妃)を復権させるために、
西人派(老論)が、『南征記』という風俗小説を発刊しました。
この民心操作の効果は絶大だっただけでなく、
粛宗の心も大きく揺れました。

仁顕王后が復位します。
1694年、イニョン27歳です。

②淑嬪崔より第21代王・英祖誕生1694年(9月)
(ムスリ24歳)
なお、淑媛(スグォン)就任は1693年(4月)
(ムスリ23歳)

③この年にオクチョンは“嬪”に降格しました。

この1694年の②を背景に、
①、③の出来事は、明らかに、
西人派(老論)の工作だとしか思えません。

1694年はオクチョン35歳の時で景宗は6歳です。

2.オクチョン42歳の頃(1701年)

そしてオクチョンが42歳の1701年のこと。
(粛宗:スクチョンは40歳)

①張禧嬪(チャンヒビン:オクチョン)
1659~1701年(11月没:42歳)
<南人派>

②仁顕王后(イニョン)
1667~1701年(8月没:34歳)
<西人派>

③淑嬪崔(スクビンチェ:ムスリまたはトンイ)
1670~1718年没
昌徳宮から追放1701年(4月)~1704年
<西人派・老論派>

4月から11月にかけて①~③の一連の出来事。
②の病気のイニョン(心臓病)を背景に、
西人派(老論)の手による“でっちあげ”などなど
(藁人形での呪詛はその一部)
③追放された淑嬪崔と老論派との裏工作にて、
①オクチョンが賜薬にて、
自害させられたと考えるのが自然だと思います。

また、同年には、
伯父のチャン・ヒョン、兄のチャン・ヒョジュだけでなく、
東平君が亡くなっています

この年は老論派による南人派へのとどめの一撃。
大粛清が行われたと推測できます。
ファミリーを支援した東平君も連座だと推測します。

オクチョン没は42歳、景宗は13歳でした。

3.スクチョン(第19代王・粛宗)の換局政治

換局政治について付記しておきます。
この時代は王の権限が著しく蔑まれ、
派閥抗争に明け暮れる官僚たちが悪事を働き、
非人道的な行為を省みなかったと思います。
オクチョンだけでなく、スクチョンも、
二人ともその犠牲者だった。
官僚たちは王を守ることをしなかったし、
王族たちは苦悩の日々を送ったのだと思います。

庚申換局(キョンシンホァングク)1680年
 ドラマでは福善君の反乱(南人派→西人派)

己巳換局(キサファングク)1689年
 オクチョンが翌年正室に(西人派→南人派)

甲戌換局(カプスルファングク)1694年
 イニョン復位・オクチョン降格(南人派→西人派)

側室を持たず、長男のスンだけを愛した先王。
その遺言は、“誰も信じてはいけない”でした。
第19代王・粛宗は、
西人派と老論派から政治的、“掟”の前例により、
3人の正室を迎えてはいるものの、
本当に愛したのはオクチョンだけだったと思います。

なお、粛宗は新たに、仁元王后(イヌォン)を迎えます。
彼女は、1687~1757年没。
(ドラマ『チャン・オクチョン』に出る
キム・マンギの孫娘)
推測ですが、1702年、彼女が15歳の時に正室へ。
<老論派>

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(撮影最後のショット:日本語版DVDより)

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数年前、『朱蒙』、『チャングムの誓い』などから、
韓国ドラマの史劇も視聴し始めたのですが、
当時はやはり巨匠イ・ビョンフン監督
(当時のMBCのディレクター)の作品をフォローしました。
(日本でもNHKがそうだったと思います)

しかし、『亀巌ホジュン』やこの『チャン・オクチョン』、
さらには映画「宮女」、「王になった男」、「王の涙」と、
次世代の監督たちの作品を見ていると、
歴史の解釈が大きく反転していると考えています。

この1年ほど、たくさんの本やネット検索で調べたことを、
<王朝絵巻>シーズン1~2を通じて紹介しています。
そこで考えたことは、①第15代王・“光海君”、および
②この“張禧嬪”のことでした。
この二人の名誉回復が重要だと思っています。

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オクチョン30歳のころに

『トンイ(同伊)』を見た人は自然にトンイ派。
『チャン・オクチョン』を見た人はオクチョン派。
私も数年前にブログを開いてから“トンイ”に嵌りました。

しかし<王朝絵巻>を進めるにつれ、
なんとフィクションばかりの王朝ドラマだと気付いた次第。
歴史ドラマファンの方々は既にお気づきだったと思いますが、
私はようやく理解し出したところです。
同時に「なんでこんなにも歴史解釈が違うのか?」
それは、
きっとわずかな資料だけしか残っていないからだ。
脚本家の理解と演出家の描き方にも無理はない…。
そう思うことにしました。

そういう私は“オクチョン派”です。 
先日までの<王朝絵巻>のまとめでも、
次の3点を挙げました。

①第15代王・海光君は、
 罪よりも功績が大きかった。
②張禧嬪(チャンヒビン:オクチョン)は、
 派閥間の政争の犠牲であった。
③日韓・韓日関係は19世紀まで良かった。
 禍根を作ったのは20世紀前半の50年の間。

以上は<王朝絵巻>をパート6まで進めているうちに、
ドラマと数々の書物が教えてくれたからです。

両班たちや官僚たちの“身分差別”と
“実家一族”主義の偏狭さが国をも衰退させた。
そう思わざるをえません。
これに対して、国民を思う王たちの映画・ドラマが、
最近は歴史観を変換させているようです。

映画『光海(王になった男)』の第15代王・光海君、
この『チャン・オクチョン』の第19代王・粛宗、
また、
映画『逆鱗(王の涙)』の第22代王・正祖がそうだと思います。

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(MBC『華政』より:
 今度は7月から、『華政』をアップをします。
 「①第15代王・海光君は、
 罪よりも功績が大きかった」を追及します)

1.オクチョンとスクチョンの私生活

オクチョンの略歴
1680年:二人の出会い(21歳)
1686年:淑媛(従四品相当)
1688年:第20代王・景宗を生む(29歳)
(この時には、正二品の昭儀)
1689年:“嬪(正一品)”へと昇格(30歳)
1690年:朝鮮史上唯一の中人出身の王妃(31歳)
1701年:42歳で他界。

(康煕奉『朝鮮王宮-王妃たちの運命-』2011.12実業之日本社)
および下記、
(ウィキペディア)
張氏は中人(仁同張氏)の出身で、仁祖の継妃で粛宗の曾祖母に当たる荘烈大王大妃の女官として宮中に入った。
しかしながら、1680年10月から1681年3月の間に宮廷から追われた。
当時の朝鮮では西人派と南人派の党派争いが展開されており、西人派が仁顕王后閔氏を後ろ盾に政権を握っていた。
しかし仁顕王后は王妃に立てられてから6年を経ても子供に恵まれなかった。
そこに目をつけた荘烈大王大妃を始めとする南人派は康熙25年(1686年)に「美貌に秀でた」張氏を再度、後宮に送りこみ、承恩尚宮(スンウンサングン、正五品相当)とした。
張氏は1686年12月10日に「淑媛」(スグォン、従四品相当)に立てられ、さらに1688年に「昭儀」(ソイ、正二品相当)へと昇進し、同年10月27日には王子李昀(後の景宗)を生む。
康熙28年(1689年)1月15日にはその功労によって「嬪」(ピン、正一品相当。側室の最上位)に昇進し「禧嬪(ヒビン)」と号され、李昀は王世子に立てられた。

他界するまでは出会いから21年です。
ただし、
1694年:淑嬪崔(『トンイ』)が息子を産む
したがって、
オクチョンが35歳の時には、
スクチョンとの関係に何か変化が出たと思われます。
しかし、
少なくとも出会いから14年間は愛し合った。
また、
亡くなるまでに息子が13歳になっているので、
少なくとも29歳からの13年間は、
スクチョンと息子と共に家族の生活を営んだ。

以上がオクチョンの略歴と、
これまでの検討から想像できるふたりの私生活です。

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(日本語版DVD収録の舞台裏)

2.派閥抗争(老論派と少論派の政争)

まずウィキペディアから、

粛宗が朝鮮を治めた期間は、朝鮮建国以来、党争が最も激しい時期だった。在位中に南人と西人の党派対立関係が激しくなり、1680年、南人の専横に歯止めをかけたい粛宗が南人を大量に追放した庚申換局(キョンシンホァングク)を契機に、西人が老論と少論に分裂してこれらも互いに党派争いをするようになった。

ドラマでは福善君以下の南人派による謀反により、
庚申換局(1680年)がありました。
南人派が一掃されて、西人派が議会を独占。
しかし、仁顕王后が廃位されると共に、今度は
己巳換局(1689年)で西人派が一掃されます。
これで南人派の政権復帰。
ただし、今度は政権を担う力量不足から、
甲戌換局(1694年)で南人派が退かされて、
再度西人派が主流になります。
以上のように粛宗は絶対君主としての権限を、
3度も活用した強い王だったと思います。

そこで、
西人派の「老論派」と「少論派」なのですが、
ウィキペディアによれば、
1680年の庚申換局で分裂とあります。
他方、康 煕奉(カンヒボン)氏の研究では、
分裂は1700年とあります。
(康煕奉『朝鮮王朝』2013.06収穫社)

この20年間のギャップのこと。
ドラマを振り返ると、スクチョン
(世子:イ・スン)の最初の王妃選びの際に、
同じ西人派からの候補ではあるものの、
大妃が協力に推薦するミン・ユジュンの娘の
イニョンと、
キム・マンギの娘のインギョンが選考に残るものの、
分裂を狙ったのか、スクチョンは本命ではなく、
インギョンのことを王妃(最初の正室)に選びました。
これで、
キム・マンギとミン・ユジュンの間に溝ができます。
(1680年頃)
しかし、
ドラマではわずかなシーンであるものの、
二人は西人派のために仲直りと協力のために、
杯を重ねます。西人派が一致団結するわけです。
つまり、
1700年頃を老・少論派分裂とするのは、
再分裂説ではないかと思うわけです。

幸いにウィキペディアでも次の短いフレーズがありました。

復位6年後に仁顕王后が亡くなると、仁顕王后を呪ったとして1701年10月10日、禧嬪張氏は賜薬により処刑された。
しかし党争は西人と南人の対立で止まず、西人がまた老論と少論で分離して対立するようになった。

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派閥の終焉は正祖が亡くなってから。
イ・サンが10歳の頃でした。
父親の荘献(思悼世子・荘祖)の処遇を巡って、
父親を追い詰めた老論派の中にも、
穏健で同情を示した時派(シバ)と、
強硬派の僻派(ビョクハ)
に分裂します。
その際には映画『逆鱗』に出てくる、
サンの母よりも若い貞純(チョンスン)大王大妃は、
僻派に組します。1762年のことでした。
また、第22代王・正祖イ・サンは、
父親を追い詰めた老論派を嫌います。

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李氏朝鮮王朝 記録に残らない女性たち

#「小説『シンイ』チェ・ヨン将軍に流れるDNA」
 あれこれ調べていた際に、
 他の逸話のほうにスピンアウトして書き溜めておいた話です。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-1914.html

1392年に建国された李氏朝鮮王朝
1910年まで、520年あまり続きます。
正史は「朝鮮王朝実録」なのですが、ほとんど記録されていないのが
『大長今(テチャングム)』(チャングムの誓い)、
『同伊(トンイ)』
記録がほとんどない中だからでしょうか、大きく創作されて、
巨匠イ・ビョンフン監督が大作を仕上げています。

それに、ウダルチ仲間で話題となったファン・ジニのこと。
韓国の歴史ドラマはこれだから面白い。

今日はチャン・ヒビンとファン・ジニの逸話

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1.悪女チャン・ヒビン

朝鮮王朝3大悪女を歴史の順にみると、
最初の悪女・チャン・ノクスは、
第10代・燕山君(ヨンサングン)の側室。
2番目の悪女がチョン・ナンジョンで、
第11代・中宗(チュンジョン)の王妃の参謀。
この2人は同じく賎民の出です。

そして、3番目の悪女が、
『同伊』のオクチョンことチャン・ヒビン。

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(演じたのはイ・ソヨン)

彼女は第19代・粛宋(スクチョン)の
中殿(チュンジョン)です。

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(スクチョンを演じたのはチ・ジニ)

チャン・ヒビンが登場するのは、
2人の悪女から数えて150年以上も後のことです。
先の悪女とちょっと違うのは、チャン・ヒビンは中人の家柄

当時の身分制度は、

①両班(武官・文官)、
②中人(法律・医学・語学などの専門職)、
③常民(農・工・商などの平民)、
④賎民(普段の生活は平民であるが、
    奴婢として売買の対象であった)

なので、この序列では2番目にあたります。

トンイとオクチョンのこと

王の正室は中殿(チュンジョン)と呼ばれ、住むのが中宮殿。
また、王のファミリーとなる側室には次の序列があります。

嬪 ビン(正一品)
貴人 クィイン(従一品)
昭儀 ソイ(正二品)
淑儀 スギ(従二品)
昭容 ソヨン(正三品)
淑容 スギョン(従三品)
昭媛 ソウォン(正四品)
淑媛 スグォン(従四品)

オクチョンは1686年に淑媛(スグォン)
1689年に世子が生まれて嬪(ビン)の称号。
これでチャン・ヒビン<禧嬪張氏/張禧嬪>。
さらに、
1690年には中殿(チュンジョン)と、正室になります。

トンイは1693年に淑媛(スグォン)となり、
淑嬪崔氏>です。
この崔(チェ)氏がチェ・ヨン(崔瑩)将軍と同じ姓なので、
なぜが連想していたわけです。

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(トンイを演じたのはハン・ヒョジュ)

元チュンジョンであった
仁顕(イニョン)王后は1690年に廃位されますが、
彼女はトンイの助けも得て、
トンイが側室になった翌年の1694年に復位します。
つまり、チュンジョン(正室)に戻ることになります。

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(演じたのはパク・ハソン)『3 days』のヒロインです。

オクチョンは正室から側室に格下げとなり、
「嬪 ビン(正一品)」に戻り42歳で生涯を終えます。

なお、女官の最高位は尚宮(サングン:正五品)、
それに尚宮の中でも、
最高尚宮(チェゴサングン)が設けられているようです。

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(「徳寿宮」での序列を明示したもの:2013.10.21撮影)

2.ファン・ジニ

『ファン・ジニ』はユン・ソンジュ作家。
彼女が脚本家になる前は国語の先生だったとのことで、
有名な漢詩も教えたことがあり、
まさかファン・ジニをヒロインにしたドラマを書くとは、
「教師をしているときには夢にも思いませんでした」と。

NHKドラマでは妓生(キーセン)の字幕ですが、
男性たちも妓女(キニョ)と呼んでいました。
また、
「芸のために生きて芸のために死ぬ」妓生であり続け、
体を売る娼生ではないことが強調されました。
韓国では誰もが知る女流詩人でありるにもかかわらず、
生年月日や没年も記録が残っていなようです。
ただし、伝わるところでは一般人だったらしく、
妓生はフィクションです。

(出典)
 康煕奉(カン ヒボン)
『朝鮮王朝の歴史と人物』(実業之日本社、2011.07.)

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さて、その漢詩。
以下は、naoさんから頂いたコメントです。

ファン・ジニ(黄真伊)の漢詩。
奉別蘇判書世譲
送別蘇陽谷

月下梧桐尽
霜中野菊黄
棲高天一尺
人酔酒千觴
流水如琴冷
梅花入笛香
明朝相別後
情興碧波長


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(『ファン・ジニ』のイントロのシーン)

李王朝第11代中宗(1488~1544)のころの実在の人物。
ドラマではハ・ジウォンが主演。
ハ・ジウォンのアクションだけでない、
踊りの美しさにも驚かされました。
この詩はファンジニがある大臣に向けて送った漢詩だそうです。

蘇世譲(陽谷は号)という判書(大臣)は、常日頃
「女色に惑わされるようでは男とはいえない」と豪語していたのですが、
黄真尹と30日限定で暮らすことにしたそうです。
30日目に蘇世譲が帰り支度をしていたときに、
黄真尹が詠んだのがこの詩で、彼はこれを聞いて
「俺は人に非ず」と嘆き、服を脱ぎ捨て、
黄真尹と褥を共にしたといいます。

最後の2行です。

明朝相別後(明日朝別れた後)

情興碧波長
情…感情 気持ち
興…興す 新しくできる 栄える 盛んである 
碧波…青い波 海原
長…長い 成長する 育つ 増加する

『情興碧波長』

「あなたへのこの思いは広く深い海のように大きく募っています」
(私が海の広さ深さを測れないように
 あなたへの愛を推し量ることはできません)
(以上 by nao)

fan jini
(演じたのはハ・ジウォン)

また次の絵はAPBさん提供。
sumie.jpg
(英文サイト:soompi[Drama 2012] Faith 신의より)

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<アジアン ライフ>


住んでいるマンション群の隣りが小さな公園。
しばしば日向ぼっこするのですが、
小型犬を散歩させているアジュマたちに出会います。
時間帯が同じだと顔見知りになって、
声かけられるようになるのですが、話題が住民の噂にも及びます。
先方からはプライベートな話もでるので、
「なるほど~」とだけしか言いませんが、面白くもある。

人は人を知ることからまずは近しくなっていくのでしょうね。
ただし、他人だから「野次馬」にもなって行きますね。

at the park
(先日はドラマの撮影をやっていましたが、
 スタッフは20人にも及ぶのですね)

『結婚の女神』も『温かい一言』も
他人のカップルの暮らしに興味があるから視聴されるのでしょう。
しかし、おおよそ8割の普通のフツーの結婚生活の方々には、
2つのドラマは実感はしないと思います。

話題は転じて、『朝鮮王朝実録』のこと。
これは王様の日々の仕事や生活を記録したものですが、
読むとまったく面白くないです。
ネットで検索して訳を読めば良いのですが、
ほとんど箇条書き。
「何月何日、朝何時に起きて、何を食べた…。
 夜は○○王妃の寝室に行った…」
これは、船舶や航空機の航海・航空記録と同じで、
いわゆるログ(航海日誌)ですね。
(ウェブ ログはブログ・Bログ)
真嬉
しかし、
この実録から創作されて
ドラマや映画が制作されます。

イニョン王妃の
妊娠の謎を追いかけた医女の映画。
パク・ジニ主演の
(彼女の最初の)王朝史劇の話は、
ログの記録からの謎解きでした。
この映画は視聴に制限があるので、
ここではあまり書けませんが、
ポイントは「実録」でした。

これに限らず多くの史劇がわずかな記録から
続々と生まれ、大作に成長しているようです。
「野次馬」根性が芸術にまで昇華されたら最高ですね。
韓国の時代劇は自由闊達でチェゴ!

<Woodalchi Barrack>

#『信義』をご覧にならなかった方は、
「ウダルチバラックって何?」でしょうね。
 命名は単に思いつきです^^。
 でも今になって思えば、
 ウダルチ隊長(テジャン)チェ・ヨンを守り、
 コンミン王と王妃(ワンビママ)のために、
 決死の覚悟で戦いに挑んだチュソクとトルべのこと。
 彼らがが天国で笑えるようにと思います。
 なので、
 テジャンに隠れて馬鹿馬鹿しい噂話もOK
 日常生活での冒険もOK
 ブログに関係ないこともOK
 バラック(兵舎)の中で情報交換しましょう。
 
先日、naoさんから頂いたコメントでは、

「時代もの タイムスリップものでのオススメは
『イニョン王妃の男』です。
 タイムスリップの方法や時間(時代)の使い方が、
 とっても変わっていて、
 すごく考えてあるシナリオだったと思います。
“ザ・ファンタジー”ですが…」

# 300年のスリップで現代に飛ぶそうですね。

ついで一昨日のAPBさんからのコメント

「「信義」の後、タイムスリップものに興味があって、
 「ナイン 9回の時間旅行」を視聴しました。
 9本のお線香。それが燃えている30分程だけ、
 きっちりその20年前にタイムスリップできる。

 列車のポイントを切り替えるように
 どんどん(個人の)歴史が変わります。
 「目の前に事実があるのに、記憶が無い」という状態。
 毎回、反転に次ぐ反転。
 最終話でお線香の意味を主人公が語ります。
 「イニョン王妃の男」と同じ脚本家で、
 「イニョン…」より先に書かれたもの。
 ドラマの中できっちりタイムスリップが描かれ、
 枠組みが実にかっちりしているウェルメイドな作品です。
 ロマンスを前面にわかりやすくしたタイムスリップもの
 ということで先に「イニョン…」がドラマ化されたそうです」

さらに2枚の絵(こちらは400年のスリップ)が届いています。
これは、
『星から来たあなた』の最終話をご覧になった方々が描く
ふたりの将来。
makomakoさんとAPBさんの
熱いハートと期待が描かれていると思い引用させてもらいます。

5am toshiraku1

# 食べてみたいトシラク(弁当)です!
(APBさんからmakomakoさんへのソンムル)

5am toshiraku
(以上2枚、APBさんより:出典soompiサイト)

私の方からは次のとおり、来週に向けて、
今日は『アイリス2』の最後のシーンの動画です。
『3days』ではユチョンの所属が大統領府警護室。
合わせて重要なのは「裏」の
国家情報院(Nationai Intelligence Service: NIS)も
どこかに出てくるかもしれません。

こちらは「記録に残らない男たち」です。

『アイリス2』とその前の『アイリス』は同じく、
国家のために命をもいとわない男たちなのですが、
裏舞台でのスパイ活動。
NISの悲しいエージェントたちの愛と死のドラマでした。

シーン1. ユゴンが原子爆弾を抱えて大空に散るシーン
     「スヨナ、とっても会いたくて、
      とっても愛した」
     「オッパ…、オッパ!」
     「俺はこれから行くから…」
(OST;ダビチの「知らないのですか?」)

シーン2. 脱北の2人のスパイ(姉妹)の再会
(姉役のキム・ソヨンは『アテナ』を含め、
 シリーズを通して3作目の出演)

シーン3. スヨンがユゴンの遺灰に触れながら、
     「オッパ、天国の両親と幸せに…。
      また、来るからね…」

そしてメイキングです。
(OST;ぺク・ジヨンの「忘れないで」)

動画のバックはダビチの「知らないのですか?」と
ぺク・ジヨンの「忘れないで」の2曲。
『アイリス2』と『アイリス』のそれぞれのテーマです。
『3days』は大統領府警護室と警察なので、
ハッピーな結末だと確信しています。
が、
NISなどの裏のエージェントたちは
誰からも知られないうちに、覚悟しているんですよね。

# 今日は私が最高に好きな女優と男優の
 パク・ジニとチャン・ヒョクの2人をご紹介したく…。
 実は心から2人の共演をずっと期待しているのです。
 チャニョ(チャン・ヒョク)は『アイリス2』までに既に
 イ・ダヘとは3回も共演する義兄妹なのですけどね。

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同伊(トンイ)のころの裏話


17世紀末の朝鮮王朝。
第19代の王粛宗(スクチョン)に愛され、
第21代の王英祖(ヨンジョ)の母となったのが
淑嬪(スビン)崔(チェ)氏(同伊:トンイ)。
ドラマ『同伊(トンイ)』は長い朝鮮王朝の歴史の中でも、
4大悪女とされるチャン禧嬪(ヒビン)の時代。
トンイは側室のヒビンと対立します。
他方、正室のイニョン王妃には子供ができず、
ヒビンとの抗争(派閥争い)に巻き込まれて、
宮廷を追放される。
しかし、トンイ達の支援も得て復位します。
逆にヒビンは、陰謀に加担していたことが判明し降格され、
最後には死罪を受ける。

無題6017

こんな『同伊』の歴史の裏で、
パク・ジニが主演した映画があります。
ヒビンの子供に関する
2007年のサスペンスが『宮女』です。

無題113

あらすじ

6年前女官のチョンリョンは出産の経験。
原因は王族のセクハラです。

無題101

その後、医女として専門官となり、
数々の検視を経験。
正義感の強い、腕利きの医女となっています。

「首を吊ったら埃が周囲に飛び散るけど、
見てごらん、埃の動きがないわ」
無題104

ある、医女が自殺に見せかけられて殺される。
そのウォルリョンには
子供を産んだ後があることを
同じ医女のチョンリョンが発見。

無題103

王の正室は子供に恵まれず、
側室チャン・ヒビンに子が生まれる。
ヒビンは皇太后から、
生んだ子を正室の養子にするように求められる

無題105

チョンリョンは
ウォルリョンが子供を産ませられた後に
殺されたという推理を立て、
それを証明しようとする。

無題106

監察尚宮との会話

「高価なもので、王室の印が刻まれています。
 王室は宮廷の女に手をだしますから…」

「王室の誰かがウォルリョンを殺害したというの?」
無題110

「ええ」

「あなたは、法の裁きを受けるつもりなの?!」

「うやむやにしたら、次の犠牲者が出ます!」
無題111a

邪魔も入ります。

無題111d

チョンリョンはさらに調査を進め、
ウォルリョンは
ヒビンの代理として子を身籠ったことが分かります。
王がヒビンの部屋を訪れた記録と、
ヒビンの生理のサイクルの不一致から、
王の子供ではありえないことを発見したのです。

無題150

さらに、チャン・ヒビンとウォルリョンが
姉妹であったことも…。

無題151

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朴 真嬉(パク ジニ)


# この映画は一般的には推薦できません。
 ホラーの要素、バイオレンスの要素、
 男尊女卑の典型のような朝鮮王朝という
 時代背景(日本も同じ歴史)。
 スクリーン描写も
 見る者の身を震わせ、
 目をそむけたりさせます。

 しかし、
 パク・ジニssiのファンには必見だとも思います。
 なぜか…、

 結末は、チャン禧嬪の企みを暴くものの、
 権力のために口を閉ざして、
 その行為がチャン禧嬪には認められて、
 彼女の主治医に昇格します。
 
 そんな物語なのですが、
 ジニssiの終始緊張した表情が良いのです。
 時代の流れに逆らい、また、のみ込まれながらも、
 ある時代のある女性像を表現したと思います。

無題111e

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朴 真嬉(パク ジニ)
プロフィール

ユーモン

Author:ユーモン
ドラマは たくさんのことを 教えてくれます

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