悪女にされた女性たち

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(イ・サンが建設した水原の“華城:ファソン” の行宮正門:2015年撮影)

歴史に揺れた女性と歴史を動かした女性たち

パリで生まれたイタリア人の経済・社会学者にパレートがいます。
彼の功績は、今でも何かと使われる2対8の比率で、「パレート最適の法則」。
統計手法を用いて、およそ2割の高額所得者が国富の8割を占めているという実証を行ったからです。
例えばハチやアリでも、働いて実績を上げているのは、約2割だとの生物学的な分析もあります。

<王朝時代>の王族と両班の人口はおおよそ全体の1割とされます。
9割の庶民が圧政に苦しんでいたので、小説「洪吉童伝」などが生まれたのだと思います。
今日は転じて、これまでのドラマや本での知識から、女性たちの王朝について触れておきます。
悪女とは…? です。
現代は民主憲法とその下にある法律で犯罪が明確になっていますが、それでもモラルとか価値観は人によって多様なので、以下は私の個人的な考えだと思って下さい。

もしも、良い人と普通の人と悪い人が、1対8対1の比率であれば、悪い人が1割で残る9割は問題がないので、この世はおよそ平穏であるはず。
しかし、例えばサッカーファンが勝った負けたで相手チームのファンたちと喧嘩するみたいな、感情が先に立つと理性が失われていくので、1対9の比率が激変することが起きる。
先の米国大統領選挙の際に、ヒラリー・クリントンが主張していた、“民族性や宗教上の非寛容を許してはいけない”は、とても大切だと思います。
相手を受け入れて仲良くしたいもの。

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王妃のヘアスタイル(左:パク・ハソンのテスモリ 右:ハン・ヒョジュのトクジモリ)

1.7つの戒律と7人の廃妃

アバウトに男尊女卑と言うよりも、次の戒律を列挙した方が適格だと思います。
「七去之悪(チュルゴジアク)」といわれた<王朝時代>の離婚の要因です。

・嫁として夫の両親に仕えること
・跡継ぎの息子を生まなかったこと
・不倫(#)
・嫉妬深いこと
・病弱であること
・おしゃべり
・人を騙すこと

# こんな文化はあの当時だけではなかったのではないでしょうか?
ちなみに、
“姦通罪”が憲法裁判所(日本の最高裁にあたる)で違憲とされたのは2000年代に入ってからのことです。

また、7つの“ダメ出し”以外にも、
「出嫁外人(チュルガウェイン)」といって、“嫁いだら外の人”…、
なので、「もう実家の人ではないから、帰るな」と言われた…。
何とも不自由な時代だったかと思います。

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(『チャン・オクチョン』のユ・アインとキム・テヒ)

次いで廃妃の7人を列挙します。
(正室の座から廃妃(ぺビ)または降格された7人の王妃)

①第6代王・端宗の正室・定順王后
②第10代王・燕山君の正室・(廃妃)慎氏
③第11代王・中宗の正室・(廃妃)慎氏
④第15代王・光海君の正室・(廃妃)柳氏
この4人はクーデターでの夫の廃位による結果。
なお、ドラマ『逆賊』に出たように、端宗は廃位されて魯山君(ノサングン)と降格しましたが、およそ200年後に追尊されて、廃妃・宋氏も定順王后とおくり名をもらいました。
上記の中宗の正室は燕山君の正室と同じファミリーから嫁いでいたからで、これは“とばっちり”だと思います。

⑤第19代王・粛宗の正室・仁顕(イニョン)王后
⑥そして張禧嬪(チャン・ヒビン:禧嬪・張氏)
(ドラマ『トンイ』、『チャン・オクチョン』であまりにも有名)
この二人は老論派と小論派という“政争の具”となってしまいました。

こうしてみると、
⑦7番目にあげる(先に書いた)「王の顔を引っ掻いた王妃(廃妃)」
第9代王・成宗の2番目の正室で、燕山君の母・済献(チェホン)王后・尹(ユン)氏だけが、とてもユニークな存在だったことが分かります。
現代では、単に“夫の顔”といえばそれまでですが、上記の”嫉妬禁止”の王政の時代なので、“尊(龍)顔を引っ掻く”のは社会問題となって周囲からも“納得された廃位”だったのでしょう。
ただし、ひとつ指摘しなかった点は彼女は12歳年上の妻だということ。
姉さん女房なので、年功序列の社会では“ヌナ”
なので、心理的には廃妃の方が上位だったかもしれません。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3145.html

また、『トンイ』と『チャン・オクチョン』を描いたドラマの視点は180度違っていて、良し悪しの評価が紙一重の差だと思います。
いずれにせよ、女性の中でも歴史に名を残した点では「命を懸けて」一生を羽ばたいた。

2.表の悪女と裏の悪女

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(『逆賊』の張緑水)

(1)表の悪女

男尊女卑の<王朝王朝>の中で、例えば両班の妾になるとか、女官への道から側室になるとか、上昇志向が強かったのが張緑水(チャン・ノクス)だったようです。
つまり、“貧乏は嫌だ”。
そして、たった一度の人生だから“可能ならば社会進出したい”という高い望みを持っていたのだと思います。
彼女は分かり易い存在です。
なので、チャン・ヒビン・オクチョン(禧嬪・張氏)と並んで、一般的な“悪女”の代表になっています。
ただし、
当時のモラル基準からも、現代のモラル基準からも“いわゆる悪女”として同列には扱えないと思います。
禧嬪・張氏は政争の具にされただけ。
MBCは『逆賊』により、性格的に激しい面を持った張緑水を描いています。

他方では、戦々恐々として派閥の看板の陰にいた男たち(官僚)のことが小動物に思えます。
人道的な観点から、あるいは儒教の基本的な思想から、男たちは女性との対話やコントロールを考えなかったのでしょうか?

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(左から、『トンイ』の粛宗、トンイ、チャン・ヒビン、内禁衛将)

(2)裏の悪女

『イ・サン』は名君だった第22代王・正祖を描いたドラマでした。
祖父の第21代王・英祖は官僚の派閥を上手く束ねて、またイ・サンはその力を弱めることに成功したとされます。
イ・サンが亡くなったのが1800年。
19世紀がやって来て、国際情勢が大きく変化を見せていた頃です。
既にフランスでは革命が起きて、ヨーロッパは市民社会へと移行が始まっており、また米国が独立したのは1776年です。

ここで政権を牛耳っていた二人の女性
この二人は女性の社会進出に成功したとはいえ、政府のトップに立つ者の資質として、国際感覚がなく排他的(非寛容)だったので、民百姓の民主化を遅らせたと思います。

①半島では、60代の第21代王・英祖(ヨンジョ)に10代で嫁いだ(正室)貞純(チョンスン)王后(1745~1805年)が、イ・サンの祖母として歴史に登場しました。
第22代王・正祖(ソンジョ:イ・サン)が亡くなったのがちょうど1800年です。

サンの息子がまだ10歳だったので、簾の背後から政治を操る貞純大妃の「垂簾聴政」が始まりました。
民主主義の観点から見ると、彼女の歴史的な罪は宗教上で排他的であったこと。
その60年の生涯の中において、天主教(カトリック)を弾圧し、フランス人宣教師を含めて数万におよぶ信者を殺害しました。
天主教が持つ平等思想が身分制度の国にとっては不都合だったからです。

②次いで、イ・サンの息子・第23代王・純祖(スンジョ)の正室・純元(スヌォン)王后(1789~1857年)。
少年の王に嫁いだわけですから、彼女も少女時代。
しかし、背後にいたのが実家の安東(アンドン)・金氏です。
純元王后の68年の生涯のほとんどにあたる、60年間くらいが「勢道(セド)政治」といわれ、実家の金氏が政権を掌握しました。
賄賂が横行した腐敗政治の時代だとされます。
彼女には罪はないかもしれませんが、この時代はドラマで美化するのが非常に難しいと思います。

3.朱子学一辺倒の“失われた100年”だった…。

儒教のオリジナルの経典として一般に挙げられるのはは四書五経。
しかし、時代の変遷と共に生まれた亜流の「小学」の朱子学は、為政者に都合よく利用されたと思います。
江戸時代も<朝鮮王朝>も、身分制度、男尊女卑、他宗教への不寛容により庶民社会を統治したと断言しても良いと思います。
平等思想のキリスト教を弾圧したのは、この為政者のご都合によるものだと思います。
また、民主化の遅れもここにあると考えています。

先週の『逆賊』を視聴していて、やはり…。
と思ったのは、ギルヒョンとギルドンの妹のオリニに記憶障害があって、兄たちのことを覚えていないこと。
そればかりか、“守貴単”の師匠たちから洗脳されているようです。
ギルドンの妻・カリョンに対して、「王からの寵愛を受けるにも順番がある」と、オンニにあたる女性に突っかかっています。

しかし、宗教的に寛容となってきたのが<朝鮮王朝>の末期だったと思います。
近代化を進めようと、高宗にも明成皇后にも、勢道政治から脱却した国際感覚がありました。
第26代王・高宗の在位1863年からのドラマ『明成皇后』は、日本との関係のイメージが分かり易かったです。
ただし、衰退する大陸の清ではなくて、いち早く近代化を進めた日本との関係が良好だったならば…、
と思うと残念です。

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(イ・サンと高宗;
 国立故宮博物館のガイドから聞いた話です。
 第21代王・英祖と第22代王・正祖は、もとは英宗と正宗だったが、第26代王・高宗により追尊され、
 それぞれ、英祖と正祖の謚が贈られたそうです)

(以上は次を参考にしました)
康煕奉『悪女たちの朝鮮王朝』双葉社(2014.06)
朴永圭『朝鮮王朝実録(改訂版)』キネマ旬報社(2015.10)など。

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絶対王権→立憲君主制→民主主義へと、大きな歴史の波が押し寄せる中で、その波に乗った国々と、乗り遅れた国々の市民生活には大きな差が生まれたのだと思います。
冬が終われば春が来る。
当たり前のように春風を享受して、当たり前ですが、“民主主義”の時代に生まれて良かったなと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E

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# 明日から4日間はイ・サンの映画『逆鱗』を再編集してアップします。

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推薦したい歴史ドラマ

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https://www.youtube.com/watch?v=zriRcKnlU5g
(歌:キム・サンジュン)

歴史ドラマと映画
GWを前におススメのドラマ・映画です。
史劇では史実とフィクションとが融合しているものの、よ~く考えて仕分けしているうちに、“これは歴史の勉強になった”と思っています。

1.歴代の王の即位年とその時の年齢
また、当時を描いたドラマと映画です。

個人的な庶民としての観点から8本(☆)選んでみました。
(太い文字の王は即位の年齢が未成年)

初代王・太祖(テジョ)1392年:57歳
第2代王・定宗(チョンジョン)1398年:41歳
第3代王・太宗(テジョン)1367年:33歳
第4代王・世宗(セジョン)1418年:21歳
以上の時代では、
『六龍が飛ぶ』(☆)
『根の深い木』(☆)


第5代王・文宗(ムンジョン)1450年:36歳
第6代王・端宗(タンジョン)1452年:11歳
第7代王・世祖(セジョ)1455年:38歳
第8代王・蓉宗(イェジョン)1468年:18歳
第9代王・成宗(ソンジョン)1469年:12歳
第10代王・燕山君(ヨンサングン)1494年:18歳
以上の時代では、
『逆賊』(☆)

第11代王・中宗(チュンジョン)1506年:18歳
有名な、
『チャングムの誓い』『ファンジニ』

第12代王・仁宗(インジョン)1544年:29歳
第13代王・明宗(ミョンジョン)1545年:11歳
第14代王・宣祖(ソンジョ)1567年:15歳
第15代王・光海君(クァンヘグン)1608年:33歳
第16代王・仁祖(インジョ)1623年:28歳
以上の時代では、
『ホジュン』
『亀巌ホジュン』
『華政』(☆)
『不滅の李舜臣』
『宮廷女官キム尚宮』
映画『光海』(☆)

第17代王・孝宗(ヒョジョン)1649年:30歳
第18代王・顕宗(ヒョンジョン)1659年:18歳
第19代王・粛宗(スクチョン)1674年:13歳
以上の時代では、
『トンイ』
『チャンオクチョン』(☆)

第20代王・景宗(キョンジョン)1720年:32歳
第21代王・英祖(ヨンジョ)1724年:30歳
第22代王・正祖(チョンジョ)1776年:24歳
以上の時代では、
『イサン』(☆) 
『ときめき成均館スキャンダル』
映画『逆鱗』(☆)

第23代王・純祖(スンジョ)1800年:10歳
第24代王・憲宗(ホンジョン)1834年:7歳

第25代王・哲宗(チュルチョン)1849年:18歳
第26代王・高宗(コジョン)1863年:11歳
第27代王・純宗(スンジョン)1907年:33歳
以上の時代では、
『明成皇后』
『済衆院』

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(2015.12.15の空@景福宮)

2.未熟な王様

上記の即位の際の年齢では、18歳未満が8人います。
自分の感情をコントロールするという点では、未熟ではなかったのかと思われる少年王です。
それぞれに摂政政治が行われて、王は骨抜きにされていたと思います。
裏には大王大妃(テワンテビ)・大妃(テビ)と、その外戚関係で権力を持った官僚たちがいた…。

『朝鮮王朝実録』に基づき脚本化される史劇なのですが、この原典には偏向がある。
弘文館にいた後世の官僚たちによる(派閥の)バイアスがある編纂の結果だと思います。

そこで、王本人が思っていた政治・治世を実現しようと、国王として自立して治世ができていたのは18歳以上の王だったと考えると、上記から未成年で即位した王のドラマ『チャン・オクチョン』が外れます。
しかし、成人してからの第19代王・粛宗が派閥解消のために換局(ファングク;議会の解散)に努力した姿が描かれていますので、これは参考になりました。

# 『逆賊』の第22話までのところで、燕山君はやはり変わっていたのかと、二面性を感じました。
豹変して、まるで王権を利用した独裁者?
次の動画をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=MYT4paeimog&t=14s

これまでは絶対王権と官僚(派閥)との政争として見て来ましたが、自分の狩場のために村人たちを強制的に追い出す(執行はモリ:第22話)シーン。
ここで、見方が変わりました。
宮廷内だけでの背徳の行為で、彼の敵は官僚だけだったと思っていましたが、違いました。
民主主義の観点からは行き過ぎた王だったと言うしかありません。
太陽のように民を照らす王道が儒教の本質だと(知っていた)理解していたならば、あのシーンは残念です。
韓国半島の富も民も全部自分の物だとの発想が独裁に繋がったようです。

①勉強嫌い ×(感性と知性は天才的)
②暴君 ○(民百姓を苦しめた)
③酒池肉林 △(不明)

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3.王朝末期のこと

イ・サン(第22代王)が亡くなったのが1800年。
そして、イ・サンが亡くなってからの半島の100年のうち、およそ60年間は勢道(セド)政治と呼ばれる、王の外戚が権力を握った鎖国の時代でした。
外戚とは安東・金氏で、第23代王・純祖(スンジョ)の妻だった純元(スウォン)王后・金氏のファミリーのことです。
(詳細は次回)

その当時の海外のことを列挙すると、
アメリカの独立 1776年
フランス革命 1787年
そして明治維新が1868年

日本は欧米から80年~90年遅れて、明治維新と共にいわゆる「富国強兵」のための近代化が急ピッチで進みました。
また、半島では1897年に第26代王・高宗が国号を「大韓帝国」と変えて、皇帝に就きました。
高宗(在位44年間)が建築した徳寿宮(トクスグン)の中の近代建築に見られるように、日本から30年ほど遅れて近代化が始まったと思います。
ただし、明成王后・閔氏が頼る外国はまず清であり、夫の高宗の末期はロシアでした。

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(写真は韓国観光公社より)

王朝末期のことは『明成王后』『済衆院』、
日韓併合後の独立運動を描いた映画『暗殺』(チョン・ジヒョン主演)しか視聴していないので、これからの作品を期待しています。

この写真は李氏<朝鮮王朝>最後の第27代王・純宗(国立故宮博物館にて撮影)です。
すでに国号が代わり、彼は第2代皇帝であり最後のエンペラーともなります。

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# 放送・第24話でカリョンがオリニ(=サンファ)を知ることになりました。
一部を先に紹介しておきます。

オンランはノクスのチマを踏んで、罰として投獄されました。
(言い伝えられる逸話の部分です)

「どうして私に親切なのですか?」

「ちょっと(クニャン)…、
 私の妹のように思えるからだわ」

「…」

「あの留め紐の残りの半分を誰が持っているのか知っている?
 あれは私の主人の…」

「あれは私の物ではないです。
 サンファの物で、
 サンファはいつもあれを持って歩いているわ」

「…」
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ソン・ドクファンのところにサンファが報告

「何だと?!
 ホン・ギルドンが生きているのか?!」

「ええ、コンファがホン・ギルドンには興味を示しています。
 ホン・ギルドンが傷を負うと二日ほどは気がめいっています。
 とある日に、ホン・ギルドンのことで“死んだと聞いて可哀想です”というと、
 “なぜ死んだと分かるのか?
 同情する必要はない”とのことでした」
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# コンファはノクスの過去の芸名。
サンファ=オリニ(=守貴単の密偵)のようです。

(第24話のおわり)
https://www.youtube.com/watch?v=Se9CQeOe3MM

「お~い! イ・ユン!」
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# イ・ユンは燕山君の本名で、李㦕(りっしんべんに隆でユン:융)
なお、胸のロゴは“仁”のようです)

# 今月末のKJS『逆賊』は5日間ほどお休みして、5月1日から再開します。
その間はイ・サンの映画『逆鱗~王の涙』です。
再編集しました。
今年もGWを前に佐賀県の有田陶器市に行きます。
昨2016年は、日本で最初に磁器が焼かれてから400年目の記念祭でした。

(↓長崎の英国領事館で使われた皿:中央のマークは輸入元の東インド会社のロゴです。
 昨年:佐賀県・有田:源右衛門窯にて撮影)
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(チャン・オクチョン)
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男と女の“脱賤”への道

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(4月4日の夜桜:@東京・四ツ谷)

ソウルは10日ほど遅く開くようです。
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(汝矣島:ヨイドの桜まつり:2015.04.13撮影)

男と女の“脱賤”への道~支配者階級へと身分を超えて

これまではなんとなく、“両班(ヤンバン)”と言えばノーブルな貴族階級で、官職を得た官僚たちと土地を持つ地方の豪族たちのことだと思っていただけなので、もう少し詳しく調べてみました。

(はじめに)めざせ両班

数々の史劇(ドラマ)に出てくる議場(堂)には、30名ほどの文官や武官たちが列席しています(正式な職名は28)。
彼らは堂上官と呼ばれ、王との直接対話で政策論議を繰り広げます。
また、彼らが立っていたり、座っていたりもします。
品階は正三品以上で、大監(テガム)と令監(ヨンガム)と呼ばれる人たち。

それ以下の官僚は堂下官と呼ばれ、議場には上がることも座ることもできません。
正殿前の石畳には18の品階の石柱が立っていますが、そこで行われる国儀などの大きな式典の際に堂下官たちも集合します。
“いわゆる両班”という言葉は広義で、名誉だけでなく広大な土地(功労田)を持つ狭義の貴賓ある(ノーブルな)両班は多くはなかったと思います。

1.いわゆる両班

ソウルの中心にある光化門(クァンガムン)広場は観光、憩い、イベント、集会などで賑わうところ。

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最初の法宮となった景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンガムン)から入って、さらに二つの門の先に正殿(法殿)・勤政殿があり、玉座が設けられています。
婚儀などなど国を挙げての式典では、玉座から見て左(東側)には文班(ムンバン:문반)、右(西側)には武班(ムバン:무반)が列席しました。
二つの班を合わせて、“いわゆる”両班(ヤンバン:양반)と称しました。

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(写真は玉座から見て右側:2014.09.01@景福宮)
ここには18品階(正一品から従九品まで)が刻んであります。
石柱に沿って各ランクの武官が並びます。

官職を得るには3種類の国家試験(“科挙”)を受けるわけですが、
①文官の試験(文科)を受けることができたのは、両班の嫡子だけ。
②したがって、両班の庶子は武官の武科を受けるか、または、
③もうひとつの、雑科試験(医者、通訳、技術者など)を受けるしか道はなかった。
つまり宮殿の左側(東側)に文官として列席したのは、元よりの両班のファミリーの子弟だけでした。
今日考えたいのは③の専門職のこと。

江戸時代の身分制度は士・農・工・商
<朝鮮王朝>では両班・中人・常民・賎民と、それぞれ同じく4つに分けるのが一般的です。
しかし、法制度上からは支配者階級と他の被支配者層の2階層だけだったので、その観点から考えたいと思います。

2.支配者階級と被支配者層

江戸時代は農・工・商に従事する人々が“士”に支配される被支配者層でした。

<朝鮮王朝>の国法である「經國大典(キョングクテジョン:경국대전 #)」では、良賤制(ヤンチョンジェ:양천제)により良人(ヤンイン:양인)と賎人(チョニン:천인)に2分されています。
そして、<朝鮮王朝>でも江戸時代と同じく、農・工・商に従事する常民(サンミン:상민)および、その下の奴婢の賎民(チョンミン:천민)が被支配者層で、いわゆる両班(ヤンバン:양반)に支配されていました。
さらに、支配者階級と被支配者階層の中間に位置されたのが中人(チュンイン:중인)。
この中人クラスが理解し難いです。

この中人ランクと、常民・賎民の被支配者層から支配者階級に出世するにはどうするか
まずはやはり、“科挙(クァゴ:과거)試験”を受けること。
文官試験は不可能なので、
武官試験または医官(ウィグァン:의관)や訳官(ヤクグァン:역관)になるための雑科試験だけ。

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(両班屋敷の面影が残るソウル・北村:2016.11@プッチョン)

2.中人からの出世の道

支配者階級と被支配者層の中間層だった中人(チュンイン:중인)は普通は世襲制で、町医者や通訳、あるいは特殊な技術を持った専門職と分類される人々のこと。
一般の平民と専門家を区別するためにできた慣例上の身分だったようです。
ここから脱出した男女をドラマの例で3つ思い出します。

(1)ドラマ『亀巌ホジュン』でのホ・ジュンは(父親は武官で両班の)庶子でした。
庶子は科挙試験の中でも文官の試験は受けられませんでした。
そこで、医者(世襲制の町医者)に弟子入りして“中人”と認められます。
そして、科挙試験の“雑科”試験を受けて、医官(従九品)の官職を得ました。
18品階の最下位です。
配属は内医院(ネイウォン:宮廷の医院 #)ですが、希望して平民のための恵民署(ヘミンソ)に通いました。

しかし、いわゆる“両班”と呼ばれるためには時間がかかりました。
正三品の地位を褒章により得て、文官と同様に令監(ヨンガム)と呼ばれます。
そして、正二品以上になって大監と呼ばれます。
ドラマでは大監となってから、“脱賤”という言葉が出ました。
国法上の被支配者層の賎人
(チョニン:천인)から脱し、良人(ヤンイン:양인)となったわけです。
これにて、支配者階級の名実伴う“両班”となりました。
また、これにより息子のホ・ギュンが科挙試験の文科を受験できました。

# 宮中にあるのが内医院(ネウィウォン)で、その外に平民のために設置されたのが恵民署(ヘミンソ)。
両者とも官営です。

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(ドラマ『亀巌ホジュン』のビハインド;
写真の中央が現在のMBCドラマ局のキム・グノ・ディレクターです)

(2)ドラマ『逆賊』での官吏の出世
開京(ケギョン)の県令(従五品)に仕えた官吏だったミ・グモク(後にイム・ジャチ)は中人でした。
後に、アモゲのバックアップで県令となってイクァリに赴任。
そして「戌午士禍」の際の功績が燕山君から認められて、正五品となり、宮廷に自由に出入りできました。
また、
第17話では一つ昇格して、漢城府(首都の都庁)「庶尹」の従四品となります。
(ポストとしては3番目のランク)
この組織のトップは知事クラスの正二品で“判尹”、次に副知事クラスの従二品の“左・右尹”が置かれました。

上記の(1)(2)から、男性の場合は文官では正五品専門職では正三品あたりから、名実共に“両班”と呼ばれる支配者階級に新規参入ということになると思います。
両班の嫡子以外のファミリーにとっては夢物語のようだったと思います。

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(3)もう一つ、
ドラマ『チャン・オクチョン』では、オクチョンは農民(常人)の娘でしたが、叔父の訳官(これも世襲制の職業)に引き取られました。
中人の訳官のコネにより宮中入り。
第19代王・粛宗の寵愛を受けて、側室から正室に至ります。
側室の品階は正一品から従四品までの八段階ですが、子供を産むことでランクアップしますから、トントンと出世、正一品の“嬪(ビン)”を得て禧嬪・張氏の称号を得ました。
男性で言えばもう大監クラスです。
ここで、叔父の訳官も当然ながら中人から“両班”となりました。

この『チャン・オクチョン』の例は男性と女性の出世の道なのですが、オクチョンにお仕えした尚宮(サングン)の身分は頭打ちとなっており、正五品までです
その身分は“中人”です。

3.常民・賤民からの出世の道

常民・賤民の子は常民・賤民(いわゆる奴婢)なので、農・工・商業で忙しくて、勉強する時間が持てなかったようです。
それでも、男性は武官となるべく科挙の武官試験を受けられますし、その他、医官などの専門職になるべく雑科の試験もありました。

(1)ドラマ『逆賊』のギルドンは、賤民の子だったのですが、アモゲと共に商工業に従事して成功。
賤民から常民となり、髪型やファッションも変わりました。
その際にソブリから、今度は科挙の武科試験(武官として官職得る道)を受けるようにと勧められました。
ソブリの方は鉱山技師となったものの(従九品の品階を貰いましたが)、いわゆる中人です。

そして(2)チャン・ノクス(張緑水)。
彼女の母親は官妓といわれる妓生で、“女性の幸せは両班のご主人の寵愛を受けること”としました。
それで彼女も、賤民と結婚するものの、家族を捨ててまで官妓となって歌や踊り、雅楽の教養を身に付けました。
しかしそこに留まらず、ドラマでは“王の寵愛を受ける”という高い上昇志向でした。

そして、“脱賤”に成功。
燕山君は正室の他に、淑儀(スギ:従二品)と淑容(スヨン:従三品)の2人の側室を持ちました。
王朝実録の記録では張緑水は淑容・張氏(従三品)です。

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4.宮廷女官の道

ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で有名なのがスラッカン(水刺間)ですが、スラッカンでの彼女の活躍はフィクションです。

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(扁額と王のテーブル:2016.07.14@国立故宮博物館)

史実でのチャングム(大張今)は低い身分から、宮廷医女を目指しました。
儒教思想では女性が肌を見せることが嫌がられていましたので、王族の女性には女医が必要として、広く階層を超えて能力を求められていました。
御医にまで出世したのは、第11代王・中宗から認められたからです。

(医女たち:『亀巌ホジュン』より)
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宮中に住み込む女官の数は、
<朝鮮王朝>中期には1000人ほどだったとのこと。
王朝末期の第26代王・高宗の時代でも、500人はいたとのこと。

男性と同様に18の品階がありましたが、尚宮の正五品で頭打ちなので、側室となった女性は超ラッキーだったでしょう。
さぞ、
化粧品と装飾品にお金がかかったものだろうと言われています。

女官たちが働く部署は大別して次の8部署
・至密(チミル)…王族ための秘書室
・針房(チムバン)…衣類や寝具製作
・繍房(スバン)…刺繍や装飾品製作
・水刺間(スラッカン)…調理場担当
・生菓房(セングァバン)…水とお菓子担当
・焼酎房(ソジュバン)…お酒作り
・洗踏房(セタッパン)…洗濯と衣類の準備
・洗水間(セスガン)…洗い水の管理
それぞれの部署には官職としての品階を持たない雑用係(ムスリ)もいたようです。

(おわりに)ドラマ『逆賊』での感想

“めざせ両班”と…自分で書いておきながらも、夢のような物語だということを忘れてはいけないと思います。
日本の江戸時代も<朝鮮王朝>も、身分制度の中において最下層の人々のことを支配者階級はまるで“物”や“奴隷”としか見ていなかったと思います。
最下層の人たちはその制度の中で、サイレントマジョリティーに甘んじるしか生きる道はなくて、その中での幸せを求めていたと思います。
不自由な中でのわずかな自由を求めていたのだと感じます。

このドラマの「守貴単」は支配者階級の中でも、朱子学を都合の良いように解釈して、身分制度・男尊女卑・排他主義の教条的・原理主義的な集団を作っているので、怖い。
被支配者階層の人々を洗脳して、自分たちの正当性を訴えるから怖い存在だと思います。
普通の人たちからは近づけない“うがった唯我独尊”の集団だと思います。

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(写真は韓国観光公社@四ツ谷)
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長々と書いてきました。

文官上位の<朝鮮王朝>にあって、
両班の嫡子しか科挙試験を受けられなかったので、
宮中に列席する文官のほとんどは、
両班から生まれた嫡子だったということ。

しかも、
ドラマにあるように、いつも議場で王と議論するのは、
正三品以上の「堂上官」達だけです。
30人ほどで、
それ以下は議場には入れません。

こんな中で民主革命など起こるはずもないと思っています。

なお、実在した『チャングム』や『ホジュン』がいかに優秀な人材だったのか…。
ちなみに、歴史ドラマの歴代平均視聴率では『ホジュン~宮廷医官への道』(2000)が1位(47.1%)で、小差で『宮廷女官チャングムの誓い』(2003)が2位(46.3%)でした。

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三つ子の魂 百まで

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# この写真は昨年の秋に国立故宮博物館で撮影した「国朝宝鑑(ククチョボガム)」です。
燕山君が先王の喪に伏していた際に編纂させたもので、世祖~成宗の時代をまとめて、後の“帝王学”のテキストとなりました。
彼が信じた儒教の基本精神と士林派の思想が違っていたことの証左になると考えられます。

三つ子の魂 百まで仁粋大妃(インステビ)と甲子士禍(カプチャサファ)

「戌午士禍(ムオサファ)」は、史草(「朝鮮王実録」を編纂する前の日誌)に残された、中国の“義王を偲ぶ弔辞の「弔義王文」”が引き金でした。
そのために、「戌午“史”禍」と表記されることもあるそうです。
1478年、燕山君即位4年目のことでした。

その後に起こる1504年(燕山君10年)の「甲子士禍(カプチャサファ)」は、次の第3話(下)でアバウトに紹介しています。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3141.html

1.三つ子の魂百まで~家柄による差別

<第9代王・成宗>
(生1457年:没1494年)
(即位12歳)
2番目の正室・尹氏
(生1445年:没1482年)

「王の顔を引っ掻いた王妃」の廃妃・尹氏は12歳年上でした。
彼女は官僚の娘でしたが、その父親が早世だったために貧しい母子家庭で育ちました。
そのために女官として働き、その後側室から正室になりました。
そして、甲子士禍(カプチャサファ)の深いところにある原因は、成宗の母の仁粋(インス)大妃・韓氏(昭恵王后)が家柄や育ちを重視したことからです。
尹氏の廃位、そして賜薬という事件の裏には仁粋大妃の発言力があったとされます。

<第10代王・燕山君>
(生1476年:没1506年)
(即位18歳)
側室・張緑水
(生?:没1506年)

家柄を気にする祖母の仁粋大妃は、成宗の3番目の正室から生まれた晋城(シンソン)大君(貞顕王后の息子)を可愛がるようになったとのことです。
燕山君にとっては12歳年下の義理の弟に当たります。
つまり、
燕山君は3歳の時に母親が廃位されていなくなり、12歳になると継母からも祖母からも見放されて、広い宮廷の中に孤独に育った…。

しかし、燕山君の心の中には母親・尹氏のことが鮮明に残っていたと思います。
三つ子の魂百までといいます。
彼の深層心理に思いを馳せると、とても悲しくなる母親の悲劇だったと思います。

2.母の悲劇を知って

自分の妻を廃位して賜薬を送ったのは成宗です。
その裏には仁粋大妃と大妃を支援する“士林派”がいました。

『逆賊』第7話…寝所では成宗の臨終でした。
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「アバ媽媽!」

「世子…、服をしっかり着なさい」

「…!」

「世子…、朝鮮は儒教の国だ
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この後に続くのは、燕山君が、
「そんな儒教の国が私の母を殺したのですか
 アバ媽媽が自分の妻で私の母を殺したのですか?」
という言葉でした。

成宗はこの事実を「100年秘密にせよ」と王命を出していました。
しかし、
この事実を暴いて、燕山君に密告したのが戚臣の任士洪(イム・サホン)でした。

官僚の中では、王族との姻戚を関係を持っていた者たちと、功労による勲臣とは別々の派閥を形成していました。
つまり、この密告は勲臣たちと“士林派”を排除して戚臣たちが政権の中枢を握るための政略です。
他方、士林派を嫌う燕山君にとっては、“母の無念”を晴らす絶好のチャンスとなりました。

3.1504年(燕山君10年)「甲子士禍(カプチャサファ)」

第14話のこと。
余命わずかな議政・盧思慎(ノ・サシン:首相や副首相)がギルヒョンに、チョナ(燕山君)の鋭い知性(intellect)が怖いと言います

「チョナにはまだ解決の糸口が見いだせていないことがある」

「?」

「廃妃のことだ。
 血の繋がった母君の廃妃・尹氏のことだが、
 まだ何も決着の解決策が見いだせないでいる。
 それに、チョナの廃妃への怒りを抑える者がいないので、
 これが宮廷内でくすぶっている問題なのだ」

「チョナは個人的な恨みで官僚を罰するような人ではありません。
 ただ、王への反論が続く派閥には、
 怒りを抑えられないと言うだけです」

「ははは、派閥が…。
 私にも思い当たる者はいる。
 そなたと同じ様に派閥を嫌う者がいた。
 “反対する派閥を解消させることこそ、王への忠誠心”だと言っていた。
 しかし、そなたは賢い人だから、
 本当の“忠誠心”とは何のことなのか知っているだろう?」

「…」

「なぜだ? なぜ忠誠心が必要なのか?」

「…」

「私は死ぬ前に、お前を司憲府の大監に指名するつもりだ。
 そなたに頼みたいのは、
 恨みで王権までも堕落させるようなことにはならないようにして欲しい」

…私的な恨みで堕落。
恨みで王までが堕落…。

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<1504年の「甲子士禍(カプチャサファ)」の結果>

死罪;
成宗の側室だった、巖(オム)氏と鄭(チョン)氏(および2人の王子)
官僚の尹弼商金宏弼たち10余人

「剖棺斬屍刑(墓を暴いて斬首)」;
韓明澮、鄭汝昌、南孝温など

尹氏の廃妃に賛同した者;
洪貴達、金処善、李元など26人

その他、燕山君の行動を諫めた者:
2名が斬首と流刑

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知性は勿論のこと、燕山君は音楽や絵画、漢詩を好む鋭い感性の持主だったと思います。
その彼の心、王の心を掴もうとしたのが張緑水だったと思います。
緑水(ノクス)は奴婢(母は官妓)に生まれ、妓生(官妓)となり側室になりました。
正式な記録はないものの、燕山君よりは10歳以上の年上です。

また、ホン・ギルドンは、その王の琴線を揺さぶろうとしたのだと思います。

# 視聴率もあがり、日本での放送も月央には始まるそうですね。
https://www.youtube.com/watch?v=EfBNR8I18QI

# さて、今週放送された第20話ではギルヒョン、ギルドンの兄弟の再会。
それにオリニの宮廷での生活の一部が描かれました。

ギルヒョンとギルドンの待ち合わせの場所

「ソン」

「ギルドナ…」

「…」
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# ギルドンは兄のギルヒョンを“ソン”と呼んでいます。
ソンには「선배(ソンベ:先輩)」のように先に生まれた人の意味があるので、
“ソン”なのでしょう。
要は先人のこと。

明国に向かう船を見つけた」

「ソン。 俺は自首する」

「駄目だ。 絶対にダメだ」

「ソン…。 これから言うことをよく聞いてくれ」

「…」
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# ギルドンは自首することで、燕山君との大きな取引を考えています。

宮廷に連行されたギルドン

「…」
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オリニとオンラン

「何があったの?」

「あの男は、盗賊のホンという頭目だわ」

「んん、そうみたいわね。でもなぜ?」

「なんとなく、悪い気がするわ」

「盗賊だから悪いと思う必要はないわ」

「…」

「でもそうね、私もなぜか親しみを感じるわ…」
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# 兄のことなのに変です。
子供の頃の強いショックや恐怖は、
自らそれを忘れてしまおうとする自己防衛本能があるそうです。
記憶に何か障害があると思います。

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孫から頭突きされた大妃(テビ)

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(景福宮の南門・光化門から出たところ:一昨年の冬)

# 今日は4月1日・エイプリルフールですね。
でも以下は本当の話(「朝鮮王朝実録」から)です。

孫(燕山君:ヨンサングン)から頭突きされた祖母・仁粋(インス)大妃

1.3人の王后のこと

今回の「孫から頭突きされた大妃」は②仁粋(インス)大妃です。
彼女は、(世祖の正室の)①貞熹(チョンヒ)王后の長男(世子)の妻で、2男1女を産みました。
しかし、夫の世子は19歳で亡くなりました。
つまり、10代で未亡人となったわけです。
そして、世祖の次男が第8代王となるのですが、これも運命なのか、即位1年で急死。

突然の人事に驚いたことかと思いますが、②仁粋(インス)の次男が第9代王・成宗となりました。
(長男は早世)
我が子を王に推挙・冊封してくれたのが、①貞熹(チョンヒ)王后です。
なので、仁粋(インス)はもちろん頭が上がりません。

ここに、先に書いた「王の顔を引っかいた王妃」の③廃妃・尹氏に再登場してもらいます。
彼女が燕山君の母親です。

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http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3145.html

彼女の父親は学者でしたが、早死にしたので母子家庭で育ち、生活のために宮中で働くようになり、28歳の時に成宗の側室になりました。
そして、成宗の1番目の正室が亡くなると、貞熹王后がすぐに尹氏を正室に推挙しました。

要は、正室と側室が形成する“大奥”の最長老が①貞熹大王大妃(テワンテビ)。
その次が②仁粋大妃(テビ)、さらに③廃妃・尹氏という序列です。

2.仁粋大妃と廃妃・尹氏の確執

燕山君が3歳の時に“王の顔を引っかいた事件”により、母親の尹氏が廃妃されましたが、廃妃を強く求めたのが仁粋大妃です。
仁粋大妃は家柄と教養を重んじる人で、尹氏が母子家庭で育ったことから嫌っていたからです。
また、2人の側室の巖(オム)氏と鄭(チョン)氏は王の寵愛を受けていたにもかかわらず、大王大妃から尹氏が正室に推挙されたので、この2人も尹氏のことが気に入らない。

そして、この3人が廃妃を王に強く求めると共に、追放された尹氏を後には賜薬へと陥れました。
1482年、燕山君は満6歳でしたので、これまでの実母のことは何も知らされていないままでした。
ドラマでは、7歳で世子に冊封された頃に「なぜ弟はいないのか?」と言っていました。
20歳の頃にも、「なぜ兄弟姉妹がいないのか?」と言っています。

(『逆賊』第6話より)

「論語にもあるが、
 “誰にも兄弟姉妹がいる”
 しかし、私には兄弟がいない…」
623b_20170217110816476.jpg

王の見回りの気配がすると、

「“生きるか死ぬかは運命次第(死生有命)。
 富と権力も神の意思による(富貴在天)。
 高貴な徳を持つものは何をも失うものはない。
 そしてすべての人に礼を尽くす”」
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3.燕山君の逆襲

再度、事件の年をまとめます。
・1479年…“王の顔を引っ掻いた”尹氏廃妃
(燕山君 満3歳)
・1482年…尹氏の賜薬
(燕山君 満6歳)
・1494年12月…即位
(燕山君 満18歳;
 12月生まれのために数え年で19歳だったが、
 同月に先王が崩御。
 同月に数え年で20歳で即位)
・1498年…戌午士禍
(燕山君の即位4年目:数えで24歳)

燕山君は、この戌午士禍(ムオサファ)によりほぼ絶対王権を得ました。
ただし、先王の遺言により「廃妃のことは100年口外してはならない」だったので、燕山君が母親のことを知るのは、1504年前後の頃です。

(第18話より)
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(燕山君と緑水)

・1504年…甲子士禍(カプチャサファ)
(燕山君の即位10年目:数えで28歳)

過去の士林派・現在にわたる残党を一掃して、新しい政権の構図を作ろうとした任士洪(イム・サホン)という官僚が歴史に登場します。
彼は燕山君の実母の廃妃~賜薬の背景を暴き出し、密告しました。

燕山君は実母の廃妃~賜薬の背景を知り悲しみ…、そして激怒。
これまで宮廷では極秘となっていて、誰も教えてくれなかった母に係る過去の真相を詳しく調べさせました。
そして、
同年の3月から7か月に亘る粛清の記録では、まず貴人・巖(オム)氏と貴人・鄭(チョン)氏が宮中の庭で拷問・斬首刑。
さらに、裏の裏にいた祖母の存在を知ることになりました。
この際に、逆鱗に触れたか…?
燕山君は、首謀者だった“祖母(仁粋大妃)に頭突き”をしました。
仁粋大妃はその数日後に拷問を受けて亡くなります。
享年67歳でした。

# 今日は、大妃に焦点をあてました。
仁粋大妃・韓(ハン)氏は王后の時には昭恵(ソヘ)・韓氏と呼ばれています。
甲子士禍(カプチャサファ)での士林派の処罰の模様は後日。

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国王の日々の執務状況などを日誌にして書置き、それぞれの王の死後に編纂されたのが「朝鮮王朝実録」です。
しかし、警備や一部の秘書官を残して、官僚たちは夜には帰宅しますから、
宮殿に残るのは王家の人々と、ピーク時には1000人もいたとされる“王の女(女官)”たちだけ。
夜のプライベートライフについては、記録がほとんどないようです。
野史での推測が多いと思います。

歴史の裏で暗躍した大王大妃(テワンテビ)や大妃(テビ)、それに正室ならともかく、側室となると記録が少ない。
“美しい容姿”だったと記録が残るのは禧嬪・張氏(ヒビン・チャン氏:『チャン・オクチョン』)だけです。
淑嬪・崔氏(スクビン・チェ氏:『トンイ』またはムスリ)VS禧嬪・張氏に関しては、二つのドラマが180度違った解釈でした。

# さて、
『逆賊』の第18話まで視聴してようやく分かったので、4つにグルーピングしてみました。

①燕山君(+張緑水)
vs
②士林派官僚(穏健派の朱子学者たち)

ホン・ギルドン(③活貧党)
vs
④守貴単(スギダン)


③活貧党(ファルビンダン)は小説「洪吉童伝」に出る実在したグループ
④守貴単は、師匠(ソン・オルシンと呼ばれています)+パク夫人
+チュウォン君たちが作るドラマのユニット(単)。
(急進派の朱子学者たち:教条主義・原理主義です)

# 訂正
今週放送があった第18話で、ギルドンの妹の名(어리니)がハングルで出ました。
これまで、ウリニと表記していましたが、ウリニ→オリニ(어리니)と訂正させていただきます

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派閥抗争の始まり


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(当時の『小学』・国立故宮博物館所蔵:2015.12.15撮影)

派閥抗争の始まり

# 放送の第16話のはじめは(フィクションの部分)、故チョ・サンムン参奉(サンボン)の妻のパク夫人+儒学者(ギルヒョンとチョンハクの師匠)が動いて、王族から追放されたチュウォン君を流刑から救った4年後のことでした。

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なお、その4年前の「戌午士禍(ムオサファ)」は、燕山君の父・成宗の時代の“士林派の巨頭”の故・金宗直(キム・ジョンジク)と、その後継者の金馹孫(キム・イルソン)の25人の門下生の尋問・拷問・処刑でした。

『六龍が飛ぶ』でバンウォンが2度の「王子の乱」で切り捨てた、鄭夢周(チョン・モンジュ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)でしたが(二人は成均館での同窓)、上記の金宗直(キム・ジョンジク)は鄭夢周(チョン・モンジュ)→父親の教えの流れを汲むとのこと。
鄭夢周は高麗王を守ろうとする穏健派でした。
一方の鄭道伝は新・朝鮮を樹立せんとする急進派(“密本”の創始者)と区分しておきますが、
いずれにせよ、「民百姓は両班に従い」、「両班の妻は両班の夫に従う」ということで社会秩序を保つことができるという、「朱子学」では同じ思想です。

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(朱子学の基本経典「小学」)

他方、そんな儒学と(その亜流の)朱子学の思想とは関係なく、アモゲもギルドンも国の富を独占している官僚と両班から巻き上げて、その富は国王と庶民に返還するということを正義としました。

1.士林派(サイムバ)

過去から、<高麗時代>も<朝鮮王朝>も、王には立法・行政だけでなく司法権も備わっていましたから、王命はとにかく重い。
ただし、李成桂の建国の際に補佐官だった鄭道伝(チョン・ドジョン)が描いた政府組織は三司(サムサ)が王権を“チェック”して“バランス”を保つ官僚制度の重視でした。
(三司)
司憲府(サヒョンブ:検察・官僚の監察:従二品)
司諫院(サガンウォン:王への進言・顧問:正三品)
弘文館(ヒョンムングァン:歴史の記録・宮中の文書:正三品)

聞こえの良い「チェック&バランス」の言葉どおりに、制度が機能しているなら良いのですが、そもそも鄭道伝が作り上げた“密本(ミルボン)”という組織と、その朱子学に基づく思想は、身分制度による統治だけでなく、男尊女卑で、かつ他宗教を排他するもの。
本来の四書五経が説く王道の書からは徐々に乖離してしまったようです。
もちろんそこには、現実に生きる庶民への徳政は見られません。

朱子学の本流を自負していた士林派(サイムバ)は、燕山君の時に2回に亘り粛清されたものの、その“根は深く”、第11代王・中宗(チュンジョン)の時代にも、第13代王・明宗(ミンジョン)の時代にも地中に根を下ろしていました。
粛清(士禍)を受けても起き上がり復活して、第14代王・宣祖(ソンジョ)の時代になると、政権をも牛耳るようになりました。

しかし、この原理主義的な派閥が分裂するのが1575年です。

明宗の王妃の実弟であった沈義謙と新進の士林派の金孝元の哲学論争により、東西に分裂しました。
沈義謙が住むのが都の西側の貞洞(チョンドン)だったので、率いるのが「西人派」
他方の金孝元は、都の東の洛山(ナクサン)の麓に住んでいたので「東人派」を率いました
(『朝鮮王朝実録』p.249)
領袖の生い立ちや住所からだけでも、「西人派」が“宮殿”に近かったと思います。
その後の主流になります。

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①景福宮(キョンボックン)が最初の法宮

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(国立故宮博物館 2016.09撮影)

2.法宮

1392年に<朝鮮王朝>を建国した初代王・太祖(李成桂)は、政策補佐官の鄭道伝(チョン・ドジョン)の進言(風水)によって、1394年にそれまでの高麗の首都の開京(ケギョン)から漢陽(ハニャン)に遷都。
その首都は、北の北岳山(高さ342m)、南側の木覓山(南山:262m)、東側の駱山(洛山・125m)、西側の仁王山(338m)に囲まれた盆地で、総延長19km(世界遺産)に亘る城壁(漢陽都城)で守られた広大な都(完成:1936年)です。

その都市の中に、さらに東西南北の4つの門で囲まれていたのが王宮です。
ソウルの南大門市場(食料・雑貨)や東大門市場(ファッション)が観光名所ですから、2つの市場の距離感だけでも王宮の広さがお解りだと思います。

王宮の中に現存する5宮殿のことをしばしば引用していますが、それぞれの宮殿の役割は違っていて、それぞれが門を持ち、壁に囲まれています。

つまり、漢陽に来たとしても、宮殿に近づくには少なくとも2つ以上の検問を受ける必要があったようです。
ドラマ『逆賊』の時代は15世紀末なので法宮は①景福宮(キョンボックン)です。
なお、景福宮は1592年の壬辰倭乱(イムジンウェラン:第14代王・宣祖の時)で消失しました。
そのために、
②昌徳宮(チャンドックン)も同じく消失しましたが、海光君による再建はこちらが先。
その後は2法宮体制となります。

(景福宮の一番北まで歩くと、先には青瓦台(大統領府)が見えます)
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(右は景福宮の中から光化門を撮影)

3.派閥政治の始まり

燕山君の先王(成宗)時代に重要な三司(サム)を占めた士林(サイム)派でした。
しかし、ドラマにもあるように、
「儒教本来の思想ではない」として、燕山君は嫌いました。

1575年に東人派と西人派に分かれた儒学者・両班。
勢力が大きいのは王室に人脈を持つ「西人派」です。
1600年頃になると、東人派は「北人派」と「南人派」にさらに分裂しました。

ドラマでは、『華政』での第15代王・光海君が「西人派」を嫌いました。
光海君を支援したのは「東人派」から分裂した「北人派」と「南人派」(いずれもマイナー)でした。

1700年頃になると、ドラマ『チャン・オクチョン』の第19代王・粛宗も「西人派」を嫌います。
ただし、その頃に「西人派」が穏健な「小論(ソロン)派」と、より原理主義で強硬な「老論(ノロン)派」に分裂しました。
禧嬪・張(ヒビン・チャン:オクチョン)氏を支持したのが「小論派」で、
淑嬪・崔(スクチョン・チェ:トンイまたはムスリ)氏を支持したのが「老論派」です。
そして、
「老論派」は第22代王・正祖(イ・サン)の頃まで勢力を維持します。

(5大宮殿の北の高台にある北村“プッチョン”では両班の韓式屋敷の面影を見ることができます。
南山のソウルタワーが見えます)
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(写真の下は、景福宮の南東の清渓川“チョンゲチョン”で、商人が多く住んでいたところ。
上下共に昨年の11月撮影)

<その8>(<王朝絵巻>シーズン8)は、次などを参考にしています。
(おもな出典)
康煕奉『悪女たちの朝鮮王朝』双葉社(2014.06)
朴永圭『朝鮮王朝実録(改訂版)』キネマ旬報社(2015.10)など。

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儒教の基本的な法典である四書五経ですが、それに陰陽五行説などを加えて、解釈や哲学による論争は表面だけのことだったと思います。
裏には官僚の権力欲の闘争。
そもそも派閥を形成することは儒教の本来の思想では許されないとされます。
国・民政を顧みることをせず、派閥が私利私欲に走るので「義」に反するからです。

なお、ウィキペディアには次のような記述があります。
成宗の親政時代になると士林派勢力を取り入れるようになり、これに脅威を感じた勲旧派や外戚と、士林派勢力の対立を産むが、成宗の治世(1469年 - 1494年)では政治的には一応の安定を見た。
(略)
成宗の母仁粋大妃と2番目の王妃斉献(チュホン)王后・尹氏が対立し、1482年に廃妃・尹(ユン)氏は賜死した。
成宗が亡くなり燕山君が王位に就くと、勲旧派と士林派による対立が表面化し、1567年まで続くことになる。

この勲旧派とは、勲臣(功労・褒章の田畑などを得ている官僚)、戚臣(王家との外戚関係などを持つ官僚)からなる総理・副総理たち以下の官僚たちです。
反・士林派ではあるものの、持つものと持たざる者なので利害が一致しているわけではありません。
これは燕山君に対するクーデター(即位12年目)で明確になります。

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絶対王権 vs 密本

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(2017.01.28@ 横浜中華街+媽祖廟
# 今年の春節は1月28日でした。
媽祖(まそ)は海で働く人々を救ったという伝説の女神です。

KJSでは明日から第12話の模様をブログにします。
ちょっと複雑な歴史背景があるので、歴史上の人物などの史実を知っておけばもっと楽しめると思います。

「戌午士禍(ムオサファ)」に流れる絶対王権vs密本の思想
(出典)朴永圭(パク・ヨンギュ)『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社、2012年3月

1.戌午士禍(ムオサファ)のはじまり

1498年、先王の「成宗実録(ソンジョンシルロク)」の編纂のために、“実録庁(シルロクチョン)”が開設されました(# おそらく弘文館に所属)。
堂上官に命じられた李克墩(イ・グクトン)は、金馹孫(キム・イルソン)が作成した史草(編纂前の実録日誌)の点検作業中に、金宗直(キム・ジョンジク)が書いた『弔義帝文』(注)と、自分のことを批判する文章を見つけた。
(略)
世祖の時代から信任を得ていた、盧思慎(ノ・サシン)、尹弼商(ユン・ピルサン)などと共に、燕山君に上疏した。

(第11話から)
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# 左が盧思慎(ノ・サシン)で右が尹弼商(ユン・ピルサン

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(上の4人とも先王からの官僚)

(注)『弔義帝文』とは
秦(シン)の項羽(コウウ)が楚(ソ)の義帝を廃位したことについて、その仕打ちを批判するとともに、義帝への弔意を示すものでした。
これが、世祖が第6代王・端宗(タンジョン)を廃位したことへの当てつけだと解釈されます。
第7代王・世祖は燕山君の曽祖父ですので、燕山君にとってはチャンス。
反・士林派にとってもチャンス。

2.戌午士禍(ムオサファ)の結果

たとえクーデターではなくとも、文書での国王と王政の批判は国家反逆罪と見做される時代。
当時の士林派の巨頭・金宗直(キム・ジョンジク)は既に亡くなっていたものの、門下生と関連する者たちが逮捕・尋問されました。
刑は次のとおりです。

故・金宗直(キム・ジョンジク)
「剖棺斬屍刑」(# 字のとおり棺を開けて首をはねる刑)

金馹孫(キム・イルソン)
権五福(クォン・オボク)
権景裕(クォン・ギョンユ)
李潟(イ・モク)
許磐(ホ・バン)
「陵遅処斬」(# 処刑後、体を切断)

その他
姜謙(カン・ギョム)、鄭汝昌(チョン・ヨチャン)、李守恭(イ・ソゴン)他6名が流刑。

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李守恭(イ・ソゴン)

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(士林派の若手のチェ・ムンなどが進出していました)

なお、李克墩(イ・グクトン)と魚世謙(オ・セギョム)は既に史草を既に目にしていながら報告していなかったとして、他の2名と合わせて責任を取らされ、免職・左遷されています。

3.世祖が廃位させた端宗・魯山君とは

以下に第4~10代の王の即位年を並べました。

第4代王・世宗(在位:1418年~)
第5代王・文宗(在位:1450年~)
第6代王・端宗(在位:1452年~)
①在位期間:3年2か月

第7代王・世祖(在位:1455年~)
②在位期間:13年3か月
第8代王・蓉宗(在位:1468年~)
在位期間:1年2か月

第9代王・成宗(在位:1469年~)
第10代王・燕山君(在位:1494年~)

極端に在位期間が短い2人の王が、第6代王・端宗(タンジョン)と第8代王・蓉宗(ヨンジョン)です。
ドラマで町の噂、儒学者・儒学生の抗議で出てくるのが、①この端宗のことで、②1455年の世祖のクーデターにより譲位し(させられ)、格下げにされて名を魯山君(ノサングン)と、王子の扱いをされていました(#)。
魯山君は、父の文宗が38歳の若さで亡くなったために、11歳で即位したものの、世祖からの賜薬により16歳で亡くなりました

# 第19代王・粛宗(スクチョン)の時にようやく追尊され、復位・おくり名をもらいました。

4.第3代王・太宗(テジョン)と第10代王・燕山君(ヨンサングン)の国のすがた

思い当たる二つのドラマ。
『根の深い木』では、第4代王・世宗が創製したハングル文字が庶民に広まるのを阻止しようとした“密本(ミルボン)”という両班と在野の儒学者のグループがいました。
また、『六龍が飛ぶ』では、そのミルボンの創設者・元祖の鄭道伝(チョン・ドジョン:初代王・李成桂の補佐官)と第3代王・太宗となるイ・バンウォンが激しく対立しました。
なぜか?
鄭道伝が描いた“新しい朝鮮”という国の制度は、
儒学者と官僚が統治する国であって、国王は同列の単なる象徴に過ぎなかったからです。
太宗となるイ・バンウォンは鄭道伝が描く理想の国に、
いったい国王はどこに存在するのか?!」でした。

ドラマ『逆賊』が描く「戌午士禍(ムオサファ)」は、
朱子学=密本=鄭道伝の思想の士林派を(燕山君の父親の)成宗が登用しために、士林派は“司憲府(官僚の監査)”、“司諫院(国王への進言)”、“弘文館(宮中の文献・書籍を所轄)”を独占していました。
それに挑戦するのが燕山君です。

なお、『六龍が飛ぶ』では鄭道伝が次の図を書きました。
(言論の統率機関です)
燕山君が廃止にしたのはこの三司(サムサ)です。
(なお、成均館も朱子学に偏っていたと思われます)
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<『六龍が飛ぶ』第42話より>

正崙庵(チョンユアン)

「2300年もの昔から成せなかった、
 計民授田(ケミンジュチョン#)が、
 朝鮮建国から数年で達成できることになる」
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# 土地の平等分配

「この大きな木の根のような朝鮮だか、まだ弱い。
 学者、官僚、士大夫が大きく健全で、
 1000年育つように我々がたくましい根にならないといけない」
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「大きな根の、まだ見えてはいない深い木の根(プリ)となって、
 この密かに育ち始めた根、
 隠れた根の本(密本:ミルボン)が王を正しい道に導くのだ
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ただし、その場にいたプニの疑問は“(そんなことを言うけど、その制度の中に)民百姓がいるのだろうか?”でした。

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“密本”は儒教から派生した朱子学の流れでした。
『六龍が飛ぶ』では成均館での兄弟・弟子の2人の人物、鄭夢周(チョン・モンジュ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)の微妙な思想の違い。
同じ朱子学でもモンジュは“高麗維持派”で、ドジョンは“新・朝鮮建国派”というように、保守と革新の差がありました。
ただし、二人の共通点は朱子学一辺倒のために排他的で、来世の幸せを願う仏教には廃止論。
(なお、“士林派”は鄭夢周(チョン・モンジュ)の思想に近いといわれています)

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『逆賊』では即位したばかりの燕山君が「先王の鎮魂のために仏教のしきたりを用いるのがなぜ悪いのか?」と、単純ではあるものの、宗教に寛容で自由な言動を見せてくれました。
(そこで私もMBCに拍手)
さらに、“士林派”がクーデターを認めないのは良しとしても、自分たちだけがエリートだとの思い込みを燕山君が批判していました。

『六龍が飛ぶ』のイ・バンウォン(後の第3代王・太宗)は、2次に亘る王子の乱で、朱子学者の鄭夢周と鄭道伝を切り捨てました。
絶対王権を獲得するためです。
燕山君も同じような発想だったと思います。

ただし、以上は遠い昔の非・民主的な時代のお話し…。
「民百姓はどこにいるの?」と言いたくなる、排他的な儒学者たちのゲームの時代だったように思います。
成宗時代が平穏だったとはいえ、水面下での(民なき)政争・派閥争いが既に始まっていました。
それが燕山君の時代になって表面化した…。
(# 来週は長く続いた派閥争いのことを書きます)

# 第14話まで視聴を終えました。
歴史と小説の今後の様々な展開を予感しました。

(史実)
・燕山君の母親の尹氏の“廃妃と賜薬”の背景が明らかにされようとしました。
(次の「甲子士禍」の火種です)
・チャン・ノクスの王への忠誠が燕山君に認められました。

(小説)
・ギルドンが名実ともにイクァリの長老となるバトルが起きました。
(銀山を取り戻して、漢陽に進出します)
・県令だったミ・グモクが「戌午士禍」での功績を認められて、正五品に昇格します。

楽しみなのは、グモクの昇進とギルヒョンが要職に就いた宮廷ですから、二人の再会。
それだけでなく最も楽しみな展開なのですが、第14話の終わりには、ギルドンの最愛の妹・ウリニが女官として働いている姿がチラリと出ます。
来週の放送が楽しみです。

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ユルトの国王・ホンギルドン

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(現存する「洪吉童伝」の最初のページ:ウィキペディアより)

ギルドンのユルト国~人間として生きる(2)

伝承のロビンフッドがシャーウッドの森の義賊ならば、実在のホン・ギルドン(洪吉童)は京畿道や江原道で活躍した義賊。
小説「洪吉童伝」に関することは、これまでもウィキペディアなどから紹介しましたが、『朝鮮王朝実録』にあるギルドンの実像と、小説作家の紹介は次のとおりです。

1.朝鮮王朝実録』にあるギルドンの実像

<朝鮮王朝期代>第15代王・光海君の頃に書かれた小説『洪吉童伝』の時代背景は第4代王・世宗(セジョン)の時代です。
次の書の記述により、『洪吉童伝』の内容を紹介します。
朴永圭(パク・ヨンギュ):訳・神田聡、尹淑姫『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社、2012年3月、p.290(全491ページ)

<作家による解説>では次です。

この作品は義賊を主人公とした英雄小説であると共に、両班家庭の庶子差別の不合理に抵抗した社会派小説でもある。
また、理想郷を描く楽園思想を含み…(略)。

<その小説の内容>

主人公のホン・ギルドン(洪吉童)は洪判書(ホンバンソ:①)の庶子として登場している。
彼は幼い頃から非凡な気性で、武術が得意だった(②)。
しかし、身分が低いために世の中の不条理に恨みを抱くようになった。

洪判書の家族たちは、ギルドンの非凡な才能が将来に災いを呼び起こすだろうと思って刺客を使って彼を殺そうとする。
この事実を知ったホン・ギルドンは家を出て、盗賊の頭となって“活貧党(ファルビンダン)”を組織して義賊の生活を始める。
ホン・ギルドンの義賊としての行為が噂となって全国に広まると、各地で同じ名前の義賊団の組織が生まれ、“王命”によって逮捕された洪吉童だけでも300名に至った。

しかし、本物のホン・ギルドンを逮捕できなかった朝廷は、その父親の洪判書に息子を懐柔させた上で、妥協案として彼を兵曹判書(ピョンジョンバンソ:防衛大臣)に任命する。

ホン・ギルドンは一時期、兵曹判書を務めるものの、中国・南京に出発することを決意して祖国を仲間と共に離れる。
その途中で、山水秀麗なるユルト国を発見して、そこを支配していた妖怪たちを退治。
ユルト国の国王となる。

その後、父親の洪判書の訃報に接し、一時帰国をして3年間の喪に服する。
そして、その後はユルト国に戻って、そこで王としての生活をするところで物語が終わる。

①ドラマの第8話から、アモゲは“クムオルシン(大長老)”から、ホンオルシン(長老)と呼ばれました。
②ギルドンは“万能の子(英文字幕:Mighty Boy)”なので、愛称をマイティボーイとしました。

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<マイティボーイのギルドン>

小説「洪吉童伝」は、比較文学での考察では、中国・明の時代の「水滸伝」、「三国志演義」および「西遊記」などの影響を受けている。
そして、“変身術”、“瞬間移動”、“分身術”および“空飛ぶ雲”を含む(②と同じ)。

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(「西遊記」:ウィキペディアより)

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(「水滸伝」「三国志演義」:ウィキペディアより)

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このモデルは1500年(燕山君6年)に京畿道・加平(カピョン)と江原道・洪川(ホンチョン)を中心として活躍していた有名な義賊・洪吉童と…(略)。
(# そのほかの第13代王・明宗時代の義賊など…です)
ホン・ギルドンの姓の“洪”の由来だと思います。

2.小説「ホンギルドン」の作家

許筠(ホ・ギュン:1559~1618)が小説「洪吉童伝」の作家でした
彼は最初のハングルでの小説作家でもありました。
また、小説の執筆の時代は第15代王・光海君(クァンヘグン)の時でした。

映画『光海~王になった男』では最後の字幕で次のように紹介されます。
…翌年8月、都承旨のホ・ギュンは王朝転覆(#)の罪で斬首に、
5年後に光海は廃位された。
光海は土地を持つものだけに課税し、
民を救うために、明と対峙した唯一の王である。
(映画より)
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http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3063.html
# 王朝転覆とありますが、
これは小説「ホンギルドン」が身分差別のない民主主義の思想で書かれた小説だからだと言われます。
ホ・ギュンは革命的な思想家でした。
この映画の15日間はまさにホ・ギュンとハソン(影武者)が夢見た理想の国家のため。
また、
光海君が“大同法”を制定し、冊封制度による清への”事大主義”に反発したことは史実です。

3.海から山へ

先日はアモゲが活躍した江華島(カンファド)などが点在する西海岸の地図を開きました。
実在したホン・ギルドンの活躍の場所は韓国半島の中心に位置する京畿道(キョンギド)と江原道(カンウォンド)のようです。
上記の江原道・洪川(ホンチョン)が拠点だったようです。

ソウル特別市を北、東、南とドーナツ状に囲むのが京畿道で、その東が江原道です。
ドラマ『青い海の伝説』の始まりのシーンは江原道の東海岸の草束(ソクチョ)あたりでした。
下の地図の中央の山岳部にギルドンは山城を築いたのではないでしょうか?

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4.さてユルト国とは?

ドラマのエンディングは小説に従って、ギルドンが新しく建国するユルト国だと思います。
勝手に想像しているファンタジーですが、先週振り返った『六龍が飛ぶ』のプニの村のイメージです。
でも、どこに位置するのか?

大陸(明国)と韓国半島を分けるのは、自然の国境の“鴨緑江(アムノッカン)”です。
旅商人だったギルドンがコンファに言いましたように、ここは“緑の水”の川。
(# コンファも夢見た“緑の水:ノクス”)

ギルドンが新しく築くユルト国はアムノッカンの南(半島)でしょうか?
それともアムノッカンを渡った北の大陸部(明国領土)でしょうか?

以上、小説に焦点を当てましたが、史実に沿って流れる燕山君の王政と小説「洪吉童伝」との時間の流れを上手く合わせたドラマの演出となっているようです。

今週放送された第12話で「戌午士禍(ムオサファ)」が起きました。
燕山君即位4年目のことです。
上記にあるように、…このモデルは1500年(燕山君6年)…ですから、もうしばらくするとギルドンと燕山君の対面があるのではないでしょうか?

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高麗時代の方が女性の発言力があったそうで、女性が伸びやかだったとされます。
カリョンがアモゲに、「ギルドンオラボニは“女だからといって、炊事や洗濯をする必要はない”って、変なことを言うのですよ」と言っています。
アモゲは微笑んで聞いています。
彼女自身も伸びやかな性格だと思いますが、アモゲも妻のクムオクに、「仕事は俺がやる」と洗い物をしていました。

燕山君の時代は、先王が士林派を登用したために、身分制度、男尊女卑、他宗教(とくに仏教)排斥を旨とする朱子学の思想が強い風潮でした。
もちろん、それによって国は平穏を保っていた…。

しかし燕山君は、士林派は儒教本来の思想ではないとして、嫌いました。
今週放送された第11~12話が「戌午士禍(ムオサファ)」です。
燕山君にとっては、絶好のチャンス到来が第12話で描かれます。
また、
その士林派排除の名分となる公文書を発見するのがギルドンの兄のギルヒョンです。
山小屋で見つけたパク家第31代という高官の遺書に従って、ギルヒョンはパク・ハソンと名乗り、科挙試験に合格しました。
「朝鮮王朝実録」の編纂部署に配属されたからでした。
(このパク氏は第5代王・文宗に仕えた人でした)

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ギルドンの理想の国

(これは西欧の義賊のこと)

ケビン・コスナー(俳優・監督)の映画『ロビン・フッド:Robin Hood: Prince of Thieves』(1991)が記憶に新しいのですが、ウィキペディアで読むロビンは次のとおりです。

ロビン・フッド (Robin Hood)
14世紀のウィリアム・ラングランドの長編詩「農夫ピアズの夢」の中で、まとまった物語として(初めて)登場する。
古い伝承では、ロビン・フッドはノルマン・コンクエスト後に、ノルマン人に抵抗する、サクソン人の非小作農民ヨーマンとなっており、その後エドワード1世時代の設定になり、ノルマン人に所領を奪われた貴族、義賊、マリアン(ノッティンガムの領主の家族であるが、伝承や作品により、娘・妻・未亡人などの違いがある)とのロマンス、あるいは十字軍帰りなどの設定が加わった。
16世紀以降、リチャード1世(獅子心王)時代の人物となり、リチャード1世が十字軍遠征に赴いている間にジョン王の暴政に反抗した人物として描かれるようになった。
「弓の名手で、イギリスのノッティンガムのシャーウッドの森に住むアウトロー集団の首領で義賊」という設定(イメージ)は実は比較的新しいもので、19世紀あたりから描かれるようになったという。
緑色の服をまとう人物として描かれる。

1.ギルドンの理想の国~人間として生きる(1)

第8話でギルドンは「人間宣言」をしました
いよいよ義賊の道を歩むことになりました。
これは父親のアモゲの本来の人生観であったので、「狂った奴め」と言いつつも、ギルドンが自分の意志を継いだことに大満足だったでしょう。

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<朝鮮王朝>時代当時の虐げられた奴婢たち

市民社会に入ろうとする諸外国の事情・情勢に係る情報を遮断し、市民社会に圧政を強いる…。
このITの時代においてもそんな国がある…。
国民の8割がそれでも幸せならば批判することはできないと思いますが、
周辺の国々の人々の8割は不思議に思うのではないでしょうか?

こんな発想を過ぎ去った<朝鮮王朝>に持ち込んでも無意味だとは思いますが、
なぜそうなったのかと疑問に思うのは面白いと思います。
思い当たる二つのドラマ。

『根の深い木』では第4代王・世宗が創製したハングル文字が庶民に広まるのを阻止しようとした“密本(ミルボン)”という両班と在野の儒学者のグループがいました。
また、『六龍が飛ぶ』ではそのミルボンの創設者・元祖の鄭道伝(チョン・ドジョン:初代王・李成桂の補佐官)と第3代王・太宗となるイ・バンウォンが激しく対立しました。
なぜか?
鄭道伝が描いた“新しい朝鮮”という国の制度は、
儒学者と官僚が統治する国であって、国王は単なる象徴に過ぎなかったからです。
太宗となるイ・バンウォンは鄭道伝が描く理想の国に、
いったい国王はどこに存在するのか?!」でした。

ただし、フィクションとして登場したプニはイ・バンウォンに言いました。
その国に“民”はどこに存在するのですか?」と。

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(写真の左上がプニ:シン・セギョンで、その下がイ・バンウォン。
 写真の左下がムヒュル:ユン・ギュンサン。
 写真の右中央が鄭道伝です)

こんな思いを吹き飛ばすような、小説「洪吉童伝」が存在したということが救いでもあり、庶民の本音を代表するかのように思えます。
『六龍が飛ぶ』でプニとムヒュルを演じたシン・セギョンとユン・ギュンサンでしたので、
きっとシン・セギョンはこのドラマのホン・ギルドンを応援していると思います。

2.プニの小さな島での大きな夢

『六龍が飛ぶ』の最終話は、プニとバンウォン(第3代王・太宗)の再会のシーンでした。

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「良かった、
 お前も同じように孤独だったんだな、行首」

「でも、みんなとこの土地を開墾して、
 みんなで作物を分け合っています」

「では独自の
 “計民授田(土地の平等分配)”を行っているんだな」
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「作物は少なくても分け合っています。
 ただ倭国の海賊は怖いです」

「ここにも倭寇が来るのか?」

「みんなが心配しています。
 昔よりは安全ですけど」
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プニの髪飾りを見つめるバンウォン

「これだけが私の飾りです」

「会いたかった…」

「…」

「プニ隊長…」
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ムヒュルとバンウォン

「でもなぜあの時、プニ隊長を手放したのですか?」

「…」

「私にも帰って良いと許してくれました。
 プニ隊長にもそうすべきだったのでしょうか?」
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「そうしてはいけなかったのか?」

「…」

「そうするしかなかったんだ」

…そうするしかなかったんだ。
 自分を慰めるためだ…。
 あの時の非人間的な俺にとっては、
 自分が人間として生きていこうとするためには、
 そうするしかなかったんだ。

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…これまでの足跡を思うと…、
 いつも過去の非道を忘れようとしていた。

…プニは私にとっては難しい存在だった。
 決して私には対抗もせずに、喧嘩もして来なかったが、
 決して心の全てを俺には開いてはくれなかった。

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…それにこの手には落ちなかった。
 まるで風のように…。
 まるで百姓たちのようにつかみどころがない。

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(第8話の終わり)

「俺たちは人間として扱われていない。
 俺たちがそれで納得しているからだ。
 しかし、どこが違うと言うのか?
 同じ人間だ!」
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「確かにアボジの盗賊のような生き方には、
 怖くなって反対した。
 しかし、俺たちがチャンウォン君がどんな奴かということを人々に知らしめることができるなら、
 俺は盗賊として生きる。
 いや、もっと悪党になってやる」

「…」
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「今の俺には怖いものは何もない。
 兄貴たちは、人間ではない他の何ものでもないと言い切って欲しい。
 人間じゃないケモノのような人生を送るのか?」

「…」
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そして、最初のターゲットとなるのがチャンウォン君です。

「両班を殺したことは国法を犯したことになる。
 これまでも私は奴隷たちを殺したが、一切不問にされた。
 王からは嫌われているとはいえ、
 これは、私が王族だからだ!
 どんな罪も、結局は許されるのだ!
 これはこの朝鮮の秩序の根幹にかかわることだからだ!」

こんなチャンウォン君に罠を仕掛けると言っていましたので、放送を楽しみに見ています。

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五節句のプレミアムタイムに

五節句のプレミアムタイムに

# “梅は百花に魁て咲く”と言いますが、今度はその紀州からの“桃の節句”にちなんだ大人のプライムタイム。
(APBさんからのお便り)
hin 3
(# 元祖の関西ではお雛様は向かって左です)

<初桜酒造 蔵見学>
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国道24号線を走っていて見かけた看板は 
高野山般若湯
これって、葛根湯みたいな漢方薬? 
般若の湯って、もしかして温泉? 
ずっと疑問のままでしたが、解決しました! 
般若湯とは、お坊さんの間で使われていた用語で、
お酒のこと。
初桜酒造さんのお酒のブランド名でした。

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#「高野山は本来戒律の厳しい世界ですが、寒冷をしのぐために 祖師弘法大師も「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」と申され、酒の効用を認めておられました。」
「明治時代までは、女人禁制。居住することすらも許されない修行の地であった高野山。しかし、その頃でも、馬に酒樽を担がせて、高野山に日本酒を収めたという記録もあるようだ。」#同社のHPより。

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見学の日、京奈和道路を東に向かうと橋本方面の山は真っ白。
良いお天気です。
酒蔵が木造の建物だからなのか、お酒の芳しい匂いに包まれているからなのか、蔵の中は温かみを感じます。

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ボイラーを使う以前の釜場。
レンガ組の焚き口と石炭置き場が下に掘ってあります。
(写真:左↓)    
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中央の2階部分に「麹室」と作業場。
 階下に仕込みタンクが見えます。 
(写真:右↑)

タンクの一つに掛けられたはしごを上って中を見ると、パチパチとはじける音と共に表面に浮かんできた泡がこわれています。
じっと見ていると「可愛いくっていじらしい!」くらいです。
麹よりもはるかにフルーティーな香りです。

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蔵の石垣の上に、太い木が橋のようにかけられていて、
上は歩道になっています。 
蔵の敷地の一箇所を一般の方が利用する歩道があるそうで、
その歩道の下に、設けられた地下通路です。
奥の明るいところ、蔵の見学が終わって、
「たれくち」の試飲中です。
ドライバーは残念、飲めません。

蔵の見学のあと、母屋に向かいます。
現在は裏道になっていますが、
昔はこちらが主要道路。
母屋の前の木の柵は馬をつなぎ留めるもの。

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暖かいお部屋で、アンケートに記入をしたり、社長さんを囲んで歓談。
お酒の試飲コーナーが用意されていて、呑兵衛さんはここから離れず。
大奥様手作りの干し柿とお茶をいただきます。

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これまで食べた干し柿・あんぽ柿の中で、ピカイチ!
中はやんわりゼリー状。
外側は吹き出た糖分で真っ白。 
外の皮を嚙みしめると不思議なことにお昆布の味が…。
うまみが凝縮されているのでしょう。
(一口食べてから慌てて撮りました。
 あらら、懐紙が上下逆さま。
 重ねて失礼!)

この後、大奥様からお茶のお誘い。
炉が切られたお茶室で、またまた至極の一服。
お軸やお道具の説明は立て板に水。
白髪を結い上げ、お化粧もして爪にはピンクのマニキュア。 
後で年齢をきいて驚き。御年93歳だそう。

見学時間1時間とのことでしたが、二時間を超えました。
午後からの予定を入れてなければ、お茶室でもっと大奥様のお話が聞きたかったです。
車窓からちらっと見ただけでは分からない、古い木造の蔵と酒つくりの歴史、そしてそれに関わってきた人たちの思いの深さを感じました。 
来年は電車で行って試飲するぞ!!

<蔵見学のおみやげ>
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たれくち

超限定レア商品!
古代徳利に入れられる初桜自慢の原酒。
その原酒を、期日限定、年間この2日間のみ絞った当日に瓶詰め。
原酒の出来立ての味を味わい。
この原酒は2月11日と19日に絞ります。
発酵中のフレッシュな味わいで 、
日に日にまろやかな味わいに変化していく味わいを楽しみます。

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契約農家と自社畑で栽培した糸かぼちゃの自家製粕の奈良漬

素麺かぼちゃともよばれる瓜の一種。
独特の繊維質でほぐすと糸状になります。
シャキシャキとした歯触りで、
美味しかったです。
奈良漬で味わう初めての食感。
お箸でほぐすのが、楽しいのよね。

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初桜酒造  
創業慶応二年(1866)。 
江戸時代の中ごろから和歌山城下から見て紀ノ川上流の地域(伊都郡・那賀郡)の産米を原料として造られた清酒は川上酒(かわかみさけ)と呼ばれていました。
この地域は、南に世界遺産でもある高野山系、真ん中に清流紀ノ川が流れ、北には大阪府との境かつらぎ山系があり酒造りに適した気候条件にも恵まれ第二次世界大戦の頃まで33軒もの酒蔵がありました。 
真田幸村(信繁)の流配の地であり、高野山の入り口にあたる紀州九度山と紀ノ川を挟んで対岸に位置するかつらぎの地では最盛期には16軒の酒蔵が東西に軒を連ねていましたが、川上酒の伝統を引き継ぎ、現存する蔵元は初桜酒造のみとなっています。
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登録有形文化財(建造物) 明治時代 2006年登録

・初桜酒造仕込蔵 (はつさくらしゅぞうしこみぐら) 明治時代 敷地内を東西に抜ける町道に入母屋造,漆喰塗,連子窓付きの特徴ある北妻面をみせる。
・初桜酒造囲蔵(いぐら) 明治時代 仕込蔵の東に接して南北棟で建つ。 切妻造,桟瓦葺の木造2階建。
東面の長大な酒蔵の景観は酒造りの盛んな時期の当地の歴史を今に伝えている。
・初桜酒造主屋 (しゅおく) 大正時代 木造2階建の町家建築。良材を用い,床脇柱など趣向を凝らしたつくりに特徴。

画像・参考 初桜酒造HP  http://www.hatsusakura.co.jp/

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以上、APBコーナーでした。

# “だからどうした!
大学のサークル棟の落書きですが、なぜか好きです。
歴史ドラマを見ていると、陰陽五行説がちらほらで、知ってしまうと気になるところもあって、今日は3月3日の(午後)3時にアップしました。

奇数が“陽”で、偶数が“陰”です。
午前が“陽”で、午後は“陰”です。
冬は“陰”の気が強く、夏は“陽”の気が強い…。
冬に育つ麦は“陰”で、夏に育つコメは“陽”。
だから、ビールは“陰”で、日本酒は“陽”…。
これは今日の私のこじつけです。

3+3+3=9
9は“重陽の節句”にあるように、9月9日は陽気が一番強いと言われます。

izuno gensyu

今日の私のコラボは写真3枚。

伊豆の天城山麓の水で作られた原酒

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寒い時には熱燗もどうでしょうか?
スーパーの紙パックの安いお酒(2L)に、
これもスーパーで買った原酒を少し混ぜたり…
で、
手軽にミックスの味を楽しんでいます。

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夏はメロンを生ハムで巻いて、
「スーニハワイ」気分でした。

寒い時はチーズを生ハムで巻いて…、
熱燗にも合うんです。
「cheese in the trap」

季節の変わり目、
みなさまどうぞご自愛のほど…(U)
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