人倫と民心

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(2017.05.23)

小説と史実(正史+野史)との絶妙な複合・融合の脚本で盛り上がりましたね。
お隣の国の歴史や文化は“知れば知るほど面白い”です。
ドラマ『逆賊』および<王朝絵巻 シーズン8>のアップは今日で終わりにします。
朝からの拍手とクリックでの応援ありがとうございました。
APBさん Sallieさん みなさま、
いつも カムサ~ムニダ!
https://www.youtube.com/watch?v=7dlYHQjcNIg

最初に“まとめ”の言葉を引用します。

私の座右の『朝鮮王朝実録』での燕山君と光海君の評価
朴永圭(パク・ヨンギュ)『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社(2012.03:p.183)より。

最近になって、彼の行為を王権強化のための燕山君なりの自救策として解釈する人や、彼の人間的な苦痛と浪漫的な性格浮き彫りにして同情論を展開する人もいる。
(略)
しかし、彼の狂的な暴政まで人間的な同情論でかばうのは危険な見方だろう。
(略)
また、燕山君への同情論を展開する人は、しばしば朝鮮王朝史のもう一人の暴君として記録された光海君と比較しようとするが、それにも問題がある。
というのも、光海君は政治力学の犠牲者だったのに対して、燕山君は人倫と民心を裏切った独裁者だったからだ。

# 法律・制度、決り、マナーなど、合せて「矩(のり:尺度)」というようです。
しかし、人の倫理観(人倫)とは明文化は難しいと思います。
「心の欲する所に従えども、矩を踰えず(のりをこえず)」ということわざのとおりで、相手のことを無視して、あまりにもマイペースを通そうとすると、相手を傷つけてしまう…。
矩(尺度)をどこに設定するか、さまざまなシチュエーションがあるので、考え続けるしかないようです。

次いで、2点加筆しておきます

1.小説「ホンギルドン」

『逆賊』第1話と第25話でのこと。

ヨンサングンとギルドン

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「質問がある。 正直に答えろ」

「…」

「お前は滅亡した高麗の王族の最期の末裔だと聞くが、
 本当か?
 でなければ、
 王家の妾の息子でそれを怒っているとも聞くが…?」

「…」

「でなければ、
 お前は自分のことを何だと思っているのか?」

「俺は高麗の王族の末裔でも、妾の息子でもない。
 それに落ちぶれた貴族の末裔でもない。
 俺はアボジの息子、奴婢のアモゲの息子だ」

「ははは、まさか…?
 そんな下層の子供だと?
 ありえない…」

「では、貴様はなぜだ?
 高貴な王の元に生まれたのに、
 なぜそんな下劣な男になったのか?」
111_201702021212395d9.jpg

身分や生い立ちにより、生まれながらにして不平等の差別の時代。
半島では最高の御医だったホ・ジュンも、両班(武官)の子でありながらも庶子であったことから蔑まれました。
また、
小説『洪吉童伝』の作家のホ・ギュン(1559~1618)は第15代王・光海君に仕える高官でしたので、当然ホ・ジュンのことを知っていたはず。
ホ・ギュンは(最初とも言われています)ハングル版の小説を書いて、庶民向けに、身分や生い立ちにとらわれない能力主義の理想を実在したホン・ギルドンに託したのだと思います。

映画『光海~王になった男』では最後の字幕で次のように紹介されます。
…翌年8月、都承旨のホ・ギュンは王朝転覆(#)の罪で斬首に、
5年後に光海は廃位された。
光海は土地を持つものだけに課税(大同法)し、
民を救うために、明と対峙した唯一の王である。
(映画より)
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http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3063.html
# 王朝転覆とありますが、
これは小説「ホンギルドン」が身分差別のない民主主義の思想で書かれた小説だからだと言われます。
ホ・ギュンは革命的な思想家でした。
この映画の15日間はまさにホ・ギュンとハソン(影武者)が夢見た理想の国家のため。
また、
光海君が“大同法”を制定し、冊封制度による“明国”への”事大主義(依存関係)”に反発したことは史実です。

2.中宗反正または「朴元宗の乱」

甲子士禍(カプチャサファ:1504年)で絶対王権を得た燕山君は暴政を極めます。
自分の過ちを諌める者を斬首または流刑に処したために、臣下たちにとっては政治論争がまったくできない堂上(議会)になりました。
政治論争の主軸で、時に応じて王に進言できた司諌院(サガウォン)が廃止され、また官僚・儒学生を育てる最高学府の成均館(ソンギュングァン)も廃止。
さらには、ドラマにもあるように全国に採青採紅使(チェチョンチェホンサ)を派遣し、各地の美女を上京させました。
カリョンやオリニ、オンランが最初に入った“運平(ウンピョン)”がそれです。
そして、芸を磨き選抜した妓生たちを“興青(フンチョン)”と呼び、宮殿に呼び入れ宴席を賑わせる役目を担わせました。
それだけでなくドラマにもあったように、自分の趣味の狩り場に適した場所は、都城(漢城府)を起点に30里内にある民家を強制撤去しました。

クーデター計画をもっとも早く準備したのは、成希顔(ソン・ヒアン)という元・従二品の高官でした。
しかし、彼はその前の諫言により、従九品に左遷されていました。
彼が声を掛けたのが朴元宗(パク・ウォンジョン)です。
パク・ウォンジョンは武官の出身で軍にネットワークを持っていたからです。

パク・ウォンジョンも同じく王に諌言する立場の堂上官(財政を担当)でしたが、国庫の浪費を諫めたために左遷されました。
その後、再度正二品の堂上官に戻るものの、燕山君と仲が悪くなり、官職を剥奪されるに至ります。
パク・ウォンジョンと燕山君との仲が悪くなったのは、彼の姉のこと。
彼の姉は燕山君の父親・成宗の三歳年上の月山(ウォルサン)大君の妻。
美女を集めていた燕山君は自分の伯母まで宮中に呼び出したことによります。
(宮中では何があったのかは正史には記録されていません)

ドラマでも描かれたように、思いのほかクーデターはスムースに進みました。
そして、燕山君の義弟の晋城大君(チンソンテグン:後の中宗)が景福宮(キョンボックン)の正殿(勤政殿:クンジョンジョン)で即位することになりました。

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“ログ(航海日誌)”のとおりで日々、どのシーンも良かったので、これまで感想をバラ、バラと書いてきました。
他方では、どんどん忘れていくので、まとまった感想は書けそうもありませんでした。
ただ、『逆賊』をブログでテイクアップするにあたり、『(申:シン)師任堂(サイムダン)』が特に気になりました。
どちらも第1話を見てから『逆賊』に決めたのですが、そのわけはギルドンの両親を演じた俳優が懐かしかったからです。

なお、次はSBS『怪しいパートナー』にしました。
ミステリーが絡んでいるようです。

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(『逆賊』制作発表の際のビデオです)
https://www.youtube.com/watch?v=tBKHBCdxZdU

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二都のショートショート

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(京都駅から撮影:2017.05.01)

1.平安京創生館を訪ねて

今年は“大政奉還(1867年)”から150年です。
(翌1868から明治時代)
明治天皇は東京で執政しますから、京都でのエンペラーは121代・孝明天皇まで。

(“大政奉還”があった京都・二条城)
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794年に平安遷都を行ったのは第50代・桓武天皇でした。
つまり、大政奉還に至るまで、京都は1070年ほど歴代71人の天皇が在位したということになります。

# ウィキペディアでは次のとおり。
第50代・桓武(かんむ)天皇(在位:781年~806年)は、白壁王(後の光仁天皇)の第1王子として737年に産まれた。
生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠。

この5月1日に京都市・平安京創生館を訪ねました。
(平安京創生館:中京区丸太町通七本松)
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館内の展示でまず目を引くのは1000分の1の平安京の復元パノラマ(その4分の1)です。

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平安京の広さは東西に4.5㎞、南北に5.2㎞、したがって23.4㎢の縦長の長方形でした。
中国の長安を参考にして作られたとされていますが、防衛上の外壁はありませんでした。
ちなみに、長安は東西に9.7㎞、南北に8.7㎞、したがって84.4㎢の横長の長方形で、平安京の3.6倍の面積。

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(平安京・豊楽殿:国家の祝宴のため) (白河・法勝寺の八角九重塔:鴨川の東)
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(出土した瓦)
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(当時の女房装束:十二単と束帯)
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(当時の庶民と貴族の食事)
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2.高瀬川

平安京創生館(中京区丸太町通七本松)からバスで東へと、京都市庁を過ぎて鴨川方面に向かいました。
平安京を西から東へと向かったことになります。
平安京と鴨川の間には水運で重要だった高瀬川。
この高瀬川(運河)を利用して、鴨川から淀川そして江戸へと、京都・伏見の酒などが江戸まで運ばれました。
(江戸での人気は京都の酒でした)

(高瀬川と高瀬舟)
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そして、この高瀬川沿い・付近には明治維新の志士たちが遭遇・遭難したたくさんの料亭・宿がありました。
坂本竜馬と中岡慎太郎が遭遇した近江屋があった場所(石碑)

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坂本竜馬の妻・おりょうが住んでいた付近(石碑)

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池田屋騒動の池田屋跡地などなど、現在ではカフェ、料亭、居酒屋などとなっています。

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3.都城「漢城府」

江戸時代初からは500年以上経ています。
東京23区は622㎢の広さで、約890万の人口です。
また、
ソウル(首都の意:王朝時代は漢陽)は、
1392年に朝鮮王朝が建国されてから今年で625年を迎えます。
ソウル特別市25区は605㎢で、人口は約1000万人です。

ドラマ『逆賊』では「漢城府」という“いわゆる都庁(機関)”がイム・ジャチとチョ・チョンハクが務める官庁でした。
漢陽は都城でもあるので、漢城府(ハンソンブ)と呼ばれていました。

(地図はウィキペディアより)
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この漢城府は、北側の北岳山(プガッサン:342m)、南側の木覓山=南山 (ナムサン:262m)、東側の駱山(ナクサン:125m)、西側の仁王山(イヌァンサン:338m)を連ねるように総延長約19kmの外壁(高さは7~8m)で囲まれた“都城”です。
面積は468㎢で20万人ほどの首都だったようです。

そして、その都城の外の南に漢江(ハンガン)が流れていました。


現在のソウル特別市は漢江の南の江南(カンナム)も含みますから、ソウル特別市(605㎢)マイナス、漢城府(468㎢)=カンナム(137㎢)。
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つまり、
1970年代から開発が進んだカンナム地区の広さは、
平安京のおよそ6倍だとのイメージが湧きます。
(カンナムの大通りは片道4車線で、朝夕はこの大通りが車のラッシュで一杯になります。
写真は3年ほど前)

# なお、漢陽府を囲んでいた4つの山(内四山:ネササン)を連ねる外壁の観光コースがあります。
https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=7497

こちらは“Nタワー”こと南山(ナムサン)のタワー
tower s

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# GWの佐賀県・有田市の陶器市の模様です(4月28日)。
(有田の源右衛門窯)
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(左は資料館にある古伊万里の皿で、オランダとの交易の図)
(右は今年の新作の皿です)
arita2.jpg
(2017.04.28)

<高野山のシャクナゲ>
(APBさんから頂いたmail: 絵と文)
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5月14日、午後から出かけた高野山はシャクナゲが満開でした。

kouya4.jpg

kouya1.jpg
この日のお目当ては霊宝館。
奈良の快慶展に執金剛神立像他4体の仏さまが出張なさっているので、
少し寂しいですが、
初見の大日如来像 
木村武山筆は私のお気に入りになりました。

じっくり霊宝館を見学して、奥の院に着いたときは夕方5時すぎでした。
観光案内所や納経所も閉まり、参詣の人も少なく静寂が訪れます。
杉木立を渡る風と鳥の声だけの世界。
(奥の院 参道の化粧地蔵)
kesyo jizo

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サクッと『ドクターズ』again

# おしらせ

KJSでアップしたドラマの第1話から再読したいと思われる方は、
例えば、「kjskyhigh 逆賊 第1話」などのように、
ドラマのタイトルの前にkjskyhighと書いて、
検索ボタンをクリックするだけで簡単に辿り着きます。

* ヤフー
* グーグル
* MSN
でも可能でした。
(実は昨日、この方法を知りました。
 コメント欄をご参照ください)

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(2017.05.18)

『逆賊』の途中では、オリニを見ていて記憶装置(海馬体)に何かショックがあったのかな?
とか、
燕山君は右脳は発達していても左脳でのプロセスが不十分だったのかな?
など思っていました。
なぜあのような暴君が世に現れたのか?
ずっと今でも疑問ですが、とりあえず以下のように考えることにしています。

サクッと『ドクターズ』again

1.まずは次を
どうぞ

『ドクターズ』では脳神経外科の若手ホープの“ユンド”を演じたユン・ギュンサンでした。
2112f_20160828011054ab4.jpg

(あるエピソード)
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(早朝はヨガ)

広い家に独身貴族として生活するユンド。
同じくソウル大学出身の叔父や仲間が転がり込んで暮すので、
ユンドは、パラン(左)とインジュ(中央)のことを、
“相手の気持ちが解らない人たち”として、
「メンタルアセスメント(精神分析)ができない人たちが、よくも外科医になれたもんだ」と。
他方インジュは「脳神経外科の“妄想”よりはましだわ」と切り返しました。

DR yy

そうですね。
確かに脳神経とは理性だけではとらえられない…。
複雑なものでもあるのでしょうね。
しかし、ユンドは複雑さを分解しようとしていました。

2.頭の中の構造

私は素人なので以下は私の“妄想”です。
当時はドラマ『ドクターズ』を理解するために、ネットだけでなく重い大辞典で調べていました。
アバウトに理解した次の2枚の絵。

(1)感性と知性

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ヒトの大脳では右側(右脳)で五感が作動して、左脳がそれをプロセスする。
その結果が言葉となり、記憶となり、また次の思考を生む。

(2)感情が作られるところ

nouno hisitu

今度は垂直にみたヒトの脳。
大きく3つに分けられるそうです。
脳幹(爬虫類脳) 古い脳
(これは生きものの自律神経を司るもので、
 ワニだって痛みを感じます)

大脳辺縁系(哺乳類脳) 中間の脳
(これは愛しているなどの感情を生み出します。
 ペットなどの哺乳類で発達しています)

大脳新皮質(人間脳) 新しい脳
(とくに右の大脳皮質が感情をコントロール。
 左が生きる知恵を考える大脳皮質とされます。
 人間だけが持つ部分です)

つまり、『ドクターズ』のホン・ジホンが言っていたように、
「感情は心臓ではなく、大脳辺縁系(②)が作り出すのだ」です。

(参考:KJS)
『ドクターズ』でのこと
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-2974.html
感情系と理性系
KJSでは次の脳の断面図などで脳神経外科用語にチャレンジしたつもりです。
「サクッと脳の話」では、
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-2913.html

以上のほか、
3.『記憶』 『ハイド・ジキルと私』

ドラマ『記憶』では大脳辺縁系の中の「海馬体」がメモリーチップ(USB)の働きをする。
アルツハイマー症候の原因箇所。
また、
ドラマ『ハイド・ジキルと私』では多重人格の原因を知りました。
つまり、子供の頃の強いショックや恐怖は、自らそれを忘れてしまおうとする自己防衛本能があり、別のヒトになろうとする。

ヒトの身体はおよそ20歳にして完成するとのこと。
ただし、人生は大脳の成長のプロセスのように思っています。
身体と違って脳は進化を続けるからです。
なので、「自分はもうこれで良いのだ」と思った瞬間から、
脳の進化が止まるのではないかと恐れています。
40にして惑わず”と言いますが、私は迷い続けたいと思っています。

孔子(論語)は、
「私は15歳で学問を志し、30歳で学問の基礎ができて自立でき、40歳になり迷うことがなくなった。
50歳には天から与えられた使命を知り、60歳で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、70歳で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」と。

四十(しじゅう)にして迷わず(『論語・為政』」
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

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# 最終話でギルドンが燕山君(ヨンサングン)に発した“罪状”こそ、このドラマの結語だと考えています。

最終・第30話 反正(パンジョン:クーデター)より。

「チョナ。玉璽(オクセ)を戴きに参りました。
 そして、東宮に移って下さい」
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# 平城(ピョンソン)君・朴元宗

同じく最終話から燕山君の死地(江華島)より。

「イ・ユン! お前の罪状を述べる。
 最初に来るべき重要な点だが、
 “人間の倫理”を理解できなかったことだ。
 我々の道徳を知りえず、“庶民を馬鹿にしたこと”だ。
 これこそが“民百姓への反逆”なのだ」

「…」
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ギルドンが去って、正気を失う燕山君

…私の命令だ。
私の倫理に背いた者達を殲滅しろ。
反逆禁止令

「ジャウォンや…」
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最終話(エンディング)は、ギルドンカンパニーやたくさんの村人が住む、“とある島”でした。

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やはり、小説「洪吉童伝」を書いたホ・ギュンという人は凄い!
過去の慣習・慣例を捨てて、人間の本来の生き方を上手く理想の小説で表現したのだなと思いました。
さらにドラマは、正史と野史と小説をミックスした脚本でした。
全て「言葉(セリフ)」と俳優の演技で表現させた脚本家(ファン・ジニョン作家)とPD(キム・ジンマン監督)には敬意を表したいです。

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(キム・ジンマン監督)

# 撮影を終えて“春が来たら”のみんなの声でした。
ロケは仁川だとのこと。
♪ 私たちに春が来たら~
https://www.youtube.com/watch?v=iLeimcKr0VY

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国際派だった二人の王

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(光海君が見た海:2015.09)

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(「東医宝鑑:トンイボガム」@済州島・民族自然史博物館;2015.09)

国際派だった二人の王

大陸では、モンゴルから“元”が13世紀(1260年)に起きました。
そして、そのおよそ100年後には南宋からの流れを引く“元祖”漢民族が1368年には“明”を建国。
しかし、また250年後の明の弱体化が進む頃、北方民族のアイシン(後金:女真族の国)が1616年に起きました。
明が後金に屈し、大陸の国号は“清”となったのが、1636年。
この400年の歴史の流れの中で、大陸が“元から明へ”、“明から清へ”と動く頃。
大陸での政治の変化の節目に、半島には二人の王がいました。

まずは、高麗の第31代・恭愍(コンミン)王(生1330年 ~没1374年:在位期間1351年 ~ 1374年)。
恭愍王はいち早く“明”との関係を重視し、自らも“元”時代のファッションを変える姿がドラマ『信義』で描かれました。
彼の妃は“元”の魯国公主(ノグクコンジュ)でしたが、妃も“元”を捨てます。
恭愍王が妃をとても愛したことはドラマだけでなく、史実として残っています。

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(恭愍王と魯国公主:『信義』より)

次いで、<朝鮮王朝>の第15代王・光海君(クァンヘグン)(生1575年~没1641年:在位期間1608年~1623年)です。
彼は親明から親清へと、微妙な外交の舵取りをしました。
これはドラマ『華政』のとおり。

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(光海君:『華政』より)

しかし、恭愍王は暗殺され、光海君はクーデターで廃位されました。
2人とも保守的な側近(官僚)たちとは違って、大陸の新しい国との外交関係を築こうとしたからです。
周囲はいかにも国際関係に疎いドメスティックな官僚たちだった…。

今日はこの二人の王にまつわる二つの“こぼれ話”+αです。

1.光海君と御医ホ・ジュンのこと
(ホ・ジュン:生1539年 ~ 没1615年)

先に、<王朝絵巻>にて、これまで何度も取り上げた光海君(クァンヘグン)と御医ホ・ジュンのこと。
ドラマ『亀巌ホジュン』から“こぼれ話”をひとつ。

第15代王・光海君の母の恭嬪(コンビン:第14代王の側室)は、胸の病気のために二人の息子を残して仏門に入りました。
心臓病のために仏教寺院に帰依していくのですが、彼女はホ・ジュンに、
「御医としてではなく、子供たちとは友達として話し相手になって下さい」と言い残します。

子供は慣例により正室が“王の子”として引き取られます。
そうですね…、王からの寵愛を失くした時、側室の影も薄れる…。
それだけでなく、子供たちも父親の愛から遠ざかる…。

(『亀巌ホジュン』のビハインド)
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上の写真は恭嬪の長男と次男(光海君)。
恭嬪(コンビン)は御医のホ・ジュンに大人の会話として、
「(正室への)嫉妬をしないと決めた時に、肩の荷が降りました…」と。

そして、後に王となった光海君は、“先王が死んだというだけで流刑にされていた”ホ・ジュンを呼び戻して、滞っていた漢方の医学書の編纂を完成させます。
こして大陸の医学をベースとして、半島版の薬学・薬草の知識の集大成ができました。
これが現在では世界遺産となっている「東医宝鑑(トンイボガム)」です。

2.恭愍王と崔榮(チェ・ヨン)将軍のこと
(チェ・ヨン:生1316年 ~没 1388年)

ドラマ『信義』と『六龍が飛ぶ』のチェ・ヨン将軍。
ドラマ『信義』では、高麗時代の末期の王の特殊部隊として歴史の裏で倭寇と戦った赤月隊がありました。
その後継部隊として、30代で于達赤(ウダルチ)の隊長を務めたのがチェ・ヨン。
チェ・ヨンは廃位された先王(まだ10代の忠定君)に仕えていたために、忠義について一時悩みました。
逆に、恭愍(コンミン)王も同じくヨンの“忠義”について一時は疑問を抱きました。

時代は変わり、後のドラマ『六龍が飛ぶ』では武官のトップ、あるいは首相クラスの重鎮となっています。
李成桂に対して、王と共に鴨緑江(アムノッカン)を渡れと命を出したのがチェ・ヨン将軍でした。
そして、アムノッカンの威化島からリターンした李成桂に死罪にされます。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3180.html
しかし、李成桂が追尊して現在でも軍人+忠誠心の鑑となっています。
ちなみに、近年でもソマリア沖での韓国漁船の救助などで活躍している巡視船の名前に「チェヨン」があります。

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(この写真と以下もウィキペディアより)
少年のころから活力に満ち溢れ、威厳があった。
16歳の時に「黄金を石ころのように思う人間となれ」と崔瑩の家系に伝わる家訓を遺言として父は死んだ。
崔瑩は生涯この教えを守り、清く私欲のない人生を送った。
剛直にして忠臣、なおかつ清廉という最上級の評価をなされている。

(『信義』ではウダルチのトクマンを演じたユン・ギュンサンでした)
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3.流刑の地

高麗の恭愍(コンミン)王と朝鮮王朝の光海君は、外交政策を巡る反対派により、それぞれ暗殺と流刑となりました。

済州島
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古くは沖縄にあった琉球王国と同じように、
済州島には耽羅(タムナ:탐라)王国がありました。
後に編入されるとしても、
それぞれの出身の人々の誇りでもあると感じます。
(写真は魔除けのトルハルバン)

史劇で良く出て来る流刑地は
江華島(カンファド)が定番。
そこは王族や官僚などの政治犯がまずは流刑になった島。
ただし、ここは漢江(ハンガン)の河口の島で、戦略上の要衝でもあり、また漢陽から遠くはない。
しかも、設備が整っていました。
ドラマ『逆賊』でのチュウォン君はいとも簡単にカムバックしました。
変わって、燕山君は中宗反正により江華島に島流しとなりました。
満30歳の時です。

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しかし、究極の流刑地(島)となれば、済州島(チェジュド)。
個人的にはこの島の温暖な気候が好きなのですが、<朝鮮王朝>当時は江華島とは違って、もう帰れない過酷な地だったようです。
済州島の北海岸には“恋北亭”という名の東屋があります。
ここに多くの政治犯たちが集い、遠く“北の漢陽”を思い、語り合ったそうです。
光海君もこの東屋から北の海を見つめたのだと思います。

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(韓国で一番高い山は済州島のハルラ山:1950mの山全体が世界遺産です)
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(2年前の9月の登山でした)

済州島でのお勧めはウニとワカメのスープ。
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(北の海岸に並ぶ鮮魚のレストラン:2015.09)

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# さて、気になるのは第28話のこと。
そして明日と明後日に放送される第29話と最終話。

まずはギルドンの矢を胸に受けたカリョンの容態

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「不思議なことに、もう死んでいてもおかしくないのに…?」

「…」

「急所にもっと近かったら…。しかし、もう体力が限界だ…」

「…」
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そして、しばしばアップになる朴元宗(パク・ウォンジョン)です。
彼がクーデターを起こし、燕山君を廃位に追い込みます。

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灰色のクーデター

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(2017.04.29@Nagasaki)

フランス革命はおよそ230年前の18世紀末のこと。.
贅沢を欲しいままにしていたマリー・アントワネットの斬首刑…。
今年2017年は、江戸幕府が終焉した“大政奉還”の年からちょうど150年です。
また、大韓民国では元・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の生誕100周年です。

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(はじめに)灰色のクーデター

クーデターと言えば、リーダーが軍(武官・武人)を率いて現政権に圧力かけるもので、<朝鮮王朝>では“反正(パンジョン)”と称されます。
反正=正しい道に戻す(戻った)という意味です。

<朝鮮王朝>で称されるの二つの反正は、
第11代王・中宗の“中宗反正(チュンジョンパンジョン)”での第10代王・燕山君の廃位と、
第16代王・仁祖の“仁祖反正(インジョパンジョン)での第15代王・光海君の廃位。
この2度だけだと思っていました。

しかし、ドラマ『逆賊』を見て初めて知って調べたのですが、第7代王・世祖(セジョ)が第6代王・端宗(盧山君)を廃位したのも、実質はクーデターだったようです。
ただし、世祖反正とは呼ばれていません
なぜかと思うと、次の二つの例にあるように即座に王の座を奪ってはいません。
まずは、高麗を滅亡させて<朝鮮>を建国した李成桂(イ・ソンゲ)のことと、次いで首陽(スヤン)大君のこと。

1.クーデターか禅譲か

雪解けで増水した鴨緑江(アムノッカン)を、5万もの兵に渡河させることは危険・不可能。
そう判断した李成桂(イ・ソンゲ)は、王命による大陸出兵であったものの、中州の威化島からUターン(「威化島回軍(ウィファドフェグン)」)して高麗の首都・開京を開城させました(1388年)。

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# ムヒュル(役ユン・ギュンサン)たちは、将軍に「我々5万人の兵士には、祖国で待つ10万の両親がいます」と。
李成桂は「10万の、祖国で待つ家族の元に引き返す!」と号令を掛けるシーンでした。
(『六龍が飛ぶ』第20話)

将軍としての李成桂の判断は兵士とその家族を思った実利的な結果だとされ、クーデターとは定義できないという説が強い。
李成桂は回軍で実権を掌握したものの、それまでの高麗(王政)を維持し、「朝鮮」と新号を決めるのは4年後の1392年だからだとされます。
また、
その4年間のことを描いた『六龍が飛ぶ』は、5男の李芳遠(イ・バンウォン)が主人公。
兄(次男)の李芳果(イ・バングァ)と共にバンウォンが実際の建国の立役者だったからです。
それぞれ、第2代王・定宗→第3代王・太宗に即位することになるのですが、この政権交代は仲良しだった兄弟間のいわゆる“禅譲”です。
(なお、李成桂はそれ以前の子供たちの政争を見つつ、仏教に帰依しました)

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# 写真右中央は政策補佐官の鄭道伝(チョン・ドジョン)

李芳遠(バンウォン)は2度の王子の乱(#)を起こして、李成桂の政策補佐官だった(朱子学の学徒)鄭夢周(チョン・モンジュ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺害しました。
ドラマでは、鄭道伝が“成均館(ソンギュングァン)”に逃げ込んだところを引き出しました。
この成均館での講義は朱子学が中心でした。
鄭道伝が創った“密本(ミルボン)”の思想・政府組織が次のとおりで、そこには絶対王権は存在しません
フラットな関係です。

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(三司)
司憲府(サヒョンブ:法律・検察・官僚の監察:従二品)
司諫院(サガンウォン:王への進言・顧問:正三品)
弘文館(ヒョンムングァン:歴史の記録・宮中の文書:正三品)
いずれも大監(テガム)、令監(ヨンガム)がトップです。

『六龍が飛ぶ』の李芳遠も、彼の息子の第4代王・世宗(セジョン:ドラマ『根の深い木』)にも受け入れられない思想でした。
『逆賊』の燕山君も、“密本”とその朱子学の流れを自負する“士林派”を嫌う点が、この“絶対王権の不在”です。
# バンウォンの“王子の乱”は武力によるものですが、思想的には孔子・孟子の本来の儒学に基づいているとの解釈です。

2.灰色のクーデター~第7代王・世祖(セジョ)のこと

第4代王・世宗(セジョン)はそのハングル創製により、歴代王のファン投票をやればナンバーワンを競うと思います。
ただし、もとよりの彼の悩みは、元子(ウォンジャ:正室からの最初の息子)・世子(セジャ)、後の第5代王・文宗(ムンジョン)が病弱だったことだと思います。
文宗の在位期間はわずか2年3か月で、38歳で亡くなりました。
その時、世子の魯山君(ノサングン)はわずか11歳です。

他方、世宗の次男の首陽(スヤン)大君(後の世祖)は文武両道で野心家だった。
文宗の息子の魯山君が第6代王・端宗(タンジョン)となると、王族の長老で代表なのでその後ろ盾が必要だと思ったはずで、政界に登場。
ただし、先王が“息子を宜しく”と遺言したのは、金宗端(キム・ジョンソ)らの大臣たち。
朱子学に沿って絶対王権を認めず、宰相政治を求める官僚たちは、世宗の3男の安平(アンピョン)大君と手を組んで首陽大君の勢力を抑えようとしました。
安平大君も文武両道の人でした。

勢力が2分した中で、1452年9月に端宗が「明」から冊封されました。
これに対する返礼の使者として、明に赴いたのが首陽大君です。
あえて、自分が行くと主張したとのことで、これには内政には関心がなく、外交を進めるとの姿勢を見せたと見られています。

首陽大君は、翌年の1453年4月に帰国し、その後の6か月間に本格的な準備を整えたようで、1453年10月10日に「癸酉靖難(ケユジョンナン)」という乱を起こします。
これは魯山君に対するものではなく、上記の金宗端たち領議政・左議政・右議政(首相と副首相2名:外交・内政のトップ官僚)がターゲット。
宰相政治で内政を牛耳っていた首相・大臣たちを処刑し、自らが領議政(首相)に就任します。
第7代王・世祖(セジョ)として即位するのは2年後です。

1455年に「危険を感じた端宗(魯山君)は王位を退いて上王となり…(下記の出典;119p)」とあります。

そして、その後に魯山君の復位のための元の重臣たちの動きが発覚し、1457年に賜薬、16歳でした。
重臣たちのことは、「死六臣」および「生六臣」といわれる忠臣のことで、これは後日紹介します

(この世祖についてのドラマは視聴していないので、
 朴永圭(パク・ヨンギュ)『朝鮮王朝実録』キネマ旬報社、2012年3月
 よりの引用です)

3.ギルヒョンの回答は禅譲

(私は)首陽大君については黒に近い灰色のクーデターだと思いますが、ギルヒョンはそこを上手く科挙試験の答案に反映させました。

第11話では、“科挙試験”の際にギルヒョンが、“王のハートをつかむ”回答を書きました。
彼には燕山君の曽祖父・世祖に関する“隠された史実”を知っていたと思われます。
あえて、中国の堯(ぎょう)と舜(しゅん)のことを思わせるように、世祖が起こした乱を“禅譲”として書きました。

第2次までパスした受験生には王からの出題なので、3次試験には王も参加しました。
燕山君からの出題は“人材”
(# 人の才能と意味でしょうか?)

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…王は人々を慈悲の心を持って治める。
王と忠臣はお互いへの忠誠心と誠の心でもって接する。
過去、魯山(ノサン)君が譲位したのは、
世祖の才能を認めたからであり、
世祖は譲位を断ることはできなかった。
それは魯山君への忠誠心からだ。
何と言う徳であろうか…。

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ウィキペディアでは次のとおりです。

中国の伝説の皇帝・天子、堯(ぎょう)と舜(しゅん)

堯には丹朱と言う息子がいたが、臣下から推薦者を挙げさせた。
放斉は丹朱を挙げ、驩兜は共工を挙げたが、堯は二人とも退けた。
みなが虞舜(舜)を挙げ、性質がよくない父と母、弟に囲まれながら、彼らが悪に陥らないよう導いていると言った。
堯は興味を示し、二人の娘を嫁した。
それから民と官吏を3年間治めさせたところ、功績が著しかったため、舜に譲位することにした。
舜は固辞したが、強いて天子の政を行なわせた。
舜の願いにより、驩兜、共工、鯀、三苗を四方に流した。
20年後に完全に政治を引退し、8年たって死んだ。
天下の百姓は父母を失ったように悲しみ、3年間音楽を奏でなかった。
3年の喪があけてから、舜は丹朱を天子に擁立しようとしたが、諸侯も民も舜のもとに来て政治を求めたので、やむなく舜が即位した。

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クーデターには正当性を宣言しないといけないので、その前後に官僚・文官が作る名目・名分が必要。
しかし、
「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉があるように、起きた時は白黒つけがたいグレーなもの。
現代の視点を<朝鮮王朝>に持ち込んでも無意味かもしれませんが、
まずは、法治国家・民主主義国家の観点からは、流血は×。
そして、
クーデターの後の政権の評価の方が大切だと思います。
つまり、それが民百姓・国民の生活向上に繋がったのか?

これまで第15代王・光海君のことは<王朝絵巻>で何度も書いたように、彼は大陸での「明」→「清」の移行期を把握して、戦争を避けようとしました(追尊して欲しいです)。
これに反して“反正”と称した仁祖反正により、半島は「清」からの侵略を招きました。
こちらは限りなく黒に近いクーデターだったと思います。
この模様はドラマ『華政』のとおりで、仁祖が歴史的な屈辱を受けるだけでなく、民百姓の犠牲とその後の清への服従という結果でした。

さて、先週放送の『逆賊』第27話でのこと。
およそ7か月に及ぶ粛清、「甲子士禍(カプチャサファ):1504年」の後は、絶対王として全権を掌握した燕山君。
しかし、2年足らずの後には「朴元宗(パク・ウォンジョン)の乱」または「中宗反正」と呼ばれるクーデターで廃位されるに至ります。

パク・ウォンジョン(朴元宗)は、第27話の最初に無言で登場しました。
今後の彼の行動がどのように描かれるのか、ギルドンとのコラボがあるか?
これも楽しみの一つです。

…盗賊…、ホン一族…

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# 正二品の官僚で、彼の姉は第9代王・成宗の兄の月山大君(ウォルサンテグン)の妻です。
もともと武官の出身で、軍部とのコネクションが強かったとされます。

(第1話でのプレリュード)
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# ギルドンたちには外部から何らかの支援が期待されるところです。

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悪女にされた女性たち

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(イ・サンが建設した水原の“華城:ファソン” の行宮正門:2015年撮影)

歴史に揺れた女性と歴史を動かした女性たち

パリで生まれたイタリア人の経済・社会学者にパレートがいます。
彼の功績は、今でも何かと使われる2対8の比率で、「パレート最適の法則」。
統計手法を用いて、およそ2割の高額所得者が国富の8割を占めているという実証を行ったからです。
例えばハチやアリでも、働いて実績を上げているのは、約2割だとの生物学的な分析もあります。

<王朝時代>の王族と両班の人口はおおよそ全体の1割とされます。
9割の庶民が圧政に苦しんでいたので、小説「洪吉童伝」などが生まれたのだと思います。
今日は転じて、これまでのドラマや本での知識から、女性たちの王朝について触れておきます。
悪女とは…? です。
現代は民主憲法とその下にある法律で犯罪が明確になっていますが、それでもモラルとか価値観は人によって多様なので、以下は私の個人的な考えだと思って下さい。

もしも、良い人と普通の人と悪い人が、1対8対1の比率であれば、悪い人が1割で残る9割は問題がないので、この世はおよそ平穏であるはず。
しかし、例えばサッカーファンが勝った負けたで相手チームのファンたちと喧嘩するみたいな、感情が先に立つと理性が失われていくので、1対9の比率が激変することが起きる。
先の米国大統領選挙の際に、ヒラリー・クリントンが主張していた、“民族性や宗教上の非寛容を許してはいけない”は、とても大切だと思います。
相手を受け入れて仲良くしたいもの。

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王妃のヘアスタイル(左:パク・ハソンのテスモリ 右:ハン・ヒョジュのトクジモリ)

1.7つの戒律と7人の廃妃

アバウトに男尊女卑と言うよりも、次の戒律を列挙した方が適格だと思います。
「七去之悪(チュルゴジアク)」といわれた<王朝時代>の離婚の要因です。

・嫁として夫の両親に仕えること
・跡継ぎの息子を生まなかったこと
・不倫(#)
・嫉妬深いこと
・病弱であること
・おしゃべり
・人を騙すこと

# こんな文化はあの当時だけではなかったのではないでしょうか?
ちなみに、
“姦通罪”が憲法裁判所(日本の最高裁にあたる)で違憲とされたのは2000年代に入ってからのことです。

また、7つの“ダメ出し”以外にも、
「出嫁外人(チュルガウェイン)」といって、“嫁いだら外の人”…、
なので、「もう実家の人ではないから、帰るな」と言われた…。
何とも不自由な時代だったかと思います。

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(『チャン・オクチョン』のユ・アインとキム・テヒ)

次いで廃妃の7人を列挙します。
(正室の座から廃妃(ぺビ)または降格された7人の王妃)

①第6代王・端宗の正室・定順王后
②第10代王・燕山君の正室・(廃妃)慎氏
③第11代王・中宗の正室・(廃妃)慎氏
④第15代王・光海君の正室・(廃妃)柳氏
この4人はクーデターでの夫の廃位による結果。
なお、ドラマ『逆賊』に出たように、端宗は廃位されて魯山君(ノサングン)と降格しましたが、およそ200年後に追尊されて、廃妃・宋氏も定順王后とおくり名をもらいました。
上記の中宗の正室は燕山君の正室と同じファミリーから嫁いでいたからで、これは“とばっちり”だと思います。

⑤第19代王・粛宗の正室・仁顕(イニョン)王后
⑥そして張禧嬪(チャン・ヒビン:禧嬪・張氏)
(ドラマ『トンイ』、『チャン・オクチョン』であまりにも有名)
この二人は老論派と小論派という“政争の具”となってしまいました。

こうしてみると、
⑦7番目にあげる(先に書いた)「王の顔を引っ掻いた王妃(廃妃)」
第9代王・成宗の2番目の正室で、燕山君の母・済献(チェホン)王后・尹(ユン)氏だけが、とてもユニークな存在だったことが分かります。
現代では、単に“夫の顔”といえばそれまでですが、上記の”嫉妬禁止”の王政の時代なので、“尊(龍)顔を引っ掻く”のは社会問題となって周囲からも“納得された廃位”だったのでしょう。
ただし、ひとつ指摘しなかった点は彼女は12歳年上の妻だということ。
姉さん女房なので、年功序列の社会では“ヌナ”
なので、心理的には廃妃の方が上位だったかもしれません。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3145.html

また、『トンイ』と『チャン・オクチョン』を描いたドラマの視点は180度違っていて、良し悪しの評価が紙一重の差だと思います。
いずれにせよ、女性の中でも歴史に名を残した点では「命を懸けて」一生を羽ばたいた。

2.表の悪女と裏の悪女

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(『逆賊』の張緑水)

(1)表の悪女

男尊女卑の<王朝王朝>の中で、例えば両班の妾になるとか、女官への道から側室になるとか、上昇志向が強かったのが張緑水(チャン・ノクス)だったようです。
つまり、“貧乏は嫌だ”。
そして、たった一度の人生だから“可能ならば社会進出したい”という高い望みを持っていたのだと思います。
彼女は分かり易い存在です。
なので、チャン・ヒビン・オクチョン(禧嬪・張氏)と並んで、一般的な“悪女”の代表になっています。
ただし、
当時のモラル基準からも、現代のモラル基準からも“いわゆる悪女”として同列には扱えないと思います。
禧嬪・張氏は政争の具にされただけ。
MBCは『逆賊』により、性格的に激しい面を持った張緑水を描いています。

他方では、戦々恐々として派閥の看板の陰にいた男たち(官僚)のことが小動物に思えます。
人道的な観点から、あるいは儒教の基本的な思想から、男たちは女性との対話やコントロールを考えなかったのでしょうか?

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(左から、『トンイ』の粛宗、トンイ、チャン・ヒビン、内禁衛将)

(2)裏の悪女

『イ・サン』は名君だった第22代王・正祖を描いたドラマでした。
祖父の第21代王・英祖は官僚の派閥を上手く束ねて、またイ・サンはその力を弱めることに成功したとされます。
イ・サンが亡くなったのが1800年。
19世紀がやって来て、国際情勢が大きく変化を見せていた頃です。
既にフランスでは革命が起きて、ヨーロッパは市民社会へと移行が始まっており、また米国が独立したのは1776年です。

ここで政権を牛耳っていた二人の女性
この二人は女性の社会進出に成功したとはいえ、政府のトップに立つ者の資質として、国際感覚がなく排他的(非寛容)だったので、民百姓の民主化を遅らせたと思います。

①半島では、60代の第21代王・英祖(ヨンジョ)に10代で嫁いだ(正室)貞純(チョンスン)王后(1745~1805年)が、イ・サンの祖母として歴史に登場しました。
第22代王・正祖(ソンジョ:イ・サン)が亡くなったのがちょうど1800年です。

サンの息子がまだ10歳だったので、簾の背後から政治を操る貞純大妃の「垂簾聴政」が始まりました。
民主主義の観点から見ると、彼女の歴史的な罪は宗教上で排他的であったこと。
その60年の生涯の中において、天主教(カトリック)を弾圧し、フランス人宣教師を含めて数万におよぶ信者を殺害しました。
天主教が持つ平等思想が身分制度の国にとっては不都合だったからです。

②次いで、イ・サンの息子・第23代王・純祖(スンジョ)の正室・純元(スヌォン)王后(1789~1857年)。
少年の王に嫁いだわけですから、彼女も少女時代。
しかし、背後にいたのが実家の安東(アンドン)・金氏です。
純元王后の68年の生涯のほとんどにあたる、60年間くらいが「勢道(セド)政治」といわれ、実家の金氏が政権を掌握しました。
賄賂が横行した腐敗政治の時代だとされます。
彼女には罪はないかもしれませんが、この時代はドラマで美化するのが非常に難しいと思います。

3.朱子学一辺倒の“失われた100年”だった…。

儒教のオリジナルの経典として一般に挙げられるのはは四書五経。
しかし、時代の変遷と共に生まれた亜流の「小学」の朱子学は、為政者に都合よく利用されたと思います。
江戸時代も<朝鮮王朝>も、身分制度、男尊女卑、他宗教への不寛容により庶民社会を統治したと断言しても良いと思います。
平等思想のキリスト教を弾圧したのは、この為政者のご都合によるものだと思います。
また、民主化の遅れもここにあると考えています。

先週の『逆賊』を視聴していて、やはり…。
と思ったのは、ギルヒョンとギルドンの妹のオリニに記憶障害があって、兄たちのことを覚えていないこと。
そればかりか、“守貴単”の師匠たちから洗脳されているようです。
ギルドンの妻・カリョンに対して、「王からの寵愛を受けるにも順番がある」と、オンニにあたる女性に突っかかっています。

しかし、宗教的に寛容となってきたのが<朝鮮王朝>の末期だったと思います。
近代化を進めようと、高宗にも明成皇后にも、勢道政治から脱却した国際感覚がありました。
第26代王・高宗の在位1863年からのドラマ『明成皇后』は、日本との関係のイメージが分かり易かったです。
ただし、衰退する大陸の清ではなくて、いち早く近代化を進めた日本との関係が良好だったならば…、
と思うと残念です。

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(イ・サンと高宗;
 国立故宮博物館のガイドから聞いた話です。
 第21代王・英祖と第22代王・正祖は、もとは英宗と正宗だったが、第26代王・高宗により追尊され、
 それぞれ、英祖と正祖の謚が贈られたそうです)

(以上は次を参考にしました)
康煕奉『悪女たちの朝鮮王朝』双葉社(2014.06)
朴永圭『朝鮮王朝実録(改訂版)』キネマ旬報社(2015.10)など。

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絶対王権→立憲君主制→民主主義へと、大きな歴史の波が押し寄せる中で、その波に乗った国々と、乗り遅れた国々の市民生活には大きな差が生まれたのだと思います。
冬が終われば春が来る。
当たり前のように春風を享受して、当たり前ですが、“民主主義”の時代に生まれて良かったなと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E

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# 明日から4日間はイ・サンの映画『逆鱗』を再編集してアップします。

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推薦したい歴史ドラマ

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https://www.youtube.com/watch?v=zriRcKnlU5g
(歌:キム・サンジュン)

歴史ドラマと映画
GWを前におススメのドラマ・映画です。
史劇では史実とフィクションとが融合しているものの、よ~く考えて仕分けしているうちに、“これは歴史の勉強になった”と思っています。

1.歴代の王の即位年とその時の年齢
また、当時を描いたドラマと映画です。

個人的な庶民としての観点から8本(☆)選んでみました。
(太い文字の王は即位の年齢が未成年)

初代王・太祖(テジョ)1392年:57歳
第2代王・定宗(チョンジョン)1398年:41歳
第3代王・太宗(テジョン)1367年:33歳
第4代王・世宗(セジョン)1418年:21歳
以上の時代では、
『六龍が飛ぶ』(☆)
『根の深い木』(☆)


第5代王・文宗(ムンジョン)1450年:36歳
第6代王・端宗(タンジョン)1452年:11歳
第7代王・世祖(セジョ)1455年:38歳
第8代王・蓉宗(イェジョン)1468年:18歳
第9代王・成宗(ソンジョン)1469年:12歳
第10代王・燕山君(ヨンサングン)1494年:18歳
以上の時代では、
『逆賊』(☆)

第11代王・中宗(チュンジョン)1506年:18歳
有名な、
『チャングムの誓い』『ファンジニ』

第12代王・仁宗(インジョン)1544年:29歳
第13代王・明宗(ミョンジョン)1545年:11歳
第14代王・宣祖(ソンジョ)1567年:15歳
第15代王・光海君(クァンヘグン)1608年:33歳
第16代王・仁祖(インジョ)1623年:28歳
以上の時代では、
『ホジュン』
『亀巌ホジュン』
『華政』(☆)
『不滅の李舜臣』
『宮廷女官キム尚宮』
映画『光海』(☆)

第17代王・孝宗(ヒョジョン)1649年:30歳
第18代王・顕宗(ヒョンジョン)1659年:18歳
第19代王・粛宗(スクチョン)1674年:13歳
以上の時代では、
『トンイ』
『チャンオクチョン』(☆)

第20代王・景宗(キョンジョン)1720年:32歳
第21代王・英祖(ヨンジョ)1724年:30歳
第22代王・正祖(チョンジョ)1776年:24歳
以上の時代では、
『イサン』(☆) 
『ときめき成均館スキャンダル』
映画『逆鱗』(☆)

第23代王・純祖(スンジョ)1800年:10歳
第24代王・憲宗(ホンジョン)1834年:7歳

第25代王・哲宗(チュルチョン)1849年:18歳
第26代王・高宗(コジョン)1863年:11歳
第27代王・純宗(スンジョン)1907年:33歳
以上の時代では、
『明成皇后』
『済衆院』

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(2015.12.15の空@景福宮)

2.未熟な王様

上記の即位の際の年齢では、18歳未満が8人います。
自分の感情をコントロールするという点では、未熟ではなかったのかと思われる少年王です。
それぞれに摂政政治が行われて、王は骨抜きにされていたと思います。
裏には大王大妃(テワンテビ)・大妃(テビ)と、その外戚関係で権力を持った官僚たちがいた…。

『朝鮮王朝実録』に基づき脚本化される史劇なのですが、この原典には偏向がある。
弘文館にいた後世の官僚たちによる(派閥の)バイアスがある編纂の結果だと思います。

そこで、王本人が思っていた政治・治世を実現しようと、国王として自立して治世ができていたのは18歳以上の王だったと考えると、上記から未成年で即位した王のドラマ『チャン・オクチョン』が外れます。
しかし、成人してからの第19代王・粛宗が派閥解消のために換局(ファングク;議会の解散)に努力した姿が描かれていますので、これは参考になりました。

# 『逆賊』の第22話までのところで、燕山君はやはり変わっていたのかと、二面性を感じました。
豹変して、まるで王権を利用した独裁者?
次の動画をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=MYT4paeimog&t=14s

これまでは絶対王権と官僚(派閥)との政争として見て来ましたが、自分の狩場のために村人たちを強制的に追い出す(執行はモリ:第22話)シーン。
ここで、見方が変わりました。
宮廷内だけでの背徳の行為で、彼の敵は官僚だけだったと思っていましたが、違いました。
民主主義の観点からは行き過ぎた王だったと言うしかありません。
太陽のように民を照らす王道が儒教の本質だと(知っていた)理解していたならば、あのシーンは残念です。
韓国半島の富も民も全部自分の物だとの発想が独裁に繋がったようです。

①勉強嫌い ×(感性と知性は天才的)
②暴君 ○(民百姓を苦しめた)
③酒池肉林 △(不明)

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3.王朝末期のこと

イ・サン(第22代王)が亡くなったのが1800年。
そして、イ・サンが亡くなってからの半島の100年のうち、およそ60年間は勢道(セド)政治と呼ばれる、王の外戚が権力を握った鎖国の時代でした。
外戚とは安東・金氏で、第23代王・純祖(スンジョ)の妻だった純元(スウォン)王后・金氏のファミリーのことです。
(詳細は次回)

その当時の海外のことを列挙すると、
アメリカの独立 1776年
フランス革命 1787年
そして明治維新が1868年

日本は欧米から80年~90年遅れて、明治維新と共にいわゆる「富国強兵」のための近代化が急ピッチで進みました。
また、半島では1897年に第26代王・高宗が国号を「大韓帝国」と変えて、皇帝に就きました。
高宗(在位44年間)が建築した徳寿宮(トクスグン)の中の近代建築に見られるように、日本から30年ほど遅れて近代化が始まったと思います。
ただし、明成王后・閔氏が頼る外国はまず清であり、夫の高宗の末期はロシアでした。

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(写真は韓国観光公社より)

王朝末期のことは『明成王后』『済衆院』、
日韓併合後の独立運動を描いた映画『暗殺』(チョン・ジヒョン主演)しか視聴していないので、これからの作品を期待しています。

この写真は李氏<朝鮮王朝>最後の第27代王・純宗(国立故宮博物館にて撮影)です。
すでに国号が代わり、彼は第2代皇帝であり最後のエンペラーともなります。

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# 放送・第24話でカリョンがオリニ(=サンファ)を知ることになりました。
一部を先に紹介しておきます。

オンランはノクスのチマを踏んで、罰として投獄されました。
(言い伝えられる逸話の部分です)

「どうして私に親切なのですか?」

「ちょっと(クニャン)…、
 私の妹のように思えるからだわ」

「…」

「あの留め紐の残りの半分を誰が持っているのか知っている?
 あれは私の主人の…」

「あれは私の物ではないです。
 サンファの物で、
 サンファはいつもあれを持って歩いているわ」

「…」
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ソン・ドクファンのところにサンファが報告

「何だと?!
 ホン・ギルドンが生きているのか?!」

「ええ、コンファがホン・ギルドンには興味を示しています。
 ホン・ギルドンが傷を負うと二日ほどは気がめいっています。
 とある日に、ホン・ギルドンのことで“死んだと聞いて可哀想です”というと、
 “なぜ死んだと分かるのか?
 同情する必要はない”とのことでした」
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# コンファはノクスの過去の芸名。
サンファ=オリニ(=守貴単の密偵)のようです。

(第24話のおわり)
https://www.youtube.com/watch?v=Se9CQeOe3MM

「お~い! イ・ユン!」
2435n.jpg
# イ・ユンは燕山君の本名で、李㦕(りっしんべんに隆でユン:융)
なお、胸のロゴは“仁”のようです)

# 今月末のKJS『逆賊』は5日間ほどお休みして、5月1日から再開します。
その間はイ・サンの映画『逆鱗~王の涙』です。
再編集しました。
今年もGWを前に佐賀県の有田陶器市に行きます。
昨2016年は、日本で最初に磁器が焼かれてから400年目の記念祭でした。

(↓長崎の英国領事館で使われた皿:中央のマークは輸入元の東インド会社のロゴです。
 昨年:佐賀県・有田:源右衛門窯にて撮影)
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(チャン・オクチョン)
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男と女の“脱賤”への道

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(4月4日の夜桜:@東京・四ツ谷)

ソウルは10日ほど遅く開くようです。
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(汝矣島:ヨイドの桜まつり:2015.04.13撮影)

男と女の“脱賤”への道~支配者階級へと身分を超えて

これまではなんとなく、“両班(ヤンバン)”と言えばノーブルな貴族階級で、官職を得た官僚たちと土地を持つ地方の豪族たちのことだと思っていただけなので、もう少し詳しく調べてみました。

(はじめに)めざせ両班

数々の史劇(ドラマ)に出てくる議場(堂)には、30名ほどの文官や武官たちが列席しています(正式な職名は28)。
彼らは堂上官と呼ばれ、王との直接対話で政策論議を繰り広げます。
また、彼らが立っていたり、座っていたりもします。
品階は正三品以上で、大監(テガム)と令監(ヨンガム)と呼ばれる人たち。

それ以下の官僚は堂下官と呼ばれ、議場には上がることも座ることもできません。
正殿前の石畳には18の品階の石柱が立っていますが、そこで行われる国儀などの大きな式典の際に堂下官たちも集合します。
“いわゆる両班”という言葉は広義で、名誉だけでなく広大な土地(功労田)を持つ狭義の貴賓ある(ノーブルな)両班は多くはなかったと思います。

1.いわゆる両班

ソウルの中心にある光化門(クァンガムン)広場は観光、憩い、イベント、集会などで賑わうところ。

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最初の法宮となった景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンガムン)から入って、さらに二つの門の先に正殿(法殿)・勤政殿があり、玉座が設けられています。
婚儀などなど国を挙げての式典では、玉座から見て左(東側)には文班(ムンバン:문반)、右(西側)には武班(ムバン:무반)が列席しました。
二つの班を合わせて、“いわゆる”両班(ヤンバン:양반)と称しました。

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(写真は玉座から見て右側:2014.09.01@景福宮)
ここには18品階(正一品から従九品まで)が刻んであります。
石柱に沿って各ランクの武官が並びます。

官職を得るには3種類の国家試験(“科挙”)を受けるわけですが、
①文官の試験(文科)を受けることができたのは、両班の嫡子だけ。
②したがって、両班の庶子は武官の武科を受けるか、または、
③もうひとつの、雑科試験(医者、通訳、技術者など)を受けるしか道はなかった。
つまり宮殿の左側(東側)に文官として列席したのは、元よりの両班のファミリーの子弟だけでした。
今日考えたいのは③の専門職のこと。

江戸時代の身分制度は士・農・工・商
<朝鮮王朝>では両班・中人・常民・賎民と、それぞれ同じく4つに分けるのが一般的です。
しかし、法制度上からは支配者階級と他の被支配者層の2階層だけだったので、その観点から考えたいと思います。

2.支配者階級と被支配者層

江戸時代は農・工・商に従事する人々が“士”に支配される被支配者層でした。

<朝鮮王朝>の国法である「經國大典(キョングクテジョン:경국대전 #)」では、良賤制(ヤンチョンジェ:양천제)により良人(ヤンイン:양인)と賎人(チョニン:천인)に2分されています。
そして、<朝鮮王朝>でも江戸時代と同じく、農・工・商に従事する常民(サンミン:상민)および、その下の奴婢の賎民(チョンミン:천민)が被支配者層で、いわゆる両班(ヤンバン:양반)に支配されていました。
さらに、支配者階級と被支配者階層の中間に位置されたのが中人(チュンイン:중인)。
この中人クラスが理解し難いです。

この中人ランクと、常民・賎民の被支配者層から支配者階級に出世するにはどうするか
まずはやはり、“科挙(クァゴ:과거)試験”を受けること。
文官試験は不可能なので、
武官試験または医官(ウィグァン:의관)や訳官(ヤクグァン:역관)になるための雑科試験だけ。

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(両班屋敷の面影が残るソウル・北村:2016.11@プッチョン)

2.中人からの出世の道

支配者階級と被支配者層の中間層だった中人(チュンイン:중인)は普通は世襲制で、町医者や通訳、あるいは特殊な技術を持った専門職と分類される人々のこと。
一般の平民と専門家を区別するためにできた慣例上の身分だったようです。
ここから脱出した男女をドラマの例で3つ思い出します。

(1)ドラマ『亀巌ホジュン』でのホ・ジュンは(父親は武官で両班の)庶子でした。
庶子は科挙試験の中でも文官の試験は受けられませんでした。
そこで、医者(世襲制の町医者)に弟子入りして“中人”と認められます。
そして、科挙試験の“雑科”試験を受けて、医官(従九品)の官職を得ました。
18品階の最下位です。
配属は内医院(ネイウォン:宮廷の医院 #)ですが、希望して平民のための恵民署(ヘミンソ)に通いました。

しかし、いわゆる“両班”と呼ばれるためには時間がかかりました。
正三品の地位を褒章により得て、文官と同様に令監(ヨンガム)と呼ばれます。
そして、正二品以上になって大監と呼ばれます。
ドラマでは大監となってから、“脱賤”という言葉が出ました。
国法上の被支配者層の賎人
(チョニン:천인)から脱し、良人(ヤンイン:양인)となったわけです。
これにて、支配者階級の名実伴う“両班”となりました。
また、これにより息子のホ・ギュンが科挙試験の文科を受験できました。

# 宮中にあるのが内医院(ネウィウォン)で、その外に平民のために設置されたのが恵民署(ヘミンソ)。
両者とも官営です。

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(ドラマ『亀巌ホジュン』のビハインド;
写真の中央が現在のMBCドラマ局のキム・グノ・ディレクターです)

(2)ドラマ『逆賊』での官吏の出世
開京(ケギョン)の県令(従五品)に仕えた官吏だったミ・グモク(後にイム・ジャチ)は中人でした。
後に、アモゲのバックアップで県令となってイクァリに赴任。
そして「戌午士禍」の際の功績が燕山君から認められて、正五品となり、宮廷に自由に出入りできました。
また、
第17話では一つ昇格して、漢城府(首都の都庁)「庶尹」の従四品となります。
(ポストとしては3番目のランク)
この組織のトップは知事クラスの正二品で“判尹”、次に副知事クラスの従二品の“左・右尹”が置かれました。

上記の(1)(2)から、男性の場合は文官では正五品専門職では正三品あたりから、名実共に“両班”と呼ばれる支配者階級に新規参入ということになると思います。
両班の嫡子以外のファミリーにとっては夢物語のようだったと思います。

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(3)もう一つ、
ドラマ『チャン・オクチョン』では、オクチョンは農民(常人)の娘でしたが、叔父の訳官(これも世襲制の職業)に引き取られました。
中人の訳官のコネにより宮中入り。
第19代王・粛宗の寵愛を受けて、側室から正室に至ります。
側室の品階は正一品から従四品までの八段階ですが、子供を産むことでランクアップしますから、トントンと出世、正一品の“嬪(ビン)”を得て禧嬪・張氏の称号を得ました。
男性で言えばもう大監クラスです。
ここで、叔父の訳官も当然ながら中人から“両班”となりました。

この『チャン・オクチョン』の例は男性と女性の出世の道なのですが、オクチョンにお仕えした尚宮(サングン)の身分は頭打ちとなっており、正五品までです
その身分は“中人”です。

3.常民・賤民からの出世の道

常民・賤民の子は常民・賤民(いわゆる奴婢)なので、農・工・商業で忙しくて、勉強する時間が持てなかったようです。
それでも、男性は武官となるべく科挙の武官試験を受けられますし、その他、医官などの専門職になるべく雑科の試験もありました。

(1)ドラマ『逆賊』のギルドンは、賤民の子だったのですが、アモゲと共に商工業に従事して成功。
賤民から常民となり、髪型やファッションも変わりました。
その際にソブリから、今度は科挙の武科試験(武官として官職得る道)を受けるようにと勧められました。
ソブリの方は鉱山技師となったものの(従九品の品階を貰いましたが)、いわゆる中人です。

そして(2)チャン・ノクス(張緑水)。
彼女の母親は官妓といわれる妓生で、“女性の幸せは両班のご主人の寵愛を受けること”としました。
それで彼女も、賤民と結婚するものの、家族を捨ててまで官妓となって歌や踊り、雅楽の教養を身に付けました。
しかしそこに留まらず、ドラマでは“王の寵愛を受ける”という高い上昇志向でした。

そして、“脱賤”に成功。
燕山君は正室の他に、淑儀(スギ:従二品)と淑容(スヨン:従三品)の2人の側室を持ちました。
王朝実録の記録では張緑水は淑容・張氏(従三品)です。

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4.宮廷女官の道

ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で有名なのがスラッカン(水刺間)ですが、スラッカンでの彼女の活躍はフィクションです。

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(扁額と王のテーブル:2016.07.14@国立故宮博物館)

史実でのチャングム(大張今)は低い身分から、宮廷医女を目指しました。
儒教思想では女性が肌を見せることが嫌がられていましたので、王族の女性には女医が必要として、広く階層を超えて能力を求められていました。
御医にまで出世したのは、第11代王・中宗から認められたからです。

(医女たち:『亀巌ホジュン』より)
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宮中に住み込む女官の数は、
<朝鮮王朝>中期には1000人ほどだったとのこと。
王朝末期の第26代王・高宗の時代でも、500人はいたとのこと。

男性と同様に18の品階がありましたが、尚宮の正五品で頭打ちなので、側室となった女性は超ラッキーだったでしょう。
さぞ、
化粧品と装飾品にお金がかかったものだろうと言われています。

女官たちが働く部署は大別して次の8部署
・至密(チミル)…王族ための秘書室
・針房(チムバン)…衣類や寝具製作
・繍房(スバン)…刺繍や装飾品製作
・水刺間(スラッカン)…調理場担当
・生菓房(セングァバン)…水とお菓子担当
・焼酎房(ソジュバン)…お酒作り
・洗踏房(セタッパン)…洗濯と衣類の準備
・洗水間(セスガン)…洗い水の管理
それぞれの部署には官職としての品階を持たない雑用係(ムスリ)もいたようです。

(おわりに)ドラマ『逆賊』での感想

“めざせ両班”と…自分で書いておきながらも、夢のような物語だということを忘れてはいけないと思います。
日本の江戸時代も<朝鮮王朝>も、身分制度の中において最下層の人々のことを支配者階級はまるで“物”や“奴隷”としか見ていなかったと思います。
最下層の人たちはその制度の中で、サイレントマジョリティーに甘んじるしか生きる道はなくて、その中での幸せを求めていたと思います。
不自由な中でのわずかな自由を求めていたのだと感じます。

このドラマの「守貴単」は支配者階級の中でも、朱子学を都合の良いように解釈して、身分制度・男尊女卑・排他主義の教条的・原理主義的な集団を作っているので、怖い。
被支配者階層の人々を洗脳して、自分たちの正当性を訴えるから怖い存在だと思います。
普通の人たちからは近づけない“うがった唯我独尊”の集団だと思います。

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(写真は韓国観光公社@四ツ谷)
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長々と書いてきました。

文官上位の<朝鮮王朝>にあって、
両班の嫡子しか科挙試験を受けられなかったので、
宮中に列席する文官のほとんどは、
両班から生まれた嫡子だったということ。

しかも、
ドラマにあるように、いつも議場で王と議論するのは、
正三品以上の「堂上官」達だけです。
30人ほどで、
それ以下は議場には入れません。

こんな中で民主革命など起こるはずもないと思っています。

なお、実在した『チャングム』や『ホジュン』がいかに優秀な人材だったのか…。
ちなみに、歴史ドラマの歴代平均視聴率では『ホジュン~宮廷医官への道』(2000)が1位(47.1%)で、小差で『宮廷女官チャングムの誓い』(2003)が2位(46.3%)でした。

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三つ子の魂 百まで

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# この写真は昨年の秋に国立故宮博物館で撮影した「国朝宝鑑(ククチョボガム)」です。
燕山君が先王の喪に伏していた際に編纂させたもので、世祖~成宗の時代をまとめて、後の“帝王学”のテキストとなりました。
彼が信じた儒教の基本精神と士林派の思想が違っていたことの証左になると考えられます。

三つ子の魂 百まで仁粋大妃(インステビ)と甲子士禍(カプチャサファ)

「戌午士禍(ムオサファ)」は、史草(「朝鮮王実録」を編纂する前の日誌)に残された、中国の“義王を偲ぶ弔辞の「弔義王文」”が引き金でした。
そのために、「戌午“史”禍」と表記されることもあるそうです。
1478年、燕山君即位4年目のことでした。

その後に起こる1504年(燕山君10年)の「甲子士禍(カプチャサファ)」は、次の第3話(下)でアバウトに紹介しています。
http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3141.html

1.三つ子の魂百まで~家柄による差別

<第9代王・成宗>
(生1457年:没1494年)
(即位12歳)
2番目の正室・尹氏
(生1445年:没1482年)

「王の顔を引っ掻いた王妃」の廃妃・尹氏は12歳年上でした。
彼女は官僚の娘でしたが、その父親が早世だったために貧しい母子家庭で育ちました。
そのために女官として働き、その後側室から正室になりました。
そして、甲子士禍(カプチャサファ)の深いところにある原因は、成宗の母の仁粋(インス)大妃・韓氏(昭恵王后)が家柄や育ちを重視したことからです。
尹氏の廃位、そして賜薬という事件の裏には仁粋大妃の発言力があったとされます。

<第10代王・燕山君>
(生1476年:没1506年)
(即位18歳)
側室・張緑水
(生?:没1506年)

家柄を気にする祖母の仁粋大妃は、成宗の3番目の正室から生まれた晋城(シンソン)大君(貞顕王后の息子)を可愛がるようになったとのことです。
燕山君にとっては12歳年下の義理の弟に当たります。
つまり、
燕山君は3歳の時に母親が廃位されていなくなり、12歳になると継母からも祖母からも見放されて、広い宮廷の中に孤独に育った…。

しかし、燕山君の心の中には母親・尹氏のことが鮮明に残っていたと思います。
三つ子の魂百までといいます。
彼の深層心理に思いを馳せると、とても悲しくなる母親の悲劇だったと思います。

2.母の悲劇を知って

自分の妻を廃位して賜薬を送ったのは成宗です。
その裏には仁粋大妃と大妃を支援する“士林派”がいました。

『逆賊』第7話…寝所では成宗の臨終でした。
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「アバ媽媽!」

「世子…、服をしっかり着なさい」

「…!」

「世子…、朝鮮は儒教の国だ
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この後に続くのは、燕山君が、
「そんな儒教の国が私の母を殺したのですか
 アバ媽媽が自分の妻で私の母を殺したのですか?」
という言葉でした。

成宗はこの事実を「100年秘密にせよ」と王命を出していました。
しかし、
この事実を暴いて、燕山君に密告したのが戚臣の任士洪(イム・サホン)でした。

官僚の中では、王族との姻戚を関係を持っていた者たちと、功労による勲臣とは別々の派閥を形成していました。
つまり、この密告は勲臣たちと“士林派”を排除して戚臣たちが政権の中枢を握るための政略です。
他方、士林派を嫌う燕山君にとっては、“母の無念”を晴らす絶好のチャンスとなりました。

3.1504年(燕山君10年)「甲子士禍(カプチャサファ)」

第14話のこと。
余命わずかな議政・盧思慎(ノ・サシン:首相や副首相)がギルヒョンに、チョナ(燕山君)の鋭い知性(intellect)が怖いと言います

「チョナにはまだ解決の糸口が見いだせていないことがある」

「?」

「廃妃のことだ。
 血の繋がった母君の廃妃・尹氏のことだが、
 まだ何も決着の解決策が見いだせないでいる。
 それに、チョナの廃妃への怒りを抑える者がいないので、
 これが宮廷内でくすぶっている問題なのだ」

「チョナは個人的な恨みで官僚を罰するような人ではありません。
 ただ、王への反論が続く派閥には、
 怒りを抑えられないと言うだけです」

「ははは、派閥が…。
 私にも思い当たる者はいる。
 そなたと同じ様に派閥を嫌う者がいた。
 “反対する派閥を解消させることこそ、王への忠誠心”だと言っていた。
 しかし、そなたは賢い人だから、
 本当の“忠誠心”とは何のことなのか知っているだろう?」

「…」

「なぜだ? なぜ忠誠心が必要なのか?」

「…」

「私は死ぬ前に、お前を司憲府の大監に指名するつもりだ。
 そなたに頼みたいのは、
 恨みで王権までも堕落させるようなことにはならないようにして欲しい」

…私的な恨みで堕落。
恨みで王までが堕落…。

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<1504年の「甲子士禍(カプチャサファ)」の結果>

死罪;
成宗の側室だった、巖(オム)氏と鄭(チョン)氏(および2人の王子)
官僚の尹弼商金宏弼たち10余人

「剖棺斬屍刑(墓を暴いて斬首)」;
韓明澮、鄭汝昌、南孝温など

尹氏の廃妃に賛同した者;
洪貴達、金処善、李元など26人

その他、燕山君の行動を諫めた者:
2名が斬首と流刑

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知性は勿論のこと、燕山君は音楽や絵画、漢詩を好む鋭い感性の持主だったと思います。
その彼の心、王の心を掴もうとしたのが張緑水だったと思います。
緑水(ノクス)は奴婢(母は官妓)に生まれ、妓生(官妓)となり側室になりました。
正式な記録はないものの、燕山君よりは10歳以上の年上です。

また、ホン・ギルドンは、その王の琴線を揺さぶろうとしたのだと思います。

# 視聴率もあがり、日本での放送も月央には始まるそうですね。
https://www.youtube.com/watch?v=EfBNR8I18QI

# さて、今週放送された第20話ではギルヒョン、ギルドンの兄弟の再会。
それにオリニの宮廷での生活の一部が描かれました。

ギルヒョンとギルドンの待ち合わせの場所

「ソン」

「ギルドナ…」

「…」
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# ギルドンは兄のギルヒョンを“ソン”と呼んでいます。
ソンには「선배(ソンベ:先輩)」のように先に生まれた人の意味があるので、
“ソン”なのでしょう。
要は先人のこと。

明国に向かう船を見つけた」

「ソン。 俺は自首する」

「駄目だ。 絶対にダメだ」

「ソン…。 これから言うことをよく聞いてくれ」

「…」
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# ギルドンは自首することで、燕山君との大きな取引を考えています。

宮廷に連行されたギルドン

「…」
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オリニとオンラン

「何があったの?」

「あの男は、盗賊のホンという頭目だわ」

「んん、そうみたいわね。でもなぜ?」

「なんとなく、悪い気がするわ」

「盗賊だから悪いと思う必要はないわ」

「…」

「でもそうね、私もなぜか親しみを感じるわ…」
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# 兄のことなのに変です。
子供の頃の強いショックや恐怖は、
自らそれを忘れてしまおうとする自己防衛本能があるそうです。
記憶に何か障害があると思います。

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孫から頭突きされた大妃(テビ)

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(景福宮の南門・光化門から出たところ:一昨年の冬)

# 今日は4月1日・エイプリルフールですね。
でも以下は本当の話(「朝鮮王朝実録」から)です。

孫(燕山君:ヨンサングン)から頭突きされた祖母・仁粋(インス)大妃

1.3人の王后のこと

今回の「孫から頭突きされた大妃」は②仁粋(インス)大妃です。
彼女は、(世祖の正室の)①貞熹(チョンヒ)王后の長男(世子)の妻で、2男1女を産みました。
しかし、夫の世子は19歳で亡くなりました。
つまり、10代で未亡人となったわけです。
そして、世祖の次男が第8代王となるのですが、これも運命なのか、即位1年で急死。

突然の人事に驚いたことかと思いますが、②仁粋(インス)の次男が第9代王・成宗となりました。
(長男は早世)
我が子を王に推挙・冊封してくれたのが、①貞熹(チョンヒ)王后です。
なので、仁粋(インス)はもちろん頭が上がりません。

ここに、先に書いた「王の顔を引っかいた王妃」の③廃妃・尹氏に再登場してもらいます。
彼女が燕山君の母親です。

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http://jumong007.blog133.fc2.com/blog-entry-3145.html

彼女の父親は学者でしたが、早死にしたので母子家庭で育ち、生活のために宮中で働くようになり、28歳の時に成宗の側室になりました。
そして、成宗の1番目の正室が亡くなると、貞熹王后がすぐに尹氏を正室に推挙しました。

要は、正室と側室が形成する“大奥”の最長老が①貞熹大王大妃(テワンテビ)。
その次が②仁粋大妃(テビ)、さらに③廃妃・尹氏という序列です。

2.仁粋大妃と廃妃・尹氏の確執

燕山君が3歳の時に“王の顔を引っかいた事件”により、母親の尹氏が廃妃されましたが、廃妃を強く求めたのが仁粋大妃です。
仁粋大妃は家柄と教養を重んじる人で、尹氏が母子家庭で育ったことから嫌っていたからです。
また、2人の側室の巖(オム)氏と鄭(チョン)氏は王の寵愛を受けていたにもかかわらず、大王大妃から尹氏が正室に推挙されたので、この2人も尹氏のことが気に入らない。

そして、この3人が廃妃を王に強く求めると共に、追放された尹氏を後には賜薬へと陥れました。
1482年、燕山君は満6歳でしたので、これまでの実母のことは何も知らされていないままでした。
ドラマでは、7歳で世子に冊封された頃に「なぜ弟はいないのか?」と言っていました。
20歳の頃にも、「なぜ兄弟姉妹がいないのか?」と言っています。

(『逆賊』第6話より)

「論語にもあるが、
 “誰にも兄弟姉妹がいる”
 しかし、私には兄弟がいない…」
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王の見回りの気配がすると、

「“生きるか死ぬかは運命次第(死生有命)。
 富と権力も神の意思による(富貴在天)。
 高貴な徳を持つものは何をも失うものはない。
 そしてすべての人に礼を尽くす”」
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3.燕山君の逆襲

再度、事件の年をまとめます。
・1479年…“王の顔を引っ掻いた”尹氏廃妃
(燕山君 満3歳)
・1482年…尹氏の賜薬
(燕山君 満6歳)
・1494年12月…即位
(燕山君 満18歳;
 12月生まれのために数え年で19歳だったが、
 同月に先王が崩御。
 同月に数え年で20歳で即位)
・1498年…戌午士禍
(燕山君の即位4年目:数えで24歳)

燕山君は、この戌午士禍(ムオサファ)によりほぼ絶対王権を得ました。
ただし、先王の遺言により「廃妃のことは100年口外してはならない」だったので、燕山君が母親のことを知るのは、1504年前後の頃です。

(第18話より)
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(燕山君と緑水)

・1504年…甲子士禍(カプチャサファ)
(燕山君の即位10年目:数えで28歳)

過去の士林派・現在にわたる残党を一掃して、新しい政権の構図を作ろうとした任士洪(イム・サホン)という官僚が歴史に登場します。
彼は燕山君の実母の廃妃~賜薬の背景を暴き出し、密告しました。

燕山君は実母の廃妃~賜薬の背景を知り悲しみ…、そして激怒。
これまで宮廷では極秘となっていて、誰も教えてくれなかった母に係る過去の真相を詳しく調べさせました。
そして、
同年の3月から7か月に亘る粛清の記録では、まず貴人・巖(オム)氏と貴人・鄭(チョン)氏が宮中の庭で拷問・斬首刑。
さらに、裏の裏にいた祖母の存在を知ることになりました。
この際に、逆鱗に触れたか…?
燕山君は、首謀者だった“祖母(仁粋大妃)に頭突き”をしました。
仁粋大妃はその数日後に拷問を受けて亡くなります。
享年67歳でした。

# 今日は、大妃に焦点をあてました。
仁粋大妃・韓(ハン)氏は王后の時には昭恵(ソヘ)・韓氏と呼ばれています。
甲子士禍(カプチャサファ)での士林派の処罰の模様は後日。

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国王の日々の執務状況などを日誌にして書置き、それぞれの王の死後に編纂されたのが「朝鮮王朝実録」です。
しかし、警備や一部の秘書官を残して、官僚たちは夜には帰宅しますから、
宮殿に残るのは王家の人々と、ピーク時には1000人もいたとされる“王の女(女官)”たちだけ。
夜のプライベートライフについては、記録がほとんどないようです。
野史での推測が多いと思います。

歴史の裏で暗躍した大王大妃(テワンテビ)や大妃(テビ)、それに正室ならともかく、側室となると記録が少ない。
“美しい容姿”だったと記録が残るのは禧嬪・張氏(ヒビン・チャン氏:『チャン・オクチョン』)だけです。
淑嬪・崔氏(スクビン・チェ氏:『トンイ』またはムスリ)VS禧嬪・張氏に関しては、二つのドラマが180度違った解釈でした。

# さて、
『逆賊』の第18話まで視聴してようやく分かったので、4つにグルーピングしてみました。

①燕山君(+張緑水)
vs
②士林派官僚(穏健派の朱子学者たち)

ホン・ギルドン(③活貧党)
vs
④守貴単(スギダン)


③活貧党(ファルビンダン)は小説「洪吉童伝」に出る実在したグループ
④守貴単は、師匠(ソン・オルシンと呼ばれています)+パク夫人
+チュウォン君たちが作るドラマのユニット(単)。
(急進派の朱子学者たち:教条主義・原理主義です)

# 訂正
今週放送があった第18話で、ギルドンの妹の名(어리니)がハングルで出ました。
これまで、ウリニと表記していましたが、ウリニ→オリニ(어리니)と訂正させていただきます

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