実録イ・サン 6

ソウル地下鉄の「景福宮」駅を出ると、次のように「国立故宮博物館」の入り口が見えます。
kokyuu.jpg
(昨年の12月撮影)

<王朝絵巻 シーズン5>

実録イ・サン 6
-死の謎②-


san10.jpg
(ドラマ『イサン』最終話より)

1800年6月26日
左議政(チャイジョン:副総理)の沈煥之(シム・ファンジ)がお見舞いに来た時に、サンは、
「ほとんど食べられない」と。

歴代の王・27人の3分の1ほどには“毒殺説”があるとのこと。
毒の侵入経路には、まず食事が考えられますがサンは偏食だった
しかし、湯薬や鍼での治療もありますから、病気療養に乗じた暗殺もあり得ると思います。

6月27日
内医院の都提調の李時秀(イ・シス)は、意識が朦朧としているサンに、
「お食事は召し上がっていらっしゃいますか?」

「食欲がない」とサン。

李時秀は即効性が強い湯薬に変えることを提案し、加減八物湯(カガムパルムンタン)を用意。
サンは侍医の康命吉(カン・ミョンギル)に、
「この薬が体内で滞ったらどうする?」

「そのようなことはございません」

「今日は薬を2回飲まないといけないから、人参は半分で良い」

李時秀は、
「長く眠りにつきますと、昏睡した状態になりますし、
 このような蒸し暑い陽気ではなおさらです。
 お食事を召し上げれば良いのですが…」

「食欲がないから仕方がない」

旧暦の6月27日となると太陽暦では7月の夏の真っ盛りで、食事をとらないと衰弱が激しくなります。
こんな状態でもサンは、
「たとえこのような状況でも、
 決めなくてはならないことがあるなら、
 すぐに報告に参れ」
と、仕事を休もうとはしていません。

ソンヨン 宣
(『イサン』最終話より)

6月28日
左議政(副総理)の沈煥之(シム・ファンジ)が、
「昨夜のご容態はいかがでしたか?」

「夜遅くに少し眠ったようだ」

李時秀は、
「脈を頻繁にとったほうが良いです。
 地方からも優秀な医師を待機させています」

「今の世に、
 病気のことを熟知している医者が…、
 いったいどこにいるのだろうか…?」

午後になってサンは危篤状態に陥ります。
恵慶宮(サンの母)と世子(第23代王・純祖)が見舞います。
その後は、左議政の沈煥之たちが病床につめます。
しかし、李時秀が匙でサンに薬を飲ませようとしても口から洩れるばかり。

そこで現れるのが状況の報告を受けていた貞純大妃(チョンスン テビ)
「私が(湯薬を)直接差し上げるから、
 皆の者は下がっていなさい

左議政(副総理)の沈煥之も、内医院の都提調の李時秀も引き下がります。
しかし、問題となるのは大妃とサンの二人だけとなることです。
どんなドラマにもあるように、王が危険な容態になる際に、誰かと二人だけになることはありません。
いったい誰が客観的な遺言を書き留めることが可能なのでしょうか?

やがて病床からは貞純大妃の慟哭の声
サンにとっては祖母なのですが、老論派を嫌うサンは老論派の彼女には“謹慎”を命じていました。
そんな彼女が突然病床に現れて、二人だけになって、終いには慟哭?
大妃が何をやったのかは不明です。が…?

沈煥之や李時秀は、
「大妃とてわがままは許されません。
 国家の礼法です!
として大妃を病床から離れさせ、サンの病床に入ります。

侍医団の声は大きかったとのことです。
大妃に対して大声を出すことは無礼なのですが、さすがに医師団は危険を感じたからです。

以上、多少の編集を加えてはいますが、「 」内の言葉は史実「朝鮮王朝実録」に基づく康煕奉(カン・ヒボン)氏の『謎めいた朝鮮王朝』からの引用です。

康煕奉氏が挙げる“毒殺説”のもう一つのポイントは、サンの死後すぐに毒殺の噂が宮中に広がり、沈煥之の親戚の侍医の沈金寅(金偏に寅と書いてイン:シム・イン)が、何ら査問にもかけられず処刑されたことです。

ドラマ『亀巌ホジュン』にもあったように、王のトップの侍医は「御医」と呼ばれるのですが、御医であっても査問にかけられて、王の死に責任がなかったのかどうかと尋問がなされます。
そして、ホ・ジュンはまるでスケープゴートのように“流刑”になりました。
「東医宝鑑(トンイボガム)」の編集のために、第15代王・光海君がジュンを呼び戻すものの、官僚たちは難癖を付けて責任を誰かに押し付けるのが常でした。

ホジュン
(『亀巌ホジュン』最終話より)

サンの時の副総理(左議政)の沈煥之(シム・ファンジ)は70歳で、老論派の長老でした。
サンが、貞純大妃ともども嫌った老論派の派閥でしたが、沈煥之は老論派を守らないといけない立場にありました。
この大妃と彼が共謀したとすれば…?
という仮説ではあるものの、信憑性が高いと思いました。

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2009年2月のこと。
サンが左議政(副総理)・沈煥之(シム・ファンジ)に宛てた、“私信299通”が成均館大学により公表されました。
“読んだら破棄するように”と指示した私信です。
しかし、なぜ破棄しなかったのか?
また、別の観点からは、200年後に公表されたということが、歴史を再度直視・考察しようとする機運なのではないかと感じました。

①王座の重さ、②官僚の派閥闘争、③身分の壁を越えた愛。
この3要素は歴史の事実でもあり、ドラマのポイントでもあるようです。
このところの韓国の歴史ドラマは、王権にとって代わろうとする官僚たちの権力・勢力争いを赤裸々に描き、現在の民主主義の観点、庶民の立場からの評価を重んじるような風潮があると思います。

なお、<王朝絵巻 シーズン1>で取り上げたように、サンが亡くなった後は、悪女の貞純大妃の垂簾聴政となり、キリスト教徒の弾圧など暗黒の時代に入ります。

san11.jpg
(御陵で父親を偲ぶサン: 『イサン』最終話より)

この写真は水原(スウォン)・華城(ファソン)に立っているイ・サンの銅像です。

san bronz

# お詫びです
先週は次の肖像画を(サンとして)紹介していましたが、間違いです。
次の原画の写真は第21代王・英祖(サンの祖父)です。

eiso.jpg
(2015年12月:国立故宮博物館の特別展にて)

同じく、英祖が王子の頃(ヨニングン)の原画です。

yoningun.jpg
(2015年12月:国立故宮博物館の特別展にて)

なお、現存する原画は以下の7点だけ。
他の王の肖像画は“韓国戦争(1950年の朝鮮戦争)”の際に、釜山に疎開していたものの、火事で焼失しています。

・太祖(テジョ)・李成桂
・延礽君(ヨニングン)
・第21代英祖(ヨンジョ)
・追尊・翼宗(イクジョン)・第23代純祖(スンジョ)の世子
・第25代哲宗(チョルジョン)
・第26代 高宗(コジョン・大韓帝国初代皇帝)
・大韓帝国第2代 純宗(スンジョン:王朝のラストエンペラー)

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実録 イ・サン 5

<王朝絵巻 シーズン5>

実録イ・サン 5
-死の謎①-


歴代27人の王の平均寿命は約46歳。
運動不足や偏った食事のために、高血圧症や糖尿病が多かったそうです。
また、当時のことですから、熱いシャワーが期待できず、アルコールなどでの消毒方法もないので皮膚病が多かったようです。
ドラマ『亀巖ホジュン』では、王子の腫物の膿を吸わせるために、蛭(ヒル)を使ったシーンがありました。
現在でも東南アジアでは、蛭の池に足をつけて、悪い血を吸わせるという療法を見たことがあります。

さて、李祘(イ・サン:後の正祖)の腫物が一向に治らないので、内医院(ネイウォン:王室の病院)などを統括する提調(チュジョ:役所の長官)に相談します。

1800年6月14日
提調の徐龍輔(ソ・ヨンボ)が問うと、
「夜になっても深く眠れない。薬を塗った部分の膿はつぶれているようだ」

侍医の白誠一(ペク・ソンイル)と鄭允僑(チョン・ユンギョ)が診察。

「昨日と比べてどうか?」

「毒気は昨日に比べてかなり小さくなっています」

「どんな薬を使ったのか?」

「茘枝膏(ヨジゴ」が膿を吸いだすのに一番良いと思います」

「鍼を使うのはどうか?」

「膿は既に出ていますから鍼を使う必要はないと思います」

「背中にも似たような毒気が出ていて、数日経っているが…。患部は危険な場所ではないのか?」

鄭允僑が診察して、
「場所は危険でもなく、毒気もありませんが、膿んできています」
白誠一は、
「熊膿膏(ウンダムゴ)が良いでしょう」

「いや、熊膿膏は効果がないようだ」

すかさず鄭允僑が、
「水桃黄(スドファン)は毒を消す薬ですが…」

「頭痛がある時は背中に熱が上がってくるものだが、これも全てが胸の火気(ストレス)のためだろう」

患部を巡ってサンと医官たちのこんなやり取りがありました。

サンは自ら内医院の薬の調合所を見学するなど、医術への心得もあったものの、当時の漢方医学だけでは限界もあります。
ドラマ『信義』では、ユ・ウンスがペニシリンのような抗生物質を作ろうとしたこともありました。

サンはその日のうちに提調の徐龍輔を更迭しました。
不信感が強かったからでしょう。

6月15日は診察すら拒否しています。

6月16日
新しく内医院の提調に李秉鼎(イ・ヒョンジョン)が指名されます。

6月18日
内医院の担当者が来て、
「医官や薬官が、主上(チュサン)の病状を心配して何度も宿直を願い出ていますが、いまだに許可が得られません。どうか再考をお願いします」

「なぜ宿直までする必要があるのか?」

サンは立つと頭がフラフラの状況でも薬の調合所を視察しています。
明らかに毒を警戒したからです。
患部の診察や宿直まで却下して、自らで治療しようとしたようです。

6月21日
「痛みがあって苦しくなってきた。熱があるのに寒気がする。果たして夢なのか、目覚めているのか、意識もぼんやりとしてきた」

侍医の康命吉(カン・ミョンギル)は、
「脈は一定して、気も不足していません。特に腫物による熱も出ていないようです」

侍医は“腫物に熱は出ていない”というものの、まだサンは腫物の患部の診察は許していませんでした。

内医院の都提調の李時秀(イ・シス)が腫物の診察を申し出て、サンは、
「夕方ころには診察できるだろう」と、「暫く休息したい」と返答します。
しかし、サンは医師団には診察させませんでした。

6月23日
「今、地方の医官は何人なのか?」と。

つまり、内医院の侍医を信頼してはいなかったからでしょう。

李時秀は、
「金漢柱(キム・ハンジュ)、白東圭(ペク・トンジェ)たちが王宮の外で待機しています。中では金漢柱の医術が最も老練です」
サンは地方の医師団に診察を許し、患部を煙でいぶす治療法も受けています。
しかし、病状は一進一退。

san12.jpg
(ドラマ『イサン』最終話より)

(来週につづく)

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イ・サンは極端に毒物を恐れていて、そのために偏食だったと云われます。

私はイ・サンのことを、とてもハートフルな人物で、王朝27人の王の中では最高の人物だと思っています。
ただし、現在KJSでアップしている第3代王・太宗(イ・バンウォン)のような鉄血名君と呼ばれるような冷徹さがあれば、半島の歴史も違っていたように思えます。

話は転じて暗殺団と弓のこと。

映画『王の涙~イ・サンの決断(韓国原題:「逆鱗」)』は、1776年にサンが慶煕宮(キョンヒグン:ソウルのいちばん西にある宮殿)で即位して、翌年の25歳になる前の、ある蒸し暑い夏の日(映画では雨)のこと。
慶煕宮に暗殺団が侵入しました。
この史実に基づいて映画は作られています。

サンが寝殿で本を読んでいたところ、回廊の屋根瓦の音がしたそうで、気づいたサンが軍を集めます。
父親の“思悼世子”の非業の死の背後には、身内と老論派がいたことはサンも知っていましたので、サンは寝るときも服を脱がなかったとのこと。
すぐに戦闘態勢に移るためです。
また、即位後すぐに、「私は思悼世子の息子だ!」と老論派に宣戦布告していました。

映画では、暗殺計画の背後には老論派と軍のトップ、そして祖母にあたる貞純大妃
暗殺団を倒した後、サンは貞純大妃に対して、”この件はなかったことにします。しかし、政治の表舞台には出ないように”と、取引をしました。

ところで、映画でサンが使ったのが、角弓と片箭(短い矢)です。

小弓


「六龍飛天」でイ・ソンゲやバンウォンが使っているのは小弓で、日本の弓道にあるような長弓ではありません。





しかしながら、この小弓(エギファル)は木と水牛の角を組み合わせた複合材で作られていて、角弓というそうです。
射程距離は長弓の2倍以上に及びました。
当時の王朝の小弓の技術は世界でも最高水準にあり、“飛ぶ鳥を落とす”ほどの威力がありました。

さらに、次の写真の最下段にあるように、竹の筒の中に入れて短い矢(片箭)を飛ばすことができます。

agifal.jpg
(昨年、国立故宮博物館で撮影)

ドラマ『推奴(チュノ)』でテギルが使っていました。

テギルの矢

映画『王の涙』でのサン

イサン5

空気抵抗を小さくした短い矢ですが、長い竹の筒に入れて照準を正確にできます。
サンは「世孫の頃から好きだった」と、禁衛隊長に説明していました。

サンの矢

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実録 イ・サン 4

<王朝絵巻 シーズン5>

実録 イ・サン 4

-李祘(イ・サン)の遷都計画-


サンは、父親の墓を京畿道・水原(スウォン)に移し(1789年)、それから何度も行幸・墓参りに出向くことになります。
また、その水原に“華城(ファソン)”を建設し始めたのが1794年2月です。
丁若鏽(チョン・ヤギョン)という若手の実学者が活躍して2年半ほどで外壁が完成したことは前回の記述のとおりです。
墓参りだけでなく築城の仕事もあるので、サンの行幸は多い時には6000人の規模にもなったとのこと。
そして、築城の完成と城下町の整備を始めると、水原への“遷都”まで考えるようになりました。

ドラマ『イサン』より

「そなたと一緒でなければ宮殿には帰るつもりはない」

「私には心しかありません。
 差し上げられるのは私の真心だけです、チョナ」

「水原(スウォン)には両班はいない。
 清廉な役人と農民だけだ」
san 4

サンが築城した「華城(ファソン)」
華城1

遷都への夢を抱いて、サンは1800年5月末日(晦)の祝宴に際して「五晦筳教(オフェヨンギョ)」という王命を発しました。
次の2点のポイントは、人心一新にあったようです。
② 父の思悼世子を死に追いやった者は慈悲を乞うべきだということ。
②これまでの既得権を握っていた老論派ではなく、新しい人物を登用するということ。

これには当然ながら老論派が大反発するはず。
このすぐ後にサンは腫物で苦しむようになります

以前からサンは腫物に患っていたのですが、医術の心得もあって、しばしば内医院(ネイウォン:王室のための病院)の薬剤庫まで自ら足を運んでいたようです。
他方では、父親の死の背景を知っているからか、医者をまったく信用せず、自らの研究で治療も行っていたとのこと。
しかし、どうも今回は一向に治癒しない。
翌月になって、内医院の提調(チュジョ:役所の長官)に相談することにします。

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# 1800年、サンはめまいがしてふらつくようになります:ドラマ『イサン』より

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この八達門は「華城」の南門にあたります。
https://youtu.be/nqbHJECIUGU

また、数キロに及ぶ外壁の北側半分ほどは“華城列車”と呼ぶトレイルバスで見学できます。
https://youtu.be/tGDq1RLkfZI
(社会科見学の小学生と同乗でした:昨年4月の桜の頃)

48歳になる前の1800年6月にサンが亡くなると、遷都の計画は中断されました。
サンがもっと長生きしていたら、漢陽(ハニャン:ソウル)から水原(スウォン)に遷都されていたはずです。

話はガラリと変わりますが、「六龍飛天」のこと
第40話では、六龍が3人の龍たちに分裂しました。

李成桂(ソンゲ)、鄭道伝(ドジョン)そしてドジョンの部下でファサダンの団長となったヨニとドジョンの護衛をするバンジ。
李芳遠(バンウォン)と鄭道伝とは国の形を巡っての思想の違いが根源にある問題ですが、ソンゲがこともあろうに8男を世子にすると決めたこと。
そして、バンウォンたち第一夫人の6人の息子が、第二夫人の次男(ソンゲの8男)のバンソクの脅威になると、ドジョンとヨニが計略を使ったこと。

それぞれが計略を使ってきたことは確かですが、これまでは仲間同士ではありえなかったことでした。
バンウォン、プニ、ムヒュルの3人の龍たちにはショックだったと思います。

他方、「二人は結婚しなさい」とバンウォンとプニに言ったダギョンでした。
「あなたが(政治のためなら)、100人の側室を持っても構いません」と、さすがに歴史に残る“大物”の王后(元敬王后・閔氏)です。

また、驚きだったのですが、第42話では既に<朝鮮>と国号が変わっており、首都も〝漢陽(ハニャン:現ソウル)”に遷都されていました。
一気に建国4年目に入ったということになります(さらりと遷都してました)。

また、第41話でバンジが母のヨニャンに会います。
さらに、第42話では外交関係でバンウォンは明国に使者として派遣されます。
明の第3代王となる皇太子が守る城での対話、ムヒュルの活躍などです。

1398年(建国6年目)の「第一次 王子の乱」でバンウォンはチョン・ドジョンを処刑するので、これからのヨニとバンジが心配です。
きっと故郷に帰るのがエンディングだとは思いますが、二人もドジョンに裏切られるのではないかと心配です。

(今週APBさんから届いている紀州の空と紅梅です)
紅梅

「実録イ・サン」では“サンの暗殺の謎”を現在編集中。
後には、<王朝絵巻>で、王朝初期の「王子の乱」や「王后たちのこと」
高麗時代から朝鮮王朝へと移行する初期のころの女性像も、これから少し考えてみたいと思っています。

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香港・二階建てバスの車窓から

# 香港からレポートが届いています。

二階建てバスの車窓から
(絵と文: by nao)

The Repulse Bay

映画「慕情」の舞台

旧レパルスベイ ホテル
今はサービスアパートメントとショッピングモールになっています。

bay.jpg

風水では『龍の通り道』を妨げてはいけない!
とアパート(当時ホテル)の真ん中に穴が空いています!
分かりますか?

hotel.jpg

koko.jpg

赤柱(Stanley)

マレーハウス19世紀(1846年)
セントラルにあったイギリス将校の住居をこちらに移築。
色々なお店が入っていましたが、最近はH&Mになってしまいました。
赤い文字でくっきりロゴが…
はっきり言って景観が台無し…(>_<)
残念です。

polto.jpg
(ここは歩きながら撮りました)

こちらは車窓から

syasou_201602251651435fa.jpg

海底トンネル入口

交通事故
多いの?
少ないの?

tunnel.jpg

# 曇り空の夜景だそうですが、輝いていますね。
香港
(photo by nao)

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# 「六龍飛天」ファンの皆様へ

KJSからホットな写真を2枚。
今週放送された「六龍飛天」の第42話の終わりの部分と、第43話の予告から、二人の「龍」です。

バンウォンは明(南京)への使者として(行程は約1年)派遣されます。
護衛にムヒュル(+師匠のホン・デボン)そして通訳ハ・リュンが、少人数の軍を連れて向かいます。
まずは、後の第3代皇帝・朱棣(チュチェ)とひと悶着。

(ムヒュル)
mhyur.jpg

(バンウォン:明から帰る前に遷都が終わり、写真は建国の3年ほど後です。
 1395年頃なので、バンウォンは28~29歳くらい)
Lee Banwon


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実録 イ・サン 3

<王朝絵巻 シーズン5>
実録 イ・サン 3

- サンの改革と実学のすすめ-


第4代王・世宗が“本の虫”だったことは既に書きましたが、同じく李祘(イ・サン:第22代王・正祖)も若い頃から四書五経に通じるなど、学問でも頭角を現していました。
サンの父親・荘献も同様だったそうですが、これは祖父の英祖の厳しい教育の賜物だったと言われます。
後代になってから、世宗と正祖の2人は“好学の王”として並べられています。

科挙試験をパスするには四書五経は必須でしょうが、官僚はもちろんのことで、サンには成均館の教授(儒学者)も舌を巻くくらいだったそうで、映画『王の涙:韓国原題「逆鱗」』でも官僚を集めた勉強会のシーンがありました。

また、サンの学問好きを象徴するのが、「奎章閣(キュジャンガク)」です。
奎章閣は「王立図書館」に相当し、多い時には100人以上の若き儒学生や儒学者が党派にかかわらず集まり、才を競うと共に、書籍の編纂を行ったそうです。
何と言っても、これにより当時の身分制度にかかわらず、庶子にも科挙試験と官僚への道を開いたことは特筆できると思います。

ドラマ『イサン』では若手の丁若鏽(チョン・ヤギョン)という天才学者(実学者)に、漢江を1000人規模で亘るための浮橋を考案させます。

(漢江をわたるシーン)
漢江を渡れ

行幸
(国立故宮博物館: 昨年4月撮影)

また、水原・華城を建設する際には、チョン・ヤギョンが開発した起重機により、6キロにも及ぶ外壁がわずか2年半で完成させています(当時は10年の仕事だったらしいです)。

(ウィキペディアより)
起重機

次の写真は華城の築城にかかる資料で、丁若鏽(チョン・ヤギョン)たちが作成したもの。

華城3

1華城
(国立故宮博物館: 昨年4月撮影)

# 水原(スウォン)市の 華城(ファソン)については次の「みんなでコリア」のブログサイトにアップしています。
https://minnakorea.jp/blog/20160207-256.html

サンは即位後に強硬派の老論派を一掃したものの、他方では党派に限らず優秀な官僚を手元に置き、さらには地方行政にも監視の目を光らせるために、王朝の歴史の中でも、一番多くの暗行御史(アメンオサ:特別捜査官)を派遣しています。

さらに軍の改革

サンには直属の巡監軍(スンガムグン)が配下についているものの、他の軍が老論派のシビリアンコントロール下にあったために、この改革は洪国栄(ホン・グギョン)が実行しました。
サンの側近からスタートして、洪国栄は地位と権力を得るようになります。
しかし、人の欲は果てしないもので、今度は、

「お前の目的は殿下の子を産むことだ」と、妹を側室にして姻戚関係を結ぼうとしました。
元嬪(ウォンビン)・洪氏です。
しかし、彼女は短命で1年ほどで亡くなってしまいます。

「自分が妹を王の側室にしたばかりに…」と悔やむ一方で、まさか正室の孝懿(ヒョンイ)王后が妹を毒殺でもしたに違いないと思い込むようになり、孝懿王后を毒殺することを計画。
ただし、この逆恨みの計画が発覚。

サンは彼を流刑に処しました。
「自分自身を振り返ると、恥ずかしくて苦しくて、いっそ死んでしまいたい」と、側近中の側近を処罰せざるをなったことで、こんな覚書を出しました。

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奎章閣(キュジャンガク)

ウィキペディアによると、
kyujangaku.jpg

1776年、正祖の時代に昌徳宮の敷地内に設立された。
中国や朝鮮の典籍が収蔵され、正祖と互いに支持し合う実学派の文官らが集められて教育され、彼らが文献研究や政策立案を行う場であった。
1781年には別館である外奎章閣が江華島に設けられた。
今日ではソウル大学校によって管理され、冠岳区新林洞に在している。
(写真と文:ウィキペディア)

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実録 イ・サン 2


今朝の空
this morning
(2016.02.13)

<王朝絵巻 シーズン5>
実録 イ・サン 2

父の悲劇


第14代王・宣祖(ソンジョ)の側室の息子が光海君(第15代王)で、正室の娘には貞明(チョンミョン)公主がいました。
この二人の腹違いの兄と妹のストーリーはドラマ『華政(ファジョン)』のとおりです。

fajon3.jpg
(ドラマ『華政』のチョンミョン公主)

貞明公主は洪株元(ホン・ジュウォン)に嫁ぎ、子だくさんの洪ファミリーを作ったのですが、その5代後に恵慶宮(ヘギョングン)・洪氏。
恵慶宮と夫の荘献世子(第21代王・英祖の息子)の長男は2歳で夭折し、次男が第22代王・正祖(チョンジョ:イ・サン)となりました。

(映画『王の涙』より恵慶宮)
1恵慶宮
2恵慶宮

前回紹介したイ・サンの即位に際しては、老論派はもとより、その老論(保守・強硬派)を支持するファミリーの、英祖の正室・貞純(チョンスン)金氏・大妃も反論。

(映画『王の涙』より貞純大妃)
2チョンスン
チョンスン

しかし、恵慶宮は息子のサンの即位を強く押しました。

米櫃事件

(これはソウルに残る5大宮殿の位置です。
 地下鉄では東西に4駅くらいの距離感です。)
ソウルの5宮殿

李祘(イ・サン)は1752年9月22日に昌慶宮(チャンギョングン)の景春殿(キョンチュンジョン)で生まれました。

景春殿

そして、サンが10歳の時(1762年)に、父親の荘献(チャンホン:27歳)を失っています。
昌慶宮の西側にある法宮(王が住むところ)・昌徳宮(チャンドックン)で起きた、有名な“米櫃事件”なのですが、これは老論派が裏工作をしたとの説が強く残っています。

第21代王・英祖が長男(世子)を“米櫃”に閉じ込めて餓死させた場所のこと。
ドラマ『イ・サン』や映画『王の涙(韓国原題:「逆鱗」)でも昌徳宮の裏庭で閉じ込められて亡くなっていたと思われます。

(昌徳宮の裏庭)
https://youtu.be/9MqY2TguGPY

妻の恵慶宮の随想録(「閑中録」)では、荘献は二十歳を過ぎてから奇行が目立ち始めたとのことで、、情緒不安定から側室、女官を殺すに至りました。
これには、精神を病むような“毒薬”投与があったとの説があります。
荘献と英祖の確執の原因となるわけですが、他方では英祖も大変な癇癪持ちだったようです。
もう一人の黒幕は貞純(チョンスン)大妃だとも言われます。
彼女の実家はガチガチの老論派で、老論を嫌った荘献との関係が悪かったからで、17歳になった頃には多くのあらぬ噂を英祖に吹き込んだとのこと。
なお、彼女は14歳の時に(英祖は65歳)、2番目の正室として、慶州・安東金氏から迎えられました。

14歳の花嫁でしたが、サンにとっては祖母の大妃にあたり、また、母親の恵慶宮よりは10歳若い祖母です。
(映画『王の涙』のキャスティングにも反映されていました)

“米櫃”に入れられた父親

イサン1

1762年5月、様々な荘献の奇行などや謀反の噂なども英祖に届き、さらには荘献の生母の映嬪(ヨンビン)李氏までが、
「王室を安泰するためには荘献を処分するしかありません」との進言で英祖が決断。
5月13日には昌徳宮(チャンドックン)で、英祖が刀をかざして息子に自決を求めました。

「どうか父上を許してください」はこの時のサンの言葉。
この言葉は「朝鮮王朝実録」にも記されている史実です。

イサン2

しかし、自決しない荘献を英祖が米櫃に閉じ込めることとなった。
ただし、その時の状況は真相が解らないというのが史実です。
実は、『朝鮮王朝実録』の元になる、王の秘書室の当時の「承政院日記」がサンによって破棄されているからです。
想像するに、あまりにも生々しい記録であったのか、悲惨な父の死の模様の記録だったと思います。

恵慶宮も黙認…、誰の救いもないままに荘献は餓死します。
1762年5月21日、米櫃に閉じ込められてから8日後の発見です。

4イサン
(映画『王の涙』より)

サンは“罪人の子”になっては世継ぎができないので、9歳で夭折した荘献の兄の孝章の養子として本籍が変えられます。
また、英祖は息子の荘献のことで悔やみ悼んで“思悼世子”と、おくり名を与えました。

そして、サンは慶煕宮(キョンヒグン)で即位すると、力強く、

私は思悼(サド)世子の息子だ
と宣言をしています。
いかに父親の悲劇を哀れに思っていたかが分かります。
以降、サンが老論派を嫌うのは当然のことだと思います。

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27歳の若き父親と10歳のサンの哀しい話でした。
サンは即位すると父の墓をソウルの南の京畿道・水原市に移します。
そして、そこには華城(ファソン)を築城します。
全てが父親の死とその背景を悼んだことからの発案だったと思われます。

(華城のことは先日、次の「みんなでコリア」のブログサイトにアップしています)

https://minnakorea.jp/blog/20160207-256.html

これは華城の宮殿・行宮(ヘングン)にも展示してある当時のサイズの米櫃です。

米櫃
(昨年4月撮影)

「実録 イ・サン」で引用・参考にしているのは次です。
康煕奉(カン・ヒボン)『謎めいた朝鮮王朝』双葉社(2015.04)
映画『王の涙(韓国原題「逆鱗」)』
ドラマ『イサン』

なお、『謎めいた朝鮮王朝』は、『朝鮮王朝実録』に基づくもので、「実録」は歴代の王の日誌。
歴史研究家や脚本家にとっては貴重な記録です。

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実録 イ・サン 1


英祖の決断
-サンの即位問題-


李祘(イ・サン:後の正祖・チョンジョ)の祖父・英祖が81歳の時(1775年11月30日)、高官たちを集めて言いました。
気力が失せてきて政務が難しくなったからです。

# 英祖(ヨンジョ)は<朝鮮王朝>第21代王。
 ドラマ『トンイ』にあるように、
 淑嬪・崔氏(トンイ)の息子・ヨニングンです。

「兵曹判書(ピョンジョバンソ:軍務の役所の長官)を誰に任せるべきかを知っているか。吏曹判書(イジョバンソ:官吏・人事を統括する役所の長官)についてはどうか。
(中略)
まだ若い世孫であるが、“代理聴政”をさせるということも王朝の故事にあったことだ」

# 若いとはいえ、もう世孫のイ・サンは23歳の時です。

しかし、左議政(副総理)の洪麟漢(ホン・イナン)は、

「世孫は老論も小論も知る必要はないし、兵曹判書も吏曹判書を知らなくても問題ありません。さらに言えば、朝廷のことも知る必要はないでしょう」

# なんという暴言でしょうか?!
洪麟漢はサンの母親・恵慶宮洪氏の叔父、サンの大叔父にあたります。

老論派や他の高官は、ここぞとばかりに洪麟漢に同調します。
そこで、一端解散させて、時間をおいて議会を招集。
怒りを抑えただろう英祖はさらに言います。

「緊急でない政務は世孫が担当し、上訴された案件や緊急なことは余が世孫と協議して決める。何日か過ぎて、これらに慣れてきたら、さらに王命を追加する」

これにも反対する老論派。
王の言葉を文書にする承旨(スンジ:王の秘書)に、筆をとらせないという実力行使を行います。
また、洪麟漢は王命を中止するようにと要請しました。

怒り心頭に達したと思われますが、英祖は冷静を取戻し、最後に切り札を使います。
「では、巡監軍(スンガムグン)を世孫の配下につける。巡監軍を東宮の配下に置くことは300年間の故事にもあることだ」
こうなると、老論派も一歩引き下がります。

史実 サン1
映画『王の涙』より。
この映画は英祖がなくなり、サンの即位後間もない頃の“ある蒸し暑い日”の話です。

# 巡監軍とは王の配下にある軍隊。
その全軍がサンの下に置かれることになり、事実上は王と同じだけの軍事力を持つことになりました。
ドラマ『六龍が飛ぶ』では、宮中(この場合は高麗の首都・開京ですが)を守る兵士が5000人とのことでした。

英祖が巧みに故事を引き合いに出すことで、力を持って“代理聴政”に移行させました。
この3か月後に英祖は亡くなりますので、これが最後の“大きな王命”と言えるでしょう。

サンは1776年の3月10日に漢陽(現・ソウル)の一番西にある慶熙宮(キョンヒグン:경희궁)で即位式をあげました。
サンは9月生まれなので、この時は23歳です。

(慶熙宮の正殿への崇政門)
suusei.jpg

(崇政殿)
崇政殿
(2014.09 撮影)

ここは、第15代王・光海君が旧・李成桂(イ・ソンゲ:初代王)の私邸跡に離宮として建てました。

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これから数回に亘って「実録イ・サン」をアップしたいと思います。
引用・参考にしているのは次です。

康煕奉(カン・ヒボン)『謎めいた朝鮮王朝』双葉社(2015.04)
映画『王の涙(韓国原題「逆鱗」)』
ドラマ『イサン』

なお、『謎めいた朝鮮王朝』は、『朝鮮王朝実録』に基づくもので、「実録」は歴代の王の日誌。
歴史研究家や脚本家にとっては貴重な記録です。

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歴史を変えたバンウォンの一言 3


「六龍飛天」イ・バンウォン(李芳遠)を演じるのはユ・アイン
yu ain

<王朝絵巻 シーズン5>

歴史を変えたバンウォンの一言 3
ソウルに残る故宮③


故宮の歴史は1592年にリセットされました。
建国から200年目の危機となった「壬辰倭乱(イムジンウェラン:日本では文禄・慶長の役)」が勃発したからです。
2大法宮だけでなく、ほとんどの宮殿は焼失しました。

パンフレットには2説あり、豊臣秀吉軍が焼いたという説と、暴徒による略奪・放火説なのですが、最近のドラマは後者の説を取っています。
ドラマ『亀巌ホジュン』では“景福宮と昌徳宮に暴徒が放火した”とのセリフがありました。
豊臣軍が“戦利品”を燃やす必要もないから、私も後者だと思います。

歴史を振り返ると、第3代王・太宗(李芳遠:イ・バンウォン)が昌徳宮(実際に起居した宮殿)を完成したのが1405年だったので、その後は景福宮との“2法宮”体制。
1592年の壬辰倭乱で2法宮が共に焼失する間の187年間のことです。
バンウォンの息子の第4代王・世宗は昌徳宮から景福宮まで毎日“通勤”したとのこと。
「昌慶宮(チャンギョングン)」は昌徳宮の離宮として東側に、世宗が父親のバンウォンのために建設しました。
バンウォンの3男であったにもかかわらず、長男と次男が世宗の才能を認め、またバンウォンも3男の世宗に王位を継承したいと思っていたことから、長男と次男は協議の上、それぞれ仏門にはいるなど、身を引いたとされます。
こんな経緯もあって、世宗は自分を継承者として認めてくれたバンウォンのために、昌慶宮を建設したとされます。

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(ドラマ『六龍が飛ぶ』)

話は戻って、壬辰倭乱の際に第14代王・宣祖は疎開し、乱の後には「徳寿宮(トクスグン)」を臨時の王宮としました。
そして、第15代王の光海君が最初に復旧させるのは昌徳宮です。
景福宮はその後に復旧されるまで275年間も放置されました。
<朝鮮王朝>518年のうち、462年もの間は法宮の実質ナンバーワンではなかったということで、多くの王朝ドラマの主な舞台が昌徳宮であることに納得できます。

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(ドラマ『華政』)

なぜ光海君が景福宮を先に修復しなかったのかということでは、やはり、
①第3代王・太宗(イ・バンウォン)の「土地が悪い」の言葉と共に、
②昌徳宮が実質的な法宮の役割をそれまで果たしていた。
ということで、昌徳宮の復旧を先にしたことは極々自然の成り行きだったと思います。

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(映画『光海』)

臨時宮殿として使用された「徳寿宮(トクスグン)」は、元はといえば第9代王・成宗の兄の月山大君の邸宅でした。

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徳寿宮の正門は大漢門で、現在のソウル市庁舎の近く。
毎日衛兵の交代式の模様がアトラクションとなっています。

YouTubeに動画をアップしています。
https://youtu.be/huCTU1S_vSU

この写真は夏の徳寿宮で、中和門は正殿の中和殿の入り口です。

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(中和殿)
徳寿宮 中和殿

なお、この石造建築は英国人の設計と日本人の施工技術によるもので、第26代王・高宗の時代(20世紀)になってからの建造物です。

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これはなぜか、ドラマの別れのシーン『結婚の女神』などに登場する脇役。
徳寿宮の外壁です。
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故宮は漢江(ハンガン)の北の江北(カンブク)に位置しますが、現在のビジネスの中心は江南(カンナム)。
タクシーや地下鉄でもういちどカンナムへ。

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(ソウル地下鉄)
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土地の利権争いがベースにあった映画『カンナム1970』より。

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(映画『カンナム1970』)

韓国戦争(1950年)頃からソウルオリンピックまでのカンナムの近年の歴史を3人の兄弟の生き方で描いた『ジャイアント』は忘れられないドラマです。

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(ドラマ『ジャイアント』のカンナムの大地と徳寿宮)


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「六龍飛天」 3人の思想家

「六龍飛天」 3人の思想家たち

「六龍飛天」第32話では1390年9月に、貴族が持つ土地台帳をチョン・ドジョン(鄭道伝)が燃やしてしまいました。

1. 当時の政治経済背景

現在の韓国の人口は5000万人で、日本の3分の1強ほど。
<朝鮮王朝>でのピークの人口(半島全体)は3000万人ほどで、日本の幕末も3000万人だったそうです。
チョン・ドジョンとチョ・ジュンが<王朝の土地改革>で経済を考えていましたが、最初は大土地所有の大貴族の土地を開放することでした。
しかし、王室と中小貴族が所有する土地を除いて、大土地の開放だけでは民・百姓の全員に“分配”するだけの土地が足りないことが判明しました。

(開京)
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<朝鮮王朝>での支配者階級だった両班は人口の1割だったといわれます。
商業・工業に従事する人々も除くと、いわゆるペクソンドゥル(百姓たち)はせいぜい2000万人に満たないほどだったと想像できます。
「分配する土地が足りない」とのセリフからは、まだまだ開墾しないといけない時代だったのでしょう。
そんな中で、イ・ソンゲ(李成桂)が“統治”した東北地域では、バンウォン(李芳遠)が不自由なく育っていたので、豊かな農業政策があったのだと思います。
そして、ドラマの最初では初めて首都・開京(ケギョン)に行ったバンウォンは餓死者が多いので驚きました。

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(第1話より)

2. 3人の思想家

以上のような時代背景の中、3人の国作りの思想には違いが見えてきました。

チョン・モンジュ(鄭夢周)
“高麗”の名の下で政治・土地改革を進める。

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チョン・ドジョン(鄭道伝)
高麗を倒して“王制”を軸にするものの、王は象徴に過ぎず、実際は儒学者が政治・経済の政策を進める

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イ・バンウォン(李芳遠)
高麗を倒して“絶対王権”を基本とした国作り。

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現代の民主主義の目から見ると、私はチョン・ドジョンの先見性(“立憲君主制”)に驚いています。
しかし、バンウォンがプニとムヒュルに約束した“民・百姓が幸せに、笑い合う国”を作ると言う理想の方が私の“胸に響きました”。
これからの3人が楽しみです。

3. “無名”とは?

まだ実態が見えない“無名”とその目的。
ただし、キル・ソンミと彼らの隠れ家は“お寺”です。
ドラマ『善徳女王』の(統一)新羅から高麗にかけて長年に亘り仏教が栄えますから、その文化だけでなく、仏教界は巨大な資産・土地も所有していたとのこと。
おそらく“無名”の資金源は仏教界だと思います。
イ・ソンゲが儒教を国教にするにあたり、この勢力も立ちはだかると思われます。

民心一新のための遷都も含めて、宗教上での儒教と仏教の対立がどのように描かれるのか楽しみです。
勿論、バンウォンは現世での幸せを求める“孟子”の思想を実現しようとしています。

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チョン・ドジョンの歴史の先見性は数百年先まで見えたと思い、坂本竜馬の「船中八策」などを調べていました。
まさに二人は立憲君主制(思想)の先駆けだったのですね。
ただし、この今の民主主義からみると、一歩手前の階段の踊り場のような制度だったと思います。

坂本竜馬と鄭道伝(チョン・ドジョン)

昨年12月に「国立故宮博物館(ソウル)」のガイドの方から教えて貰ったのですが、<朝鮮王朝>は諸外国の絶対王政とは違っていたとのこと。
ポイントは王室と官僚たちのチェック&バランスで保たれたということです。
これにプニが言うように庶民のチェックが有効なのが民主主義により近いと思います。
「六龍飛天」を視聴して思っていることは次のことです。

大政奉還を成し遂げた坂本龍馬と「六龍飛天」のチョン・ドジョンには“立憲君主制”という意味において共通点があると思いました。

ウィキペディアから引用すると、まずは竜馬の「船中八策」

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜シク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。

以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。

次いで明治政府の基礎を作った「五箇条の御誓文」

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
(現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一 旧来ノ陋習ヲ破リ地ノ公道ニ基クヘシ
(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。


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歴史を変えたバンウォンの一言 2

# 先週放送の第32話では明確に1390年9月(字幕)と出ました。
土地改革を巡り鄭道伝(チョン・ドジョン)は素晴らしい人だったのだと再認識した次第です。
バンウォンとドジョンはさらに接近しようとするのか…?
(史実からそれはないと思います)
バンウォンがプニとムヒュルという(仮想ですが)、二人の“龍”を引き連れて、イ・ソンゲの屋敷から独立する姿も心地よいシーンでした。
正妻のダギョンとは“李氏の国を作る(閔氏のバックアップで)”と約束しています。
また、昨日と今夜の放送でプニとバンジの母親の“無名”がさらに明らかになりそうです。
建国まであと2年…。

<王朝絵巻 シーズン5>

歴史を変えたバンウォンの一言 2
ソウルに残る故宮②


1400年に即位した第3代王・太宗(李芳遠:イ・バンウォン)が、1405年には宮中の一番東側に「昌徳宮(チャンドックン)」を完成させました。

大きな景福宮があるにもかかわらず、なぜ第2の王宮を建設し、景福宮と昌徳宮の2つの法宮体制にしたのか?

(昌徳宮の敦化門あたりを動画にしています)
https://youtu.be/ACuJ2Dyz1vA

昌徳宮のパンフレットを読んでいると、第3代王・太宗は、「(景福宮の)地形が良くない」と言っただけ。
しかし、ドラマや映画にもあるように、彼は2度に亘る“王子の乱”を経て即位しています。
骨肉の争いで流血騒動となったのが景福宮だったから、そこで起居することを嫌ったと書いてありました。

これが2つの法宮体制の謎解きだったのですが、昌徳宮とその東側の「昌慶宮(チャンギョングン)」を訪れて気づいたことがあります。

一つは映画やドラマで描かれる、第21代王・英祖が長男(世子)を“米櫃”に閉じ込めて餓死させた場所のこと。
ドラマ『イ・サン』や映画『王の涙(原題:「逆鱗」)などを見ると、その米櫃が昌徳宮の中でも、とくに目立つ場所で開かれます。
しかし、実際には次の動画にあるような、昌徳宮の裏庭で閉じ込められて亡くなっていたのではないかと思います。

(昌徳宮の裏庭)
https://youtu.be/9MqY2TguGPY

もう一つは、離宮の昌慶宮のパンフレットで気づいたこと。

昌慶宮は第4代王・世宗が第3代王・太宗のために建てた離宮で、パンフレットには「(高麗時代の)南京離宮跡」に建設したと書いてあります。
実は、私は李成桂(イ・ソンゲ)と鄭道伝(チョン・ドジョン)がよくもこんなに良い場所(漢陽)を探してきて遷都したものだと思っていました。
しかし、彼らが活躍していた高麗時代からの離宮だったのですね。

現在では昌徳宮と昌慶宮とは離れていて、アクセスも別々の地下鉄の駅なのですが、ドラマでは裏手を通って、二つの宮殿が繋がっていたことが分かります。

(昌徳宮から昌慶宮へ)
昌徳宮2

(昌慶宮の入り口・弘化門)
昌慶宮1

(明政門に向かいます)
昌慶宮3

(正殿・明政殿)
昌慶宮2

アクセス
昌徳宮(チャンドックン)地下鉄3号線・安国(アングク)駅
昌慶宮(チャンギョングン)地下鉄4号線・恵化(ヘグァ)駅
ちょっと駅から離れていますが、ソウル大学病院をスルーして行けば近道です。

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5宮殿は漢江(ハンガン)の北に位置しますが、現在の政治経済の中心は江南(カンナム)に移っています。

(カンナムの大通り)
kannamu_20160111053153130.jpg

中でも清潭洞(チョンダムドン)はブティックや裏手の住宅などの超高級街でしょう。

(清潭洞の裏手の邸宅)
chondamu.jpg

韓国家庭料理とはいえ、元は宮廷料理からの普及。
日本ではチジミと言いますが、一般に“ジョン”の方が韓国では通りが良いと思います。
写真の右がジョンです。

(知人の家で戴いた宮廷料理:ケータリング)
kyuutei.jpg

(これは清潭洞のステーキの店で味わった美味しいニンニクの玉です)
kannamu3.jpg


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