第4回 オ・チヌファンの写真集より…

第4回 オ・チヌファンの写真集より…

『門司港レトロ』の風景

2005年、福岡県は、北九州市にある『門司港レトロ』なるものに出かけた。
『門司港レトロ』とは、前時代的な風景を基調として開発・保存された門司区中心部の観光スポット名であるが、完成は、平成7年(1995)であるから、比較的新しい観光スポットと言えるだろう。

国土交通省の都市景観100選にも選ばれているが、その中心は、大正3年(1914)に出来た鹿児島本線の門司港駅である。
そしてその周囲には、大正から昭和初期に作られた古い建物が点在しており、かつ横浜や神戸に比べて、狭い地域に集中しているので、点と点をつなぐ観光ではなく、一つの面に沿って前時代的風景を味わえるのも特徴の一つだ。
ちょっと健脚に自信ありの人なら、中心部を歩いて回ることも出来るだろう。

その意味でも前回のテーマ、『日本の街並みに息づく古き西洋』を一泊二日で堪能出来るスポットであり、九州北部の旅のワンステップとしては格好なポイントかも知れない。
さらに対岸は、下関市唐戸であり、巌流島などの周遊ルートも隣接している。
しかし、まずこの地の魅力は、『今を生きるレトロ』であろう。
実際に街中を散策すると、門司港駅を中心に展開する『大正レトロ』を随所に観ることが出来る。
旧大阪商船や三井倶楽部などの古い建物がそれであるが、他にもオルゴールミュージアムや赤煉瓦ガラス美術館など、『門司港レトロ』のために新設された設備も少なくない。

また、古い時代の石造りの銀行が洒落た土産物店になっていたり、ブルーウイングと呼ばれる国内唯一の歩行者用の跳ね橋など、観光客から新鮮さを奪わない工夫も見え隠れする。
加えてウォーターフロントや門司港ホテル周辺には、本物の『大正レトロ』と現代に新しく作った『大正レトロ仕様』とが絶妙に溶け合う独特の美しさがあり、横浜や神戸にはない雰囲気がある。

この『本物のレトロ』と計算されつくされた『レトロ風』とが混在するコンパクトな街並みは、私を魅了し、好印象を残した。
2005年以来、まだ一度も再訪出来てはいないが、チャンスがあれば、もう一度訪れたい場所である。

ちなみに、我々も一泊二日で『門司港レトロ』を後にし、山口県の秋吉洞に寄ってから帰阪したのであるが、この日の夕餉は、もちろんのこと、『フク料理』を選んだ。
門司と言えば、ふぐ料理だが、この辺りでは、ふぐのことを幸福の福にちなんで、フクと呼ぶのである。

繁華街には幾つものフク料理店が並び、予備知識もないので、ええいままよ!と入ったのが、栄町にある『まんねん亀』と言う何とも縁起の良い名の店だった。
九州の地酒と供に、テッサだのテッチリだのと美味しく、また楽しく食したのを覚えているが、よく古い映画などで見かける、あの『バナナの叩き売り』の発祥の地が、この門司であると知ったのも、この時である。

福岡県門司区に関する補足

門司とは、北九州市の北東端にある行政区であり、三方を海に囲まれ、西と北は関門海峡、東は周防灘(すおうなだ)に面する。
明治32年、北九州地方で最初に市制が施行されたが、昭和38年に小倉、若松、八幡、戸畑の4市と合併して北九州市門司区となった。
面積は72km。人口は約12万人。
関門海峡に面した「表門司」とよばれる西側には、海岸から山腹まで市街地がつづき、門司港から大里(だいり)にいたる臨海部には金属、機械、セメント関連の工場の他、製粉、精糖、ビールなど食品工業の工場がならぶ。
また、「裏門司」とよばれる周防灘沿いでは、新門司港の整備が進み、大阪や東京との間にフェリーが就航し、コンテナ基地も建設されている。

門司港駅 

鹿児島本線・門司港駅 当初は明治24年(1891)、門司駅として建造されたが、その後、大正3年(1914)に移転し、門司港駅に改称された。
左右対称・ネオルネッサンス様式。
昭和63年(1988)、駅舎としては全国で初めての重要文化財に指定された。
貴婦人のような優美な様は、いかにも明治の雰囲気だ。
偶然だが、左下に人力車が写っているのが風情を増す。

門司港駅B

三井倶楽部

正式名称は、北九州市旧門司三井倶楽部。
大正10年(1921)築。重要文化財。
大正11年(1922)にアインシュタインが宿泊しており、2階にあるその部屋は、今でもアインシュタイン・メモリアルルームとして、当時のままに保存され、展示もされている。
また、同じ2階には、林 扶美子資料室がある。

三井倶楽部①B

大阪商船ビル 

正式名称は、北九州市旧大阪商船。
大正6年(1917)築。
旧大阪商船・門司支店のビルとして使われていた。
国の登録有形文化財。
この写真だけを見ていると、どこか欧州にでもいるようだ。

大阪商船B

門司港ホテルの周辺①

ウォーターフロントに建つ代表的なホテルが、門司港ホテルであるが、その周辺の一角を夜間に撮影したもの。
人影がないのは、深夜だからだが、若い頃に行ったポルトガルの街角を思い出す。

門司港ホテル周辺①

門司港ホテルの周辺②

同じく門司港ホテルの周辺であるが、翌朝に撮影したもの。
このように『本物のレトロ』と『レトロ仕様』とが共存している。
こんな街角の風景は、他にあるようでない。
『門司港レトロ』ゆえである。

門司港ホテルの周辺②

ウォーターフロント

海峡プラザから、ウォーターフロントを望む。
正面は、旧大阪商船ビル。

ウォーターフロント

旧山口銀行 門司支店

こちらは、現役である。
いや建物としては、『原液のまま』と書いた方が伝わるかも…。

山口銀行B

旧福岡銀行 門司支店

現在では、港街二番館と言う名の土産物店になっているが、内部の造りもほぼ当時のままである。

福岡銀行門司支店B

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オ・チヌファンの写真集より

オ・チヌファンの写真集より…日本の街並みに息づく『古き西洋』

私自身は、決して海外かぶれではないと思っている。
派手だが、どこか空疎な海外旅行より、古都鎌倉や1000年の時を重ねる京の街を散策する方が好きである。
仕事も含めて海外も19ヶ国に出かけたが、この感覚は二十代の頃から変わらない。

大阪に5年ほど単身赴任していた時代がある。
休日と言えば、好きなチヌ釣りの季節以外は、毎週のように手弁当を携え、住まいのある西宮から京都まで出かけていた。
何故か、人を誘ったことは一度もない。
いつも独りで、行きたい古刹や見たい禅庭、仏像を選んでいた。
人を誘わなかったのは、単にそれらを見たいというより、自分なりに、味わい尽くしたかったからであろう。

そんな自分でも、長い歴史を通じて日本の街並みに息づく『古き西洋』があることを知っている。
あるいは、和の佇まいの中に自然と息づく『西洋風なる印象』を発見するときがある。
そして、決してそれらを嫌いではない。

嫌いどころか、ある種、不思議なノスタルジアをもって接し、まるで前世から触れていたような捉えどころのない懐かしさを伴って対峙する事すらある。
それが誕生した時代には、自分は生まれておらず、覚えてもいない前世から発するノスタルジアなど、実に矛盾した感覚なのだが、その交差感覚も、また心地よい。
右脳だけが全開で生きている感覚だ。

長崎の大浦や神戸北野の風景、もし函館ならばハリストス正教会の周辺、横浜なら外人墓地の佇まいなど、そんな対象は幾つもある。
あるいは、そんな誰もが出かける観光地のみに固執せず、地方の小都市の中に息づく『古き西洋』を探してみる旅も、また一興かも知れない。

何枚か、写真を見てみよう。
何かしら、出所不明の懐かしさを感じてくれれば有り難い。
ちなみに、「チヌ」とは「クロダイ」に対する関西固有の呼び名であり、英名では、Black seebreamだ。その独特の釣趣により、海釣りでは、根強い人気を誇る魚である。蛇足だが…。

1.松江市・興雲閣

明治36年(1903)、明治天皇の御宿所として、松江城内に建てられた擬洋風建築の迎賓館。
昭和44年島根県指定文化財。

松江市・興雲閣

2.札幌市・豊平館

明治13年(1880)、北海道開拓使が建造した当時の最高級ホテルであり、最初の利用者は、明治天皇とされている。
後に公会堂となり、昭和33年に現在の中島公園に移築された。
昭和39年重要文化財指定。

札幌市・豊平館

3.長崎市・英国領事館職員住宅

長崎英国領事館は、明治40年(1907)にウィリアム コーワンの設計により建造された西洋館である。
写真は、当時のままに保存されている職員住宅。木造二階建てとレンガ作りの二階建が連結する珍しい建築様式だ。
平成2年重要文化財指定。

長崎市・旧英国領事館職員住宅

4.京都市・南禅寺水路閣 (なんぜんじすいろかく)

琵琶湖の湖水を京都市内まで運ぶための長大な水路は、二段階の時期を持って完成したが、第一段は、明治23年に完成している。
その水路の一部は、臨済宗南禅寺派本山である南禅寺の境内に建てられており、古刹に溶け込む西洋建築として不思議な情景を醸し出している。
2時間ドラマでは、定番のごとく使われる借景であるが、この写真ではガイドさんに写真を撮ってもらう女子高生たちの明るい表情が微笑ましい。おそらくは修学旅行の一こまであろう。
その、楽しげな女子高生たちのすぐ後ろに立つ西洋式橋脚は、既に生まれて120年が経過している。
まだ、あどけない子供たちの表情と古色蒼然とした歴史の表情。
そんな不思議な対比を見つめていると何とも言えない優しげな気持ちにひたれるのである。

京都市・南禅寺水路閣

5.ハリストス正教会遠景

ハリストス正教会と呼ばれるものは、日本国内だけで11箇所あるらしいが、これは函館市元町のそれである。
安政5年(1859)、当時のロシア領事が、この地に聖堂を建てたのが源流であるが、明治40年(1907)の函館の大火により消失し、その後、大正5年(1916)に再建された。
昭和58年(1983)重要文化財指定。
大正時代の建物としては、全国で二番目の指定である。
また、函館ハリストス正教会の鐘の音は、日本の音風景100選にも選ばれている。

ハリストス正教会遠景

6.京都市・龍谷大学 (りゅうこくだいがく)

370年もの伝統と歴史を誇る京都の仏教系私立大学。
本部は京都市伏見区。寛永16年(1639)に西本願寺が設立した学寮がその起源であるが、その後、幾多の変遷を経て1922年の大学令により、龍谷大学となった。
写真は、明治12年に落成した大宮学舎本館。
昭和39年(1964)、国の重要文化財に指定された。
西本願寺辺りを散策していると、和の香りの中に突如として現われる『古き西洋文化』である。
仏教系伝統校の歴史の奥に息づく西洋文化には、同じ関西でも同志社や関西学院にみる洋館とは、 また一つ異なる趣きがあるのかも知れない。

京都市・龍谷大学

7.トラピスト修道院

トラピストA

北海道北斗市にある修道院であり、カトリック修道会の一つであるシトー会の男子修道院。明治29年(1896)、ベルリオーズ司教らの手により開院した。
この修道院で作られたバターやクッキーは有名だが、雪積もる冬の日などは、静寂と荘厳さに旅人のこちらまで緊張を強いられる。
そこに一切の邪念を寄せつけぬ凄みを感じるからだ。
若い女性同士の旅人ですら、修道院の壁が眼前に近づけば、言葉を失い、黙り始める。
ここでは、どんな美しい言葉でさえも、その静寂と荘厳を傷つけるだけの破壊者だと知るからだ。
私は、まっすぐの道を歩き、正面にトラピストの壁が近づくと、ふいにその場に立ち尽くし、涙する旅人を二度も見た。
日本では、数少ない類の場所であろう。
このトラピスト修道院の空気に触れたくて、初夏や晩秋の頃にも出かけたが、厳寒期の朝を狙い、神奈川から二度、大阪からも一度、いずれも独りで出かけた。
厳寒期を選ぶのは、観光客が少ない事と、出来れば純白の雪を伴って欲しいからだ。
函館駅から電車か車で1時間程度だから、厳寒期と言ってもそれほどの寒さではない。
どうぞ、ご安心を。

今回の写真に映る地は、全て心に深く残っているが、このトラピスト修道院…、可能であれば、明日にでも、また訪れたい場所だ。
貴方にも、ぜひ薦めたい日本の中の「古き西洋」である。

tora2.jpg

以上 写真および文: オ・チヌファン                                                    

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オ・チヌファン写真集より

オ・チヌファンの写真集より

# 8日(日曜日)に引き続き、知人の写真家
 オ・チヌファン(HN)から分けてもらっている写真です。
 未公開のものばかりを
 次週からもご本人の文章・コメント等でアップします。

「哲学の道」の桜

tetsugaku2.jpg

京都市内の桜の名所は数あるが、哲学者、西田幾多郎にちなむこの『哲学の道』の桜も、また圧巻である。
『哲学の道』は、熊野若王子神社から銀閣寺付近までの琵琶湖疏水に沿った道であり、春の桜、秋の紅葉とも魅力満載の古径である。
以前は、『思索の古径』と言われていたが、哲学者、西田幾多郎が、よくこの道で思索にふけっていたところから、いつの頃からか、『哲学の道』と呼ばれるようになり、昭和47年に正式名称となった。
現在は、日本の道100選にも選定されている。

『哲学の道』桜2

高野川の桜

高野川の桜1

京都には橋の上から眺める見事な桜の連なりが存在する。
出町柳は加茂大橋から見る高野川の桜である。
この加茂大橋から北側を見て、左・賀茂川、右・高野川となるのであるが、ここで二つの河川が合流し、これより下流が、有名な鴨川となる訳だ。
古来より今出川通りを歩く人々は、加茂大橋から見下ろす『高野川の桜の連なり』を、きっと美しい絵巻物を見るような心持ちで眺めてきたことだろう。
それにしても、賀茂川、加茂大橋、鴨川と全て使われる字が異なるところなど、いかにも京都文化の側面を見るようだ。

高野川の桜2

法然院の椿とつくばい

「つくばい」とは日本庭園の添景物の一つとして、茶庭に設置される手水鉢(ちょうずばち)の一つである。
茶事の折、客人が席入りする前に、ここから柄杓一杯の水をとり、手を洗う事によって身を清めるのが道具としての本来の使命であるが、同時に、禅庭には、かかせない点景の一つにもなっており、京都では、ことに竜安寺や東福寺のものが有名である。
しかし、左京区鹿ケ谷にある、ここ法然院にも、毎春の特別公開期には、他にはない艶やかな点景と化し、訪れる人の目を一点に引き寄せてやまない『つくばい』が存在する。
まさしく法然院の椿とつくばいのマリアージュによってのみしか完成しない協奏曲のようである。

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三千院のわらべ地蔵

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三千院と言えば、京都市左京区大原にある天台宗寺院としてあまりにも有名であり、毎年多くの参拝客、観光客が訪れるが、その境内の広さ、伽藍の数、門跡寺院としての歴史など、その魅力は多岐に渡り、いずれも深い。
しかし、この三千院を訪れたなら、国宝級の幾多の貴重な仏像や伽藍などに目を奪われるだけではなく、ふと散策の折、ご自分の足元にも注視されると良い。
こんなにも素朴で愛らしい石仏に出会えるであろう…。 

「わらべ地蔵」である。

warabe 2

(撮影およびコメント:by オ・チヌファン)

来週は、
「オ・チヌファンの写真集より…
 日本の街並みに息づく『古き西洋』」です。


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